10 : 知らず膨れ上がる疑惑
シンはその頃、表の警備をどうにかすべく、思いつく限りの手を打った後、椅子の背もたれにぐったりと寄り掛かっていた。
「あーめんど。セイがダリアをぶっ殺した事になってんじゃねえか。しかも、普段なら殺人なんかで動かねぇはずの警備が総力で追ってやがる。本っ当にあいつら、面倒ばっかり起こしやがるな……くっそー、何も考えず突っ走ったあの研究バカだけで手いっぱいだってのに、この上まだ爆弾抱えろってか?!」
盛大に文句を吐き出し、煙草に火を付ける。
そうして一息つくと、思い出すのはガラス玉のような碧眼、そして金髪を揺らしながら喉の奥から声を絞る、人を小馬鹿にしたような笑い。
彼は元同僚、そして研究仲間だった。
二人はいつしか袂を別ち、進む道は二度と交わらないところまで来てしまっていた。
「あんのバカ野郎……俺達が何度言っても聞きやしねえ」
シンは何度も止めた。それは神の所業であると。人間の手に余る研究だと。
しかし、彼は聞かなかった。
見限ったシンはアルトを抜けた。が、もしかするとそれは間違いだったのかもしれない。彼の隣にいて、何をかけても止めるべきだったのかもしれない。
「今度こそ……」
一瞬だけ蒼瞳に炎を灯らせ、ふっと視線をあげたシンは、ミリアナが深刻な顔をしている事に気付いて肩を竦めた。
「どうした、奈落多面体? 愛しい我が子の事でも考えてたのか?」
「本当にあの子、『ゼロ』なの? 普通の人間に見えたわよ……学習機構に問題もない。オリジナルのマコトを引き継いでいるかと思えばそうでもないみたいだし、運動機能、言語機構、その他もろもろ問題なし」
それを聞いたシンは、ふっと口元を歪めた。
「んー、そうでもないぜ? あいつ、感情がいくつか欠落してるからな。本人は気づいてるんだか知らねぇが、傍から見てりゃ決定的だ。隣にあれがいるから目立たないが……『感情を学習』する機構が完全にイカレてやがる。それがただ感情を忘れただけの人間とじゃ絶望的な隔たりだな」
きぃ、とシンの腰かけた椅子がきしむ。
「唯一の例外が相方だ。気のせいが知らんが、相方にだけはかなり特異な感情を有しているように見えるんだよなあ」
「ゼロとイチだけで創りあげた生命体、か――あたしも随分と傲慢だったわ、あの頃は。貴方が5年前に『ゼロ』を連れて姿を消した時、本気で憎んだものよ」
「プロトタイプねえ……今はどこに?」
「設計図しか残ってないわよ。本体は現在の聖譚曲を構成する核として使われているわ」
「……そうか」
若かりし頃の過ちが、シンの中で古傷を刺激する。
あの頃、聖譚曲開発トップメンバーは4人だった。一人はアルトに残って聖譚曲を完成させ、一人は脱退して事後処理機関を設立、残っていた2人のうち一人は生体を失い、もう一人は正気を失った。
「あの子は気づいているのかしら? 自分自身の出生に」
「いんや、まだだろうな。そう思ったらすぐに俺に聞くだろうよ。何より、偽の記憶と肩書きを上乗せしてあるから、気づくはずもない」
「……言うべき、かしら?」
「いや黙っとけ。あいつはあいつだ。もし、本人が知りたがるような時が来れば、答えてやればいいさ」
シンはそう言うと、ミリアナは微かに寂しそうな表情を見せた。
「いつもそうなのよね、貴方は。自分から聞かない限り、何も答えてはくれなかったわ」
「そうか?」
「そうよ」
モニターの中のミリアナは、今にも泣きそうな顔で……笑っていた。
**********
指定時間ぴったりに倉庫へと到着したセイは、赤目の相方が腕を組み、壁に寄り掛かっているのを見た。
真っ青なタンクトップの上に、襟元と左胸に十字架の刻まれたパンクセパレートのジャケット、さらに幾重にもパッチを施したアシンメトリー柄のパンツを身につけたコウは、さながら悪の使者だ――と、言っても自分もそう変わりない恰好をしているのだが。
コウが動く度にぢゃらり、と重い鎖の音がする。
セイはコウの身につけたこの鎖の音が好きだった。硬質で冷徹な鎖の音は、虚構と同化しそうな自分達を現実に繋ぎ止めていてくれる気がしたからだ。
ところが、相方の眉間には微かに皺が寄っている気がして、恐る恐る尋ねた。
「もしかして、俺、遅刻した?」
「いいえ、時間ぴったりです。キミにしては珍しいですね、セイ」
ああ、よかった。
ホッとして笑うと、気のせいかコウの纏う空気も柔らかくなった気がした。それだけで嬉しくなる、と言ったら誰か笑うだろうか。
拾ってくれたシン以外では、唯一セイが心を許す相手だ。それはコウにとっても同じはずだと勝手に確信している。
「それでは、理不尽な上司の期待に応えるために端末を探しましょう」
「ブルーレイだったよな? あるのかよ、そんな遺跡みたいなシロモノ」
「シンがこのブルーレイに情報を焼きつけられた、という事実があるなら、この倉庫内に読み取る端末もあるはずです」
「あーあ、めんどくせぇ」
ほとんど口癖になってしまった台詞を吐いて、セイは倉庫の扉に手をかけた。
ブルーレイディスクを読み取れる端末を倉庫の最奥から発見した時、すでに二人は埃まみれになっていた。既に不要となったモニターや古いパソコンの残骸が壁際に山積みとなっており、さらにはまるで呪詛のようにセイの口から絶えず文句が飛び出している。
「じゃあ、開きますよ」
シンから受けとったディスクを端末に挿入し、コウが簡単に操作した。
すると、ヴゥン、という低い起動音と共に幾つものウィンドウがモニターにフラッシュする。
コウは慌てずその一つ一つを処理し、必要な情報をピックアップしていった。
「アルト本社の立体図ですね。あとは、アルトのサーバー地図と研究者リスト……確実にアルトのサーバーにハッキングかけてますね、これは。叩き割れ、という指示をくむと、シンはこれを暗記しろ、と言っているようですが」
「……げぇ」
心の底から嫌そうな顔をしたセイに目もくれず、さらに端末を操作したコウはもう一つのフォルダを発見した。
過去と名付けられたそのフォルダは隠しフォルダ――当時はこう呼んだらしい――になっており、簡単な操作をしただけでは開けない仕様になっていた。
フォルダを開こうとしたコウは、なぜか頭の中の警鐘に気付いて思いとどまる。コウの中の何かが、危険だと喚いていた。
そのフォルダからポインターを外し、コウはセイに指示を出した。
「とりあえずもう一つ端末を起動してください。そちらにもデータを送ります。1時間以内に丸暗記してください」
セイはさらに呪詛を上塗りしながらもしぶしぶ端末を起動し、暗記を開始した。
それを確認してから、コウはもう一度隠されたフォルダにポインターを合わせた。
何だ、これは。
ファイルを開いたコウは、その内容に愕然とした。
これは「隠しフォルダ」――過去のシステムの為、肩書きを持つコウでなければ開けなかっただろう。もしかすると、セイでも無理だったかもしれない。
つまり、シンはこの情報をコウにだけ与えようとした――?
「……」
コウは目を細めた。
そして、モニターに映し出された設計図に釘付けになる。
ファイル名「ゼロ」――それは、簡略化されたものとはいえ、まごう事無き「人間の設計図」だった。ベースはおそらくシノモリの人体模型。ブルーレイディスクの許容量が非常に少ないため身体の細部は略してあるが、遺伝子配列はすべてが記載してあった。まるで服の採寸をしたかのように正確な数値が体中に書き込まれ、構成するための原子量と比率が個数単位で記されている。
心臓の拍動が耳元で聞こえる。隣にいる筈のセイの存在を一瞬忘れ、夢中でページを繰った。
最後のページ。
そこには、モデルとなった人間とそれに携わった人間すべてが記されていた。ミドルネームの「アルト」がすべての人間に共通している。これはおそらくアルトパルランテの研究員全員に与えられるものなのだろう。
中に「シン=アルト=オルディナンテ」と「ミリアナ=アルト=ヴェルジネ」という名を認識して確信した。
――ツクリモノ
襲撃者の最後の言葉を思い出す。
6年前まで上司と迷子は共にアルトの研究者であったと言っていた。おそらく、その頃から聖譚曲の開発に関わっていたに違いない。
もし不完全とはいえその頃には既に聖譚曲が稼働していたとしたら。
もし偶然に生命体を生みだしていたとしたら。
コウはごくりと唾を呑んだ。これほどに緊張したのは人生で初めてかもしれない。
「マコト=アルト=ビグリッジ」
最期のページ、一番上に記された「ゼロ」の遺伝子モデルとなった人物の名を思わず声に出してしまい、はっとする。
セイの訝しげな視線に動揺し、コウは思わずそのファイルを消去した。
その瞬間、指の先がさっと冷えた。
セイに対する引け目。
が、彼はどうやら暗記の方がせっぱつまっているらしく、すぐに自分のモニターに視線を戻した。
煩いくらいに耳元で響き渡る繰り返しに思わず頭をぶん、と振った。心臓が大きく拍動している。
――創りモノ創りモノ創りモノ創リモノツクリモノツクリモノ
こんな動揺、らしくない。
ただ自分が原子具現化システムによって創られた人間かもしれないという可能性を知っただけで。
シンはいったい何を意図したのだろう。コウにだけこれを見せるつもりだったのか? それとも、二人で見ろという事だったのだろうか。いずれにせよ、何も知らないセイに見せるのは酷く抵抗があった。
自分の中に狂気が潜んでいる事と同じくらい、「創りモノである」という事をセイに知られたくなかった。
シンはコウを情報危機の孤児だ、と言った。
今となってはその言葉も自分の中の記憶も正しいのかどうかわからない。何しろ、記憶情報などいくらでも再現出来てしまうからだ。
情報危機以前の世界では、精神科の医療にユニゾン・システムが使われることが多かった。それは、ユニゾン・システムが疑似神経系を模した情報体を作り出す事に大きく関わってくる。
それこそつい先ほどセイが巻き込まれた「ルバート」を極小にしたような治療が行われたらしい。つまり、防御を解いて直接精神情報体に触れる事で、肉体治療へのフィードバックを期待したのだ。
フィードバックというのは、とどのつまり「思い込み」という言葉に近い。医師から渡されたものが例え小麦粉でも、薬と信じて飲めば病状が改善するというプラシーボ効果などは有名だろう。そのため、退行治療などにも適している。
兎にも角にも、情報体は神経系を核にしているため、精神的な操作に非常に脆い。
だからこそ、コウのように感情の希薄な人間は事後処理機関で働く事に適しており、生きる道を見いだせるのだが。
何が真実で、何が虚偽なのか。
何が現実で、何が虚構なのか。
迷子とは何だ? 不協和音とは? 生体のバックアップと名乗ったミリアナは、はたして人間と呼べるのか?
そして、創りモノ――
「コウ? 大丈夫か?」
ふいに声がして、思考が分断する。
一気に冷や汗が吹き出し、全身がざぁっと冷えた。
気づけば目の前のモニターは凄まじい勢いでウィンドウがフラッシュし、まるで古い映画のようにスライドショーを行っていた。
「こんなスピードで回すから酔ったんじゃねえの? 顔色、悪いぜ?」
「……何でもありませんよ。それより、キミこそ暗記は大丈夫ですか?」
「もちろん!」
自信満々なところを見ると、本当なのだろう。
とうに内容を覚えきっていたコウは、なおフラッシュを続けるディスプレイをスタンバイし、セイの方の端末に入ったデータの消去にかかった。
データはすべて抹消。
「この『クライ=オメガ=アルト=アルトパルランテ』って研究員、今のアルトの元締めだよな」
「ええ、そうですね」
セイの指し示した人物は、このブルーレイディスクの情報を見る前から知っていた顔だった。
クライ=アルトパルランテ――世界政府に属さない人間としては、最高権力を有しているのがこの人物だろう。アルトパルランテ本社の社長にして世界有数の頭脳を持つ工学分野の肩書き所有者。また、能力段階式の教育制度が取り入れられて最初の卒業生、つまり第一期生と言う事になる、
写真では小さ過ぎて判別できないが、金髪碧眼で眉目の整った好青年であるというのがもっぱらの噂だ。歳は30近いはずだが独身。
先ほどコウが確認した「人間の設計図」の作成にも携わっていた重要人物。
「重要な研究員はマークされていましたが、確認しましたか?」
「ああ。クライ=アルトパルランテ、ジュラ=アルト=リアドビス、ビアンカ=アルト=クラスター……この3人が最重要。それに、聖譚曲開発に携わっているのはさらに23人」
「あと一人、要注意人物がいましたが、覚えていますか?」
「セキュリティ担当のハルカ=アルト=リュウジンだろ。こいつに会ったら逃げろ、なんて、シン兄らしくもねぇ注意書き」
「対迷子、対不協和音用のセキュリティからハッカーの相手まで、セキュリティ部門を一手に引き受けていますからね。掛け値なしに世界最高レベルですよ」
ハルカ=リュウジンはアルトに勤める以前、有名なクラッカーだった。3年前には世界政府の情報中枢に侵入、破壊を終えると、続けざまにアルトパルランテのサーバーに侵入、完全に破壊する寸前で取り押さえられた。
本来なら監獄行きだが、被害者のアルトパルランテが莫大な保釈金と身柄の保証金を引き換えにハルカ=リュウジンをアルトに引き入れたのだ。
以来、アルトパルランテの中枢は鉄壁のセキュリティを誇っている。
「それなりに記憶したようですね。本体を処分しましょうか」
端末内のデータをすべて抹消し、コウはブルーレイディスクを取り出した。
そのディスクを空に放ると、次の瞬間には轟音と共に何発もの銃弾がディスクを貫通し、さらに銀のラインがその残骸を粉々に切り裂いた。
「シンの部屋に戻りましょう。最大の仕事が待っていますよ」
「おう!」
銃を収めたセイは、楽しそうに笑った。
その笑顔を見て、思う。自分が聖譚曲によって創られた存在かもしれないと知ったら、セイはいったいどう思うだろう――胸の辺りがぐるぐると渦巻くような感覚が拭えない。
先ほど、「ゼロ」と名付けられた人間の設計図を見た時から、心臓の辺りが苦しい……これは、痛い?
いったいこれは、何だろう。
セイに対する引け目。秘密を抱えてしまった苦しみ。
そして、自分自身に対する疑惑。
「……コウ?」
不思議そうな顔で覗き込むセイの漆黒の瞳。
「大丈夫です、何でもありませんよ」
いつものように表に出さず答えると、コウは再び歩みを始めた。