05 : やんわりと絡め取っていく疑惑
コウに愛想を尽かされないよう、なるべく敵意の視線をかわしながら人ごみを行くセイだったが、それにも限界がある。
甲高い女性の声が、黒髪の迷子係を呼びとめた。
「セイく~ん、そんなに急いでどこ行くのかな~?」
ああ、一番聞きたくなかった声だ――そう思いつつも声の方向を見てしまう自分が悲しい。
声の主は、同じソルディーノに属する不協和音係。
「……ダリア」
思わず顔が引きつったセイ。
視線の先には、肩にかかるソバージュの金髪にペイントを施したかのように派手な化粧。瞳の色は灰白色だが、それはカラーコンタクトだと聞いたことがある。体にぴったりとした真っ赤なボディスーツからすらりと長い脚が伸びていた。時代錯誤なその格好さえ、彼女にはぴったりと似合っている。
「うっわぁ~、嫌そう~」
けらけらと笑う妙齢の女性の隣には、物静かな少女が佇んでいる。
真っ赤なダリアと印象は正反対、黒を基調としたワンピースに身を包んだ少女は、ちらりと一瞬セイを見ただけでもう一度視線を戻した。
白のレースが彩る、ふわりと裾の広がった膝上のスカート、白黒の縞のオーバーニー、つるりとした黒皮で作られた先の丸い靴。まるで人形のような出で立ちだ。今は夜、それも雨など降っていないというのにこれまた黒を基調に白いレースで取り巻いた傘をさしていた。夜闇の色をした髪を青いリボンで一つに括り、白磁の肌に似合う紫水晶の瞳が美しい。
印象の全く違うこの二人が並ぶと非常に滑稽だ。しかも、こんな破棄された街の中ではその色合いがさらに目立つ。
まるで下手くそな画像合成をしたかのような違和感が拭えなかった。
一つため息をついて無視しようとした時、ダリアの甲高い声が耳をついた。
「あんたたちも追い出されたの~?」
「……?」
あんたたちも。
つまり、ダリアたちもソルディーノの本部を追い出された、という事か?
セイはふっと足を停めた。
「ボスがね、急に人払いなんかしちゃって部屋に籠っちゃったのよ~。しかも! こっそり聞いてたら、どうやら女と通信してるみたいなのよ!」
妖艶な唇に人差し指を当て、片目を閉じたダリアはにこりと笑った。
「何か知らなぁい?」
「シン兄が女と通信? それ、何かの間違いじゃねーの?」
セイの記憶にある限り、自分がシンに拾われてから彼の周りに仕事上以外の女性の気配はない。
「しかも何、ダリア、お前まだシン兄の事狙ってんの?」
「まだ、って言い方はないと思わない~? それに、私はどちらかというと貴方の方が好みよ、セイ」
最悪。
セイは思わず飛び退った。
と、そこでようやくコウの後姿が人ごみに消えようとしているのに気づいた。
「あっ! コウ! 待てよ! お前、最近俺に冷たいぞ?!」
ボクがキミに冷たいのは最近に始まったことではありませんよ、という返答を期待したのに、今度は振り向きすらしない。
完全に置いていく気だ。しかもこういう点においてコウは絶対に容赦しない。
「ちょっと、コウ!」
セイは慌てて追いかけようとしたが、後ろ手に掴まれて立ち止まった。
「待ちなさいよ、セイ~」
真っ赤なマニキュア。
不快。
セイの眉がキュッと寄る。キレる、寸前。
「ジニアがね、貴方に話したい事があるって言うのよ~。珍しいから聞いてあげたらぁ?」
その言葉で頭が冷えた。
同じ不協和音係でもダリアはともかく、黒の人形ジニアは滅多に口を開く事がない。彼女が話したいとはよっぽどの事だ。
そんな事をしているうち、とっくにコウの後姿は見失ってしまった。
「……仕方ねえな」
今夜はどうも運が悪いらしい。
シンに適当な指示でアルトのメインサーバーに転送させられるわ、変な迷子にハッキングされるわ、挙句にソルディーノを追い出された。
その上、コウとまではぐれてしまってはもう諦めるしかないだろう。
不協和音係のダリアとジニアに連れられ、街の一角にある小さなバーの扉を潜ったのだった。
何処にいても目立つ派手な印象のダリアもそうなのだが、黒のワンピースに身を包んだジニアはこの街に似合わない。彼女は人の集まるこの廃墟、薄汚れた喧騒の街の中に溶け込む事は出来ないのだ。
ところが、セイが連れ込まれたバーはこの街に合わず非常に落ち着いた雰囲気で、今となっては非常に珍しい、煤けた木材が組まれた内装がジニアの存在を包み込んでいた。
数えるほどしかないカウンター席の他には立ち呑みのテーブルが2つあるだけの狭い店内は、入った瞬間にどこか埃っぽい古びた匂いがした。照明はこれまたかなりの年代物と思われる油式のランプ。何百年も前の時代の遺物だ、本来ならこんな場所に現役でいるはずもなく、凄まじい値段の付く骨董品のはずだ。
いらっしゃい、という迎えの言葉もなくカウンターの中で俯いている店主は初老の男で、ぴんと伸ばした背筋にどことなく油断できない空気を絡ませていた。彼もまたこの酒場の時代に合わせたのか、黒のベストに片眼鏡、胸ポケットからは銀時計の鎖が零れていた。
「お邪魔しまぁす、マスター」
ダリアが声をかけ、カウンター席に陣取る。
その後ろに傘を閉じたジニアが続き、よじ登るようにしてカウンターの椅子に腰かけた。
仕方なくセイもジニアの隣の席に着く。
「マスター、『ルバート』お願い~。2人分よ」
注文にも返答のないマスターに特に何を言う事もなく、ダリアは隣のジニアを促した。
「何を話したかったの、ジニア。あんたがセイに話なんて、明日は第二次情報危機でも起こるんじゃないかしら?」
ダリアの言葉に、ジニアはびくりと肩を震わせた。心なしか顔が青ざめた気がする。コウと同じくほとんど表情も感情も表わさないジニアには非常に珍しい事だ。
それを見たダリアは、しまった、という顔になり、慌てて胸の前で両手を振った。
「じょーだんよ、じょーだん。ああもう、早く話しなさいよ~」
「……………………聞いて、欲しい」
ジニアは聞き取れるかどうか、というか細い声で辛うじて呟いた。
そして、ワンピースのポケットから情報チップを取り出し、セイに手渡した。どうやら、音声情報のようだ。
セイは漆黒の瞳でそれをまじまじと見た後、再生装置にチップを挿入する。
情報の再生が始まり、ジニアの声に負けず劣らず小さな声がそこから漏れてきた。
――助けて、シン。きっともう貴方にしか止められない
先ほど回収したあの女性の切羽詰まった声で、始まりは告げられた。
途切れ途切れの録音を聞くうち、セイの表情が強張っていく。ジニアはちらりとその姿を確認しながらも、何も言わず、再生を続けた。
1分、2分……静かな店内に、スピーカーから洩れる静かな会話が響く。
セイの額に玉の汗が浮かんだ。
――最終目標は『聖譚曲』の破壊だ
その言葉を最後に、録音は途切れた。
隣に座ったジニアはそれを確認してから再生を止める。
セイは――動けないでいた。
頭の中はかつてないほどに混乱している。「あの子」「創った」「6年前」「コンビ」「迷子係」。様々な単語が頭の中で渦を巻いている。
そしてその言葉の羅列は、一つの可能性を示していた。
「…………これで全部…………」
ジニアの声ではっとした。
「さっきシンの部屋で録音したって言ったよな」
「……そう」
とりあえず、ポイントは二つだ。
一つ目は「聖譚曲」――いったい何かは分からないが、もうすぐ完成する兵器か何からしい。迷子のミリアナはどうやらそれを破壊しようと試みたが逆に組織に消されてしまったようだ。
彼女自身、すでに組織に消されており、あの情報体は迷子ではなく生体のバックアップデータと言うわけだ。
そして、二つ目は「あの子」――どうやら6年前に「創られた」らしい。あの話しぶりからするに、迷子係のコンビ、つまりセイとコウに当てはまるようだ。
「『創られた』か……」
いったいどのようなプロセスを経たのかは分からないが、話しぶりからするに、どうも生物的生殖ではない方法で創られた可能性が高い。真っ先に思いつくのはクローンだが、アルトパルランテの研究員と情報危機の事後処理機関ソルディーノのトップの会話という事を考えると、もっと別の可能性を考えた方がいい。
「…………きっと、貴方とコウの問題になると思って」
柄になく動揺していた。
何しろ、セイの中には「6年以上前のコウの記憶がない」。
創られた生命体。
その言葉に含まれた意味は?
アルビノ以外ではあり得ないはずの赤い瞳を持ち、冷酷に敵を分断する「紅緋の消失領域」は、人の手によって生み出されたイキモノだとでも言うのだろうか。
「……コウ」
ぽつり、と呟くと、その声はバーの古臭い空気に紛れて蕩けていった。
セイの胸中に蟠りを残したまま。