16 : 立ち塞がる盲目的な忠犬
もう何人倒したか分からない。
押し寄せる波のような雑兵を切って捨て、撃ち抜き、吹き飛ばし……既に足をつく場所もないほどに人間が転がっている。
さすがに息を切らしたセイは、飛びかかってきた警備員を横からの蹴りではり倒した。
「弾切れだっ! 後は頼むぜ、コウ!」
銃をホルスターに戻し、セイは代わりに皮製のグローブを装着した。
セイの武器は銃だけではない。
その身体能力を生かした格闘も非常に得意だ。
両側から突進してくる警備員を飛び上がって避け、空中から踏みつけるように倒した。
「本当にキミはいつも無茶ばかり……言いますねっ」
すでに返り血で顔も服も真っ赤に染まっているコウが叫ぶ。
コウの方もワイヤーがかなり劣化してきている。切れ味がかなり悪く、付着した血液が固まってしまい、動きも悪い。何より、目に見えるようになってしまっては、武器の威力が半減だ。
もちろんコウも格闘に関して達人レベルだが、このままではキリがない。
シンと合流するポイントBはもう見えているのだ。数メートル先の有機硝子の向こうに見えている3階下のホールを抜け、正面の扉をすでにカラムから聞いている暗証コードで開けばいい。
本来ならエレベーターへたどり着き、下に降りる予定だったが、この際仕方がないだろう。
このまま雑兵を打ち取っていても仕方がない。
「ジニア、エネルギー残量はどのくらいありますか」
ひらりひらりと舞う人形の耳元にそっと囁くと、黒の人形は聞こえるかどうかという小さな声で返答した。
「…………あの窓を破るくらいならまだ余裕。その後は……3人支えるのは、エネルギーに関わらず無理」
「ボクが道を拓きます。後ろは任せますよ、セイ」
無茶言うな! というセイの叫びを完全に無視して、コウは周囲に張り巡らせていたワイヤーをいったんすべて収納した。
「離れないでください」
ジニアを背に庇い、古武術の「空手」の構えをとったコウは、一足で敵の間合いに踏み込んだ。
逃げる暇を与えず、頭と体のプロテクタの隙間に拳を叩きこむ。
ぐえっと蛙が潰れるような声を出し、警備員は後ろに倒れた。
間髪入れず隣の男の側頭部に横から薙ぎ払うような踵打を叩き込んだ。グラリ、と傾いた体を踏み台に、向こう3人を連続で仕留める。
細身の外見に似合わず、コウの攻撃は非常に鋭く、重い。
どうすれば相手にダメージを与えられるかということが本能的に分かっているからだ。拳に力を込める一瞬、インパクトの瞬間、当てる位置、角度、そしてタイミング。
明らかに体格のいい敵には渾身の当て身を食らわせ、体勢が崩れたところを掌底で沈めた。
そうやって作り上げた道を小柄なジニアが駆ける。
後ろを守るのはセイで、こちらは流れるような動きで次々相手を投げていった。
「……ジニア」
十分に窓まで近づいた時、コウは後ろの少女の名を呼んだ。
こくりと頷いたジニアが向かって駆けてくる。
両手を前で組んで腰を落とし、それを踏み台にしたジニアを思いきり窓に向かって投げつけた。
閉じた傘を構えたジニアはそのまま窓に向かって突っ込んでいく。
そして、その場の全員があっけにとられている隙にコウとセイは警備員を踏み台に、まるで飛び石をするようにジニアを追う。
黒天鵞毯の傘が重力波を発生させ、周囲に耳を圧迫する余波が派生した。
うねる様に硝子が鳴動し、そこへ傘を開いたジニアが身を縮こめて飛び込む。
続いてセイとコウが窓の外へ身を躍らせた。
ジニアは重力波の発生装置を使い、ふわりと空中に浮いた。
その足元で、轟音をあげて人間達が床に叩きつけられた。
潰れる音、砕ける音、飛び散る音、破裂する音――
それから一瞬遅れて、粉々の硝子が降り注いで、紺色の中に綺羅らかなスパンコールを作りだした。
その場所を避けて少し離れた場所に着地すると、後ろから聞き慣れた言い合いが追いかけてきた。
「いってーっ! 高いだろ! 明らかに飛び降りる高さじゃねえだろ!」
「そのくらい予測してください。見取り図は一度覚えたはずです」
「忘れたって言っただろ!」
「知りませんよ、キミの事情なんて」
落下した警備員の間を縫うようにして迷子係が顔を出した。
一緒に落ちた他の人間をクッションに使ったらしいが、さすがにコウは足を引きずり、セイは左腕を押さえていた。
吹き抜けになったこの広いホールの中央に位置する扉からのみ、聖譚曲のある部屋に入る事が出来る。ここは研究者たちが議論を交わす場でもあるらしい、円形のテーブルを囲むように椅子が配置してある。
部屋自体も円形で、聖譚曲へと続く扉のある中央の柱も円を描き、外側の壁とドーナツのように平行な空間を描いていた。
ふっと見上げると、警備員が粉砕した壁の辺りで押し合いへしあいしているのが見えた。
あの場所から銃で狙われたら少しまずい。
はやくここを離れて――
「とうとうここまで辿り着きましたか……こちらは1000人以上の警備員を配置したというのに、戦闘員が3人だなんて、馬鹿げています」
きっぱりとした女性の声が響いた。
コウとセイが睨む先。
「上の者達はもう下がりなさい、目ざわりです」
大人しいチェックのスカートとベージュブラウンのブラウス。臙脂色のタイが目を引くその女性は、その洋装と似合わぬ艶やかな黒髪を結いあげていた。
きりりとした目元に気の強さがにじみ出ている。
「セイ、問題を出しましょう……彼女の名前は、何ですか?」
上階から銃口が向けられ、さらに逃げ道に敵が経っているという状況で、それでもコウは慌てていなかった。
それはセイも全く同じで、憮然とした表情を作って相方に叫んだ。
「馬鹿にすんなっ! ビアンカ=アルト=クラスター、聖譚曲開発者の一人かつクライ=アルトパルランテの秘書!」
「正解。では、その後ろの御仁は?」
「ジュラ=アルト=リアドビス、同じく聖譚曲の開発者、専門は化学で別部門の研究者だったけど、5年前にクライに引き抜かれてきたんだっけ?」
いつの間にか、女性の背後にスーツ姿の壮年男性が立っていた。
「よくご存知ですこと。それは、どこで知ったのかしら?」
「……」
今度は返答しなかった。ジニアは二人の奥にある扉を見ていた。
そう、二人が中から出てきた事で扉が開いている。
今ならすぐに侵入できる。
「コウ、行けっ!」
セイの声で弾かれる様にコウが地を蹴った。
その瞬間、ホール内が一気に冷え込んだ気がした。
――戦闘開始
セイも同時に敵に向かって間合いを詰めており、ビアンカの攻撃圏内に入り込んでいた。
一歩遅れてジニアは、コウを足止めしようとしたジュラに、傘で物理攻撃を仕掛ける。上から叩きつける瞬間、傘が纏っていた重力波のシールドを外すと、傘は本来の重量を取り戻し、凄まじい勢いで振り下ろされる。
おそらくその力を見誤ったのだろう。
右手上段で受け止めたジュラの腕がみしり、と音を立てた。
確実に折れたはずだ。
すぐに重力波を切り替えてふわり、と距離をとる。
その視界の端でコウが今閉まろうとしている扉に滑り込んだのが見えた。
しかし、コウが扉の向こうに消えた途端、頭上から銃弾の嵐が降り注いだ。
ジニアは傘をさしてそれを防ぐが、セイはそうもいかない。
狙い撃ちにならないよう部屋の中を一人駆け回った。
「ああああああ! 何で俺だけ……!」
にしてもジニアが思わず目で追ってしまうほどに身軽である。進路をふさぐテーブルもひょいと飛び越えていく。
が、そこに鋭い女性の声が響いた。
「やめなさい、下手クソ共!」
びりり、と硝子が揺れるほどの衝撃。
見ればビアンカが腰に手をあててきっと上階の銃口を睨みつけていた。
その頬には赤い筋が走っている……おそらく、銃撃のとばっちりを受けたに違いない。
「この二人は私とジュラで処理します。もういいです。あなた達は破壊された箇所の修理にでも回りなさい!」
沈黙。
どうやらそれは絶対の命令らしく、それ以上銃弾が降ってくる事はなかった。
ビアンカはポケットからハンカチーフを取り出し、頬の血を拭う。
「これでいいでしょう。貴方の相手は私ですよ……『漆黒の永久灰燼』?」
にこり、と微笑んだビアンカは明らかに怒りを湛えている。
「ボスの邪魔は絶対にさせません」
そんな二人のやり取りを見てから、ジニアは自分の相手に視線を戻した。
寡黙な壮年男性は、少し灰色が混じった黒髪を綺麗に撫でつけ、精悍な顔立ちにぴったりとはまった髭を幾らか顎にたくわえている。
名前と顔くらいは知っている。
先ほどセイが叫んだように、現アルトの元締めクライに数年前に引き抜かれた科学者で、有能な部下らしい、という事は知っている。
最も彼が戦闘に長けているというのは全く聞いた事がない。
もちろんそれはビアンカにも言える事で、研究者兼秘書である彼女がとても戦闘向きとは思えない。
たとえ少々の心得があろうとも、ジニアには重力波発生装置がある。エネルギーは残り少ないが、たかが人間を一人倒す事など造作もない。
しかも、この人間はすでに手負いだ。
閉じた傘をまっすぐ胸元に向ける。
勝負は一瞬でつくはずだった。
ところが。
「?!」
重力波を発する前に、ジュラの拳が迫ってきた。
予想していなかった速度に、反射的に傘を開いて防御する。
が、衝撃を吸収しきれずに吹っ飛ばされてしまった。
床を転がり、背中からテーブルに激突して息が止まる。
続けて追ってきた二撃目を横に転がるようにしてかわし、さらに追ってくる攻撃を、何とか傘で逸らす。
一瞬の隙をついて空に飛び上った。
重力波を最大値に引き上げ、空中に停止し、息を整えた。
ふと見降ろせば、セイも同じように凄まじい音を立てながらテーブルと椅子に突っ込んだところだった。
同僚を救うため、追撃しようとするビアンカの上に飛び降りる。
が、寸での処でかわされた。
とん、と床に足をつき、起き上がってきたセイと並んで二人の敵を睨みつけた。
「あいつら……普通の人間じゃねえぞ。筋力、反射神経、どれをとっても『見かけによらず』なんてレベルじゃねえ」
「…………本当」
可能性は二つ。
一つ目は何らかの筋力増強剤を使用している場合。しかし、彼らに副作用であるドーパミンの多量放出や急激な発汗、皮膚の紅潮といった症状は見られない。
だとすると、もう一つは――
「……おそらく、聖譚曲は、すでに完成している…………」
ぽつり、とジニアが呟くと、隣のセイはぐっと唇を噛みしめた。
もう一つの可能性。
それは、すでに完成した聖譚曲による肉体強化。情報空間内にとりこんだ生体情報を書き換え、もう一度現実世界に具現化する。
そうすれば、人間が持ちえないはずの力を手にする事になる。
ジニアの小さな声も聞こえていたのだろう。敵方二人は同時に唇の端をあげた。
「さすがシン=オルディナンテの秘蔵っ子ですね、よく教育されています」
すべての可能性を考えろ。あり得ない、などと切り捨てるのは完全に否定する証拠がある場合のみだ――これは、シンの口癖のようなものだった。
聖譚曲は、情報体を生体として具現化する事が出来る。
だとすれば、ユニゾン・システムを組み込んだ場合、もともとの人間をまず情報化してから、その情報を書き換えることで「同じ人間でありながら全く違う人間」を生み出す事が出来るのだ。
目の前にいるビアンカとジュラは、おそらく一度情報空間に完全に取り込まれた後、調整を加えて再び聖譚曲によって具現化された二次生命体だ。
「それじゃ、こいつら人間じゃ……ない?」
セイの声が少し震えていた。
ところが、そんなセイを嘲笑うかのようにビアンカが高らかに宣言した。
「私達は人間です」
頬に手を当て、恍惚とした表情でビアンカは言い繋いだ。
「ボスへの忠誠も、研究への情熱も、この手足もすべて私のモノです。何も変わっていません。ただ、ボスを守るための力を手に入れたという点以外は」