鹿野希依は闇より舞い降りる
第四幕 渡り廊下
演劇部を作ると決めた次の日から、僕と心の二人で早速勧誘を開始する。
色々調べると新規の部を申請するには、最低でも五人の入部希望者が必要らしい。
その人数を募るには校内掲示板に、生徒会から承認を得た張り紙を貼り出すのだが、生徒が発信できる掲示板は、校舎でも人通りのほとんどない小さな小さな掲示板にしか出せない。人目にたつ大きな掲示板は生徒会のみ使用可能で、そのほとんどはアイドル部の広告やコンサートや新曲予定しか載ってない有り様である。
学校全体でアイドル部を後押ししているのがよくわかる。さすが名門。どこまでも歪である。
とにかくこれでは普通に募集したところで人が集まりようがなかった。
さらに心曰く「舞台に立ちたい目立ちたがり屋なんて早々転がってないの。貼り紙なんてそんな不特定多数に声かけても効率悪いよ」とのことなので、僕らは直接「スカウト」することにした。
スカウトする為にも、心の言う自己顕示欲の塊の人間を見つけないといけないのだが、それには心当たりがあった。
心と同じようにアイドル部のオーディションを受けて、落ちた人間に声をかけるのだ。
類は友を呼ぶ作戦である。
上手くいくかと思ったがこれがそうでもなかった。
まずは心と同じオーディション会場にいたという学生を、思い出せるだけ思い出し、また誰が受験したか等、情報をかき集めて声をかけていくのだが、誰からも色好い返事はもらえなかった。勧誘から数日、お断りされた人数は両手では足りなくなっていた。
皆アイドル部に入れないなら興味がないという感じ。
当たり前と言えば当たり前で、卒業後も本物のアイドルになれる可能性があるからアイドル部を受けているのであって、目立ちたいという理由だけで、出来てもいない演劇部に入ろうだなんて思うわけもない。
そんな落選者のストックもなくなり僕らの間にも焦りが出てきていた。
何としても人数を確保したい。もう後がなかった。
そして僕らのストックの中で最後の人物に交渉を持ちかける。名を文月蜜葉という。
僕と心は放課後、校内の渡り廊下を歩いていた。
僕たちは今から件の文月蜜葉を演劇部に入りませんか?と勧誘しにいくところだ。
もちろんノロイちゃんも後ろからふわふわとついてきている。スカートと白い二ーハイソックスの隙間の絶対領域が眩しい。
そんなノロイちゃんの太ももよりも眩しい傾きかけた太陽が、校内にこれでもかと光を射し込んできている。
「名前は文月蜜葉。私達の一つ上の先輩で、文芸部所属。身長はかなり小柄」
歩きながら心が彼女の情報を教えてくれる。しかし今歩いている廊下の先には二年の教室はない。おそらく彼女が所属しているという文芸部の部室を目指しているのだろう。
「文月さんは一年の時も落選していて、今年再チャレンジしたみたい。ここまでするっていうのは、きっとすごくスクールアイドルになりたいと思っていたはず」
「アイドルにそこまで拘りがあるなら、やっぱり演劇部とかだめかな」
「昼休みに演劇部を作ろうと思っているって事を伝えて、詳細は放課後に伺いますと言った時は、悪くない感触だったけどね。ちなみに身長低いってのもあるし、すごく幼い見た目で年上には思えなかったな。なんだか合法ロリアイドルみたいな感じだよ。もちろんアイドル部目指すだけあってちょっとつり目で可愛かったよ」
「へ~。そんな娘でも落とされちゃうんだな」
この学校の入部オーディンションのレベルの高さを感じる。これまで勧誘した落選者も、地下アイドルも顔負けの可愛らしい美少女達ばかりである。
そんな他愛のない会話をしながら渡り廊下を歩いていると、階段がある横の空間から、突然バッグが飛び出してきた。壁で見えないが、誰かが放り投げたのだろう。
僕と心は訳も分からず、そのバッグを注視する。そこに一人の女子生徒が、颯爽とでもいうのか、僕たちの進行を妨げるようにわざとらしく飛び出してきた。すぐ横からちょっとジャンプしただけなのに、はるか上空からの着地のように、深々と膝を曲げての着地。長い髪が大きく揺れる。そしてスッと立ちあがるとこちらに向かって決め顔を向けてきた。
「あらあ、懐かしい顔ね」
ノロイちゃんが驚きの声をあげる。僕もまったくの同意見だ。
そこには同じ中学の同級生の鹿野希依、通称カノンが立っていた。彼女は漫画やアニメといった類が大好きで、おそらくだが今のバッグを投げての跳躍もなんかの漫画の再現だろう。僕はそっち方面には疎いので、まったくわからないが。
先日のカラオケルームで心から一緒の高校だと聞いていたが、こうして校内で顔を会わせるのは初めてだ。中学のある時期から疎遠になっていたので、こうして会話をするのは一年ぶりくらいか。いや会話をすればだが。
「くっくっくっくっく。まっまっまっ待っていたぞ二人とも」
彼女は片手を前にだし、もう片手は腰にあてるという、なんだか不思議な決めポーズで、無理矢理な笑い方で立っている。
なんていうだこういうの。ジョジョ立ち?もしくは厨二ポーズ?深夜アニメ大好きなのは相変わらずのようで、安心するような残念なような。
黙っていれば超絶の美少女なのに、この言い回しや立ち振舞いのせいで、残念美少女と陰ではさんざん言われていた。友達も心と大谷というもう一人以外にはいなかったはずだ。
一年前、鹿野にしてみれば貴重といってもいい友達である心に対して、何故か彼女の方から絶縁を叩きつけてきた。心にしてみれば心当たりはまったくなく、訳がわからなかったが、話しかけようにも無視されてしまい、それ以降もひたすら避けられて今に至る。仕方がないのでそれ以降交友はなくなっていたが、ここにきて突然の掌返しである。
とはいえ、彼女から話しかけてきてくれたこと自体は嬉しい。色々喋りたいことも聞きたいこともあるし、彼女ににこやかに近づいて行きたい気持ちもある。しかしここで僕らの方から彼女に歩み寄ってはいけない。彼女には扱い方があるのである。
鹿野が真に残念なのは、芝居かかった口調ではなく(むしろあの喋りはチャームポイントだろう)その性格にあった。――尊大すぎるのである。
彼女に対してはつけあがらせるような対応をしてはいけなかった。
「久々だよなあ。どうかしたのか?」
あくまで、嬉しい感情は抑えて、どちらかといえば投げやりな態度で、僕が話しかける。心も彼女の扱いは心得ているので、あくまで無表情にしている。
鹿野はひきつった笑い声をだした。
「ひっひっひ」
「新しい笑い方か?」
「ひっひ、ひ、久しぶりじゃのう!ちょ、ちょっとどもっただけじゃ。だまれうつけめ!」
鹿野は顔を真っ赤にして抗議する。吃音の彼女はよくどもる癖があった。
彼女があまり他人に心を開けず、友達が少ない原因の一端として、この吃音があると思うのでそこをあまり突っ込むのはかわいそうだ。
「本当ひさしぶりだよね。カノンから話しかけるってどういう心境の変化?なんだかこれまでは私たち随分避けられていたと思うけど。私たちと仲直りしたいの?」
当然の疑問をまず心がぶつけた。
「くっくっく、そ、そうではない。お、お主らにひとつ言っておこうと思ってのう。わ、我はアイドル部に見事合格したのじゃ!」
ここで再び掌をつきだし決めポーズをする。手からマイナスイオンでも出ているのだろうか。
「そっか、やっぱりか。おめでとー」
報告を聞いたとたん、心は厳しい顔を崩し、嬉しそうに旧友を祝福した。嘘のつけない性格、きっと本心だろう。しかしこれで鹿野は一気に調子に乗った。
「くっくっく。いいぞ、わ、我を褒め讃えよ!し、し、し、しかし聞くところによれば、そ、そ、そなたはアイドル部の試練に落ちたらしいのう」
心を見下すような顔をする鹿野。祝福する心に対してこれとは……相変わらず嫌味な性格のようだ。
「まあね……自慢しにきたの?」
ちょっと悔しそうな顔をする心。
「くっくっく、ぶ、無様よのう」
心が不合格なことが心底嬉しいようだ。どうやら仲直りに来たわけではないらしい。
「むっ!言いたいことはそれだけ?だったらもう行くけど」
心も演技ではない怖い顔になり踵をかえす。しかし僕らが去ろうとすると再び止めにはいる。
「ま、ま、まて違う!そうではない。そうではないのじゃ」
「じゃあ何よ?」
「だ、だ、だから演劇部の仲間を欲しているのじゃろう?」
「そうだけど良く知ってるな」
もう無視しようかと思ったが、友人もいないのによく知っているなと驚いて声が出た。
「わ、わ、我には忠実なる従僕がおるからな。金に卑しきものは操るに容易い」
「どういうこと?」
心が僕の耳元に囁くように尋ねる。僕は鹿野の言葉を翻訳してやる。
「多分大谷だよ。大谷に金払って僕らの情報聞いたってことだな」
心を除けば鹿野の中学での唯一の友達が大谷だった。彼女は根が商人というか、金にはがめつい面があったから、金さえ払えば何でも教えてあげるだろう。
昔は僕と心と鹿野、そして大谷の四人でよく遊んでいたものだ。
しかし彼女とも、ある事件がきっかけで現在は交友がない。その彼女もこの高校に入学しているらしい。そう考えると、交友の切れた元友人たちが、全員この高校に集合していることになる。口裏を合わせたわけでもないのに、不思議なものだ。
「何それ!じゃあ、なんであいつは私たちのこと知ってるの?」
心が疑問を呈しつつ大谷に憤慨した。確かに大谷に演劇部のことは喋ってはいない。いないが、何人も勧誘していれば、ある程度噂もたつだろう。
「さあな。しかし友達であっても金とるのが実に大谷らしいが」
「くっくっく。で、出所など追求しても詮なき事。そ、そ、そ、それより、このアイドル部に合格した我が、そ、そなたに協力してやってもよいのだぞ」
「はあ!?どういうこと」
心がイライラしながら鹿野を睨む。
「あ、あ、アイドル部に落ちたから、こ、今度は演劇部を作ろうなど、ああ、あ、あまりに惨めで見ていられぬ。滑稽ぞ。だ、だ、だから、わ、我が演劇部に入……」
「惨めで悪かったわね!もういい!行こう薫風!」
心はとうとうぶち切れて鹿野を置いて早足で歩きだした。その後を鹿野が必死に追いかける。
「ああ、ち、違うのじゃ!ま、待って」
「うっさい!ついてこないで」
鹿野を無視するように歩き続ける心は、ひとつの教室の前に止まった。そこには社会科準備室と札がついている。ここが文芸部の部室なのだろうか、小さい部なのかあまり良い待遇を受けているとは思えなかった。
「話を聞けと言うのに!こ、こ、このままでは誰も演劇部には入部せぬ!だ、だ、だからわ、わ、我が入ってや……」
「失礼ね!絶対部活を作って見せるわ!それに今から勧誘するこの人は絶対入部してくれる」
心はばんと扉を叩いた。相当切れてるのか声が荒々しい。
「こっこっこっこっこっこっ」
こっを連発する鹿野。それを見て鶏の物真似かしらとノロイちゃんが呑気に言う。多分違うだろう。
「こっ、これまで全部ダメだったんじゃろう!きっとこの者も……だ、だから我がは、は、入ろ……」
「この人は絶対に大丈夫!」
社会科準備室の扉を指差しながら大声で叫ぶ心。
「この人こそ、私たちが求めてる自己顕示欲の塊の人間って感じだったからね!」
「ど、どういうことじゃ?」
「アイドル部は二年生までは入部オーディションを受け付けてはいるけど、出遅れてる分、それを補うような光る物がないとまず落とされる。実質一回勝負なのはあんたも知ってるでしょ?なのに文月さんは諦めずに二年になっても挑戦してる。ここまでするっていうのは、彼女は相当脚光を浴びたがっているってこと。超目立ちたがり屋なのよ。だから彼女にしても私たちの提案は悪くないと思ってるはず。お昼にちょっと話した時も悪い反応じゃなかったしね!はっきりいって今回はチョロいわね!」
心が勢いよくまくし立てたところで、準備室の扉が勢いよく開いた。
そこには文月蜜葉が怒りにツインテールを震わせながら立っていた。
僕も心も鹿野もやらかしてしまったことを瞬時に悟った。心が叫んだ失礼極まりない暴言を聞かれてしまったのだ。あれだけ大声張り上げていれば当然だが。
心の言う通り小柄な体躯はまるで小学生のようだった。さらにその体型にぴったりあうようなアニメキャラみたいな可愛らしい声で、
「目立ちたがり屋のチョロい女で悪かったな!帰れ!二度と来るな!」
と叫ぶと、社会科準備室の扉は壊れんばかりに勢いよく閉められた。