鏑木心はスクールアイドルになりたい
第一幕 カラオケボックス
薄暗いカラオケボックスの一室に、二人の男女が向かい合って座っている。
一人は僕だ。
高校の制服に身を包み、残り少ない烏龍茶をちびちび飲んでいる。女は気合いの入ったバリバリのアイドル衣装に身を包んでいる。
と僕からはそう見えているが、監視カメラから見れば男が一人で座っているようにしか見えないだろう。
この僕にしか見えない彼女は、明るい衣装とは裏腹に、ソファに元気なく座り、下をうつむいている。薄ピンク色な爪先をいじりながら、ぽつりと呟いた。
「ねえ、薫風……飽きた。はっきりいうけど、飽きたよ……大事なことだから三回言うけどもう、もう飽き飽きだよぉぉぉ」
ノロイちゃんはソファから飛び上がり、文字通り浮き上がり、大の字ポーズでアキアキを繰り返し叫んでいる。
このノロイちゃんという幽霊は、基本的には僕の行動にあまり干渉してはこない。会話だってほとんどない。一日の中で挨拶ぐらいしかしないこともある。彼女は僕の頭の上で、することもなく暇そうにぼ~っと生きている(?)それでも自我はあるので、彼女の嫌がることをすると注意してきたり、嫌味をいったりする。例えば、十八歳未満が閲覧することは禁止されている動画や写真などを、僕が見ようとすると結構口煩くいってきたりする。それらを見ること自体はまだ我慢してくれるが、人妻物とかに手を伸ばそうとすると途端にクレームが入る。
話が逸れた。要は過干渉ではないといいたいのだ。なのでこれまで我慢してきたのだろうが、ここにきて我慢の限界ということだろう。僕も同意見だ。
「それは十分わかっているよノロイちゃん。僕も同じ気持ちだ。ただここは堪えてくれ。心にしてみれば正念場なのだ」
僕は空になったグラスを置き、さきほどから帰りたいと駄々をこねるノロイちゃんをなだめすかしている。
実は今日で一週間連続カラオケなのである。
カラオケは嫌いではないが、こうも続くとレパートリーなどはとっくに尽き、歌う事もどうでもよくなる。なんでこんな苦行を強いているかといえば、話は少し前まで遡る。
一週間ほど前、僕こと鏑木薫風とその妹である鏑木心は、第一志望だった水鳥谷学園に入学した。この高校はある分野において名門校であり、それ目的で入学してくる女性徒が多数いた。妹の心もその一人である。
その分野とは――スクールアイドル!
水鳥谷学園はこのスクールアイドルの伝統校であり名門校なのである。
この学園のスクールアイドルに選ばれれば、校内に留まらず校外でも活躍し、卒業後はメジャーアイドルへの道が約束されている。現在メジャーアイドルとして活躍するアイドルの中にも出身者は何人もいるのだ。
そんな高校のアイドル部となると、当然ながら入部者が殺到するので、入部オーディションが行われる。オーディションに合格=将来が約束されたアイドルだけに、受験者はみな必死だ。オーディション内容は自己PR、課題曲の歌唱力とダンスを見るらしい。
妹の心は、歌唱力には昔から自信があり、ここを重点的にアピールするために、課題曲が発表されてから一週間、ずっとカラオケで練習というわけである。しかも同じ曲だけをひたすらリピートである。どんなセミプロ級の歌声でも、一週間同じ曲をひたすら聞かされるとさすがにげんなりする。
ここで部屋の扉が開き、心がトイレから帰ってきた。
「たっだいま~。あれ、歌ってないの?もったいないよ」
心はポニーテールを揺らしながら元気よく部屋に入ってくる。彼女は歌唱力だけでなく、大手のスクールアイドルに挑戦しようと思えるくらいなのだから、顔立ちも秀でて整っている。普通のクラスにいれば一番の美少女になれることは間違いない。美人な母親の遺伝子に感謝しなくては。それと頑丈な喉にも。
「世の中の全員が、心みたいな丈夫な喉をもってるわけじゃないんだよ」
僕はコップにわずかに残ってる烏龍茶を飲み干しながら言った。
「私はまだ全然いけるけどね。ねえねえ、さっきそこでカノンと会ったよ」
彼女は大好きな歌をずっと歌えているからか、連日ご機嫌だ。ちなみにカノンというのは、同じ中学だった同級生だ。
「カノンって。あの鹿野か。あいつがカラオケって……一人で?」
最近ではほとんど交流がなかったが、彼女は中学で一番の美人といっても過言ではないほどの美少女だった。
「一人だった。彼女もアイドル部のオーディション受けるみたいで、課題曲の練習に来てたみたいだよ」
「あ、同じ高校なんだ。鹿野は中身はあれだが、顔は超校高級だからなあ。へんなこと言わなければ受かるだろうなあ」
合格者枠が一つ埋まってしまったかもしれないと思った。仮に全国から鹿野クラスの子がやってきたらと思うと、心が合格するのは難しいかもしれない。
「懐かしいよね。前はカノンともマロンともよく一緒にカラオケ言ったのにさ」
心が中学時代を思い出してしんみりしている。ついでに昔のちょっとしたことを思い出したようだ。
「そういえば、三人でよく遊んでいたあの頃が、一番薫風にプロポーズされてたよね」
「まあ、そうだったかな」
僕はテレビモニタの中で、無意味に流れていくカラオケランキングに目を逸らす。
思い返せば小学五年の時から、ノロイちゃんによってアイドルオタクに目覚めたぐらいの時から、僕は妹の心にプロポーズしてきた。
自分でも自分の気持ちがよくわからないのだが、きっと心のことが好きになったんだろう。アイドルを除けば他に好きになった女子もいないし、これが初恋というやつなのだろうか?
僕の胸中にある気持ちは、ドラマや小説で表現されている”好き”とは随分違う気もしたが、とにかく彼女と結婚したかった。
「これまでで何回求婚されたっけ?」
彼女は指折り数えるが、両手で足りないことは心も知っているだろう。
「九十九回」僕は即答する。
「覚えてるのが恐い!そして多!昔は毎日のようにプロポーズされてたもんなあ。妹にプロポーズするとか色々問題あるんじゃないのかな?」
心はにやりと笑っている。プロポーズ自体はまったく受け入れてもらえないが、だからといって心が僕を拒否することもなく、仲良く一緒に暮らしている。二人でよく遊びに行ったりもするし、さきほど名前のでたカノンたちとも一緒に行動していた。
「最近は全然してくれないよね?他に好きな女子でもできた?」
両頬に頬杖をつき、あざと可愛いポーズをする心。どうせOKするつもりもないのに、「してくれないよね」という言い回しにするあたり、ずるい女だなと思った。
女はみんな狡猾なのだ。策士なのだ!天然など存在しないのだ!と昔ノロイちゃんが教えてくれたが、実際その通りだと思った。そんな女性不信になりそうな事より、試験中にテストの答えでも教えてくれたら便利なのに……
「受験の邪魔しちゃ悪いかなと思って、プロポーズは控えてただけだよ」
「もう受験終わったよ?」
心はにっこりと微笑む。その微笑みがなんか恐い。なんだろう、プロポーズしろと暗に言ってるようだった。
「これからアイドルになろうって女の子に、婚約者がいるのは問題あるだろ?」
「まだなってないし、アイドルになる前に百回記念で試してみたら?私受けるかもよ?」
心はにこにこと笑っている。なんだかプロポーズしないとこの会話は終わりそうにないらしい。仕方ない。コホンと軽く咳払いして真面目な顔で心を見つめる。
「心、心から君が好きだ。愛してる。妹としてではなく一人の女性として。僕と家族になってくれ」
「もう家族じゃないかしら?あと最初がちょっとギャグっぽい。言い直しを要求します」
「じゃあ僕の子供を産んでくれ」
「それだと、いやらしい事が優先してそうでやだ!」心はジト目で僕をにらむ。
「どうすりゃいいのだ!」
「どうもならないのだ!」
そう言うと心は元気よく立ち上がる。求婚百回目もあえなく失敗に終わったようだ。
「よし!もう一曲歌おう!」
久々にプロポーズされてスッキリしたのか、心は課題曲をさらに歌おうとしだした。
「薫風~。心ちゃんを止めてくれよ~」
まだ歌うと聞いて、それまで傍観していたノロイちゃんが僕に泣きついてくる。
「まてまて心!これ以上歌っても喉を痛めてしまうかもしれない。オーディションは明日なんだから今日はゆっくり体を休めた方がいいって」
慌てて心を止める。ノロイちゃんの為でもあるが、一応本心である。
「う~ん、まあそうかなあ。物足りないけど、久々にプロポーズもされたし帰ろうか」
心は不満げにマイクをテーブルに置いた。
第二幕 自宅のリビング
帰宅後、着替えも上着を脱いだだけですぐに夕飯になった。
父はまだ仕事で、リビングのテーブルには僕、心、母の紗更さんとまだ五歳の幼い弟の翼がついている。
二十歳で子供を産んだ紗更さんはまだ三十五歳。若々しい彼女は心とならんでも姉妹のようである。
「明日はオーディションなんでしょ?頑張ってね」
紗更さんが味噌汁を飲みながら心に言う。
「うん、まかせて!絶対合格するから」
胸を叩き自信たっぷりの心。
「なんのオーディション?」
弟の翼が横から無邪気に訊ねてきた。
「アイドルになるためのオーディション。合格したらお姉ちゃんアイドルだから!ゲーノージンってやつだから」
「うそ!テレビでるの!お姉ちゃんすげー」
姉を尊敬の目でみる翼。そんな心にはりあうような紗更さん。
「ママも昔はアイドルの真似して歌ったり踊ったりしてたんだよー」
「ママも?すっげー!ママもごーかくしたの?」
「ママはなんちゃっての真似事だったけどね。でもまあ、心はわたしそっくりだし、絶対合格できるわよ」
あははは、と紗更さんが笑う。
「本当にそっくりだよね」
僕が同意すると、今度は紗更さんは僕の顔を見る。
「遺伝子ってすごいよね。薫風も父親そっくりだよ?」
「そ、そう?」
お父さんの昔を写真を見ると、今の自分はお父さんとそっくりであるとわかっていたが、改めて言われるとなんだか気恥ずかしい。紗更さんとお父さんは僕らと同じ水鳥谷学園の同級生だった。
「そうやってあんたたち二人が水鳥谷の制服を着てると、昔を思い出してなんだか感慨深いわぁ。高校時代の私たちがタイムスリップしてきたみたい」
昔を懐かしむように紗更さんが目を細める。
平和な家族団らんの空気とは裏腹に、僕は何故だか気持ちがざわつくのを感じ、意識を逸らすように天井に目をやった。頭の中で非常警報が上がっているのがわかった。そこにはノロイちゃんが興味なさそうに、寝るような姿勢で天井付近に浮かんでいた。僕は彼女のスカートのレースのひだを数えながら、一人気持ちを沈めていた。
(何だったんだ……今のは)
その後の食事はほとんど味がしないものだった。
翌日オーディションはつつがなく行われ、その数日後、心は見事オーディションに――
不合格した。
彼女はスクールアイドルにはなれなかった。
幕間 鏑木薫風の独白
スクールアイドル!
それはその名の通り学校でアイドル活動をする生徒達のことだ。
そしてアイドルの歴史を一つ大きく進めたアイドルたちだ。
僕らが通う水鳥谷学園はスクールアイドルの名門校の一つ。校内にとどまらず校外にも多くのファンを持ち、校外でもライブイベントを定期的に行っている。
ここのスクールアイドルになって人気が出れば、卒業後は大手の一流プロダクションと契約することがほぼ約束されている。
水鳥谷学園というのはそういう高校だ。
水鳥谷学園は将来トップアイドルとして活躍したいと思う美少女達が、大袈裟でなく全国から集まってくる場所だった。心はその中では合格ラインに達しなかったのだ




