08 : かなり不確かな理論武装
これまで隠していた牙を研いだシンと、モニターの中の美女性を前にしながら、セイはひどく苛立っていた。
原因はミリアナの態度だけではない。先ほど録音で聞いてしまった二人の会話にも原因がある。
この二人は、コウのことを「創られた」と言った。
普段ならそんな言葉、気にも留めなかっただろう。しかし、そこに相方のコウが絡むとなると別問題だ。何より、「創られた」という言葉がひどく心かき乱す。
「ミリアナはアルトの専属研究員だった。理学と工学、それに医学の肩書きを持っていて専門は力学。2175年生まれ、蠍座、A型……って、いうのはどうでもいいんだが」
「シンの元同僚よ。アルトで、5年前まで共に研究をしていたの」
「大昔の話だ。ソルディーノを作る時に抜けた」
「逆よ。アルトに愛想を尽かしてでていった貴方を世界政府のお偉いさんがここぞとばかりにとっ捕まえてソルディーノのボスに据えたんでしょう?」
「それも話の筋には関係ないのでしょう? 早く要点を述べてください」
セイの隣に佇むコウは相変わらず無表情で、何を考えているのかは分からなかったが、微かに触れる言葉の残滓には怒りが混じっている気がした。
セイはその様子を見て、コウが「創られたイキモノ」の話を知らないと確信した。もし知っていたなら、これほど冷静でいられるはずがない。怒りよりも戸惑いに支配される筈だ。
表情も感情も薄いコウだが、6年間という長い付き合いになるセイには何となく彼の内が読めていた。
「とにかく、あたしはアルトパルランテでとある装置の実験開発を担当していたの。その装置ってのが実は相当厄介で、文明史上最悪の武器と呼ばれた核兵器以上に危険なシロモノなのよ」
「それがもう少しで完成しちまう。だから、完成する前にとっととぶっ壊しちまおうと思ってな、お前らを呼んだんだ」
非常に簡潔な説明だったが、納得できるかと問われれば答えは否だ。
コウは腕を組み、冷やかな目つきを上司と研究員に向ける。
「残念ですが、何の説明にもなっていません。まず、ミリアナさん……でしたか、貴方は何故自らが開発していたその装置を破壊する気になったのですか? どうやら歯向かったせいでアルトに殺されたようですし、そこまでして破壊を願う装置とはいったいどのようなものなのですか。それから何故、迷子と偽ってボク達が救助に向かわされたのですか。シン、貴方はボク達を差し向けた時点ですべて分かっていたのですか? そして最後に、その機械はただ物理的に破壊しただけで止められるようなものなのですか? もし設計図が残っていてすぐにまた同じものを製作できるなら全く意味のない破壊になりますが」
矢継ぎ早の質問に、シンは口角をあげる。
よく出来ましたと言わんばかりの表情に、滅多に感情を表に出す事のないコウが眉根を寄せた。セイだけでなくどうやらコウも機嫌が悪いらしい。部屋中を物騒な空気が満たしている。
「ミリアナ、簡単に『聖譚曲』の仕組みを説明してやれよ。こいつらなら理解するぜ?」
聖譚曲。
その言葉に、思わずセイは反応してしまう。
「……仕方ないわね。特に赤目のこの子、納得しないと話を先に進めさせないんでしょう?」
ミリアナの指示で、シンは下部のモニターに何らかの設計図を映し出した。
先のひどく伸びた円錐形をしたそれは、スケールから判断して高さだけで数十メートルはある代物だった。
「これが『聖譚曲』と名付けた装置の簡易設計図。この空洞部分に分解用の重力波発生装置付属、改良型ユニゾン・システムを組み込んで完成するわ。2104年にウィルチェックが確立した『量子重力理論』と2118年にドクターシノモリが作り上げた『シノモリの人体模型』を核にした原子分解・具現化システムよ」
「原子具現化……?!」
隣で腕を組んでいたコウが息を呑んだのが分かった。
「アレは30年以上前に不可能だと決定づけられたのでは」
「それは嘘よ。世間からその話題も研究も何もかもが消失したのは、研究が行き詰ったのではなく、アルトがすべて(・・・)の権限を傘下に入れただけの話」
どうやらセイの相方はこの話のあらすじを理解してしまったらしい。
「『消失領域』の方は深刻性を理解したみたいね。貴方はどうかしら『永久灰燼』?」
問われて、セイは素直に首を横に振った。
「どういう事だ? コウ、教えてくれよ!」
しかしながらミリアナに教えられるのは癪だったので、相方に助けを求める。
コウはセイにしか分からないほどの微妙さで驚愕の表情を表しながら、ぽつり、と呟いた。
「現在でこそ物体の運動を数学的に解析する物理力学分野は一つに纏められていますが、100年以上前、『相対性理論』と『量子力学』は全く別のモノとして扱われていました」
唐突に始まったコウの講義は、原子具現化という言葉から遥か遠方にあるよう思われた。
「相対性理論の元となった古典力学はアイザック=ニュートンを始祖とし、すべての物体の挙動とエネルギーを数学的に解くという物理学です。乱暴な話、『世界中のどんな物体も、初期値さえ決定してしまえばその後の動きすべてが予測できる』という理論の元に構築された理論です。1900年代初頭にアルバート=アインシュタインが発表した相対性理論が極みになりますね。古典力学のニュートンの理論はアインシュタインの相対性理論における一部分でしかありません」
コウはまるで自分自身を落ちつけるかのように淡々と語った。
さすがにそのあたりの物理学の歴史は理学分野の肩書きを持つセイも熟知していたが、コウがこれほど長い台詞をしゃべることは稀なので、黙って聞く事にした。
「それに対して量子力学は不確定性原理――『非常に微小な物体の位置と運動を決定する事は出来ない』という理論に基づき、物体の挙動を確率論的に解釈したものです。つまり、初期値さえ分かればすべてを解釈できるとした相対性理論とは一線を画すものでした。これは第一次情報成長期、西暦2000年前後に非常に盛んだった分野です」
相対性理論は「物体の動きはすべて机上の式によって把握できる」。
量子力学では「物体が微小である場合、相対性理論では説明できない」。
相反する部分をざっくりと言えばそう言う事だろう。
「ただしその頃、相対性理論は量子力学の『期待値』であるという仮説もありましたが……話し始めるとキリがないので、飛ばす事にしましょう。実際は、まあ、一口に言ってしまえば量子力学という分野は『怠慢』だったわけです――これは、有名な話ですよね?」
「量子重力理論の生みの親、ウィルチェックの言葉にあるわね。『文明の進歩を妨げるのは戦争ではなく、怠慢である』」
「確率というもの自体をナンセンスだと言ったのはアインシュタインだったか?」
ミリアナとシンがそれぞれ口を挟み、乾いた笑いがいくらか漏れた。
「要約すると『確率』を支持した量子力学という分野は、ただ微小で膨大な計算をすべて省いていたという話です。もちろんその原因は、あまりに微小な物体の観測が不可能であり、その世界でのエネルギー挙動の観測が不可能であったという点に尽きるわけですが。何しろ、電子線が使われていた時代の理論ですからね、仕方ありません」
今現在、最小最強の波という称号を持つのは重力波である。非常に細かい周期で振動し、また大きなエネルギーを保有するそれは、放射線よりずっと有効な元素改変の手段として、100年以上用いられてきた。
「すみません、また話がずれました。兎にも角にも、この経緯でアルバート=アインシュタインの相対性理論がある意味で『勝利』したわけですね。そして小さな矛盾をいくらか補って、ウィルチェックの量子重力理論が完成しました。この世に存在するいかなる物質も、机上の計算によって支配できる。それが『量子重力理論』の真髄です」
「いや、そこまでは分かるんだけどよ、それと『物質の具現化』とどういうつながりがあるっつーの?」
「せっかちですね。説明をやめますよ?」
どんな脅しだ!
セイは怒鳴りかけたが、コウの事だ、本当に何も話してくれなくなる可能性も大きい。
「大人しく聞くから、説明を続けてくれよ」
憮然とした表情でそう言うと、コウは再び口を開いた。
「昔の言葉に『錬金術』というものがあります。16世紀中世ヨーロッパで盛んに行われた『元素の変換方法』を探ろうとする研究です。実際は、卑金属を貴金属に変えようと様々に混合しただけの陳腐なものだったと聞いていますが」
「……?」
量子重力理論と錬金術に何の関係が?
思わず首を傾げたが、また機嫌を損ねても面倒なので、口を閉ざす。
「この世の物質はすべて、『原子』で出来ています。銅と鉛をどんな比率で混合しようと、その二つが違う原子で構成されている以上、異なる原子で出来た金にはなりえない、という事です。そして、その原子というものは広義の『素粒子』と呼ばれるモノの集合体です。実はこの説は、科学的諸説の一つでしかありませんが、ボクがこの場で断言できるほどにほぼ確定した事項です。そしてその形態としては1904年のプラグ・プディング・モデルや電子雲モデルなど、さまざまありますが、ここでは単純化を促す為にボーアの原子模型を採用しましょう。詳細に不安はありますが、これからの説明において特に問題はありません」
まるで初期教育課程前期の講義を繰り返されているようだ、とセイは思った。
ボーアの原子模型とは、原子を正電荷と負電荷の集合体として模式化したものだ。「中性子」と「陽子」で構成される原子核と、その周囲を一定の間隔を置いて周回する負電荷の「電子」とで表わされる。地球を周回する月のように原子核の周囲をくるくると飛びまわる電子の図を、一度は見たことがあるはずだ。
その中性子、陽子、電子の違いが「原子」の違いに反映される。簡潔に例を出すと、中性子8個、陽子8個で構成される原子核を8個の電子が周回していれば酸素原子となる。中性子6個と陽子6個の原子核を6個の電子が周回していれば炭素原子となる。
このように、この世の中の物質を作り上げている最小単位――そう呼ばれていたのは20世紀までの話だが――たる「原子」は、その根源を共にし、その「数」「エネルギー値」「大きさ」などの制約条件で様々に分類されていると言っていい。
「マクロの視点で見た性質を異にするとはいえ、多くの原子の違いは微々たるものです。乱暴な話、陽子と中性子と電子、この三つを規定してあげさえすれば原子の形を成します。最も、素粒子という話になった時はさらに制約条件が多いのですが……これも、長くなるので省きましょう」
コウはそこでいったん言葉を切った。
が、すぐに口を開く。
これほど雄弁なコウは珍しい。
「量子重力理論が2104年にウィルチェックによって確立され、重力波の利用が台頭してきて以来、人類は再び『錬金術』を望み始めました。それが、今からおよそ50年ほど前――2150年代の話です。今度は混合物などという陳腐なものではなく、重力波で原子の構成粒子、つまりは大昔には『概念』の一つでしかなかった陽子や中性子そのものを操って変換しようという科学的な『錬金術』です。無論それには、物体の挙動を完全に理解する事が必要不可欠でした。最も、それはウィルチェックによってすべて解明されています。もう障害は残されていません」
「つまり、人間は思うまま、欲しい原子を作ろうとしたって事だろう」
「ええ、そうです。しかしその研究はいつの間にか下火になり、30年ほど前、一気に世間からその姿をくらましました。おかしいとは思っていたんです、理屈ならボクでさえ理解できる範疇なのに、何が失敗を導いたのかと不思議に思ってはいたのですが……その歴史解釈自体が間違っていたようですね」
コウはちらりとモニターのミリアナを見る。
「『錬金術』はすべてアルトパルランテが引き継いでいたようです。世界政府がそれを容認しているのか、圧力をかけても応じなかったのかそれとも他に考えがあるのかは分かりませんが」
「それこそ世界政府の『怠慢』だ、怠慢」
シンが間の手を入れる。
「原子の具現化自体が成功したのは今から既に20年以上前の話よ。何しろ、あの時のアルトには信じられないくらいの頭脳が集積していたもの。アルトの特別研究チームは本来なら100年はかかるであろうはずの研究をたったの10年で終えたわ」
ミリアナの言葉には返答せず、コウはセイに向き直った。
「それでは、量子重力理論の話はここまでにして、今度は生物学分野の話に戻りましょうか」
「『シノモリの人体模型』なら知ってる。人体を元素配列によって示した模型の事だ。肩書きなしでも知ってるぜ、そのくらい」
「そうです。では、もう一息ですね。ユニゾン・システムとは何ですか?」
「さっきから馬鹿にしてんのかよ、コウ。情報空間に再現した疑似神経系と生体を連動させる事によって、意識そのものを情報化し、空間活動を可能にしたシステムの事だ。情報空間に、生体の情報ほぼすべてをインプットし、防御壁で隔離された巨大な情報体となることで情報空間内に架空の生命体を作っていると言い換えてもいい」
セイが即答すると、コウは抑揚のない声で返した。
「十分です。つまり、ユニゾン・システムは現実世界と情報空間の双方に人間のコピーを作る事ができる、という事です。では、最後に一つ問題を出しましょう」
「問題?」
「はい」
心なしか、コウの表情が緊張しているように見えた。
「ユニゾン・システムは『生体を情報化』するシステムです。それでは、量子重力理論と重力波の応用によって可能となった原子の具現化、それにシノモリの人体模型から導き出される結論は何ですか?」
原子の具現化。原子で表された人体模型。
セイははっとした。
――創られたイキモノ
心臓の音が耳元で鳴り響いている。
現実世界から虚構へ。虚構から――現実世界へ。
ユニゾン・システムが生体を情報化するシステムだというのなら。
「『情報の生体化』だ」
セイの喉の奥から呻くような声が漏れた。