美沢みずほの憂鬱
第十一幕 食堂へ続く渡り廊下
どこへ行くのかと言う心たち女子三人の追求を適当にかわし、芽理沙さんの待つ学生食堂へ一人で向かう。食堂へ向かう渡り廊下の途中に、芽理沙さんが立っているのが見えた。。食堂で待っているのではなかったのか。
「五人目は決まったの?」
僕の顔を見ると、芽理沙さんは挨拶もなしにいきなり用件から話し始めた。
「ええ、さっき決まりました。みんなアイドル部への対抗心で一致団結していましたよ」
「そう良かったわね。それとこちらも報告があるの。生徒会長にコネクションを取りつけることに成功しそうよ。部活の承認は彼に決定権があるから、生徒会の承認はおそらく問題ないはずよ。同好会を飛び越えて一気に部として認められると思うわよ」
芽理沙さんは済ました顔で何てことのないようにいったが、これはとんでもない朗報だった。
「やった!それはすごい!芽理沙さんすごいじゃないですか」
「といってもまだ昨日今日の話で、承認させるにはもうちょっと時間がかかるでしょうけど、それでも時間の問題よ」
部員も集まったし、生徒会の承認という大きな課題がクリアできそうだった。ここまで実に順調といえるだろう。
「すごいですね。なにかコネがあったんですか?」
「なかったわよ。だから……作ったの」
芽理沙さんが氷の微笑を返してくる。その美しい笑顔に何故か背筋が寒くなる。何か嫌な予感がした。恐る恐る質問する。
「作ったって……どうやってですか?」
「男って簡単よね。ちょっと顔がよければいいんだから。少し積極的にアプローチしたらコロッといってくれたわ」
何か怖いこと言ってませんか、この人。蜜葉さんの為ならば手段を選ばなさそうな人間が、コネを作るために手段を選ばなかったとしたら、どんな手段にでるだろうか。
蜜葉さんのためならば自分の身はどうなってもいい、そんな人間が取ったのはまさにそんな自分を汚す方法だった。どうやら芽里沙さんは生徒会長と恋仲になった、いやこれから「なる」と言っているらしい。その手段の是非は置いといて、「なる」ことに絶対の自信があるのはさすがだ。これまでも蜜葉さんに言い寄る男を、自分へ振り向くよう画策してきただけあり、こういったことには手練れのようだった。実際、こんな美人に言い寄られて頭が正常状態の男なんて、同性愛者かアイドルにとり憑つかれている奴だけだ。
「平気よ。最後まではやらせるつもりはないから」
固まってしまった僕の緊張をほぐそうとしてか、フォローしてくれるがそのフォローが痛い。最後まではやらせないというが、それはつまり最後以外はやらせるということか。蜜葉さんとキスできるかもっていうだけで、そこまでのことをするのか。女神のような笑顔の裏にある、おぞましいまでの執念に足がすくんでしまう。
無償の愛とは違う、一方的で偏狭的な蜜葉さんへの愛。ここまでくると呪いとどこが違うのかその境界線は曖昧だ。
「それでね。普通は生徒会の承認が降りれば、手隙の先生達の中から顧問が選出されるから、何も顧問まで発足人が探し出す必要はないのだけれど、演劇部なんてアイドル部とぶつかるような部ですから、普通は誰もやりたがらないのよ。上司から睨まれる役を進んでやりたい人なんていないでしょ?」
「確かにそうですね。僕もそこまでは考えていなかった」
「だからいくら生徒会が承認したとしても、顧問が見つからなければやっぱり発足できないのよ。なので部員集めの次は、顧問探しよ」
一難去ってまた一難とはこのことか。心当たりはないしどうしたものか。
「難しいですね。ある程度演劇的な要素がわかる人であり、アイドル部からの圧力にも屈しないっていう、非常に無理のある条件をクリアできる人ってことですよね」
いるのか、そんな人……
「一人だけその条件を満たせる人がいるわ」
「ええ、本当ですか?誰です?」
「その人は美沢みずほ先生。初代アイドル部の部長よ」
「美沢みずほ!?ってあの伝説の美沢みずほですか!!」
すっとんきょうな大声をあげてしまうが、それも無理のないことだろう。伝説のスクールアイドルが校内にいただなんて。
何事にも始まりはある。もちろんスクールアイドルにも。
スクールアイドルという存在がそれほど稀有な存在じゃない現代では想像も難しいが、一番最初は馬鹿にされたり中傷されたり、それはそれは大変なことだったと思う。その馬鹿にされかねないスクールアイドルを、憧れの存在にまで押し上げた最初の人がこの美沢みずほだった。
今から一五年以上も前のことだ。彼女がやっていた放課後の同人アイドル活動がテレビメディアに取り上げられると、グループで一番人気を誇っていた美沢みずほの名前と、スクールアイドルという概念はあっという間に全国に広がっていった。
まさにこの人が、スクールアイドルという長い歴史の一里塚を打ち立てたと言っても過言ではない。その彼女が在籍していた高校が我らが母校、水鳥谷学園というわけだ。
そういった伝説を輩出したという点でも、水鳥谷学園は実にアイドル名門校なのだ。彼女が三年の時、現在のアイドル部が創設され、そして初代部長に任命された。
ちなみに卒業した彼女は大学にいきながらも、アイドル的な活動は続けたみたいだけれど、そちらはほとんど注目されなかった。僕も情報を追うのがほとんど出来ないくらい彼女の人気は一気に下火になった。
しかし彼女の跡をついだ後輩たちのほうは大人気を博す。かくしてスクールアイドルとアイドル部の名声は磐石なものとなり、学校側に莫大な金を落とした。運営が苦しかった学校はアイドル部を金の卵として扱い、アイドル部の規模はどんどん大きくなる。そして、いつしかメジャーアイドルへの登竜門となるほどまで大きくなった。
すでに名を聞かなくなって久しいが、彼女がそんな伝説であることは何の遜色もない事実。ドルオタのはしくれとして、会えるなんてこんな光栄なことはない。
「知りませんでした。そんな伝説が教師になって母校に戻っていたなんて。ああ灯台もと暗しとはこのこと。そんな先生が演劇部の顧問を引き受けてくれるんですか?そりゃあすごい!すごすぎる!」
「落ち着きなさい。あなたちょっと気持ち悪いわよ」芽理沙さんは小躍りする僕をカメムシのような目でみる。「それと引き受けてくれるなんて、私一言も言ってないわよ。引き受けてくれるんじゃなくて、引き受けさせるのよ。あなたが。どんな手を使ってもね」
「へ?」なんだか不安になることをさらっと言われたような。
「順番に話しますけど、彼女は大学卒業後は自称アイドルは引退。客員教員としてこの学校に赴任してきたの。これはもう先生としてというより、伝説のアイドル部初代部長っていう、単なる広告塔の役割を期待されてのことだと思うわ」
「確かに。いい宣伝になりますよ。ネームバリューだけなら相当あったでしょうし。う~んでもそれこそ、そんなアイドル部による、アイドル部の為の、アイドル部の元アイドルなんて人が、アイドル部の小石程度でも障害物になる演劇部に力なんて貸してくれないんじゃないですか?」
「なんだかアイドルがゲシュタルト崩壊起こしそう……ところがそうじゃないのよ。最初はもちろんアイドル部に尽力したと思うわよ。歌もダンスもコーチしたかもね。でも今から一年前に彼女はアイドル部の活動からは一切手を引いてる。要は外されたのよ」
「そんな生きる伝説をですか?」
「あなたがここに赴任していることを知らなかったように、彼女が伝説の存在として宣伝材料になったのは、就任してからもってニ年くらいしかなかったんじゃないかしら。もともと歌もダンスもプロレベルにはまったく達してないんだから、その筋のプロを完備している現状では、彼女の役立つことなんてないでしょう。役立たずの癖に、部の活動方針については口煩く言ってくる厄介者。というポジションだったみたいよ。それでとうとう外された……と」
「なんかすごい詳しいですね。何でそこまで知っているんですか?」
「生徒会長殿がまあぺらぺら教えてくれたわ。生徒会もアイドル部の運営には結構関わっているらしくてね。だけど興味のない人間の興味のないの話に、愛想良く相槌うつのも大変だわ。あなたには少しは私の努力を見習ってもらいたいものだわ。それで続けるけど、その美沢みずほは今の拝金主義みたいになっている、現在のスクールアイドルの在り方に大きな不満を持っていたらしく、そのことで常に運営トップである教頭と揉めていたらしいわ。そしてそれが元でアイドル部からは外され、かといって教員としても十分な業務が与えられているわけではなく雑務がメイン。完全に学校のお荷物状態よ。そして独身」
最後の独身は関係ないのでは?
「そんな現在の状況に不満を抱いていないはずがないわ。そこを突くのよ。彼女の自尊心をくすぐるような甘い言葉を言いなさい。そして演劇部はアイドル部に対抗できる存在であることをアピールするの」
合いの手を入れる間もないほど、澱みなくすらすらとゲス話を続ける芽理沙さん。性格の黒さが滲み出ていますね。
「なるほど……よくわかりました」
軽く引き受けた僕を見て芽理沙さんはかぶりをふった。
「よくわかってなさそうだから、少し言い直すわね。昨日、妹の為ならその身を汚しても構わないと言ったわよね?それを実践してもらうわよ。いいこと?私と同じようなことをあなたにもしてもらうわよ」
「な、なんですか一体……」嫌な予感がした。
「早い話が美沢みずほをデレさせて、言うことを聞かせない。っていうことよ」
目の前の黒い悪魔は、顧問を引き受けさせるために、その先生を僕の魅力で口説き落とせ、と言っているらしい。十六才の童貞のこの僕に、倍は生きている経験豊富な三十代前半の女性をデレさせろ、と仰っているらしい。
そんなの出来るわけない!と叫びたかったが、そうはさせないように、生徒会長を口説き落とそうとしている話をわざわざ振ったのだろう。私がやっているのだから、お前もやれと言っているのだ。
「年の差を埋めることはどうも出来ないけれど、幸いあなたの容姿は平均以上だしやってやれないことはないでしょう?」
いやいや、やれない所がいっぱいあるよ。倍以上の年の差だぞ。
「それにさっき頑張るっていったわね?良かったわ。頑張るって言ってくれて。じゃあ頑張ってもらいましょうかしら。さあ食堂に行きましょう。そこで美沢先生とお会いすることになっているの。まだ具体的な用件は何も伝えてないわ、ご相談があります。ってだけね」
一人で言いたいことだけ言うと、食堂に向かってさっさと歩き出していく。しかたなく僕もその後をついていく。今課せられた仕事の大変さを考えるとげんなりするが、それでも今はあの伝説のアイドルに会えるのが純粋に嬉しかった。
ちなみにこれは後から聞いた話で、自分はまったく気づかなかったのだが、芽理沙さんの後を追う僕の後を、演劇部女子三人がこっそりついてきていたらしい。
第十ニ幕 学生食堂
学生食堂で芽理沙さんと並んで待つこと十分ほどたったところで、美沢みずほ先生がやってきた。手には食堂入り口で購入したと思われるカップのコーヒーを持っている。
「剣条さんお待たせ。相談したいことって何かな?」
全盛期の人気を誇った当時の写真でしか見たことはなかったが、その美少女の面影を残しつつも、大人になった美沢みずほがそこにいた。肌のハリはさすがに女子高生には勝てないが、毛先にまで十分気を使ってきたと思われる彼女は、手入れの行き届いた年代物の高級車という印象だ。三十代前半のはずだが、二十代前半で通じそうな見た目だ。ただ本物の二十代前半では出せない、大人の色香を持ち合わせてもいた。
さっき芽理沙さんは独身とはいったが恋人がいないとは言ってない。こんな魅力的な女性を、世の男性たちがほっておくわけがない。僕のようなガキが恋愛方面で彼女を満足させられる気がしない。彼女と恋仲になれたら最高だが、さすがにこれは無理なんじゃないか……
芽理沙さんはすっと気品よく立ち上がると、先生に来てくれたことの感謝を述べる。僕も慌てて立ち上がり頭を下げる。
「剣条さんは礼儀正しいのねえ。でもでもまあまあ、そんな固くならなくていいって。ほら座んなさいよ」
少しハスキーっぽい掠れた声で、美沢先生は僕らに着席を勧める。
「こっちの男の子は?」
僕のほうを見たので自己紹介する。
「はじめまして。一年の鏑木薫風です。伝説の美沢みずほ先生にお会いすることが出来て光栄です」
「あらら、そんなこと言われたのは久しぶりだわ~。いやあ照れるな」
美沢先生は大人びた風貌に比べると、だいぶ砕けた感じのフレンドリーな先生だった。
「それで改めて聞くけど何だっけ?」
「単刀直入に申し上げます。私たち演劇部を作りたいと思っています。部員候補も集めました。しかし顧問がまだ見つかっておりません。そこで、先生に演劇部の顧問を引き受けていただきたいのです」
芽理沙さんが用件を簡潔にまとめた。まずは正攻法でお願いするらしい。これで引き受けてくれれば僕の仕事はないのだが。
「……………ふむ。なるほど」
腕を頭の後ろに組み天井を見つめる美沢先生。何と言おうか迷っているようだった。
「私を名指しで指名してきたこと――それってアイドル部の事とか色々調べたり考えたりした結果、ってことだよね?」
「はい。失礼ながら先生の略歴を先輩などから伺いました。アイドル部のコーチ役であった先生が今は、アイドル部から外れていることなど。アイドルと演劇、微妙に畑は違いますが、舞台の上で己を表現するという魂の部分は似かよっています。先生の積まれてきたご経験、それを私たちに御指導、御鞭撻をお願いしたいのです」
僕なんている必要あるのか?と思うほど芽理沙さんがスラスラとこちらの要求を伝えていく。
「……この学校はね、スクールアイドル部が中心になって動いているわ。彼女たちのライブや楽曲、そして様々な物販が純粋にお金を産むし、入学希望者も格段に増えた。その結果経営が危ぶまれていた高校が一気に持ち直した。そんなわけだからアイドル部のライバルになる部活って、あまり歓迎されないと思うよ?」
やんわりとお断りの空気を出されてきた。しかしこれくらいでは引き下がれない。
「はい。それは何となくわかっています。だからです。だから先生に顧問を引き受けていただきたいのです。他の先生方では誰も顧問など引き受けてくださらないでしょう」
「私もしがない雇われ教師だよ~。私に顧問をするメリットってあるのかなあ」
「生け贄を差し出しますわ」
ここで早くも芽理沙さんが切り札を切った。僕の出番と言うわけだ。
「生け贄ってなに?」
不思議そうな顔をする美沢先生。
「この男を差し出します」芽理沙さんは横にいる僕の肩を触る。「奴隷として、下僕として、先生の好きなようにして構いませんわ。たとえばこの男を働かせて、その給料は全額先生に差し出させるなど何でもありですわ」
およそ先生と生徒の間で交わされるべきではない事を、さらりとのたまう芽理沙さん。
「ええ?ちょっとまってください。そんな話でしたっけ?」
僕は軽い抗議の声をあげた。さらっと怖いこと言っているよこの人。デレさせるとかじゃないのかよ。
「あっはっはっはー。剣条さんは顔に似合わず面白い冗談言うね」
先生は冗談だと思ったらしいが、この人は多分一欠片も冗談を言ってないはずだ。芽理沙さんも挫けず、違う路線を提示する。
「では若すぎるかもしれませんが、恋人としてでもどうですか?なかなかの器量だと思いますが。新鮮な十六年物のお肉です」
「う~ん、三十過ぎのおばちゃんにはちょっと新鮮すぎるかなあ。もうちょっと熟しているというか枯れ始めているあたりがいいけどね~」
非常に残念だ。年上好みなのか……。内面の突っ込みだけで何も言わないでいたら、テーブルの下で芽里沙さんに足を蹴られる。自分からも何かアピールしろという催促だろう。つうかこんないきなりで何をアピールすればいいのか。
「鏑木くん……だっけ?そこのお姉さんに何て言われてつれてこられたの?」
先生も困った顔をしながら聞いてきた。あまりとやかく言っても仕方がない。そのまま言うことにし
た。
「口説き落として顧問を引き受けさせろと言われました」
言ったとたんに芽里沙さんに足を強烈に踏まれる。もうちょっと駆け引きでもしろってことだろうけど、こんなの駆け引きもあるわけない。
「あっはっは~。バカだねえ。いやあ面白い。君ら面白いな。あんまり大人をからかうんじゃないよ。しかし、ちょっとだけ乗ってあげよう。君からしたら倍生きてるおばちゃんをどう口説いてくれるのかしら。楽しみだな~」
先生はにこにこしながら顎を両手の甲に乗せている。これは何か口説き文句を言えばいいのだろうか。何を言えばいいのかわからないので、思った通りのことをいうだけだ。
「おばちゃんだなんてとんでもない、先生は大変おきれいです。もう本当に。今日ここで伝説とお会いできただけで感激です。先生のアイドル時代の動画を見たことありますが、今の先生はその時となんら変わらないほどに素敵です」
お世辞というよりは、ほとんど本心でもあった。
「あはは。悪いねえ。高一にそんなこと言わせちゃって。でも悪いついでにもうひとついうけどさ、顧問は受けないよ。私、演劇は門外漢よ。やったことないもん。剣条さんは魂は似てるっていうけどやっぱり難しいよ」
とうとうはっきりと拒否された。顧問だけじゃなくて僕のほうの申し込みもあっさり。芽理沙さんは、進退窮まった苦悶の表情を浮かべている。
「専門はアイドル。ということですか?」
僕は少し気になった部分を質問する。
「ん~、どうだろうね。アイドルとしての作法なんてのも教えられないよ。ダンスだって歌だってプロには全然敵わないしさ。私は何でもないただのおばちゃんだよ。普通の教師ってやつ。いや、普通以下のダメな教師……かな」
「伝説のアイドルがそんな……」
「伝説なんて大袈裟だよ。たまたまスクールアイドルのはしりってだけ。今じゃこんなだもの。あと今の時代だったらアイドル部に入部すら出来なかったと思うね。確実に。もう最近のアイドル部はスクールアイドルってレベルじゃないよ本当に」
残酷な物言いだがそれは事実かもしれない。先生は美人だが鹿野や蝶野、そして藻乃レベルかと問われればそんなことはない。心と一緒だ。クラスにいる普通の可愛い子だ。
でもだからといって彼女が大人気だったときの、メジャーアイドルのレベルが低かったわけじゃない。先生よりもっと可愛い子がアイドルやっていたのだ。それでもその子を越えた人気を誇っていたのは確かなのだ。アイドルは顔だけじゃない。その事はドルオタの僕にはよくわかる。
「それはつまり先生はスクールアイドル専門ということではないですか?」
僕が言うと先生は優しく微笑んだ。
「あははー。まあそうなるかなあ」
「じゃあ僕たちにうってつけです。演劇部を立ち上げようとしてる中心メンバーは、アイドル部のオーディションに落ちた連中です」
「あらそうなの?」
「私は落ちていませんけどね」
芽理沙さんが余計な補足をした。一緒にしないで頂戴。という彼女の高いプライドが垣間見える。でも今は黙っていてほしい。今度は僕が芽里沙さんの足を軽くこずいた。
「彼女達は全国に通用するようなアイドルにはなれないかもしれない。でも本当の意味でのスクールアイドルとしてならまだ輝けるかもしれない」
「本当の意味ってどういうこと?」
芽理沙さんが横からよいパスを出してくれた。
「うちのアイドル部は活動内容含めてもうスクールアイドルじゃない。女子高生を部活動の名のもとに、学校が無報酬で働かせている。ブラック企業も真っ青の奴隷アイドルだ」
「言いにくいこというなあ。それ他の先生に言っちゃだめよお~。怒られちゃうから」
寂しそうに苦笑いする美沢先生。口元は笑いつつも目が笑っていない。その憂いの表情に、急に年相応の大人の顔を覗かせる。僕の暴言とも言える発言だが、それを否定しきれない部分があるからこそのその表情だろう。さきほどの芽理沙さんの話から、美沢先生が学校の運営サイドと揉め続けたというのは、きっとこの部分だろうと予測したのだがどうやら的中したようだ。僕はそこの部分を突いていくことにした。
「スクールアイドルって言うのは、その学校内での活動をメインとするべき活動でしょう?クラスにいる普通の子達が、学校でアイドルをやる。それがスクールアイドルの本質のはず。しかし今や選ばれる子達は、本物の美少女のみ。メインの活動場所は校外だ。スクールアイドル発祥のこの学園からは、スクールアイドルはいなくなってしまった」
「いやあ、高一とは思えない口上だねえ。君は頭が良いんだねえ」
コーヒーを一口すする美沢先生。
「こほん、どうもありがとうございます。それでですね」
「それで、アイドル部に落ちた落ちこぼれたちこそ、スクールアイドルに相応しいというわけ?」
先生は先ほどまでのにこやかな表情とは打って変わって、ぎらりとするどい目つきになる。少しだけ真面目に聞いてくれている証拠だろう。
「私は落ちこぼれとは違いますけど」
あくまで芽理沙さんのプライドが許せないらしいが、今はちょっと黙っていてほしい……
「そうです。演劇部を通してですが、スクールアイドルをもう一度復活させるためには、美沢先生の力が必要なんです。僕達に顧問として協力していただけませんか。お願いします!」
僕は机に額を擦り付けるように頭を下げた。
「う~ん。困ったな~。それで鏑木くんはスクールアイドルやりたいの?男性スクールアイドルなんてやめておいた方がいいと思うよ」
美沢先生は困惑した表情で頭をかいている。
「僕は裏方でいいです。発起人含む、四人の女子をスクールアイドルにしてやりたいんです」
「私はアイドルじゃなくてお芝居がしたいのだけれど」
横からちょいちょい突っ込みをいれてくる芽理沙さんがうざい。
「どうして君はそこまで必死なのかね?あ、その中に彼女でもいるの?」
「いえ、彼女ではありません。別にそういう下心では……」
「本当か~?じゃあ顧問を引き受けたら、最初の提案通り私の彼氏にもなれるの?」
意地悪くにやにやしながら質問してくる美沢先生。
「ええ、勿論ですわ」
何故か僕に代わって質問に答える芽理沙さん。あなたが即答しないでくださいよ……
「むしろそっちのほうがこの男の為になります。なにせこの男、妹に欲情しているような男ですから」
突然ここで爆弾発言する芽理沙さん。突然何を言い出すんだこの人。
「おいおい本当かよ。それはやばいだろ……」
ぐっと身を乗り出してくる美沢先生。俗っぽい話が好きそうだなこの人。
「いやいや違います。そういうわけではないんですよ。この人誤解して……」
誤解を解こうとする僕の横でさらに告げ口していく芽理沙さん。
「演劇部を立ち上げようとしている一年女子はこの男の双子の妹でして……」
「え、まじで!?まじの妹ってこと?うわ~ヤバイ。まとめサイトみたいだな。それでそれで?」
美沢先生の目が好奇心でらんらんとしている。
「ちょ、ちょっと芽里沙さん……」
「この男が獣の道に踏み込む前になんとか更正させたいと思っていまして……先生に大人の女性の魅力を教えていただければ幸いと思い、今日連れてきたんです」
「勝手に僕の人物像を歪めないでくださいよ。話が脱線しちゃってるじゃないですか」
「もう手出しちゃってるの?」
美沢先生が真剣に聞いてくる。ただそれは教師としての職分というより、ただの興味本意みたいだが。
「端から見ると、兄弟というより恋人のそれなんですが、妹曰くスクールアイドルにスキャンダルは御法度といって、何もしてないらしいですよ。でも、このままスクールアイドルになれなければ、彼女を自制させている最後の砦も決壊してしまうかも……」
芽理沙さんがあることないこと(ほとんどあることだが)ぺらぺらと喋る。彼女なりの美沢先生に顧問をやってもらうための口説き文句なのだろうけど、初対面の人に対し、僕の評価を雪崩のように落下させるのは勘弁していただきたい。ただ八割方真実なのであまり強くは突っ込めない。
「ちなみにその妹の写真見せてよ。双子ってことはそっくりなの?」
「いえ、顔は全然似てなくて。僕は父親似ですけど、妹は母親似です」
「ふーん、まあいいから見せたまえ」
仕方なく携帯に入っていた心の写真を見せる。
「え?これって紗更先輩?」
心の写真を見た美沢先生は、不思議そうな顔をしながら母の名前を口にする。
「あれ?先生、母を知ってるんですか?確かにこの高校が母校だったと思いますが」
「えええええええええ。ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってええ。君って紗更先輩の息子?そしてこの女子は娘!?うわ、そっくり。この子怖いぐらい似てる。ええ?ちょっと待って。そりゃ同級生は結婚してるのも増えたけど、高校生の息子と娘がいるとは……ちょっと待ってよ……」
さっきからちょっと待ち続けているが、美沢先生の顔からどんどん元気が消えていく。
「ちょっと待ってよ。ショックよ……私まだ相手探すところからなんだけど……」
がっくりとうなだれる美沢先生。
どうやら先生は現在は恋人はいないようだ。こんな美人が放っておかれるとは。
「よし!決めた!」
先生は軽く机を両手で叩く。
「鏑木君、明日は暇かね?学校は休みだし先生とデートするか!先輩の息子が道を外そうとしているのを黙って見過ごすわけにもいかない!大人の女性の魅力を君に見せてあげよう」
「本当ですか。先生。ありがとうございます。どうかこの男にまっとうな道を歩ませてください」
芽里沙さんが両手をあわせ、まるで救世主を見た子羊のように美沢先生を見つめる。少しは僕の返事は待って欲しいものだ。
「高校生と女教師とデートするというのも、あまりまっとうな道ではないと……」
僕が常識とも言える事を言うと、首もとにするどい手刀が突きつけられた。もちろん芽理沙さんからだ。
「あなた自分の立場がわかっているの」
狂気を孕んだするどい目が俺を睨みつける。
「あなたの目的は、どんな手段を講じても先生に顧問を引き受けさせることよ。その最大のチャンスをふいにするつもり?明日のデート全力で先生を口説いてきなさい。いいこと?わかったわね?」
本人目の前にしてそんなこと言われても無理ですよ……。それでも文句は言わず、僕は両手をあげて無抵抗の意思表示をしつつ「わかりました」と答える。
「あっはっは。君たち仲いいねえ。私なんかより剣条さんがその一年生くんを救ってあげたら?」
美沢先生が素晴らしくない提案をする。
「残念ですが他に意中の人がいるので無理です。言葉を訂正させてください。残念というのはあやまりです。まったく残念ではありません」
「はっきり言うねえ」
「僕もこんな怖い人は遠慮しておきます……え~とそれで先生さっきのお話の続きですが……」
「うん、そうだね。じゃあ昼の一時とかにでも集合しようか」
こんな上手い話があるのか、時間まで指定してきた。
「本気ですか?」
「本気だよ。それとも明日は何か予定ある?」
「実は予定が……」首元の手刀が軽く突き刺さってくる。「……何も……ありません」
「予定はなし、と。じゃあ明日は遅刻厳禁ね。私は時間にルーズな男は嫌いだからさ。精一杯口説いてもらいましょうか。それでデートプランは君にまかせるよ。どこ集合にする?」
いきなり、しかも横で悪魔に手刀突きつけられている状況で、デートのプランが思いつくはずもなく。普通に行く予定だった秋葉原を指定した。
「アキバ~?」
先生は明らかに嫌そうな顔をしたが、学生のことだし仕方がないかと了承してくれた。その後簡単に明日の件を話したあとは、先生は職員室に戻るために席を立った。
「それじゃあね~」
朗らかに挨拶しながら戻っていく。一体何を考えているのかあの先生は。まさか本気で高校生に口説かれるつもりでもあるまい。携帯の連絡先も知らないし、明日僕がいかなかったらどうするつもりなんだ。逆の可能性ももちろんあるし。
「たまたま遠い知り合いで助かったわね。こんなところであなたの妹に欲情する変態性が活きるとは思わなかったわ。これはチャンスよ。しっかりやりなさい。行かないなんて選択肢はないわよ?」
芽理沙さんは逃げ出さないよう釘を刺す。
「わかっています。あと一応このことは心には秘密にしておいてくださいよ?」
「はいはい。勿論言わないわよ。それじゃ私は行くわ。あなたと無報酬で喋るなんて苦行以外何物でもないし」
芽里沙さんは僕の方をちらりと見ることもなくさっそうと食堂をあとにした。
なんだか昨日から慌ただしすぎて、少し疲れた。
ぐったりしながらノロイちゃんを見ると、彼女は興味なさそうに上空を漂っている。彼女のふくらはぎを見つめながら、心のことを思い出した。
演劇部創設のために、僕が他の女とデートをすると知ったら、彼女は何て言うだろうか。正義感の強い彼女は、演劇部作りさえ止めそうな気がする。しかし演劇部を作ることは、既に彼女の願いを越えた話しに発展しすぎている。何事も一度動きはじめると、発起人の意思を越えて暴走することはある。今回がまさにそうだ。
アクセルは自由に踏めても、ブレーキには多人数の承認がいるのだ。
なので心にはこのことは知られたくなかった。だから秘密にしておいて欲しいと言ったのだが、残念なことにこの件は彼女たちには筒抜けだったらしいと後日知ることになる。




