15 : 自信過剰なセキュリティ
さらにアルトパルランテの中枢部に向かって進む二人の前に、ふっと現れた影があった。
前髪をヘアゴムで括って額を出し、よれよれのジーンズにTシャツを着ただけの不機嫌そうな青年だ。歳は20歳前後と思われるが、鼻の辺りに散っているそばかすが彼を年齢より幼く見せていた。
「あらハルカ。ここまで来たのね、珍しい」
ミリアナがその青年を見て肩をすくめて見せる。
憮然とした表情の青年はハルカ=リュウジンの情報体。アルトのセキュリティ部門を一手に引き受ける元ハッカー。
「顔、見たかったんだよぉ。俺様のウルフがあっさりやられたからさぁ、ちょっと気になってぇ。しかもさぁ、何度かハッキングしたの、アンタでしょお?」
だらしなく語尾を伸ばす口調はひどく不快だった。
「ついでに面倒だけど、俺様が相手するかなぁと思ってさぁ。だって、既存のセキュリティじゃ不安だしぃ」
そう言いながらも、先ほどのシンと同じようにパネルを次々に起動させる。
「チャンピオン直々に出迎えてくれるとは、嬉しい限りだ。こっちから行く手間が省けたっつーもんだぜ」
シンは加えていた煙草を足元に落とし、スニーカーで火を消した。
この非常識! と叫びかけたミリアナはぐっと堪えてハルカを睨む。
「通して、ハルカ。あたし、クライの所に行きたいの」
「ずいぶん若くなったんだねぇ、ミリアナさん。その姿ならぁ、俺様ぁちょっと惚れちゃうかもぉ」
「やめて頂戴、気色悪い」
「うわあ、ひどいねぇ」
ようやくへらりとした笑みを見せたハルカだったが、すぐに表情を引き締めた。
「ミリアナ、お前邪魔だからとばっちり食わないように防御かけて後ろに下がってろ。さっきの防御プログラム貸してやるよ。適当に強化と修復して使ってくれ」
「……ありがと」
文句を言いたいのはやまやまだったが、ハルカとの対決はおそらく情報の解析と構築の早さの勝負になる。
いかに早く相手の防御を崩して情報体を破壊するか。
ミリアナとてそう言ったモノの知識がないわけではない。むしろ、情報を生体化するという聖譚曲計画に携わっていたのだ、プログラムの構築、破壊などという分野の肩書きを有するのはもちろん、ワームを持ったままセキュリティを突破できるような高性能の圧縮プログラムを自ら開発する程度には長けている。
しかし、速度となるとまた別問題である。
それは反射神経と理解力、解析力と言った疑似神経内を走る電子信号の速度、ひいては生体そのものの性能に関わる問題だからだ。
そう言う意味でシンは天才だった。
むろん元A級ハッカーであるハルカとてかなりの能力を有しているだろう。
しかし、シンのそれは桁違いだ。それこそ、宇宙のどこかにあるというアカシックレコードすらも読めるのではないかと思えるほどに。
ミリアナは大人しくシンが即席で作成した防御プログラムを受け取り、後ろに下がった。
すでに戦いは始まっている。
睨みあう二つの情報体の周囲を無数のパネルが取り巻いていた。
ミリアナが防御壁に包まれた事を確認したシンは、先ほど駆除狼に使用したウィルスをまず増産した。
もちろん、一度使ってしまったウィルスがハルカ相手に効くとは思っていない。
が、もしハルカが先ほどのように生物を模したセキュリティプログラムを得意とするならば、ウィルスの情報を少し書き換えるだけでそれぞれに有効な兵器となるだろう。
肉食獣が倒れる時、それは飢餓か病気だ。
巨大な強きモノを相手にする時は、微小なもので対抗してやればいい。
「さぁて、どれを試してみるかな……」
この台詞を言う間に、シンの脳内を数十通りの理論が駆け巡る。
ちらりとハルカのパネルが出現・消失する規則性を見て、ウィルス・ワーム系はないと判断し、生物体を模した追尾型、もしくは全方位照射の無差別、そして空間圧縮型の大技を準備していると読んだ。
追尾型をウィルスで相殺、全方位照射は先ほどの防御で防げるだろう。
シンはそこまでを一瞬で考えてから、空間圧縮に対応する膨張プログラムを組み始めた。
それと併行してあるプログラムを描く。
「前から使ってみたかったんだよな、これ」
嬉しそうに口元に笑みを浮かべ、シンは周囲に何重もの防御壁を張り巡らせた。
増産したウィルスを重ねた防御壁の間に仕込んでおき、さらに打ち出し型のウィルス弾を作る。
「もう攻撃しちゃっていいかなぁ?」
ハルカがシンに問う。
「あとさぁ、音声オンにしない? 俺様やっぱ臨場感が欲しいんだよねぇ」
「仕方ねえな、でも俺もどっちかつーと音有りのがいい」
「んじゃあ決まりだねぇ」
二人は同時に音声の回路を開いた。
「この回路だけは不可侵でぇ、先に情報体を潰した方が勝ちって事でぇ、いい?」
「いいも何も、お前がそうしたいならそうしろよ」
「えぇー、だってこれゲームじゃん? ゲームにはルールが必要じゃんよぉ」
「ま、好きにしろ」
シンはぽん、と最後のパネルを叩いて、すべてのプログラム構築を終了した。
「んじゃあ、やるよぉ」
ハルカはそう言ってプログラムをいくつか起動した。
シンの見立て通り、ハルカを取り巻くように現れたのは生物型の追尾型セキュリティだった。触れた人間の情報体など一瞬で消し去ってしまう巨大な兵器だ。情報空間内では食物連鎖の頂点に立つと見なしていい。
それぞれ、古代東アジアで崇められていた竜、虎、鷹、蛇をモチーフにしているのだが。
「トカゲ? と、猫と鳥と……紐、か? 妙な取り合わせだな」
隣にミリアナがいたら問答無用で頭を叩かれたろう。距離を置いていたのは幸いだ。
当初の予定通り、向かってきた駆除生物にウィルス弾を撃ち込む。
もちろん、その間にも既に次のプログラムの構築を始めていた。対ウィルスのプログラム、逃走経路を絶つための壁、最後に攻撃用の自己破壊プログラムを設定する。
そして、試そうと思っていた増殖プログラムが完成した。
緑の光を放つ小さな植物種の形状をしたその新しいプログラムを指先に弄び、シンはハルカをちらりと見る。
「音声回路から送れば一瞬なんだが……しかたねえ、あいつのルールに従ってやるか」
その時、どぉん、と大きな音がして防御壁に凄まじい衝撃が降ってきた。
ハルカの駆除生物だ。
以前使ったものである、という事を考慮すると、先ほど撃ち込んだウィルスが発動するかは五分五分といったところだろう。
防御壁が破れれば、さらに多くのウィルスが発動するはずだから、おそらく2体、うまくいけば3体は消えるはずだ。
「あいつの前に圧縮を発動するか……? いや、ここはむしろ」
シンはプログラムを決定し、防御壁を何枚か取り払った。
駆除生物が防御壁を破壊するまで数秒、その瞬間に抜け目ないハルカは全方位攻撃を加える筈だ。その瞬間にプログラム鏡を発動すればいい。
もしハルカが発動するのが圧縮の方ならば膨張を起動させればいい。
「もう破れるぜぇ? 侵入者さんよぉ、さっき俺様の大事なウルフを倒したと思ったのは気のせいだったかぁ?」
ハルカはにやにやと笑った。
が、シンは冷静に手の中に握った緑の種を、触れた部分を破壊する情報破壊プログラムと共に銃弾に仕込んだ。空中からセイのモノと同じ拳銃が出現する。
それを右手で握ったシンは、銃口をゆっくりとハルカに向けた。
「なんだぁ? その古臭い武器はぁ」
シンはまた新しい煙草に火を付けた。
その瞬間、凄まじい轟音と共に最後の防御壁が敗れた。
唯一残っていた鳥型のセキュリティが迫る。
が、シンは慌てずプログラム鏡を発動した。
がぎぃん、と重い金属音を響かせて跳ね返される駆除生物の漆黒の体。
「うぇ? 何だ今のぉ?」
ハルカは不可思議なモノをみるような目でシンを睨んだ。
無理もない。このプログラム鏡は完全にシンのオリジナル、しかも実践するのは今回が初めてだったからだ。
背後からこの非常識、と聞こえた気がしたが無視した。
「ならこれでどうだぁ?」
駆除生物をすべて破壊されたハルカは案の定、全方位からの漆黒の刃を降らせてきた。
もちろんその刃はプログラム鏡に余す事無く跳ね返され、打ち出した本人であるハルカに向かって降り注いだ。
その間にシンはミラーを解除。膨張プログラムをセットした。
用意していた防御壁で何とか自分自身の攻撃を防ぎ切ったハルカは、ぎろりとシンを睨みつける。
先ほどまでの余裕はどこへやら、血相を変えて圧縮プログラムを打ち出した。
「くそ……なら、潰れろぉ!」
しかし、すべてはシンの予測の範囲内。
膨張プログラムと相殺し、圧縮プログラムは発動しなかった。
しぃん、と静まり返った空間。
いつしか距離を詰めていたシンはハルカの額に銃口を押し当てていた。
**********
いつの間にか目の前に立っていた敵の姿を確認し、ハルカは喉の奥から絞り出すような声を辛うじて漏らした。
「なっ……んで……」
「逃走経路はとっくに塞いである。諦めろ」
シンの蒼い瞳が冷酷に見下ろしていた。
「このまま破壊されたいか、それとも大人しく負けを認めるか、どうする?」
ユニゾンを切ろうとしたが無理だった。完全に押さえられている。
気がつけば新たなプログラムを発動できないよう、情報体がロックされている。
いつの間に。
「強けりゃいいってもんじゃねえ。情報戦は、先を読んだ方が勝ちだ」
そうして唇の端をあげたシンは、余裕だった。
まさか、最初から読んでいたというのだろうか。全方位攻撃どころか、とどめに組んであった圧縮プログラムさえも。そして逃走しようとする事も……
ハルカは、絶対的な敗北を感じた――格が、違う。
この人間と自分とでは、圧倒的な力の差がある。これ以上の抵抗は無意味だ。
「もうちっとは粘るかと思ったんだが、最後に焦ったな。おかげで俺の方の最終兵器は使わずじまいだ」
銃口を逸らさずにシンはそう言い放った。
いま、この情報体を破壊されたら生体がどうなるか分からない。ここは降参するしかないだろう。
しかも、敵はまだ最終兵器をとってある。おそらく、この銃の中身が今回の最終兵器なのだろうが、いったいこの男はこの中に何を詰めたんだろう? 純粋な好奇心で知りたかった。
「ミリアナ、こいつ圧縮してけ」
「あなたさっきから我儘じゃない?!」
組織を裏切ってバックアップを外に流したミリアナ――彼女は、この男に助けを求めるために逃げたのだ。
「だいたい、何が起きたのかさっぱりよ! ウィルスもほとんど使ってないみたいだし……」
ぶつぶつ言いながらも圧縮をかけ始めるミリアナの言葉を聞き、ハルカは驚愕する。
「あんたさぁ……この上にウィルスまで使うわけぇ?」
「ん? ああ、俺はもともとワームだのウィルスだの、ちっせぇ奴を使う方が専門だからな」
当たり前のように言ったシンを見て、心の底から感服する。
だめだ、絶対に勝てねぇや。
「この非常識男に負けたからって気にしない方がいいわよ。こんなのイレギュラー中のイレギュラーなんだから」
自分に対するフォローなのかシンに対するイヤミなのか判別できないミリアナの台詞を受け止めて、ハルカはため息をついた。
悔しい、という気すら起こらない。
足掻いてもどうしようもなかったのだ。
「おい、お前、ハルカ」
「……何だぁ?」
シンの声にふっと見あげると、彼は持っていた銃をごとりとハルカの前に置いた。
「このプログラムを今回試せなかったのが心残りだ。アルトに誰か侵入してきた時にでも使って、試してくれ」
怪訝な顔をしたハルカを無視し、ミリアナが圧縮をかけ終える。
ここで情報体を縛っておけば、ユニゾン・システムの方を操作しない限り生体も情報体も動けないはずだ。
ぐったりと床に倒れ伏したハルカを確認してから、二人はさらに奥、クライの待つ中枢に向かって行った。