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猪島藻乃には友達がいない

幕間 居間


 GWからずっと練習漬けの日々だったので、活動一週目の区切りで、日曜日を日曜らしく過ごすこととなったをいいことに、昼前の遅い起床となった。

両親は弟と早くから出かける事になっていたので、安心して惰眠を貪れた。明け方まで白い原稿と睨めっこしていたからでもあると言い訳はしておく。

そんなぼさぼさ頭、かつ寝ぼけ眼でリビングに降りると、そこのソファに珍客、鹿野が座っていた。

黒のシャツワンピース。首元には黒いリボン。さらに首回りには黒レースが施されている。そんな装飾過多な服装にも、鹿野の美貌は負けていなかった。さらに全身黒の私服は鹿野の白い肌を際立たせるようで、スカートからすらりと伸びる足は輝いているようだった。

さすがはアイドル部。ただ座っているだけなのに、そこにいるだけでまるで美しい絵画が何かのようだ。

おかげで一気に覚醒した。


「あれ、鹿野じゃん何でいるの?」

「こ、こ、心がどうしても我と禁じられた遊戯に耽たいと申すのでな。仕方なくきたのじゃ」


どうやら翻訳すると、最近遊んでくれなくて寂しいと泣きついたということだな。


「最近のアイドル部はどうだ?」

「憂鬱じゃ。握手会での所作など教わっとるが……」


学校が高校生にそんなこと教えてんのか。いやアイドルがお金を生むには大事かもしれんけど。美沢先生の憂鬱もわかる。


「な、なかなか上手くいかん。あ、握手しようとしても手が出ないのじゃ」

「ダメそうなのが目に浮かぶよ」

「知り合いなら多少は我慢できるかのう。貴様ちょっと手を出してみよ」

「こうか」


僕が手を出すと鹿野がその手をそっと握ってきた。柔らかく暖かい。


「あ~、不足してたアイドル分が補充される~」


ここ最近はずっと演劇部の練習で、アイドルとの握手ができなかったから、久々に癒される。これはつまり僕はもう目の前にいる少女をアイドルだと認識しているのだ。


やっぱりアイドルとの握手はいい!歌とダンスもいいのだけど、握手は格別だ!

この優しく手を包まれている感じ、まるで――まるで――まるで?


「ひ、人をと、糖分や塩分みたいにいうな!は、離せ」

「もうちょい、もうちょっとだけ」


僕がアイドルとの無料の握手を堪能していると、リビングに心があらわれた。


「何やってるのよ!」


心は僕らを見ると、ソファにあった小さいクッションを僕に投げてきた。


「この浮気者!よくもまあ仮にもプロポーズしている女の目の前で、他の女に求愛行動とれるわね」


心は正拳突きの構え!


「ち、ちがう」


違くはないか。ちなみに心にプロポーズしていることや、実の兄弟じゃないことは鹿野は良く知っている。


「くっくっくっく、お、女としての魅力がどちらが上かこやつはよくよく理解しておるだけじゃろう」


勝ち誇ったように心を見下す鹿野。心に勝てて嬉しそうだ。


「カノン、ごーほーむ」


そんな鹿野に心が冷たくリビングの扉を指差す。


「う、う、嘘じゃ嘘じゃ。ちょ、ちょっと練習につきあってもらっておったのじゃ。わ、我は握手が本当に苦手で、それでせめて知り合いで練習を」


鹿野は慌てて態度を百八十度改める。


「最初からそう言いなさい。でもそうなんだ。確かにカノンは握手とかにこやかに出来そうにないけど」


しっかり手綱が握られた飼い犬とペット。そんなイメージが浮かんだ。友人をペットのように扱いたいはずの鹿野なのに皮肉なものだ。でもそっちのほうが幸せそうだけど。


「あの蜜葉さんと喧嘩してた武闘派アイドルはどうなんだ?」


僕はおさげのハーフみたいな顔の美少女を思い出した。


「蝶林はああ見えてこういう上部を取り繕うのは得意じゃ」

「あの猪島ってやつも得意そうだな。一瞬だったけど、クラスをすでに手中にしてる感はあったもんな」

「あ、あれは化け物じゃ。あれを一言でいうなら、アイドルの化け物かアイドルに取り憑かれておる」


アイドルに取り憑つかれているという言葉で、ついノロイちゃんをチラ見してしまうが、彼女はそしらぬ顔で僕らの会話を聞いている。しかし部員をあれ扱いとはそうとう彼女に対して思うところがあるようだ。


「薫風はなんかコツとか知らないの?あんた握手得意でしょ?」


心が嫌味をたっぷりかけた言葉を差し出してくる。まださっきの握手を怒っているようだ。


「僕が得意なわけではないが。それはおいといて、なんとか気持ちを切り替えて、目の前の人間を恋人とか友達とかって思えばいいんじゃない」


僕の適当なアドバイスに鹿野は神妙な顔で答えた。


「お、同じことを藻乃にも言われた。あやつはこうも言っておったな。アイドルは鏡だって」

「「鏡?」」

「そ、そうじゃ、えーと。何ていってたかな。つまり――」


あまり話上手ではない鹿野の説明が続くと理解するのが難しくなるので、彼女の説明を受けた僕の方で現場を再現したいと思う。


*****************************

ダンスや握手の練習の終わった更衣室。着替えようとしていた鹿野に猪島藻乃が近づいてきていた。

猪島藻乃。

今年のアイドル部一年組の中で、センターを務めることがすでに約束された少女。その美貌、声、佇まいはアイドルとして十年に一人の逸材。

だが鹿野は彼女を美しいとは思っても、好きになれそうになかった。それどころか恐ろしいとさえ思っていた。

別に蝶林のように粗野で暴力を振るうわけではない。品行方正だし、アイドル部としての責務を、熱心に果たそうとしている彼女は真面目とも言える。しかし熱心すぎるというか、アイドルにかける情熱にある種の狂気を感じさせた。

クラスにいる時にはそんな素振りはまったく見せないから、クラスメートは彼女に心酔している。しかしアイドル部の活動中には、彼女の素の顔を覗かせる。つまり猪島藻乃にとっては学校生活そのものが、勝負の場だと理解し行動しているのだ。

その揺るぎない精神力が鹿野を畏怖させていた。それは私だけじゃないはずと鹿野は思っていた。

あの傍若無人な蝶林ですら、彼女に対しては素直に従うのだ。

だから猪島が鹿野に体を近づけてきた時は、慌てて後ずさりしてしまった。しかしすぐ背後に壁があり逃げられない。

壁に気を取られた鹿野の一瞬の隙をついて、猪島が一気に距離を縮めてきた。腕を伸ばし壁ドンのような体勢をとり、鹿野を逃がさない。息が鼻にかかる距離まで顔を近づける猪島。鹿野は「ひ」と小さく悲鳴をあげる。それでも必死に平静を装い答える。


「な、な、な、なんじゃ?」


彼女は鹿野の恐怖を弄ぶように、冷たい目で小さく耳元で囁いた。


「よりよい鏡になるコツがあるのよ」

「か、鏡?」


突然何を言い出したのか理解ができなかった。


「あなた握手苦手でしょ」

「う、う、うむ。な、何でかな」


「あなた心に壁を作ってる。あれではだめよ。アイドルはね、ファンにとっての壁じゃない。鏡なのよ。アイドルは握手をする相手の欲望を写す鏡。相手が恋人を欲しているなら恋人に。友人を欲しているなら友人にならなきゃいけないのよ」


どうやら自分に握手のアドバイスをしてくれているようだと、遅蒔きながら理解した。脅す意図がないのなら、なんという距離感のなさ。


「で、でも、そそ、それができな……」


反論しようとするが、猪島は優しく人差し指を鹿野の口に当てる。口を閉じろということらしい。仕草は可愛らしいともいえるが、目から有無をいわせない圧力が出ている。恐怖で鹿野は喋れなくなった。猪島はにこりと笑いあくまで表面上は優しい口調で囁き続ける。


「大丈夫。簡単だから。コツを教えてあげようと思って。いい?まずはあなたは友達が欲しい、恋人が欲しいと心から思うの。あなた自身が思えていなければ、目の前の人間の、恋人にも友達にも心からなれないでしょう」


ここまでの彼女の持論には、まだ鹿野も納得はできなくても理解はできる。しかしここから先が彼女の心の歪みを表している。


「どうすれば心の底から、恋人が欲しい、友達が欲しいと思えるか。それはね全てを捨てればいいの。恋人を作らないのは当然として、友達も捨てる。その他あなたの心を満たす要素は全て捨てる。アイドルはねその手には何も持っていてはいけないのよ」

「え?」


「空っぽで空虚な器になればいい。そこに誰のどんな欲望でも注げるようにね。それでいて底は穴が空いてる必要がある。満たされてはいけない。常に飢えていなければいけない。飢えていなければ目の前のファンをその瞬間だけでも愛せないわ」


飢えた狼のような目をした猪島はその陶器のような白い手で、鹿野の顎を少しだけ持ち上げ頬に指を滑らせる。


「あなた見所あるわ。その美貌がありながら、恋人も友達もいないのでしょう?」

「と、友達はいるわ!ひ、一人だけど。い、いや二人かな?た、たぶん二人」


ここで鹿野はやっとのことで答えることが出来た。すぐに思い浮かべた心と友情を不安視する大谷だろうか。


「そう。まだまだね。藻乃はいないわよ」


どうどうのぼっち宣言。しかも誇らしげに。

ぼっちであることを自慢されるとは珍しいこともあるものだ。それくらいに猪島の思想は常識から外れていた。


「でも大丈夫。その友達もすぐにあなたの前からいなくなる」

「な」

「もうあなたとその友達は、道を違えたのよ。あなたが歩くのは選ばれし人間の特別な道。お友達は普通の道。交友も自然に途絶える」

「そ、そ、そんなことない」


鹿野の反論は狼の底抜けの心には少しも届かない。


「そう思っていればいいわ。いずれ藻乃の言葉が真実だってわかる。その時に美しい鏡になってね。期待してるわ」


そういうと猪島は冷たい微笑みをたたえたまま、鹿野から離れると更衣室から出ていったそうだ。




「すげえな。十六歳の台詞かそれ。どんな半生歩んできてるんだ」


鹿野の話を聞き最初に浮かんだ素直な感想だ。


「私その人の考えには全然納得できない」


心が力強く主張した。


「きっと彼女なりの善意の忠告をしてくれたんだと思うよ。でもそんなこと聞く必要ないからね!私はカノンがトップアイドルになっても友達やめるつもりはないよ!」


「こ、こころ……」


鹿野はいい御主人さ……じゃない、いい友達を持ったなと思う。


「でも鏡っていうのはいい表現だなとは思う。捨てる必要はないけど参考にはなるよ」

「そうだけど、そんな器用な真似カノンに出来るかな~?」


心は心配そうに鹿野を見る。


「真似じゃ出来ないと思う。だから鹿野は鹿野が欲する形とやり方でいいと思うよ」

「わ、わ、わ我のやりかたって?」

「友達を作るってことかな」

「友達?」

「そう、鹿野が今本当に求めることってそれだと思うけどな」

「と、友達なら心一人でじゅ、十分じゃ」


鹿野は心の肩を抱く。せめて大谷をいれてやれよと思うが。


「恋人はたくさんいたら駄目だが、お金と友達は多くて困ることはないさ。別にすぐにどうこうしろってことじゃないさ。ただ握手するときの心掛けにしたら、きっと今よりは上手くいくんじゃないかなってこと」

「うん、そうだね。私はカノンとは友達って思ってるよ。でもカノン以外の人間、例えばマロンのことも一応友達だって思うよ。友達は一人じゃない」


さっきから一応とか疑問文がついちゃう大谷もかわいそうだ。


「だからカノンも友達は私だけって思い込まないで、もっと世界を広げたらいいよ」


中学の時に、鹿野は独占欲からの嫉妬によって心を許せなくなってしまった。鹿野もそのことは深く反省しているのだろう。


「わ、わかった」


鹿野は小さく頷いた。


「うんうん、いい話だなー」


僕がしみじみ言うと


「お、男友達のいないお主にはあまり言われたくないがの」


まさかの鹿野からの突っ込みをいただき、リビングに笑い声が響いた。


「ところでさー、さっきの鏡の話に戻るけどさ薫風は何を求めているの?」


一通り笑ったところで、心が僕に質問する。


「え?」

「だからアイドルに何を求めてるの?いや、あれだけ熱心にアイドルを追っかけてたけど、何を求めてるのかなー?って」

「何って……」


何だろう。正直ノロイちゃんの呪いのせいだからな。

それとも何かあるのだろうか?

恋愛なら心がいる。友情なら鹿野がいる。それとも別の何かを求めているのだろうか。

僕は目の前のアイドル候補生達を見ながら、何も答えられずに固まってしまった。



やばい。ストックに追いついてきてしまった。

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