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11 : 世界を賭けたゲームのはじまり

 シンの部屋にはすでにいくらか人が集まっていた。

 黒衣裳のジニア、マップ係かつ通信担当のカラム=マクレーンとスフィア=マクレーン、そして、シンと、モニター内のミリアナ。

「来たな、迷子係」

 その中央に座るシンの蒼い瞳が入ってきた二人を貫く。

「これで全員だ。俺とミリアナは現場で指揮を執る。セイ、コウ、ジニアの3人は直接戦闘員だ、一緒に来い。カラムとスフィアはここに残って状況把握と通信、補助にまわれ」

 シンは、コウの覚えている限りで久しぶりとも思えるほどに椅子から立ち上がった。

 細身で猫背の上、いつも椅子に座っているので分かりづらいが、シンはかなりの長身だ。近くにいたジニアが本物の人形のように見える。

 肩にも届かないジニアの黒髪にぽん、と手を置いたシンは、煙草をくわえた口でにやりと笑った。

 そしてシンはモニターに映ったミリアナを全員に紹介してから、先ほど説明したような聖譚曲(オラトリオ)の性質と危険性を簡潔に述べ、さらには詳しい作戦を説明した後、見渡してこう言った。

「余計な事は考えるな。聖譚曲(オラトリオ)を破壊できさえすればいい。その後の事は全部、政府やアルトとの相手も含めて俺が何とかしてやる」

「すっげぇ、シン兄、それできたら、おれたち英雄じゃん?」

 通信担当のカラムがにしし、と笑う。

 8歳の時に情報危機(サイバーショック)に巻き込まれ、フィードバックによって右目と左足を失ったカラムは、同じく左目を失った妹のスフィアと共に、拡大を続ける虚構(タチェット)の地図を描いている。

 専門は通信・暗号解読部門。

「そういうのを余計だと言うんだ。世界がどうのと考えるくらいなら、気に喰わない相手に喧嘩を売るって考えた方がよっぽどいいぜ」

「それ、いいわね」

 左眼帯の妹スフィアがにこりと笑う。

 いつも左足を失ったカラムの車椅子を押して移動する彼らは、いつも共に在った。

「ねえ兄様、楽しそうじゃない?」

「だな! 相手がアルトパルランテなら不足はねーな!」

 今の医療技術なら、失った左足を新しく継ぎ直す事は難しくない。手術が面倒ならば、本物と変わらない義足もある。

 が、カラムは頑なにそれを拒否した。

 それは情報危機(サイバーショック)を忘れないためのものらしい。親も、スフィアの下にいたというもう一人の妹もあの混乱の中で失ったという話をどこかで聞いた事がある。

 世界政府が真っ先に作り上げていった教育体制がなければ確実に路頭に迷い、この世を去っていただろう。

 もっともそれはコウやセイも同じ事で、教育制度が整備されなかったら、そして、シンに拾われなかったら今頃どうなっていたか分からない。

「相手はあのアルトだ。相当キツい仕事になるだろうな。だが……全員、死ぬなよ?」

 その言葉で全員に緊張が駆け抜ける。

 最もこの場に、敵の大きさを知ったからといって逃げ出すような人間はいない。何しろ、ダリアという不協和音(ディッソ)係を一人欠いたとはいえ、いずれ劣らぬ事後処理機関ソルディーノの精鋭たちだ。

 何より、相手があのアルトだとしたら人数は関係ない。数で攻めるなら、それこそ世界政府直属の軍隊を動かすレベルでないと意味がない。

 だとすれば、絞りに絞った精鋭で忍び込むのが最も有効な手段だ。目的は制圧ではない、たった一つの機械を破壊する事だけなのだから。

 いずれにせよ、ソルディーノには人海戦術を使えるほどの人員はいない。

「さぁ、天下のアルトパルランテに喧嘩売りに行くぞ」

 楽しそうなシンの声で、世界を救うという名目の無謀なケンカが始まった。






 アルトパルランテは、情報関連の商品を世界中に売り捌く大企業であると同時に世界最大の研究施設でもある。

 中でも最も力を入れているのは工学と生物学の混合分野――ユニゾン・システムに代表される情報世界への入り口を開き、さらに情報空間内での活動を円滑に行う装置の開発を目的としている。情報空間関係のほとんどの製品はアルトパルランテの研究チームによって生み出されたものだった。

 情報危機(サイバーショック)以前、この組織は世界のすべてを手にしていた。

 経済だけでなく政界にも手を伸ばし、大陸のほとんどの国を裏から牛耳る巨大な組織。その総裁ともなれば世界の支配者と呼んでも過言ではない。

 メール一つで大国の軍事力を動かし、一声で大統領が変わる――これは揶揄の一部だが、それほどの力を有していたのは事実だ。

 情報空間の拡大に伴い、その権力は膨張していった。

 それと比例するように当時の情報空間には、大量の迷子(トリル)が発生していった。

 現実世界を見限った浮浪者、この世のすべてを手にした豪族、生体を売りに出さなくてはいけなくなった子供たち。

 現実世界の生体を捨て、情報体のみになり。それでも「死にたくない」と願う魂は、ただのゼロとイチの塊となって情報空間をさまよった。

 自らのサーバーを持つ者はいいが、居場所を持たぬ亡霊は場所を構わず出没し、最大の社会問題と化していた。ネットで繋がった全世界が迷子(トリル)対策に追われ、ユニゾン・システムを開発したアルトパルランテが対迷子(トリル)のセキュリティを開発し、急場を凌いだほどだ。

 その頃から、現在の情報空間を迷子(トリル)ごと隔離すべきという構想が生まれていた。

 生体を捨てて永遠の命を得たければ隔離された情報空間内で勝手に生きていけばいい。その代わり、現実世界には一切干渉を許さない――俗に「虚構(タチェット)構想」と呼ばれるものだ。

 しかし、4つ目の次元とまで呼ばれるほどに拡大した情報空間をおいそれと破棄できるはずもない。この頃、既に教育機関や国家の重要機関すらも情報空間に移転されており、ユニゾン・システムで情報空間と現実世界を行き来して生活する人々は多い。

 とても情報空間を切り離す事などできなかった。





 が、ある日、膨らみ過ぎた権力は破裂する。

 切っ掛けは小さな欠陥(バグ)だった。

 極東の小さな島の、しかしアルトパルランテを有する情報大国の片隅で誕生した小さなバグは、遺伝子内の逆転写コードと結びつき、さらに壊死(アポトーシス)コードを巻き込んで、一人目の迷子(トリル)を破壊した。

 すでに時を止めて数十年を経ていた迷子(トリル)は、誰にも看取られることなく消失したのだった。

 それは些細な出来事だった。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 最初の犠牲者を破壊したバグは偶然に感染型のウィルスに組み込まれ、近くにいた迷子(トリル)に侵入した。

 その保菌者は各サーバーを渡り歩き、ウィルスを振りまいた。

 被害は、誰も与り知らぬ処で徐々に拡大しつつあった。迷子(トリル)から迷子(トリル)へ――それは数十年の時を経てきた者達の悲劇。縁者もいない彼らが消滅したところで気付かれなかったのが、被害拡大の最大原因だった。

 アルトパルランテがそのウィルスの存在をいち早く認知した時、それでもウィルス発生から半年が過ぎ、すでに百万単位の迷子(トリル)が消滅した後だった。

 次々と迷子(トリル)を呑みこみ、その度に変異を繰り返すウィルスのワクチンを作る事はほぼ不可能。各国は、情報空間を呑みこんだ混乱の収拾に乗り出したが、時すでに遅し。

 それまで迷子(トリル)だけを襲っていたウィルスが、とうとうユニゾン・システムで情報空間に入り込んでいた生体を持つ人間に感染した。

 情報空間内は大混乱に陥った。

 そしてその直後、「情報危機(サイバーショック)」が勃発するのだった。




**********




 アルトパルランテの本社はソルディーノがある街の中心部に佇んでいる。

 最高度を誇る有機素材性の建造物は、情報危機(サイバーショック)を経てなお揺らがないアルトパルランテの権威を誇るように聳え立っていた。

 あの建物に侵入するのは至難の業だ。

 一階からの出入りは不可能。地下通路は、ここからおよそ数キロ離れた所にある10年前まで存在した国家の中枢が集まっていた場所、現在の世界政府極東支部まで通じている。建物の中央部から伸びる空中路も同じだ。

 その二つの経路以外では、空中から建物の屋上に侵入するか、建物の200階以上に設置してある窓から侵入するか。

 いずれにせよ、この街から直接侵入するのは不可能だった。




 天候は、雨。

 暗雲から絞り落とされる粒が窓の有機硝子を叩いていた。流れ落ちる水のスジから焦点を外にやると、女性が10人いたら10人とも振り返るであろう美男子の姿が映っていた。

 少々クセのある金髪はセットしなくてもそれなりに見えるという便利な髪質だ。やや細めの眉と艶っぽいと評判の眼におさまる碧の瞳は、女性たちに好評だった。普段は眼鏡をかけているのだが、女性を口説くときだけは外すようにしている。その方が、成功率が高い事を彼は知っていた。

 シャツの上に白衣を身に付けているのもただのポーズだった。自分は科学者だという自負と自覚を身に付けているようなものだ。

「そろそろ来るかな」

 窓に映った男性がぽつり、と呟く。

 そして、眼下に広がる名もない街を見下ろした。

「おいで、シン。僕はいつだって待っている」

 窓に張り付けていた手をゆっくりと下に滑らせ、街の一角を指した。

 あの街の片隅にいるのは、5年前にここを出ていった同僚だ。

「僕が正しいと言わせてみせるから」

 美しい貌に物騒な笑みを張り付けて、男性は微笑った。喉の奥から声を絞り出しながら、まるで、おもちゃを前にした無垢な子供のような表情で。

「おいで――」

 音は聞こえないが、ほんの少し硝子を隔てた所に確実な雨の気配がある。

 それを掴み取るかのように強く握りしめた拳を硝子に押しつけ、男性は微笑んでいた。




 が、最上階の窓から一心に外を見つめる男性の背後から声がした。

「ボス、全員揃いました」

 まだ年若い女性の声。

 振り向いた男性は、部下の姿を目に留めた。

 艶やかな黒髪を結い上げ、伝統工芸品の美しい蜻蛉玉が下がる簪を挿しているが、服はそれに似合わぬ洋装だ。大人しいチョコレートブラウンのフリルがついた優しい色のブラウスに臙脂色のタイ、そしてひざ下まであるチェックのフレアスカート。

 気弱そうな表情と裏腹に目に灯る強い光が、ふわりとした穏やかな空気の中にも芯の強さが伺える容貌を醸し出していた。

「すぐ行くよ、ビアンカ」

 男性は踵を返すと、窓の傍に小さな花瓶台があるだけの殺風景で手狭な部屋を後にした。

 扉を開けてすぐの所に、彼の執務室がある。

 先ほどの部屋とは違い、豪華なアンティークの調度品に飾られた、落ち着いた雰囲気のある空間だ。1600年代欧風に統一された部屋では、彼の白衣が明らかに浮いていた。

 臙脂色をした天鵞毯の椅子に深く腰掛け、彼は目の前の部下たちを一回り、見渡す。

 と、いっても先ほど呼びにきた女性を含めて3人しかいないのだが。

「さて、もうほとんど話す事はないと思うけど……裏切りのミリアナがそろそろ帰ってくる頃だから、出迎えて差し上げようか」

 金髪碧眼の男性の言葉に、最初の女性は跪き、二人目の壮年男性は軽く会釈し、もう一人の青年は話を聞いているのかいないのか、ガムを噛みながら返答もしなかった。

「ハルカっ、何度言ったら分かるのです、ボスの前でその態度はやめなさいと言っているでしょう?!」

 女性がヒステリックな声をあげて青年を糾弾する。

 が、青年はよれよれになったジーンズのポケットに手を突っこんだまま、女性の方を見ようともしていない。

 前髪をヘアゴムで上に結んでいる。鼻の辺りにはそばかすが散っており、彼を年齢より若く見せていた。プリントTシャツとジーンズというラフな格好をした青年は、明らかに嫌悪の表情を見せていた。

「いいよビアンカ、いつもの事だ」

 ところが、彼らのボスは鷹揚に頷いた。

「適当に遊んであげて。情報空間内なら何人殺しても構わない……と、言ってもシンの性格上、大人数で来る事はまずないと思うけど」

「なぁボス、これから来る敵ってさぁ、ほんとに俺様より強いのぉ?」

「ああ、本当だ。現にハルカ、お前は幾度もハッキングを許しているはずだが」

 ボスの言葉にぐっと詰まる青年(ハルカ)

「あ、あれは油断してぇ」

「情報を抜き取られたのは事実だから」

 笑みを浮かべながらばっさりと切り捨てるボス。

「ビアンカとジュラも適当にね。構成員を配置してもいいけど、増援は不可。銃は使用を認めるけど、建物内でレーザーは禁止。後は特に制約なし。殺しちゃったらすぐ報告ね」

 それを聞いた女性(ビアンカ)とスーツ姿の壮年男性(ジュラ)は、答える代りににこりと笑った。

「ゲームには、ルールが必要だから」

 にこりと笑うボスには邪気がない。

 それが却って恐ろしく、うすら寒さを与えていた。

「さあ、ゲームの始まりだよ。みんな愉しもう――」






 狂科学者たちの祭典。

 文明の行きつく先、奈落の終焉。

 様々な「想い」が交錯する場所。

 何が現実で何が虚構か、何が真実で何が虚偽か。



 これは、世界を賭けたゲームのはじまり――




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