剣条芽理沙は無慈悲な黒の女王
開いた扉によって切り取られたような額縁に佇むその女は、廊下からの後光を背に受け、ギリシア彫刻もしくはフランス絵画のように美しかった。
タイトルをつけるなら――黒い女。
その女性は丁寧に手入れが行き届いた、腰までありそうな黒い長髪、スカートは校則通りの膝下まで、さらに膝丈の黒いソックスに黒い革靴と制服と合わせて全身黒だった。
肌の露出はわずかに顔と手しかないが、だからこそなのか、白雪のような肌の白さをより一層引き立てている。
僕らは降臨した女神をみた子羊の群れのごとく、固まって動けない。
だがどちらかといえば女神というより化け物。もしかしたら彼女は見たものを石に変えるという、メドューサの化身なのかもしれなかった。
そんな不思議な強さを持つ黒い瞳は、重そうなくらいの睫毛で隠され、底知れぬ畏怖の印象を受けた。
「珍しく部室が騒がしいと思ったら、見ない顔ね。今キスがどうとか言っていたけど何の話をしていたの?」
透き通ったクリスタルのような声が静まる部室に響いた。
ともかくこの声でやっと我に帰った。どうやら彼女は普通の言葉を話す、普通の人間のようだ。
急いで挨拶しようとするが、その黒い美人は僕たちを一瞬だけ見ると、興味なさそうに視線を蜜葉さんに移した。
「あ、芽里沙!い、い、いや違うんだ。ななな何でもないよ!思ったより早かったね。今日は部の予算会議だったんでしょ?」
蜜葉さんがまず答える。
普通に考えて当然だが、彼女は文芸部の人間のようだ。予算会議に出席しているということは部長なのか。
「ええ、でも今日は連絡通知ぐらいだったから。その人達は?入部希望者かしら?」
彼女は僕らを値踏みするような目で見る。
あまり歓迎されている雰囲気ではない。見た目の印象通り気難しい人なのかもしれない。
文芸部だし、ウェーイって感じではそりゃないだろうけど。
「えっと、後輩……かな。友達ではない。それで入部希望者でもないよ。一年生なんだけど今度演劇部を作るらしくって、勧誘されてたんだ。それで……」
蜜葉さんがここで僕らの紹介をしようとするが、
「演劇部!?蜜葉、あなたまだああいうの諦めてないの?」
黒い美人が顔を少し歪ませ、蜜葉さんを叱責するような口調になったので、僕らは何も言えずじまいだった。
どうやら先日のアイドルオーディションを受けた件のことを言っているのだろう。
この人は蜜葉さんがアイドル部に入るのは反対なのか。確かに人数少なそうな文芸部で彼女が抜けたら部の存続自体が危うそうだもんな。
「えっと、それなんだけど……」
「一年生さん、来てくれて悪いけど蜜葉は演劇部には入らないわ。文芸部ですから。どうかお引き取りください。それじゃ」
芽理沙と呼ばれた黒髪の女性は、問答無用で出ていけという感じで部室の扉を指差した。
しかしここで素直に退席すれば、蜜葉さんの入部がお流れになってしまう。何とか穏便に交渉しようとしたとき、僕よりさきに心が口を開いた。
「それを決めるのは蜜葉さんだと思いますよ。私の耳が確かなら、蜜葉さんは演劇部に入るって、はっきり聞きました」
彼女は芽理沙さんの問答無用の言い方にイラついたのか、少し強い口調で反論した。
「空耳よ。良くあることよ。一つ忠告さしあげますと、アイドルごっこがしたいなら、アイドル部にお入りなさい。落とされたのなら素直に諦めることね」
触れば指の皮が剥がれる、そんなドライアイスのような言葉を発する美人な雪女。部屋の温度が少し下がった気すらする。
「ぐぬぬ」
心が返答につまる。
どうやらこの人は恐ろしく察しが良い。
アイドル部に入れなかったから演劇部を立ち上げようとしており、お仲間である蜜葉さんを勧誘にきていると、あの一言でわかったらしい。
「蜜葉も諦めなさい。そういう約束でしょ」
オーディションに落ちたらアイドル活動は全般諦めろと言われていたのかな。
二人はどういう関係なのだろうか?蜜葉さん、僕たちといた時とは、人が変わったように大人しくなっているし。
「う~~~~~。わ、私……演劇部、やりたい……」
絞り出すような声をやっと自分の意見を吐露する。
しかし、そんな勇気を振り絞ったであろう蜜葉さんの声を、この氷の女王は、
「え?聞こえなかったわ」
の一言で一刀両断にした。
恐い。
てゆうか恐い。股間がすくみあがるようだった。
「今の絶対聞こえたよね。この女こわー」
ノロイちゃんもびびって俺のすぐ後ろにやってくる。
しかし蜜葉さんはその黒雪姫に屈しなかった。必死に抗っていた。
「やりたい!!!私演劇部やりたい!!!」
さっきまでいやいや仕方なくという体だったけど、本心では演劇部をやってみたいという思いが強くあったようだ。この日陰の文芸部から飛び出したいという思いが鬱積していたのだろう。
言葉の端々から推測するだけだが、きっとこの芽理沙さんが蜜葉さんをここに縛りつけている気がする。
「蜜葉、そんな聞き分けのないこと言わないの。この学校で演劇部なんか出来るわけないわ。諦めなさい。あなたはアイドルにはなれなかったのよ」
聞き分けのない子を優しく諭す母親のように声をかける。あまり対等な友人関係には見えなかった。
「いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いや~だ~!みんなの注目をあつめたいんだよ~」
こっちもこっちでだだっ子のようになる。そんな彼女を心は応援したいようだ。
「そうですよ。やる前から諦めさせるなんて良くないですよ。青春に失敗はつきものですよ」
「やれやれ。まずは蜜葉じゃなくてあなたを説得しなきゃいけないかしら」
芽理沙さんはゆっくり僕と心のほうを見る。
「演劇部なんて夢、諦めなさいよ。人集めしてるいのかもしれないけど、集めたところで認可されるわけないわ」
「むっ!どうしてそんなことわかるんですか!」
まっさきに心が反論する。
「この学校の部活動はアイドル部を中心に回っているわ。アイドル部は学校にとって金の卵を産む大事な鶏ですから。
そのアイドル部の弊害になりそうな演劇部が認可されるはずないわ。よしんば認可されたとして、文化祭で体育館のステージが使えるなんて夢見ないことね。アイドル部が朝から晩まで使うことはもう一年前から決まっているのよ」
僕らのもっとも痛いところを突かれた。やはりこの人は頭が良い。どうしようもない事実に心は反論できない。
「アイドル部目指していたのだから知ってるでしょ?あなた達に華やかな舞台なんてまわってくるわけないわ。やれてどこかの小さい準備室で上演するのが精一杯よ」
例えばここね。と言わんばかりに、この狭い社会科準備室を見渡す無慈悲な女王。その顔は僕らを嘲笑っている。
「お客さんも何人入ることができるのかしらね。それにひとつ言っておくと、普通の学校だって、新規の部なんて最初は予算のでない同好会からよ。実績をつんで初めて部活動に承認されるものなの」
「むぅ……………」
僕も心もまったく反論できない。
ここで心のほうに一歩近づく黒髪の美人。その視線は鋭くまるで蛙を見つめる蛇のようだった。
「そこで改めて聞くけど、全ては徒労に終わることがわかっているのに、それでもまだ演劇部を作るつもり?」
「それは………………」
すぐに返答できない心を見て、勝利を確信したのか蛇は蜜葉さんのほうに振り返り、とびきりの笑顔になった。この笑顔だけ見たら男は誰でも恋に落ちそうだ。
「決まりね。さ、蜜葉。諦めよう!この子達が帰らないなら私達が外に出ましょう」
蜜葉さんの手を取り、準備室から出ようとする黒い女王。蜜葉さんはうつむき、引っ張られるように後から着いていく。
「まった!」
とっさに蜜葉さんの反対の手をとる心。綱引きの綱のように両方から引っ張られる蜜葉さん。
芽理沙さんはここで初めてその激しい気性をあらわにした。
「ちょっと、私の蜜葉に気安く触らないで!!離しなさい!」
その強さにノロイちゃんはひーと僕の後ろに隠れる。
しかし心はそれに負けなかった。
「そっちこそ離せ!演劇部は作る!絶対にだ!諦めたらそこで女優は引退だ!私の夢をお前みたいに賢く立ち回る奴なんかに邪魔されてたまるか!」
「だからそんな夢見ても無駄だって言うのよ。あなた一人で無駄骨折りなさい。蜜葉を巻き込まないで!彼女はここで私とずっといるのよ!」
睨みあう心と芽理沙さん。
「あなた本当に蜜葉さんの友達なの?蜜葉さんのことを少しでも考えてあげているの?」
「何ですって!!彼女を世界で一番思いやっているのは私よ!一年がふざけたこと言ってるんじゃないわよ」
「蜜葉さんはね!あなたのおもちゃじゃないんです!彼女はね、はっきり言いました。演劇部に入りたいって言ったんだ!彼女は今日から演劇部員だ!私の部員だ!そっちこそ手を離せ!」
「ふざけないで!蜜葉は誰にも渡さないわ!!」
両者互いに力一杯引っ張る。
「いたたた、腕が抜ける~!」
蜜葉さんが悲痛な叫び声をあげる。しかし両者まったく力を緩める気配はない。
「蜜葉さん!あなたどうなの!夢と友情、演劇部と文芸部どっちをとるんですか?私とその女どっちをとるんだ!」
心が叫ぶ。
「夢か友情かなんて、そんなの引っ張られながら決められるわけないだろ!ただお前と芽里沙だったら芽里沙に決まってるだろ!このあほ女~!」
それを聞いて、勝ち誇ったような顔をする芽理沙さん。それが悔しかったのか、心はつい余計なことを言ってしまう。
「何を~。あの写真ばらまいてもいいの!?」
さっきまで一応格好良い風な事言っていたのに、一気にゲスヒロインになってしまう。
「いいわけねえだろ。このアホ女!変態キス魔!」
「写真って何のこと?キスとかどうとか。ちょっと見せなさい!」
芽理沙さんが何かを察したらしい。
ああ怖い。この女にさっきの悪事が知られたらやばいぞ。蜜葉さんとこの蛇女がどういう関係かはまだよくわからないが、蜜葉さんへの一方的な愛情はひしひしと伝わってくる。
「いいわよ。見せてあげる」
心が僕の手から携帯を奪い取った。
バカ何しているんだ。絶対だめだって。
僕は慌ててそれを止めようとする。
「わ~~~~!やめろおおおおお」
僕と蜜葉さんが同時に叫ぶ。
「これだ!」
制止も空しく心は、紋所を見せる黄門様のように(正確には格さんだが)携帯の画面を見せてしまう。
そこには蜜葉さんとキスをする心がしっかりと写っていた。
瞬間凍りついたように固まる芽理沙さん。
「いや、これは無理矢理……」
蜜葉さんが慌ててフォローしようとした時、
「きゃあ!」
と蜜葉さんが心のほうに一気に引き寄せられ、その衝撃で二人とも尻餅をついてしまう。
「いててて、急に手を放すとあぶな……っておわ」
芽理沙さんがゆっくりと後方に倒れそうになっている。
「あぶない!大丈夫ですか?」
僕は彼女に飛びつき、床に頭をぶつけるぎりぎりの所でなんとか体を抱き抱えた。
「め、芽里沙!芽里沙!大丈夫か?めりさ~~~~!わ~~死ぬな~!」
蜜葉さんが慌てふためきながら芽理沙さんに近づいてくる。
「大丈夫。気絶しているだけです。死んだりしてはいないから大丈夫です」
僕は芽理沙さんの脈をとったり呼吸を確認する。
「ちょっと大丈夫?。立ちくらみ?急にどうしちゃったの」
心も心配そうに彼女の顔を覗きこむ。心はよくわかってないようだが、蜜葉さんのキス写真を見て卒倒したのはまず間違いないだろう。
俗っぽい推測だけど、この人蜜葉さんのことが好きなんだろうな。それも相当に――病的なまでに。
ただ蜜葉さんがそれに気づいてるかどうか知らないが。彼女自身は至ってノーマルというか、女子が恋愛対象ではなさそうだ。さっきのキスへの態度からもなんとなくわかる。
僕はここで今日一番の酷い作戦を思いついた。
ここまでだって最低だが、もっと酷い。それは人の気持ちを弄ぶ残酷な作戦だ。
「二人とも保健室に行って先生呼んできてくれ!急いで!」
僕は狼狽している女子二人に言った。
「わ、わかった!急いで行ってくる!」
蜜葉さんはすぐに部屋から飛び出していく。
ただ動転しているのか、右行ったり左行ったりと完全に右往左往していた。
「ああ、こっちじゃないどっちだっけ。どっちだっけ。痛い!」
しかも転んだ。
そんな彼女と違って、心は芽理沙さんを抱き抱えている僕をじっと見ている。
「心もついていってやれよ」
「こういう時は薫風が行くもんじゃないの?男と気絶している女が二人きりって、シチュエーション的にどうなのよ」
こんな時に芽理沙さんの貞操の心配しているのかよ。僕がキスするとでも思っているのだろうか。
「少しこの芽里沙先輩と二人で話がしたい。上手くまとめるから、心も行っててくれ。今、君がいると話がまとまらない」
「ふ~ん。何か考えがあるのね。じゃあ行ってくるね。蜜葉さんも気が動転していてあぶなっかしいし」
部屋を出ていこうとする前にこちらを振り返り、最後の忠告をしてきた。
「キスしちゃダメだよ」
「しないよ!」
「あと私以外のパンツは覗くなよ!」
「覗かねえよ!それにこないだのは覗いたんじゃないだろ!」
「パンツを覗き込む時、パンツもまたお前を覗いているのだ」
「どんなニーチェだよ!」
それは闇だろ。名言台無し。
「男子がばれないようにそっと胸とか見てくる時、女子はだいたいわかっているから」
「女子力高いなニーチェだな!」
「薫風の視線も私は結構わかっているよ」
「え?まじで!?って、い・い・か・ら・さっさと行け!!」
「はーい」
「やれやれ」
二人が離れたのを確認してから、芽理沙さんを起こすことにする。
「ちょっと芽里沙先輩!起きてください」
僕は少し乱暴に彼女を揺すった。軽く頬も叩いてみる。
「うっ……何しているのよ!触らないでよ!汚らわしい」
気がついた彼女は、僕に抱き抱えられていることに気づき、ばっと立ち上がった。
「大丈夫ですか?気分とか悪くないですか?」
「一体どうして……」
前後の記憶がまだあやふやなようだ。
「はっ、そうだ!蜜葉!?蜜葉は!?蜜葉はどこにいるの!?」
部屋の中をきょろきょろと見回す。
「ま、まさか……まさか私を置いてあの女の所に行ったの……私を見捨てて?」
さっきまでの禍々しい雰囲気が消え、母親に置いていかれた子供のようにふるふると震え、泣き出しそうになる芽理沙さん。
少し混乱しているようだ。この人にとって蜜葉さんは心の支えなのかもしれない。
「落ち着いてください。今蜜葉さんは心と一緒に保健室に先生を呼びに言っています。蜜葉さんがあなたを見捨てたとか、そういうことはな……うぐっ!」
突然もの凄い力で首を絞められた。あまりにも速くて防御も出来なかった。
「一体どういうこと!あの写真は何なの!説明しなさい」
鬼のような形相で僕を見る。
「もしかして蜜葉が、私よりあんなゴキブリにも劣るようなゲスなあの女を選んだってことじゃないでしょうね!もしそうなら殺してやるわ。あの女の全身を引き裂いて苦しみながら殺してやる!その後私も死ぬ」
「ぐ、苦しい……」
こんな細い体のどこにこんな力があるんだと思うほどの力で絞めつけられ、完全に息ができなかった。ふりほどこうと腕を掴むがぴくりとも動かせない。
ノロイちゃんも慌てて何とかしようとしてくれているが、彼女の精神力はノロイパワーを受けつけないのか、部屋にアイドルがいないからかまったく効いていなかった。
殺される――本気でそう思った。この人は本気だ。
「早く説明しろって言ってるのよ!!あんたも殺されたいの!?」
「あれは僕が心をけしかけて無理矢理に……心と蜜葉さんは悪くない……」
「そう。少しだけ安心したわ。殺すのはあんたとあの女だけってことだ」
目が嘘をいってない。このままだと僕も死ぬし、心まで殺される。
「やめてくれ……心を傷つけるのは……」
「その願いは却下。まずはお前を殺す」
やばい、意識が遠のいてきた。
「は、話を聞け……取り引き……しませんか?」
「取り引きだあ!?小賢しいこと口走ってんじゃないわよ!」
彼女は毛を逆立てさらに力を込めてきた。
「こちらの……条件を飲めば、み、蜜葉さんと……キス……さ、させてあげま……す」
「………!!何言っているの。この下等な蝿みたいな口で、ふざけたことぬかすじゃないわよ!!」
やった。ぎりぎり餌にくいついたぞ。
「本当だ……ごく自然に……彼女とキスできる方法がある。話を聞いて……くれ」
彼女はここで喉を絞めつける力を弛めてくれた。
「ごほっごほっ……げほっ」
彼女は喉から手を離したが、そのまま僕の顔面を両手でがっちりとホールドした。頭が万力で締めつけられているようだ。ちっとも動かせなかった。
「………………いいわ。話を聞いてあげる。でもふざけたことだったらお前の眼球に指つっこんでやるわ。二度と青空が拝めると思わないことね」
そういって親指をゆっくり僕の目のすぐ下の涙袋までスライドさせる。目は嘘をついてない。
「ごほごほっ!あなたが彼女に対して、ごほっ……どんな感情を抱いているのかは知らないが……いつっ!」
「余計なことくっちゃっべてんじゃないわよ。潰されたいのかな?ん?」
僕の発言が気にくわなかったのか、左目に親指を突っ込まれた。失明するほどじゃないだろうが、ちょっとした制裁レベルの突っ込み方ではないぞ。これは下手なことは言えない。
「……まずこちらからの条件を言う。あなたにも演劇部に入って欲しい。裏方ではなく女優としてだ」
「面白い冗談ね。とりあえず反対の目にも指入れてみる?条件とか言える立場?」
「僕は脚本家だ(今、でっちあげた)あなたと蜜葉さんのキスシーンのある台本を書く。舞台の上でのやむを得ない演出だ。それなら不自然じゃなく彼女とキスできる」
「どこが自然なのよ。そんな不自然なこと……」
「練習ではする振りだが、本番のテンションでついやっちゃった。ならまだいけるだろ。それともそれ以外で何か彼女とキスできる手段があるとでもいうのか?演劇部に入ればこれまで通り蜜葉さんとも行動できる。さらに彼女とキスできる。どうだ!」
彼女は能面のような顔でこちらを見つめる。考えているのだろうか。
「………………………………。私も女優として入部する。条件はそれだけ?」
「それだけだ」
「私と蜜葉のキスシーンの脚本を書くのね?」
「書く。このことは勿論誰にも言わない。心にも秘密にする」
「書かなかった時は、あなたとあの女に不幸が訪れると思った方がいいわよ。自分をどこまで抑えられるかわからないもの」
「わかった。ただしそれは演劇部が無事に発足すればですけど。あなたが入部してくれれば、その可能性が上がる」
最低限な保険はつけておく。了承したのか、手を頭から離してくれた。
助かった。生きた心地がしなかった。
「随分入れ込んいでるみたいだけどあの女は恋人なの?」
「恋人ではない。妹だ。世界で一番大事な人間というだけだ」
喉と左目を抑えつつ答える。
「なら彼女のために何でも出来るってわけ?その身を穢すことも出来る?」
僕を何か試そうとしているらしい。拒否権はないだろう。
「やりますよ。どんなことでもね」
「なら試させてもらおうかしら。私が入部するのにもう一つ条件があるわ」
「なんですか?」
「触りたくもない男に触ってしまって手が汚れたわ。謝罪してもらいましょうか?
この場で土下座して頂戴。あの女の無礼もそれでチャラにしてあげる。それが出来ないならこの話はなしよ」
「土下座……」
冗談ではないだろうな。
「そう出来ないってわけ?その程度の覚悟しかないわけか」
僕の一瞬の躊躇を見て、彼女が再び戦闘体勢をとろうとしたので慌てて土下座することにした。
「いえ、やります!すぐやります!」
華麗にフライング土下座をした。産まれて初めてだった。屈辱的だが死ぬよりはずっとましだ。
「額をしっかりこすりつけなさい」
そう言い、僕の頭を踏む芽里沙女王。さらに後頭部をぐりぐりと踏みつけられる。
ノロイちゃんが書けないような酷い罵倒を彼女に浴びせているが、それは何の助けにもならない。
「いいわ。顔上げなさいよ」
やっと解放されたと、顔を上げた瞬間。今度は顔を踏まれた。
「くくく。無様すぎるいい格好ね。二枚目が台無しね。ほらほら私の靴の裏でも舐めるといいわ。あーっはっはっは」
芽理沙さんは僕の顔を踏み続ける。
実に愉快に、実に凄惨に笑っている。
僕は心に謝らなければならないだろう。彼女に嘘をついてしまった。
スカートの中は覗かないと言ったばかりだったが、すまん。あれは嘘だった。
剣条芽里沙のパンツ、彼女のスカートの中身は、彼女の精神を体現したような深淵のようなどす黒い黒だった。
黒く、暗く、昏く、そして冥かった。
踏まれながら、彼女ならこういうのも少しは悪くない、と思わせるあたりが実に恐ろしい女だと思った。




