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06 : 虚構と幻想の未来的遊戯

 薄暗い街を歩いていたコウは、ふと敵意の視線を感じて立ち止まった。

 ダリアに捕まったセイは既に放置してきたはずだ。そちらに大方向かうと踏んでいたのだが、失敗したようだ――と思っても振り向く事などないのだが。

 無視してさらに歩を進めると、今度は殺気混じりの視線が刺さる。

「面倒ですね。セイに一掃してもらった方が、面倒がなくてよかったんでしょうか」

 珍しく、くすりと笑ったコウは戦闘態勢に入り、喧騒から離れて人通りの少ない道に入った。

 予想通り、幾つもの気配が追ってくる。

「ボクはセイのように優しくありませんよ?」

 光のない夜闇の中で、コウの遣う武器は見えない凶器と化す。

 先陣をきって飛びかかってきた男は、四肢を極細のワイヤーで裂かれて、声もなく地面に倒れ伏した。どしゃ、と固体と液体の混合物が地面に叩きつけられた鈍い音が響く。

「どうやら、『気に喰わない』というレベルではなさそうですね」

 肌に刺さる殺気は、気に喰わないから少々痛めつけてやろう、という感情でなく、明確に自分の命を狙って向けられた刃の形状をしていた。

 コウは、ビルに取り囲まれた空き地の中央で立ち止まる。

 この地面はパネルに覆われておらず、むき出しの土の感触が足元から伝わってきた。その感触を確かめるようにとんとん、と軽くその場でステップを踏み、コウは自身の周囲にワイヤーを張り巡らせる。

 敵意は着実に近付いて来る。

 数は10を超すだろう、街に(たむろ)う浮浪者、というには鋭すぎる敵意の束を抱え、足音もなく忍び寄ってくる。

 確実に、明確な意思で以てコウを襲う何らかの組織だ。

「いったい誰でしょうね……心当たりはありませんが」

 あるとすればたった一つだったが、面倒なのでできれば考えたくない相手だった――サーバーの片隅を荒して迷子(トリル)を回収した程度の事で敵に回したい相手ではない。

 ひたりと張り付くような夜の静寂(しじま)が完全に静止した。

 ここに自分がいるのに、いないような感覚。

 全身の感覚が鋭敏になり、ヒトの気配すら皮膚で察する事ができそうだ。

「たまには運動も必要ですからね」

 セイに言わせれば、どこが運動か分からない、という一方的な殺戮が始まろうとしていた。




**********




「マスター、そろそろいいかしらぁ?」

 ダリアがそう言って立ち上がった。

 カウンターに視線を落とし、思索に(ふけ)っていたセイは、はっと漆黒の瞳をあげる。

 隣のジニアは、録音をさっと手にすると、閉じた傘を杖にして椅子から降りた。彼女はそのまま店の出口へと向かう。

「待っ……」

 思わず呼び止めたセイだったが、特に何を言いたかったわけでもない事に気付き、ジニアの紫の瞳にうろたえてしまった。

「…………何?」

 答えられずにいると、ジニアはふいと踵を返して店を出ていった。

 正体の分からない(わだかま)りがセイの中に残された。胸の辺りがもやもやとする。何かが晴れない。

 が、ダリアはそれに関係なくセイの腕に自分の腕を絡めた。

「さ、行くわよ~、セイくん」

「行く? どこに?」

 そう問うと、ダリアは妖艶に微笑んだ。

虚構(タチェット)よ」

「はぁ? 虚構(タチェット)? あんなとこ、仕事以外で好き好んで行かねーよ」

「そう言わないでぇ」

 しかも虚構(タチェット)へ『行く』という事は、既に生産・使用が禁止されているはずのユニゾン・システムがないと不可能だ。

 それ以前に、虚構(タチェット)への一般人の立ち入りは全面的に禁止されている。

 最も、ダリアもセイも一般人ではないので問題はないが。

「大丈夫よぉ~、この店のサーバー群から出なければ」

「それこそ意味ねぇよ。何のためにあんな処に……」

「遊ぶ、のよぉ?」

 このままダリアを振り払う事は簡単だった。

 だが、この時、セイは揺らいでいた。

 断片的に届いた「創られた」生命体の情報。もし、セイが自身を信じるならばそれは自らの相方、コウにぴったりと当てはまる。

 シンはそれを知っていた。では、コウ自身は……?

 無論、だからといって自分になんの影響があるわけではないのだが、どこか引っ掛かってしまう事は否めない。

 気がつけば、店の奥、古い扉をくぐり抜けていた。




 何百年も前の遺跡とも思える内装だった酒場と違い、一変して周囲はのっぺりとした有機素材の壁が連なっていた。灯りが少ないために判別できないが、どうやらベージュ系の明るい色で統一してあるようだ。

 腕をからませたダリアと二人、ぎりぎり通れるような幅の通路をずっと歩いて行くと、ふいに開けた場所に出た。

 球状の天井、円形の壁。

 そして、部屋には十数個のユニゾン・システムが隙間なく敷き詰められている。

「何だこれ」

「ふふ、これは情報危機(サイバーショック)の直前にこの辺りで流行っていた遊びよ~。すっごく、キモチイイんだから」

 躊躇したセイにはお構いなく、ダリアは一番手前のシステム内に彼を押しこんだ。

 そして、隣のシステムに搭乗する。

「あー……やめときゃよかった」

 今更後悔しても遅い。

 充填液がみるみるうちにセイの全身を覆い、馴れた感覚に支配される。こうなればもう目を閉じて従うのみだ。

 ただ違うのはソルディーノ所属オペレーターの声がしないだけ。

 虚構(タチェット)と現実を繋ぐ一瞬、セイは馴れた浮遊感に襲われた。





 普段のシステムとは少し違う、奇妙な浮遊感が全身を包み込んでいた。

 麻酔でもかけられたかのように脳髄が麻痺している。目を開けるのが億劫なほどに温かく、心地よい空気が纏わりついていた。

 なんだろう、この空間は。

 いつもセイたちが任務を果たす時は、疑似重力が働いている。それは、虚構(タチェット)内でも現実世界と同じ活動をするためだ。

 ところが、どうやらこのサーバーには疑似重力が働いていないらしい。

 それが原因なのか、心臓が不自然に血液を送り出している。手を動かすのも緩慢とした動作にしかならない。

「……」

 声を漏らそうとしたが、出なかった。いや、喉の震えを感じたから聴覚の方が麻痺しているのだろう。

 ゆっくりと瞼を押し上げると、目に入ってきたのは――満天の星空だった。

 普段見ている空と変わりない。雲が全くないのは非常に不自然ではあったが、称賛に値する煌めきが視界を埋めていた。

 全身の力を抜いてただ浮遊し、星空を見上げる。

 ダリアはただこの為に自分を連れてきたのだろうか?

 首を傾げようとした時、ふっと腕に何かが触れた。

 そして、星空を金のソバージュが横切る。

「ねぇ、セイ。虚構(タチェット)内で防御(ブロック)を取り払ったら、どうなると思う~?」

 先程は自分の声も届かなかったのに、今はなぜ、ダリアの声が聞こえる?

 そう思った瞬間、全身に冷水を浴びせられたような感覚が貫いた。続いて電流が駆け抜け、思わずびくり、と体を痙攣させる。

 気づけば自分の体からは衣服が取り去られており、その素肌に同じく衣類を身に付けていないダリアが掌を滑らせていた。

 防御、とは自分と他人とを隔てる壁のようなものだ。現実世界では必要ないそれは、情報空間において必要不可欠なツールだった。

 それがなくなれば、虚構(タチェット)内にある自己情報体が崩壊してもおかしくない。

 今の感覚は、まさにそれだった。

 確かに今の今まで自分を守っていた防御壁が取り払われてしまった感覚。

「なっ……!」

 今度は声が出た。

 ただし、震わせた喉、動かした唇、その音を聞いた耳に至るまですべての部分を熱い何か(・・)が走り抜けた。

 何だ、今の感覚は?!

 吟味する間もなく、ダリアに触れられた部分が熱を帯びる。

「他人との境界がなくなるの」

 熱い。

 見れば、ダリアの手が自分の胸元に()り込んでいる。

 それだけではない。

 触れたところすべてで境界が曖昧になり、情報が混ざり合って行く。

「や、め……」

 全身が灼熱に包まれている。

 それなのに、どこか高揚する衝動を止められない。

 嫌悪を押しのけるほどの何かが背筋を貫き、全身を支配している。

「セックスでも埋められない隙間を埋めるの。なんて、素敵」

「……ぁっ!」

 抗えない大きな力に流され、情報の奔流を受け入れる。

 意識が混ざる。

 これは自分の感覚か、それとも相手(ダリア)が感じ取っているものか。

「あなたが……知りたいの」

 悲しみ、喜び、恨み、絶望、喪失感、怒り、失望、憤怒、恐怖、快楽、焦燥感、緩慢、奮起、欠落感……これは自分の記憶か、それともダリアの懐古なのか。

 音が遠ざかって、皮膚は熱さしか伝えず、それどころか内腑をかき回されているような感覚すらある。

 が、それさえも麻薬のようにセイの理性を取り払っていった。




**********




 コウは最後の一人をワイヤーできつく締めあげた。

 隠密行動用の闇色をしたボディスーツが裂け、そこから赤い液体が滲み出る。

「バケモノが……!」

 縛り上げられた男は、抵抗する力を奪われ、全身に裂傷を追いながらも暗視スコープ越しにコウの深紅の瞳を睨みつけた。

「質問しているのはボクの方です。貴方はただ答えればいい」

 コウが右手の人指し指を軽く動かしただけで、男の顔は苦痛に歪む。新たに腹部に裂傷が刻まれ、真紅の筋が現れた。

 自分の命を狙ってきた相手だ。正当防衛で相手の命を奪ったとてコウには何の感慨も湧かない。

 何しろ、この街において「殺し」はそう稀な事でもない。

 情報危機(サイバーショック)を経て戸籍が失われた今、路地裏にいくつか死体が転がっていたところで気に留めるのは匂いを気にする近隣住民くらいだ。

 殺しは禁止(タブー)、しかしそれを裁く機関は、極東地域において絶対的に弱かった。

 狙われた場合、殺らなければ殺られる。それが嫌ならば、誰からも恨まれないよう、殺されないよう身を小さくして生きていくしかない。

 残念ながらそれが不可能なコウは、殺されないだけの力を手に入れた。

「どこの誰が、どういう理由でこの数の刺客を差し向けたのですか?」

 無表情に、淡々と問うコウ。

 その頬には返り血と思しき血痕が付着していた。おぞましく闇に浮かび上がる真紅の瞳には情の欠片も見当たらない。

 周囲に累々と積み重なった動かぬ刺客たちが十数体。

 その中央、さながら魔王のように君臨するコウは息一つ乱していなかった。

「どうやら便利屋に近い暗殺業のようですが……依頼主を教えてくださいませんか。そうすればそちらまで直接伺うかもしれませんから」

 そう聞いたものの、大体目星はついている。

 おそらく雇い主は廃棄された街の中央に佇む大組織の中の誰かだろう。理由は、サーバーの端を荒した以外に全く見当もつかなかったが、自身を傷つけぬためにプロに要請するとような姑息な手を取る相手となると、それ以外には全く思いつかない。

 何しろ、自分達を殺したところで何のメリットもないからだ。

 ついでに言うと、殺されるほどの恨みを買った覚えもないのだが。

 身に覚えのない文句でちょくちょく絡まれるのは事実だが、それは情報危機(サイバーショック)で様々失った人々が怒りの矛先をソルディーノのような事後処理機関に向けているだけの話だ。殺されるような敵意を受けた事はない。

「おそらく依頼はアルトパルランテの方でしょうけれど、ボクが知りたいのは理由なんですよ。何か、知りませんか?」

 もう一度尋ねると、男は片笑みを見せた。

「……流石だな、『消失領域(ポータブル・イヴィル)』。その推察力に敬意を表して、一つだけ教えよう」

 怪しい笑みで、男は静かに言った。

「依頼内容はソルディーノの迷子係を消す事だ。コウ=タカハラ――なぜなら、それは『創りモノ』だから」

「……創りモノ?」

 コウが眉を寄せたが、次の瞬間に男は口から真っ赤な血を吐いた。

 目の前にいたコウのジャケットにもいくらか飛び散ってコウの瞳と同じ色をした真紅の花を咲かせる。

 完全に活動を停止した目の前の刺客からワイヤーを解いて回収し、コウは息をついた。

「……自害、とは」

 たったこれだけの事で自ら命を絶つ事はない。よほど大きな情報を隠しており、捕まった場合の自害までが依頼だったのか、それともこの男の趣味なのか、プロ意識の美学とかいうやつなのか……まったく理解できない。

 ただ、ひどく嫌な予感がした。

「『創りモノ』……」

 男が最後に残した言葉を繰り返し、コウは屍に埋もれた空き地の真ん中で空を見上げた。

 明るい街の空に星は観察しづらい。ソルディーノが存在するあの廃れた街ならばここよりずっと多くの星が見えるというのに。

「アルトパルランテ……ですか」

 情報危機(サイバーショック)の後も全世界に対して、つまりは世界政府に対して多大な影響力を持つ組織。

 なぜそんな組織が事後処理機関の一つでしかないソルディーノの迷子係に刺客を差し向ける?

 今日の迷子回収で確かにサーバーのセキュリティを幾らか破壊したが、すぐに修復できるはずだ。何より、シンから謝罪をだせばそれ以上追及できないはずだった。

 世界政府直属の事後処理機関ソルディーノはそれなりの権力を持っているのだから。

 あの時、何かアルトを敵に回すような重大な発見をしただろうか?

「もしかして、あの迷子(トリル)ですか……?」

 ミリアナ=アルト=ヴェルジネ、と名乗った不可思議な迷子(トリル)。そう言えば、アルトパルランテの専属研究員を名乗っていた。

 それが本当だとすると、もしや彼女がアルトパルランテに関する重大な秘密を握っていたのかもしれない。

「見ず知らずの迷子(トリル)のせいで命を脅かされるのは腑に落ちませんね」

 コウはくるりと踵を返した。

 ソルディーノの本部へと戻るために。





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