若き鏑木薫風の悩み
第二十四幕 教室
人のいなくなった教室に移動し、スマホの写真で何枚かテストショットを撮る。
四人が横並びに行儀よく座り、前面を真面目な表情で見つめている。
構図はだいたい問題ないのだが、携帯のカメラだとパースがついてしまい、中央二人だけが若干大きくなって目立ってしまうのが難点だった。もっと絵のように四人を同じ大きさにしたいのだが……これはマロンが持ってきてくれるカメラなら解消されることに期待する。
芽理沙さんと蜜葉さんを画面中央にし、二人には椅子の下でこっそりと、手を恋人繋ぎしてもらう。当然だが意図を蜜葉さんに問われた。
「今回のお芝居は恋愛物にしようと思っているんですよ」
「恋愛?私と芽理沙がってこと?何?ユリものなの?」
驚く蜜葉さん。その斜め後ろで僕の真意を測りかねている顔の芽理沙さん。
「まあそういう要素もありますね。それだけじゃないですよ。今回は僕も出ます。男は僕しかいないから。恋愛ものにはどうしても男が必要なので」
これまで端役ばかりだったので、自分の演技力には自信がなかったが仕方ない。
「今回の芝居は学園青春ものですよ。恋愛、友情、十代ならではの性別のあやふやさ、とかそこらへんをひっくるめようかと」
「なんかマジで普通の演劇にチャレンジするんだな。これまでひたすらコントばかりやってきて、私自身コント部だと思っていたけど、とうとう私が主役のスポットライトを浴びる舞台が来るんだな!」
蜜葉さんは、彼女にだけ見えるスポットライトを浴びるようなポーズをする。
「主役は芽理沙さんです」
「もけーー」
わざとらしくずっこける蜜葉さん。そしてすっごい嫌そうな顔の芽理沙さん。
「えー私たちはー?オーディションもなしとか横暴だー」
横で心と大谷がブーイングをしてるが無視する。
「僕のイメージしている今回のヒロイン像には芽理沙さんがぴったりなんですよ。詳しい内容は後日ちゃんと伝えるんで。さあ今日の練習に行きましょう。マロンと心がメインなんだから、まずはそっちをちゃんとやってくれ。はい撤収撤収」
練習のためにみんなは教室を出るが、芽理沙さんにちょっと残れと言われ教室に二人だけになった。
「どういうこと?」
芽理沙さんが日本刀のような鋭さで僕を睨んでくる。
「芽理沙さんが主役ってことですか?」
道化のようにできるだけ軽く返事する。
「それもそうだけど、芝居の内容のことよ。私と蜜葉との恋愛ドラマとか……」
「さっきもいいましたけど、それだけじゃないですよ。僕と蜜葉さんと芽理沙さんの三角関係が、話の主軸ですから」
「そうだとしてもっ……蜜葉に感ずかれたら……私はどうすればいいのか……」
険しい表情から一転、不安そうな顔になる芽理沙さん。睫毛を伏せた顔は、女神のように美しい。こういう表情で迫られたら大半の男はいいなりだ。
「あなたが演劇部に入部する条件覚えてますか?」
蜜葉さんとキスをさせるというもの。彼女の唇を勝手に取引条件にしている僕たち。蜜葉さんへの人権侵害も甚だしい。
「勿論よ……」
「これまでの努力に免じて、それを実行するのをちょっと早めただけですよ」
彼女は僕を胡散臭そうな目で見る。
「そうなると私の目的は達成されて、演劇部やめるかもしれないわよ」
「そうですね。でも一回でいいんですか?文化祭で上演する劇にもキスシーンが入るかもしれませんよ」
「嫌な男ね」
芽理沙さんが吐き捨てるように言う。
「全くです。これ以上ないくらいの最低の取引条件ですからね。でもあれですよ。今回は僕も体張りますから。さっき言わなかったけど女装にもチャレンジします」
「女装って……」
「芽理沙さんには逆に男装してもらおうかな~とか考えてます。芽理沙さんの女性ファンにきっと大ウケですよ。まだ未定ですけど」
「ますます頭が痛い。どんな脚本なのよ……」
「う~ん、こう八割がた出来てはいるんですが、まだちょっと悩んでいて撮影日までには第一稿上げたいとおもっているんですが……」
「何をそんなに悩んでいるの?」
「恋愛ものなんて初めてで……僕自身は女性とつきあった経験ないですし……」
頭でっかちな脚本になっていないか心配だった。
「義理の妹と親の目盗んでイチャイチャしているんじゃないの?」
僕らって普段そう思われているのかな。
「いやいやいや、してませんよ。一切ないです」
「本当かしら?」ジト目でこちらを見る芽理沙さん。
まあパンツ見たりすることはあったが、それは心の為にも秘しておこう。
「それと恋愛経験ないっていうけど、恋人はおろか好きになった異性もいないの?義理の妹はどうなの?あっちはあなたを兄弟としては見てないようだけど」
僕としてはあまり突っ込まれたくところを質問されたと思った。
「それが実は逆なんですよ。ずっと僕の方からアプローチしているんですが、これまで色好い返事はもらえなくて」
苦笑しながら言うと、芽理沙さんは納得いかない顔をした。
「そうなの?私にはそうは見えなかったけど……どう見ても逆にしか見えなかったけれどね」
本当にそうなのだろうか?だとしたら、何で心は僕の好意を拒否するのだろうか。義理とはいえ兄弟だから遠慮しているのだろうか?
「それより、あなた本当はホモなんじゃないの?」
「ええ!?何ですか突然」
ユリ女子からの突然のバラ男子疑惑。そんな自覚はまったくなかったが。前にもそんなこと聞かれたような。
「僕、男性アイドルには興味ないですよ。女性アイドルが大好きだし」
何だか慌てて言い繕う。
「証明できる?」芽理沙さんが獲物を狙う豹のように、僕の方にゆっくり近づいてくる。
「証明っていってもどうやって……」
「ここで私にキスしてちょうだい」
僕の目の前に立った彼女はとんでもないことを、何てことのないように言った。
「え?、な、何いってるんですか」
言うが早いかまるで捕食する蛇のような速さとしなやかさで、芽理沙さんは両腕を僕の頭にまわし、軽く抱きつくような体勢になった。長い睫毛の下から彼女の潤んだ瞳が僕を見つめる。少し顔を近づけてやればすぐにキスが出来そうだったが、蛇に睨まれた蛙のように僕は動けないでいる。
「じょ、冗談でしょ?」
ひきつきながら必死に答える。
「偽彼氏の生徒会長殿から、キスをせがまれているのよ」
芽理沙さんは泣きそうなか細い声で囁くように言った。
「え?」
「これまではノラリクラリとかわしてきたけど、食堂を抑えるのにも一役かってくれたし、これ以上引き延ばすのは無理だわ……」
ごくりと生唾を飲み込む。彼女が何を言いたいのかまだよくわからない。
「これまでも男を手玉にとってきたけど、短期間だったし……私ファーストキスもまだなのよ。それを好きでもない男に捧げなくちゃいけないなんて、さすがにつらいわ……」
「そ、そうですね。で、でも僕だってそうでしょ?……」
「確かに私の一番好きなのは蜜葉よ……でも男の中ではあなたが一番好きよ。あなたがファーストキスの相手なら私嬉しいんだけど……だめ……かな?」
切なそうに少し首をかしげる芽理沙さん。そしてそっと瞳を伏せて顔を僕に向ける。
その表情と仕草と、艶やかな唇が、僕の中の理性を完全に溶かしてしまったようだ。ぎこちなくそっと顔を近づけようとした。
でもその時、彼女はぱっと目を開けた。
「ふむ、ちゃんと女が好きなのね」
彼女は唇をつきだしながら固まっている僕から、さっと体を離した。そして勝ち誇ったような顔で僕を見る。あ、悪魔だ。この女は僕をちょっとからかっただけなのだ。
僕は赤面しながら、何でもない風を装うのに必死だ。
「ホモじゃないとすると何故アイドルにしか興味ないのかしら。ふ~む、アイドルって女性とつきあえない男性の恋愛代償行為の面があると思うのよ」
「まあそれは否定できないですね」
今の無様な姿を打ち消すように、きりっとした顔で答える。それがまた余計に滑稽だとしても。
そういえば先日も鹿野と心がそんなこと言ってたな。
「自分が同性愛者であることを頭で否定してしまい、その報われない想いをアイドルに逃避したとかありえないかしら?」
「何度も言いますが男性アイドルに興味ないですよ。というか男に興味なんてないのは自分でよくわかってますよ。僕は至ってノーマルです」
何でみんな僕を同性愛者にしようというのか。心が好きだと告白までしているのに。
「ふうむ違うのか。じゃあ君は一体誰とつきあえない代償行為なのかしらね……やっぱり心さんなのかな?まあどうでもいいですけど。それじゃ主役の話はわかったわ。脚本楽しみにしてるわ」
そういうと彼女は再度僕に近づいてくるのでつい身構えてしまう。
彼女は右手を上にあげて何かの合図のように手をひらひらとさせている。よくわからず手に注目していると、彼女はその一瞬の隙をついて、僕の唇にそっと触れるような軽いキスをして部屋から出ていった。
僕は今の出来事がなかなか理解できず固まって動けない。僕はノロイちゃんの方を見た。彼女は何かを含んだような顔で静かに笑っているだけだ。
第二十五幕 居間
その日の夜、例の脚本を仕上げるため、僕は二階の自室で遅くまでパソコンと向き合っていたが、なかなか筆が進まない。
やはり恋愛する気持ちというのがいまいちわからない。昼間のキスだって彼女の意図がまるでわからない。大谷とキスした時は寝てたから実感はない。意識のある状態としては昼のがファーストキスといってもいい。
心が知ったらどう思うだろうか。怒るだろうか。鹿野と手を繋いでいただけでも怒っていたのだから。
でもなんで彼女が怒るのだろう。
よくわからず思考が同じところをあちこちさまようばかりだ。
こういったときの対処などは教科書には載っていないので、代わりに何かの参考になりはしないかと、亡くなったお父さんの日記を読み返す。困った時いつもこの日記に頼る癖があった。
日記には父親の青春時代の苦悩などが克明に書かれていた。
特に恋の悩みがつぶさに書かれている。彼の恋は成就しなかったようだ。その心の無念さまが紙面からも滲んでくるようだった。
まさか同年代になった息子に、そんな日記を見られるとは思っていなかっただろう。もし生きていたら悶絶するに違いない。
日記を読んでいると、傷心のお父さんと気持ちがシンクロし、自分まで気持ちが落ち込んできたので、気分転換にでもと、リビングに降りてきて一人麦茶を飲むことにした。僕は手に持っていた麦茶を一口飲んで、溜め息と共にテーブルに置いた。
時計を見ると時刻はすでに深夜三時をまわっている。さすがにもう寝ないと明日の朝が辛い。そんな静まり返っている居間に、両親の寝室からスリッパの足音がしてきた。
足音から義母の紗更さんだろう。彼女はトイレだったのか、用を済ませるとリビングにやってきた。
「あら、随分遅くまで起きてるのね」
紗更さんはリビングに座る僕を見ると、眠そうな目で部屋に入ってきた。
「ちょっと勉強をね……」適当な嘘をつく。
「うそうそ、どうせまた部活のやつでしょ?」
「ばれたか」
「あんたの嘘は分かりやすいのよ。特に女はそういうの鋭いからね。それで部活頑張るのもいいけど、若いからって無理すると体壊すよ」
僕を気遣い、体を労るよう忠告してくれる。彼女の忠告通りもう少し睡眠時間を取った方がいいのはわかっている。最近は授業中も半分以上意識がない。しかし今ここで手を止めるわけにもいかないのも確かだった。
「ねえねえ一つ聞いていい?」紗更さんは神妙な顔で質問してくる。
「何?」
「あんたと心ってつき合ってるの?」
唐突な質問に飲んでいた麦茶を吹き出してしまった。
「ぶほっ、な、何をいいだすんだよ。そ、そんなわけないでしょ。兄妹なんだから」
こぼれた麦茶を拭きながら、必死で弁明する。付き合ってはいないが、付き合おうと努力しているのは確かだ。これは育ててもらった恩を仇で返すことになってしまうのではないかと、常々心配していた。
「あなたと心、二人とも私たちの本当の子供。それは間違いない」あくまで真面目な口調の紗更さん。「だけど、あなたと心はまあ本当の兄弟ではないじゃん?血の繋がりはないじゃん?それに二人は仲良いし、あんたなんかもっと良いとこ行けたのに、わざわざ一緒の高校選んで、一緒の部活で毎日帰りが遅い。普通の兄弟はそんなことしないからね」
まあそれは確かに。
「これは何かあるのかなあって普通は思うわよ。あ、あれよ。別に咎めてるとかそんなことないからね。むしろ心が変な男にひっかかうちゃうよりは、薫風ならずっと安心」
きっと前々から言いたかったことなんだろう。紗更さんは諭すように僕に言ってくる。
「でもね薫風、一つだけ忠告しておくとね……」
「な、なんだい?」ごくりと唾を飲み込む。
「避妊はちゃんとしなさいよ。ゴムは紳士のたしなみだよ」
危うく再び麦茶を吹き出すところだった。何を深夜テンションで言い出すんだ。深夜だけれでも。
「だからしないってば……」
「私たちの一つあげようか?」
紗更さん的には真摯に娘を想っての台詞なのかもしれないが、十六歳の童貞にはなかなかハードな台詞だ。
人は無意識に自分の死から目を背けて生きる特性があると聞いたが、それと同じくらい両親の性事情も考えないようにしていると思う。なのにそれをまざまざと見せられても僕の心のキャパオーバーだ。
僕と心は血が繋がっていないように、紗更さんとだって血は繋がっていないのだ。それでなくても三十五歳の彼女は、二十代後半と言われても違和感はないぐらいには若々しいのだ。彼女のパジャマの下の、柔らかそうなボディラインも急に艶かしく感じてしまう。
「あーあーあー、やめて、親からそんな話聞きたくない」
そんな煩悩を振り払うように会話の流れをぶったぎる。
「あはは、赤くなっちゃってかーわーいー。さてこれ以上思春期の気持ちを弄られたくなかったらさっさと寝なさい」
「わかった、わかったよ。それじゃあ寝ます。おやすみなさい」
自分の頭の中の不埒な考えを見透かされる前に、早くこの場を去りたかったので、渡りに船、言葉通りすぐ寝ることにした。すぐに眠れればいいのだが。
「はい、おやすみ」
僕は自室に戻る途中、やっぱりまだセックスはするんだなと変な納得をした。
その時何故だかノロイちゃんを見る気になれなかった。そんな気持ちを察したのか、彼女も何も言わなかった。普通なら「熟女もんで自慰行為はすんなよ」ぐらい言いそうなもんだが。




