00 : 読まなくてもいいプロローグ
この作品は「空想科学祭」のために書き下ろしたものです。
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「文明」という名を授けられた人間の所業は、時に飛躍的な発展を見せる事がある。
恰も環境の変化によって進化を余儀なくされた生物達のように、ほんの小さな切っ掛けでそれまでの緩慢な変化とは比べ物にならない速度で発展していく。
例えば18世紀、ユーラシア大陸の極西に端を発する産業革命では、工場制機械工業の導入による産業効率の急激な上昇、蒸気機関の発明による動力の確保など、多重な変化による急激な革新が見られる。
そして21世紀末、人間の織り成す『文明』は、生物学分野、物理学分野、化学分野などにおいて同時に躍進を引き起こし、いまやサイエンスの世界は無秩序な状態にあった。遺伝子の解読、意識の情報化、情報空間の肥大化……挙げればキリがない数々の飛躍の中でも特筆すべきは、人間が錬金術を手に入れようとしている事だろう。
16世紀には不可能とされていた元素の変換は、量子物理学の一分野である素粒子物理学の研究が極まった事で具現化に近付いている。量子力学と相対性理論とを融合した、「量子重力理論」の完成である。
さらにそれから100年、人間はすべての物質の根源である素粒子の挙動を操り、欲するがまま元素を手にする事が出来る能力を手に入れようとしている。
神が創りだしたイキモノは、とうとう神の領域に足を踏み入れようとしていた。
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――西暦2201年
「あーごめん、俺、耳悪いんだよねー。もっかい言ってくれる?」
闇に閉ざされた路地裏に、少年の声が響く。変声期を終えて間もない、どこか幼さを残した声だ。
ヂャキリ、と金属音がして、青ざめた男性の額に銃口が押し当てられた。彼が命の危険に曝されているのは一目瞭然。壁に張り付き、降参を示して両手を顔の横に添えたままがたがたと震えていた。
そして、旧型の回転式拳銃を握る手の持ち主は、声に見合う年の少年――いや、少年と呼ぶか青年と呼ぶか微妙な年頃だ。
彼は物騒な笑みを張り付けて、目を細めた。
「……頭吹っ飛ばされたくなかったらさ」
「ひいぃっ!」
壁に貼り付けられた男性は、少々品の悪い悲鳴をあげた。
崩れかけた有機煉瓦の塀が男性の体重に耐えられず幾らか零れおちた。両手を広げれば通れなくなってしまう程度の幅しかない袋小路で、男性の逃げ場はない。襤褸切れのようになってしまったシャツを辛うじて身に纏ったみすぼらしい出で立ちと、薄汚れてこけた頬、やせ細った手足は男性の栄養状態が良くない事を示していた。
対する銃の少年は、細身とはいえ引き締まった体をしているのが分かる。トリガーに指をかけ構えた姿も様になっており、十代も半ばと思われるのに、こういったやりとりを日常化しているのはすぐに見て取れた。
街の片隅に澱む闇のような髪と同色の瞳が収まった目を細め、トリガーにかけた指をゆっくりと動かす。
耳に十字架のピアスが煌めき、微かに揺れる。
が、その時、少年の肩に別の人間の手が置かれた。
「やり過ぎですよ、セイ。いい加減やめなさい」
銃を構える少年の背後から現れたのは、同じ年頃の少年。涼しげな切れ長の目に真紅の瞳が嵌め込まれている。黒髪にはところどころ赤のメッシュが入っており、一部だけ細くのばした後ろ髪を蒼い糸で束ねていた。ノースリーブジャケットの袖からは鍛えられた上腕が伸びている。
どうやら銃の少年を諫めようとしているようだ。
「怪我をさせると面倒です」
が、刹那、大気を震わす銃声が鼓膜を貫く。
その轟音に、止めようとしていた方の少年は、真紅の瞳が収まった切れ長の目をさらに細めた。
「仕方ねぇな」
銃口を飛び出した銃弾は、男の大腿をかすめ、地面に突き刺さっている。
少年の握る銃からは細く煙が上がっていた――威嚇射撃。しぶしぶ銃を腰のホルスターに収めた黒髪の少年は、もう一人に軽く声をかけた。
「後は頼むぜ、コウ」
「……またですか?」
コウ、と呼ばれた赤目の少年は手慣れた仕草で男を縛り上げる。丈夫なワイヤーは男の全身に喰い込み、赤い線を幾重にも作り出した。
「こ……の……人殺しっ……!」
縛られた男は辛うじて言葉を絞り出したのだが、真紅の瞳を持つ少年は感情を全く映さない冷徹な表情で男を見下す。
「まだ言うのですか? セイに頭、吹っ飛ばされますよ?」
淡々とした口調に怒りも悲しみも、罵倒の色もない。
ただ、静かに忠告しただけ。
赤目のコウは静かに諭す。
「人類は永遠の生命を得ようとして過ちを犯しました。ボク達『ソルディーノ』はその罪を清算しているだけです」
「だからと言って取り残された者達を消滅させるのはただの殺し(エゴ)だ!」
「『不協和音』を放置すれば今の世界にもバグが広がります。そうなれば再びあの過ちが繰り返されることとなる。それだけは避けなくてはいけないのですよ。それを、情報危機で職だけを失ったキミにどうこう言われる筋合いはありません」
そう言い終わるとコウは、まるでそう決められていたかのように機械的な仕草で男の鳩尾に拳を叩き込んだ。
その間にも真紅の瞳に感情の色は見られない。
風も無い澱んだ空気の中で、ただ佇んでいた。