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04 : ゆっくりと動き始めた回転軸

 剥き出しの機器が周囲を覆う箱部屋で、「ソルディーノ」の責任者シン=オルディナンテは一人モニターに向かっていた。

 画面には一人の女性が映し出されている。

 シンは相変わらず緩く開いた口元に煙草をくわえ、目を細めた。

「……ずいぶん可愛らしい姿になったもんだなぁ、ミリアナ」

「貴方はずいぶん年をとったわよ、シン」

 ミリアナの言葉にシンは眉をひそめる。

「お前、バックアップだろう。生体の複製は禁じられているはずだが?」

「何を今更……世界政府の決めた規則(ルール)に何の意味があって?」

「そうだな。お前達『アルト』はいつもそうだ」

 淡い敵意を込めた言葉に、ミリアナは微笑する。

 シンも口元に笑みを浮かべ、加えていた煙草を床に落とした。

 そして、薄汚れたスニーカーで火を潰しながら、モニターの前のデスクに肘をついた。

「で? その何年も前のバックアップまで使って、とっくにアルトから足を洗った俺に、いったい何の用?」

「意地悪ね。何年たっても変わらないわ、貴方」

「それはどうも」

 肩を竦めたシンに、モニターの女性はため息をつく。

「それでも、この時のあたしには貴方しか思い浮かばなかったのよ」

 彼女は、翡翠の瞳で真っ直ぐにシンの青い瞳を見つめた。

「助けて、シン。きっともう貴方にしか止められない――」

 そこでシンはようやく口角を下げ、真面目な顔を作る。

「やっと分かったの、あたしたちが創ろうとしていたモノがどれだけ危険なのか。貴方は、とっくに分かっていてアルトを見限ったっていうのに」

「……遅いな、遅すぎる」

「そうよ、もう遅いかもしれない」

 ミリアナの言葉に、シンは息を呑む。

「間もなく、聖譚曲(オラトリオ)が完成するわ」

 聖譚曲(オラトリオ)――それは、神に捧げる(カンタータ)

「プロトタイプから既に7年、少なくとも5日前には完成への秒読みが始まっていたわ」

「だが、あれにはまだエネルギーに関する問題が……」

「エネルギー値の事なら2年前に解決したわ。レーザーの応用でね、分かってしまえば案外簡単な理論で解けるのよ。もう偶然を待たなくていい(・・・・・・・・・・)」

 シンはそれを聞いて、額に手を当て、空を仰いだ。

「土壇場であたしは阻止しようとしたの……それが、ここ半年くらいの事よ。どうやら、最終的には組織に消されてしまったようだけれどね」

「ミリアナ、お前、何時(いつ)のバックアップ?」

「5年前よ。貴方がアルトを出て、ソルディーノを設立した時に保存しておいたものだから」

「生体じゃない、記憶の方だ」

「最後に保存したのは2201年5月18日、極東エリアで午前2時25分58秒となっているわ」

 それを聞いたシンは舌打ちした。

 柔和な目を細め、眉間にしわを寄せて額に手を当てる。

 昔から変わらない考え事のポーズだ。

「10日前、だな……あのミリアナが保存を忘れるわけがない、保存する余裕がなかったと見るべきだろう」

 別のモニターのスイッチを入れ、キーボードを操作する。

「あれからもう10日も経っているっていうの……?!」

 悲鳴のようなミリアナの声を背中に聞きながら、シンはタン、と最後のキーを叩いた。

「アルトの研究者リストからお前の名前が消えてる。解雇でもされたか?」

「……いいえ」

 シンが軽くアルトのサーバーにハッキングをかけた事には突っ込まず、ミリアナは唇を引き結んだ。

「あたしが、5年前のバックアップがここにいるって事は、おそらく、現在のあたしの生体は死亡したわ」

「……?!」

 さすがに目を大きく見開いたシン。

 モニター内のミリアナも沈鬱な顔で黙りこんだ。

 ダイオードが思い出したように煌めく。冷却のためのファンもむき出しで、溜まった埃を散らすように回転する。薄暗いのは部屋の明かりがモニターから洩れるだけだからだろう。

 そこに、微かな笑いが響く。

「……シン?」

「ははっ……神に創られた人間(イキモノ)が神の所業を真似ようとは、実に滑稽だなぁ」

 神の所業に対する揶揄の裏に隠された人間そのものの否定、そして心の底からの侮蔑が含まれた台詞は、シンの純粋な怒りを何より如実に示していた。

 そのまま喉の奥から乾いた笑いを洩らしながら、蒼い瞳でミリアナを貫く。

「細かい事は後回しだ。お前の持つ情報、全部出せ」

 この場にセイやコウがいたら、一瞬で飛び退っただろう。

 何もかもを屈服させる極寒のオーラを纏い、シンはゆっくりと立ち上がった。

「まだ、早い。人間がその力を使えば、情報危機(サイバーショック)とは比べ物にならない、未曽有の大災害になる」

 かつて、爆薬(ダイナマイト)を発明したアルフレッド・ノーベルは、図らずも大量殺人を間接的に誘発した。放射能除去が不可能だった時代、多大なエネルギーを供給する原子力発電は一歩間違えば周辺に汚染物質をまき散らす諸刃の剣だった。

 聖譚曲(オラトリオ)も同じ歴史をたどる事になるのは目に見えている。

「俺に英雄(ヒーロー)は似合わねぇよ」

 そう言いつつもシンは新しい煙草に火をつけ、煙を吐いた。

「でも、貴方以外に誰がいて?」

「俺にだって手札くらいあるぜ? 10年前に情報危機(サイバーショック)で拾った奴が」

「ああ、あの子……ね」

「会っただろう、迷子係にしてあるからな」

「ええ、会ったわ。あの子を英雄に仕立て上げる気? とても強くなっていたけれど、あれは貴方の差し金かしら?」

「あれは本人の意志だ。後は、隣に『あいつ』がいたせいかな。コンビにしておけば勝手に二人とも成長していくもんだ」

「『あいつ』って……『ゼロ』の事よね?」

――ゼロ

 かつてシンがアルトに属していた頃、ミリアナたちと共に偶然(・・)創り上げてしまった生命体。

 ゼロとイチからの創造。

「……プロトタイプであの子を『創って』からもう6年になるのね」

 ミリアナは感慨深げに我が子を胸中に浮かべる。

 同時に、戦いの最中の楽しそうな顔を思い出し、ため息をつく。

「でも、『迷子係』ですって? どれだけ好戦的なのよ。あれじゃ、どう見ても『不協和音(ディッソ)係』よ?」

「ああ、街でもよくそう言って絡まれるらしいなぁ。人殺しー、ってな。あいつらはそれが気に喰わなくてちょくちょく問題を起こしやがる。全く、面倒なガキどもだ」

「そういう風に育てたのは貴方でしょう?」

「ま、そうとも言えるな」

 情報危機(サイバーショック)で何もかもを失った少年と、ヒトの手で創られた少年を引き合わせたのは単なる興味だ。

 どちらも一筋縄ではいかない性格のため、いっそのこと、とコンビを組ませてみたら思いのほかうまくいったというわけだ。

「うちには不協和音(ディッソ)係も置いてる。まぁ、戦闘能力的には迷子係(あいつら)より落ちるが、十分だ。不協和音(ディッソ)の処理なんざ、残存セキュリティの破壊に比べれば簡単すぎるくらいだからな」

「だからって、末端部とはいえアルトの稼働セキュリティのど真ん中に放り込むのはどうかと思うわよ」

「平気だったろ? 奴らなら」

「ええ、まあ、そうだけど……」

 何度かヒヤリとさせられたことに変わりはない。

「それに救難信号出したのはお前だろ、ミリアナ。アルトに見つかってねぇだろうな」

「当たり前でしょ。あたしを誰だと思っているの?」

 自信満々のミリアナを見て、シンは唇の端をあげる。

 タバコの先に長く伸びた灰が床にぽとりと落ちた。

「じゃあ、始めようか、翠玉の奈落多面体(パラノイド・クラスタ)?」

「その名で呼ばないで頂戴」

「厳しいねぇ」

 肩を竦めたシンは、すぐに真顔に戻ってモニターと向き合った。

「最終目標は『聖譚曲(オラトリオ)』の破壊だ」






 ソルディーノを後にしたセイとコウは、その足で街を出た。

 ここはもはや名前すらも破棄され、忘れられた街。

 10年前に情報危機(サイバーショック)が起こるまでは世界有数の電脳都市として、そしてユニゾン・システム開発元の「アルトパルランテ」本拠地として、繁栄を極めていた。

 が、今は見る影もない。

 情報危機(サイバーショック)によって破棄された情報空間――通称「虚構(タチェット)」に取り残された迷子(トリル)不協和音(ディッソ)を処理するだけのごみ箱と化した。ソルディーノなどの事後処理用の特殊機関と今も中央に構えるアルトパルランテ本部を除けば、人の住む場所はない。

 しかも、世界中から日々運びこまれるサーバーによってこの街の虚構(タチェット)は凄まじい速度で拡張を続けている。

 無論、このような街は世界に幾つか存在する。

 情報危機(サイバーショック)でほとんどの国家は崩壊した。残っていた情報化の少なからず遅れていた南半球の国々が中心となり、世界政府を設立、大陸をいくつかのエリアに分けて事態の収拾を開始したのだ。

 そのうち、この場所は極東エリア。過去、日本という情報大国を有したユーラシアの東端地域である。

 あれから10年たった今も、生活は安定しない。

 ただし、復興に当たり、政府が最も力を入れたのは「教育機構」だった。

 以前から多くの国家で使われていた完全能力段階式を採用、世界基準を設定して教育機関を真っ先に設立した。

 おかげでコウたち情報危機(サイバーショック)世代も途切れる事無く教育課程を修了し、幼い頃から職に就く事が出来たのだ。

 最も、コウやセイのように様々な能力に長けたものばかりではないこの世の中で、無職の者を増やす結果となってしまった。世界経済の中心であった情報産業は荒廃、代わりに一次産業が発達したものの途上、結果、未だ不安定な生活を強いられる事が多いのは事実だ。




 破棄された街の隣には、やはり澱みが存在する。

 廃墟には二種類あり、人のいない廃墟と、人の集まる廃墟とがある。

 ソルディーノが存在するのは前者で、隣の街は後者だった。心のどこかに闇を抱えた者達が集う場所、それがこの街。見かけはソルディーノがある街と変わらないが、そこに集う人間の数が全く違う。

 すれ違う人々をかわしながら、コウはセイに釘を刺す。

「セイ、今朝のように喧嘩していたら置いていきますよ」

「あれはあっちから突っかかってきたんだ」

 セイとコウのコンビはかなり有名だ、特にこの付近においては。歩いているだけで周囲の人間の視線を集めているのが分かる。

 敵意、畏怖、興味、嫌悪……向けられる感情は様々だが、好意的なモノは少ない。

 その敵意を受け流すことにはとうに慣れた。絡まれた時の対処も万全だ。何しろ、この街担当の警備課とは顔見知りになってしまうほどなのだから。

 しかし、隣を歩くセイは、どうもそうはいかないらしい。

 敵意にいちいち反応し、売られたケンカは必ずと言っていいほど買う、苛立って暴れる、キレて取り押さえられた事も一度や二度ではない。

「なぁ、コウ、いっその事『不協和音(ディッソ)』係になるってのはどうだ?」

「ボクは何でも構いませんよ。マップ係でもサーバー破壊でも」

「……お前さ、いったい何がしたいわけ?」

「別に、何も」

 未来を考える時、いつもコウの中は空虚だった。願望や意志など、特に必要とは思わない。時に、生きている事さえ億劫になる。

 それは、彼が飛びぬけた能力を有し、少し学習すればどれほど難しい作業もやすやすとこなしてしまうことにも起因しているのだが。

――いったい何がしたいのか?

 それは、コウにとって何より難しい質問だった。

 いつしか感情を忘れてしまったのか、もしかすると最初から感情が幾らか欠如しているのかもしれない――コウはそう思う。

 過去には「機械のような心」という比喩が存在したらしいが、ぴったりとそれに当てはまる。

 暗黒の思考ループに取り込まれる直前、セイの呑気な声が思考を分断した。

「それとさぁ、コウ」

「先ほどから見下ろしている連中ならおそらく先日の男と同一組織です。金銭関連は面倒だから無視してください」

「じゃあ」

「後を付けてきている女性も駄目ですよ? あれはおそらくプロです。下手に手を出せばこっちがやられます。向こうから仕掛けてくるまで待ちましょう……まあ、個人的な様子見だとは思いますが」

「んだよ、つまんねー」

 ただ、こんな風に唇を尖らせたセイを見てため息をつくようになっただけ、成長したかもしれないと思うコウだった。



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