03 : 肩慣らしに行われる戦闘
目の前にはすでに拳ほどの大きさの黒球体が無数に蠢いている。
視界を埋めた駆除蟲を一瞥してから、セイはしぶしぶといった風体でコウから距離を置いた。
そして彼女に銃口の代わりに指を突き付けると、鼻を鳴らしながら宣言する。
「今だけ迷子と認めてやる」
「だからあたしは迷子だと言ってるでしょう?」
「口答えすんじゃねぇーよ、くそババア」
その様子に、早く行けと言わんばかりの極寒の視線で射抜くコウ。
敵から目を離したコウに駆除蟲が襲いかかる。
「危ないっ!」
女性の叫びが響く。
ところが、それを見ていたセイは、無論当事者であるコウも、全く慌てていなかった。
そして次の瞬間、一斉にコウの周囲から駆除蟲が消失した。
「……!」
驚いた顔をした彼女に、セイはバカにしたような口調で問う。
「お前、コウが誰か知らないわけじゃねぇだろ?」
襲いかかってくる漆黒の球体が、コウに触れる直前で次々と消失していく。
「さっきの答え、何?」
知ってるんだろ、と言わんばかりの言葉に、彼女はセイと目を合わせず、コウに視線を集めたままぽつりと呟いた。
「コウ=タカハラ、通り名は『紅緋の消失領域』……近寄れば消滅するという謎の領域を自身の周囲に持つが、能力の詳細は不明、初期教育課程をわずか6年で卒業し、弱冠16歳にして理学分野と工学分野、2つの肩書きを持つ天才児」
能力不明。それは、現実世界であれ情報空間であれ、コウの武器のワイヤーが敵に認識されにくい事に起因する。
特に情報空間内では、気がついた時すでにプログラムが発動しているのだ。何をされたのか気づく事はない。
「……能力不明、ね。ある意味、せーかい。じゃ、最後の質問だけど……」
セイの瞳が物騒な光を灯す。
「お前は、何者だ」
それは、問いではなかった。
答えなければ死に直結する、絶対的な支配。
彼女はそれでも瞳の光を失わず、真っ直ぐにセイを睨みつけた。
「あたしはミリアナ=アルト=ヴェルジネ。『アルトパルランテ』の専属研究員よ――今は、『元』になるけど」
「……っ?!」
アルトパルランテ――それは、ユニゾン・システムの開発組織であり、今現在も全世界に対して大きな影響力を持つほとんど唯一の企業と言ってもいい。
組織、企業、施設……どの言葉もアルトパルランテという集団を一言で表すには不十分だ。しいて言うなれば、可能な限りあげられる単語をすべて統合したモノ、とするのが一番近い。
その専属研究員ともなると、下手に手を出せば、いかにソルディーノと言えど圧力がかかる、最悪の場合は機能停止させられる可能性が高い。
もちろん、簡単に信用できる言葉ではないが、アルトパルランテの研究員を騙った場合のリスクを考えると嘘をつくメリットはないし、いずれにせよ本当だった場合の事を考えるとぞんざいには扱えない。
少し離れたところで次々と駆除蟲に自己破壊を強要するコウは、ほとんど動いていない。指先の微妙な操作で武器を操るために、傍から見れば何もせずに周囲の敵を消し去っているとも思えるのだ。
それは「消失領域」――不可侵領域に入ってきたモノを何の慈悲もなく消し去ってしまう、悪魔の空間。
音もなく、表情もなく、まるで、昔から語り継がれてきたファンタジー世界の魔王のように、コウは闇の中で浮かび上がっていた。
「……マジ、腹立つな。何が、『体が鈍る』だよ。あれのどこが運動かっつーの」
肩を竦めたセイは、すぐ隣にいた女性をひょい、と片手で肩に担ぎあげた。
「こっちのがよっぽどいい運動じゃねーか」
白衣がいくらか捲れて、ショートパンツから伸びる形のいい脚が大腿付近まで露わになる。
彼女は慌ててそれを隠した。
「ちょっと、何するのよ!」
「逃げるに決まってるだろ、コウに叱られる前にな! あいつ、怒ると怖ぇーんだ」
そう言うと、セイはそのまま闇雲に駆け出した。
もちろん、ソルディーノからの強制帰還が働くまでの時間稼ぎである。
「何するのよ、放しなさい!」
「駆除蟲に喰われたかったらそうしな。俺は知らねぇぜ? アレに喰われるとエグいんだよなぁ。迷子は生体がないからどうなるのか分かんねえけど、フィードバックがあるときついぜ? 喰われた部分から修復されて、さらにまたそれを喰われるっつー最悪の循環。地獄だ、地獄」
けらけらと笑うセイに、信じられない、といった視線が向けられる。
「それで笑えるなんて、趣味悪いわね」
「そーかぁ?」
呑気な返事をしたセイの眼前に、数体の駆除蟲が迫る。
が、セイは慌てず騒がず、左手で腰の拳銃を抜いた。
「消えろ」
次の瞬間、駆除蟲は音もなく端から順に一気に破裂した。
瞬間的なゼロとイチへの分解。
自己破壊プログラムが作動したのだ。
「やっぱ音がないと撃った気しねぇなあ」
反対側の腕では人一人抱えて、しかもかなりの速度で駆けながらの狙撃。
残念ながら、その腕を認めざるを得ないだろう。
「……左利きなのね」
「ん? ああ、銃だけだ」
「そう」
彼女の言葉にはそこはかとない悲しみが包有されている。
セイはそれに気付いて一瞬眉を寄せたが、すぐ目の前の黒球に視線を戻した。
セキュリティが働くのは何も珍しい事ではない。「虚構」と呼ばれるこの空間は、10年前まで稼働していた情報空間なのだ。今もその名残が残る場所も多い。停止せぬまま破棄されたソフトやセキュリティは今もこの空間で生きているのだから。
しかしながら、先ほどのコウの言葉からすると、また、広さやソフトの稼働率から見ても虚構内では珍しい、未だ使用中のサーバーと見て間違いないだろう。
この街においてそんなサーバーの数は限られている。
「おい、くそババァ」
「さっき名乗ったわ。あたしはミリアナよ」
「聞きたかねぇが、まさか、ここ、『アルトパルランテ』のサーバー内か?」
足も手も止めず、セイが尋ねると、「ミリアナ」と名乗った女性は当たり前のように返した。
「そうよ。何を今更」
最悪だ。
思わず顔を引きつらせるセイ。
今でも世界規模の影響力を持つ大組織アルトパルランテ、通称アルト――確かに、その主要施設はこの街の中央に存在する。
虚構が立ち並び、事後処理のために廃棄された街の中で、なぜかこの組織だけは未だこの街を捨てないでいた。
「シン兄のばっかやろ……! 何でそんな所に放り込むんだっつーの」
セキュリティが厳しいのはその為だったのだ。今は警告の域にすぎないが、ぐずぐずしていれば本気で排除されかねない。
セキュリティソフトのシェア、ナンバーワンを何十年間も守り続けているアルトパルランテの万全のセキュリティによって。
「コウ! お前も逃げろ!」
ヘッドセットのマイクに向かって叫ぶが、返答はない。
舌打ちしたセイは、すぐに今自分達が来た方向へと引き返した。
「ちょっと、どうするのよ?!」
「加勢する! あいつ絶対手伝ってくれなんて言わねぇーもん」
「じゃあせめて、あたしを下ろしなさいよ!」
「アホか! ンな事したらコウがキレるだろーが」
その迷子は頼みます、とコウが宣言した以上、このミリアナという謎の女性を放置した時に責任を問われるのはセイだ。
それだけは避けねばならない。
ようやくコウの後姿を確認し、駆け寄った。
「コウ、聞いてくれよ! こいつ、ここがアルトのサーバー内だって言いやがって……」
「そんな事、初めから承知しています」
「……コウってさ、たまに俺に対する返答、冷てーよな」
「ボクの無愛想は何もキミにだけに限定した事ではありませんよ。それより、そろそろお出ましのようですよ?」
コウが示した先には、先ほどまでの駆除蟲とは比べ物にならない、黒々とした漆黒の壁が立ちはだかっていた。何の凹凸もなく、ただ四角く巨大なだけの物体がこちらに寄せてくるというのは、それだけで威圧感がある。
スコープを通しても何も見えないのは、あの壁がすべてを呑みこみ、消去する性質を持っているから。
危機を告げるアラームを無視、担ぎあげていた女性を下ろす。
「こりゃあ大物だ」
「分断します。止めてください」
「コウってさ、たまに俺に向かって無茶言うよな」
「それもキミに限定した事ではありませんよ。それに、キミなら出来るでしょう?」
「あらら、もしかして信頼と受け取っていいわけ?」
セイの軽口は沈黙に流され、早くやれというコウの無言の圧力に負け、セイは地を蹴った。
このほぼ正方形の物体を停めるのは至難の業だ。
自己破壊プログラムを打ち込んでも、敵の消失能力と相殺し、何発撃ち込んでも意味がない。
と、言う事は必然的に使うモノは決定する。
「要するに、足を止めればいいんだよな」
漆黒の正方形下部に狙いを定める。
情報空間では、疑似重力が働く。そして、感覚的な「床」というものも存在する。
セキュリティはその床から情報を受け取り、獲物を――この場合はセイたちを――狙う。
「死ねっ!」
物騒かつ安易な言葉と共に数発の銃弾が飛び出していった。
その銃弾は、正方形の足元を貫通し、いくつもの風穴を開ける。
このセキュリティの情報破壊が可能だという事を確認したセイは、次々に情報破壊プログラムを打ち出していった。
「ここが情報空間で助かったぜ」
本来ならとっくに弾切れ。
しかし、この場所ならリロードせずとも打ち続けられる。
正確な狙撃で破壊されていくセキュリティ。
「これで、終いだ」
最後の銃弾が打ち抜いた時、セキュリティの壁は完全に床から離れていた――否、床に接触していた部分をセイが完全に破壊してしまったのだ。
床からの情報を遮断され、動きを停止したセキュリティ。
そこへ、銀色の線が走る。
音のない空間。振動のない世界。
それでも、目の前のセキュリティは真っ二つに切れた。
「おー、さすがコウ!」
ぱちぱち、と形だけの拍手をしたセイは、すぐに銃を構えなおし、情報破壊プログラムを打ち出した。
喧嘩にならないよう、一人半分ずつ――要するに、そういう事。
銃弾で次々に風穴を開けられ、無残な姿をさらすセキュリティと、細切れにされて宙に舞うセキュリティ。
「……迷子係とは思えない戦闘力ね」
背後で女性がぽつりと呟いた言葉が二人の耳に入る事はなかった。
セキュリティが完全に分解される直前、全員がソルディーノへと強制帰還させられたからだ。
何者かに全身を引っ張られるような感覚が襲う。
そして、急停止し、小さな穴に無理やり詰め込まれる感覚。
セイは今でも、情報空間から現実世界に戻ったこの瞬間の浮遊感に慣れる事が出来ない。それは、合わないパズルピースを無理やり押し込むようなフィードバックが嫌悪感をもたらす為かもしれない。
「御苦労。今日はもういいから、帰って休め」
そっけないシンの声が何処から響く。
ユニゾン・システムから出た二人は、どちらからともなく顔を見合わせた。
「不完全燃焼」
「ですね」
あんな戦闘の最中に無理やり引っ張りだされたのでは、闘気が収まりきらない。
「しかもあいつ何者だよ。ミリアナ? とか言ったか、アルトの研究員を名乗りやがったぜ?」
「アルトパルランテの研究員? それが何故アルトのサーバー内で迷子になっているんですか?」
「俺が知るか」
どうにも今日は腑に落ちないことだらけだ。
危険だと分かっていて「アルト」のサーバーに転送したシン。迷子を名乗る正体不明の女性。
「あー、苛々する。コウ、久しぶりに遊びに出ようぜ!」
「……キミにしては名案です」
今日は帰れ、とシンに言われた身、主要施設に行ったところで追い返されてしまうだろう。
それなら、とっとと帰ってストレス発散するのが手だ。
二人は並んでソルディーノを後にした。