三人寄れば
第十二幕 秋葉原
次の日、美沢先生とデートしました。伝説のアイドルとデートできて嬉しかったです。
最初は秋葉原でアイドルのライブを見ようとしたら、先生に怒られたのでやめました。だから六本木で買い物して、カフェで馬鹿みたいに高いお茶して帰りました。
楽しかったです。おわり。
以上である。
この章はもうこれ以上でもこれ以下でもなく、僕の視点からでは細かく語るべき出来事はほとんどない。
唯一つけ足すならば、最後のカフェで、顧問を条件付きで引き受けてくれたという事だろう。その条件内容に関しては次の章の最後に記述しておく。
これから先に記述されるのは、先生とのデートのサイドストーリーであるが、僕自身はまったく知らなかった、気づいていなかったものだ。その日の夜、この件の関係者から話を聞き、足りない部分は自分の想像で補完しつつまとめ直したものである。その点を了承の上読み進めていただきたい。
先生との待ち合わせ場所である秋葉原駅の改札前に、二人の女子高生がいた。
妹の心と、大谷真崘である。休日なので今日は制服ではなく、私服姿である。心は細身の黒のスキニーパンツと青いフード付きトレーナーという、動きやすい地味な格好。
大谷はそれとは対称的な、ピンクと白で彩られたスウィートロリータファッションだった。大谷のふくよかな体型を隠すのか、それとも強調しているのかはよくわからないが、非常に空間体積を必要としている服だった。
「あんたは今日尾行するのが目的だというのをわかってるの?やたら人目をひく格好してるけど」
心が大谷の腰の所の大きなリボンをつまみながら言う。
「え~?だってぇ、今日は薫風くんとデートだもん。かわいい格好しないとぉ」
「いや、デートじゃないでしょ……」
心は不思議そうな顔をする。
「薫風くんと百メートル以内に一緒にいて、同じところを見て回って、同じ空気を吸ったら、もうそれはデートと一緒じゃなあい?」
「いや、一緒じゃないでしょ……怖いわ。何そのストーカー理論……」
心と大谷は、僕らと同じこのアキバで、同じ時刻に待ち合わせをしていた。
もちろん偶然ではなく、二人でアキバを楽しむためでもない。僕と美沢先生とのデートを尾行するためである。
ほぼ一年ぶり以上に親交を再開した二人の最初の行為が、ストーキングである……心が言うには、デートをストーキングするという大谷を止めるために、やむを得ず大谷と同行しただけでやましいことはないという。まあ、そういうことにしておこう。
それでも、仲違いをしていた友人が(わだかまりは残しつつも)再び行動を共にする姿が見られるのは、僕としては嬉しいことでもある。僕が原因で招いた亀裂だっただけに殊更そう思うのかもしれない。
先に到着し先生を一人待ち続ける僕を、二人は駅改札近くの柱の陰に隠れながら監視していた。
「こういう服って結構お高いんじゃないの?あんたってそんなお金持ちなの?」
心が羨ましそうに大谷の服を見つめる。少し着てみたいのかもしれない。
「子供の頃からのお年玉を……」
「お年玉を服につぎ込んだか」
ははあと心は納得しかけたが、大谷はそれとは違う答えた。
「違うわよぉ。注ぎ込んだ先は為替ねぇ。FXっていうやつぅ?まあそれをハイレバでちょっと儲けてぇ」
「え、何それ……マロンあんたそんなことしてるの?貯金とかすごいあったりするの?」
「別に大したことないわよぉ。趣味に色々使っちゃうから、まだベンツも買えないもん。といってもあれよ、Sクラスのベンツよぉ。Aクラスくらいなら楽勝だけどぉ」
車の知識のない心には一口にベンツといっても、値段はピンキリだということを知らないだろう。まあピンとキリの値段もしらないだろうが。
「ベンツ買う高校生なんていないよ!何それまじで?すごいじゃんマロン」
目を丸くして驚く心。SとAの値段差を知っていたら、今の二倍は驚けると僕は思う。
「たいしたことないわよぉ。安く買って高く売る、それだけよぉ。でもね……」
大谷は僕から視線をはずし、心をじっと見つめ、息がかかるほど顔を近づける。そしていつものようブリっ子声ではなく、地の低い声で脅すように喋る。
「一つだけいうとくけど、FXで儲けるゼニの道は、狼が牙をむきあう獣道なんやで。心はんにはむいてない。軽い気持ちで手えだすんは、やめときなはれ。この世は金がないやつには地獄と一緒でっせ。特に借金したらのう」
あと急に関西弁だった。どこの帝王だ。
「う……うん。わかった、やめておく」
大谷の迫力に圧されてたじろぐ心。
「よかったぁ。マロンそれだけが心配でぇ」
コロッと元に戻ると、大谷は再び柱の陰から僕を観察する作業に戻った。
「あれ、携帯だして喋り始めたぁ。何て言ってるんだろぉ」
大谷は急いでハート型のミニポーチから小型双眼鏡を取り出した。小さいがずっしりと高級そうなやつだ。
「昨日もみて驚いたけど、あんたの読唇術っていうの?唇の動きだけで何言ってるかわかるってやつ……凄いけど、そんなの何処で覚えるのよ」
双眼鏡で僕を覗きながら、僕の唇の動きを読む大谷。
「通信講座よぉ。最近の通信講座は何でもあるんだよぉ、すごいよねぇ」
今日のデートのことや、集合場所などが事前にばれていたのは、大谷の読唇術によるものだったらしい。この技術で先生の唇の動きを読んだのだ。
僕は大谷に対し背を向けていたので、僕や芽理沙さんが喋った内容はわからなかったらしいが。
しかし実に有能、実に恐ろしいストーカーだ……
「ねえねえそんなことより、薫風くんってぇ、昔からたまに独り言いうよねぇ。携帯で喋ってるフリしてるだけで、独り言を言ってるだけみた~い」
小型双眼鏡で覗いている大谷が言った。
おまわりさーん、ここに不審者がいますよー。ストーカーがいますよー。
この時ノロイちゃんとちょっとだけ小声で会話をしたところを見られていた。
というか「昔から」ってことは、大谷は昔からストーキングしていたってことだな……
「マロンも気づいていた?そうなんだよね。部屋に一人でいるときもさ、誰かと会話してる風に独り言いってる時あるのよさ。そこちょっと気持ち悪いんだよね。それで何て言ってるかわかる?」
「ん~、短すぎて何とも。アイドル……デート、のろいちゃん?ぐらいしか読み取れなかったわ」
「のろいちゃん?誰それ。また新しい女が出てくるの?」
心がしかめ面で言う。
「そんな女、マロンの過去の調査ではいなかったわよぉ。無名アイドルじゃなぁい?男友達がゼロで独り言をいう男子高校生……ちょっと可哀想な感じねぇ」
大谷が憐れんだ目で僕を見ていると、この怪しい二人に声をかけてきた人物がいた。
「あ、あ、あ、あ」
正確には声をかけようとして、向こうに気づかれたって感じだろうか。
二人が振り向くとそこに立っていたのは、鹿野希依だった。こちらは完全に偶然らしい。
彼女の私服は大谷とよく似ていた。レースを多用し、スカートはチュチュで広がっている。ただし色は正反対。彼女の服装は全身真っ黒のゴシックロリータ服だった。
音楽を聞いていたのか、つけていたイヤホンを外し、首にかけ直す。
「くっくっくっ!よ、よ、よもやこんなところで……」
鹿野が得意の高笑いをしたのを、慌てて柱の陰に引っ張る心と大谷。
「わあ、バカ。見つかる。こっちきて!」
「いったあ!」
「しー、静かにして。今、薫風をこっそり監視してるのよ」
心が鹿野を抑えながら、柱の陰から僕を指差した。
「な、な、な、なにゆえ?」
鹿野が訝しげに柱の陰から僕の方を見ると、ちょうど改札から美沢先生がやってきたところだった。
「だ、誰ぞあの女?」
「知らないの?うちの学校の美沢先生よ。元アイドル部らしいよ」
鹿野の疑問に心が答える。現役アイドル部の人間ですら美沢先生のことは知られてないらしい。
「ま、ま、真か!?せ、先生とデートとな?そ、それは禍禍しき問題ではないか?学校にバレたら、た、退学ものぞ」
「大問題だしヤバイからからこうして監視してるのよ。あ、移動した。大通りの方行くみたいね」
移動する僕達の後を、こっそりついてくる心と大谷。つられて鹿野もついてくる。
「そういえば何でカノンがついてくるのよ。あなたは別に用事があって、アキバきてるんでしょ?だったらここでお別れ。カノンはさっさとそっちに行きなよ」
心が一緒についてくる鹿野に嫌味っぽく言った。何せ昨日大喧嘩したばかりなのだ。
それでも鹿野は別れたくないのか、何とかついてこようとしていた。
「わ、我の用件は急ぎではないゆえ……わ、我もついていってやるぞ」
「いやだ、ついてこないでよ」
きっぱり断る心。
「そんな目立つ服装でウロウロされたら、尾行してるのばれちゃうじゃない。それでなくてもマロンのロリータ服が超目立つのに、二人セットになったらコスプレ集団みたいじゃない」
心の言うとおり白黒のゴスロリ服の少女たちは、メイドがゾンビのように徘徊する秋葉原でも十分目立つ。道行く人たちもこの奇妙な三人組をじろじろと見ていく。
「懐かしいわぁ。中学時代はよくこうして三人で遊んだり、喧嘩したり、いがみ合ったり、罵り合ったりしたわねぇ」
大谷が二人を見ながらしみじみと感想をもらす。
「ほとんど争ってるじゃないか」
つっこむ心。
「ところでカノンちゃんはアキバに用事ってなぁにぃ?」
大谷の質問に、罰が悪そうに目があちこち泳ぎだす鹿野。
「え、あ、い、いや、なんとなく……?」
「どうせアニメグッズとか買いに来たんでしょ?中学の頃から変わってないわね」
心は昔、鹿野がアニメを好きだったことを思い出した。大谷も鹿野の昔の事をほじくり返す。
「そういえばぁ、昔は好きなアニメキャラを我の眷属ぅ!とかよく言ってたわよねぇ」
「ぶ、ぶ、無礼な!わ、わ、我が魂のか、か、欠片を侮辱するとは許さぬぞ」
「だから、許さなくていいから早く自分の買い物に行きなさいよ」
心は昨日のことをまだ根に持っているようで、珍しくつんけんしている。
顔を真っ赤にして震える鹿野の背後に、大谷がこっそり近づき、鹿野が首にかけていたイヤホンを、こっそり自分の耳につけてみた。
急な遭遇だったので、鹿野はまだ停止ボタンを押していなかったらしいのだ。
「ひゃああああ、や、あや、やめ」
鹿野が慌てて大谷からイヤホンを取り返す。
「むう、これはぁ……あんたも大人になったのねぇ。でもあまり歩きながら聴くようなものではないわねぇ」
大谷が神妙そうな顔をする。顔を真っ赤にさせた鹿野は口をぱくぱくさせて、ついに上手く声さえ出なくなっている。
「なんだったの?」
心が横から聞く。
「ん~、若手の男性声優同士が熱い吐息をからませあっているというか……男同士の熱いメロドラマと言うか」
「アニメのドラマCDか何か?」
「まあ、そんなところねぇ。それのアダルティなやつと言うか。心ちゃんは知らなくていい世界よぉ」
「べ、べ、べつにいいだろおお!別にアニメ好きでもお!ええそうだけど?アニメ好きだけど?声優大好きですけどお?それが何かあ?いっておくけどね、最近のアニメは海外にも輸出されて、日本の輸出産業を……」
恥ずかしさのあまり鹿野は普段の口調も忘れて激しく激昂した。
昔からテンパりすぎると標準語になるので、心も大谷も特にそこにつっこんだりはしない。
「うん、いいんじゃない。いいと思うよ。最近はアニメ好きをキャラにするアイドルいっぱいいるよ」
「うんうん。それじゃあマロンたちはぁ、薫風くんを尾行するからまたねぇ」
心と大谷は取り立てて興味もなさそうに、鹿野から離れて僕たちの尾行を開始する。
「ああ、ち、ちょ、ちょっと待ちなさい!ていうか待ってよぉおお」
涙目で慌てて二人についていく鹿野。自尊心の女王は攻撃力は高くても防御力は紙装甲らしい。
ちょっと無視されたり、つらく当てられるとすぐにアップアップになってしまうようだ。
「だからなんでついてくるのよ!」
心も少し声を荒げて喋る。
「い、い、いいではないか!わ、私だけを置いてかないでよ!!」
「知らないわよ。ついてこないでよ!もう私とは友達じゃないんでしょ?中学の時そう言って去ったのはカノンのほうだよ」
心の言葉を聞いた鹿野は、大きな目に大粒の涙を溜め始めた。
「うっ……ぐっ……ひぐ」
「ちょっとぉ心ちゃんあの子泣き出してるわよぉ。もう少し優しくしてあげたらぁ」
さすがに鹿野が不憫と思ったのか、大谷は心を諭しはじめる。
「なんでよ!」
大谷は鹿野には聞こえないよう小声で心に囁く。
「きっとあの子、心ちゃんと仲直りしたいんだと思うわよぉ。こないだも演劇部に入りたいって言ってたしぃ。昨日はてっきりカノンちゃんはもう部員候補と思ってたわぁ」
「演劇部に入りたい!?本当に?そんなこと一言も言われてないんだけど……ひたすら悪口しか言われなかったんだけど」
「口下手のツンデレだからねぇ。中々素直に言えなかったんじゃないのぉ。もしくは言おうとしてたけど、心ちゃんが遮っちゃったとか」
「何それ、私が悪いの?」
「これは言うなと言われたけどぉ、高校を心ちゃんと同じところにしたくて、うちを受験したみたいよぉ。アイドル部の入部もそうよぉ。一緒に部活動したかったみたい。ただあの子は受かって、心ちゃんは落ちちゃったけどぉ」
「あんたよく知ってるわね」
「まあちょっとしたお小遣い稼ぎにねぇ」
大谷が指でお金のマークを作る。それには心も呆れるばかりである。
「私の情報を売るなよ、お前は……」
「まあまあ、それはとりあえず置いといて、ここは心ちゃんが大人になってあげなさいよぉ」
「もおしょうがないな~」
心はコホンと咳払いをし、鹿野の前に立った。大谷も少し離れたところに立っていた。
鹿野はいつのまにか子供のように大泣きしている。黒ゴスロリの美少女が天下の往来で、大泣きしているのだ。
近くには巨大な白ロリもいる。
その奇特な光景に、通行人も遠慮なく凝視していく。
「昔っから全然かわらないね。本当に子供なんだから……ほら、聞いてあげるから、言いたいことあるなら言いなさい」
「時間かかっても良いのよぉ。歩くって漢字はねぇ、少し止まるって書くのぉ。止まりながらでもぉ、ゆっくり歩くように喋りなさぁい」
「どこの金八さんだよ。でもちょっと感動するわ!」
心は大谷に突っ込みつつ、優しく鹿野に微笑む。
鹿野は嗚咽まじりに、少しずつひりだすように言葉を紡いでいく。
「ず、ず、ずっと、ずっと……ずっと淋じがっだのよぉ。わわ、わだじごごろしか友達いないし、もうずっと誰とも会話してなくてさああ。
アイドル部入ったって、キモいおどごばっかりよっでくるだけで、おんなのごとはともだぢできないじい、蝶林ざんはヤンキーだし、藻乃ざんは悪魔みたいにごわいじざああ。
アイドル部ももうやめだいよお。わだじも演劇部にいれでえぇ」
今まで澱のようにたまっていた感情が、堰を切ったように一気に溢れだし、人目も憚らず泣き出してしまう鹿野。
鹿野の正確な内面はわからないが、心からの話をまとめると、彼女は心に愛憎うずまく感情があったらしい。
幼少よりその口下手と吃り症で友達がいなかった鹿野は、彼女の孤独な気持ちを支えるためにも「自分の美貌」に絶対的な自信を持つようになった。
いや持たざるを得なかった。
自分の美を精神の拠り所にし、さらにアニメでみたキャラを演じ、別人格になることでやっと人と対等に会話することができた。
そんな孤独の中学生だった鹿野は心と友達になる。
それまで孤独だった分、対等につきあえる唯一の友達である心に深く愛情を寄せる。
鹿野にとって心は絶対的な存在であった。
しかし彼女にとってひとつ問題があったのは、心は鹿野よりもずっとモテたことだ。
男子からも女子からも、かわいい、美人だともてはやされた。
美貌だけを精神の支えとしてきた鹿野にとっては、このことは非常に屈辱だった。
美貌だけならもちろん鹿野のほうが上だが、毒舌で痛々しい美人と優しくて性格の良いかわいい子だったら、当然後者のほうが人気者だ。
そのことで鹿野は、心と仲良くしたいという気持ちと、心を屈服させたいという、非常に屈折した感情を持ち合わせていくようになる。
きっかけは本当にささいなこと、鹿野と二人で行くと約束していたアイスの店に、先に大谷と行ったという程度だった。
そんなことであっても、彼女の自尊心を大きく傷つけ、心に対し「もうお前とは友達じゃない」と感情を爆発させてしまい、絶交宣言をし、心から去っていた。
しかしそれもあくまで一時的というか感情的なもの、そこからは後悔だけの日々だったようだ。
心から離れてもなんだかんだと友達のいる大谷とは違い、鹿野は本当に一人だった。
この高校にやってきたのも、心と同じアイドル部に入部しようとしたのも、心と仲直りがしたかっただけらしい。
しかし蓋を開けてみれば、心は落選。アイドル部は部員同士のライバル意識で楽しくもない。
そんなイライラが募ってか、仲直りしたいのについ罵詈雑言がでてしまったらしい。
とまあ、泣きじゃくる鹿野の話を、心が頑張って聞き取ったところによるとそういうことらしいかった。
休日の人通りの多いアキバの歩道で、子供のように泣きながら説明をする鹿野の話をきく心。
口下手ゆえ説明にも時間がかかり、終わる頃には軽く人だかりも出来ていた。
「私以外に友達できないのは、一昨日みたいな人を見下したような、悪口ばっかり言うからでしょ」
一通り話を聞いた心は、まずはぴしゃりときつく注意した。
「だっでえ、だっでええ」
「だってじゃない!昔からずっと注意してたでしょ。それと、こういう時は何て言うの?」
心は聞き分けのない子供を教育するように、厳しくそして優しく諭す。
「うぐう……っぐ……ごめんね。ごめんなざ~い。中学の時みだいに、ひっく、わだぢと友達になってえ」
「カノンは昔から変わらないね。よしよしいい子だ」
心はぽんぽんと鹿野の頭を撫でてやる。
「もう一回友達になろう。今度はちゃんと親友になろう」
「うぐ、ひぐ、いいの?いいの?」
「勿論だよ」
心がにこりと笑うと、鹿野が心に抱きついた。
「うああああん。心~、だいずぎ~」
「よしよし」
二人を離れて見ていたギャラリーたちからも拍手が起こる。
アキバの住人達は百合には優しかった。
しかし心はさすがに恥ずかしくなり、逃げ出そうとするが、鹿野に抱きつかれて動けそうにない。仕方がなく大谷に助けを求めた。
「マロン!お願いなんとかして!」
「心ちゃん大丈夫よぉ。まかせといてぇ」
大谷は被っていた小人用かと思われる小さな山高帽をさっと取ると、その帽子を突きだしながら聴衆達におひねりを要求し始めた。
「はいは~い。水鳥谷学園演劇部によるゲリラライブ、女子高生の友情ユリ物語の上演は以上で~す。いいね!と思っていただけた方はお気持ちだけのおひねりをいただいてま~す。
あ、そこ写真は厳禁ですよ~。写真は別料金で~す。写真は一枚千円ですよぉ」
マロンが帽子をもって周囲を歩くと、半分以上の人間が蜘蛛の子散らすように去っていった。
もう半分は意外にもお金を出してくれた。
思ったよりもいい金額が集まった。
「ほらぁ、さっさといくわよぉ」
一通り徴収し終わり、鹿野も少し落ち着いてきたところで、大谷は二人をつれて裏路地に入っていく。
「見て見てぇ、わりといいお金になったわよぉ。オタクはちょろいわねぇ。財布のヒモがゆるゆるねぇ」
小さい帽子の中には小銭と千円札が何枚か入っている。
「おお、すごい。よ~しそれじゃこのお金で、みんなでぱーっと遊びにいこうか!」
心が元気よく言った。
「ぐす……やった……嬉しい心とまた遊べる……」
「ええぇ~マロンは薫風くんをストーキングした~い」
大谷はいやいやと頭を振った。
「いいからあんたも来なさい!どうせ薫風のいくとこなんて、ニャーケーべーの劇場か、地下アイドルのイベントのどっちかだよ。
とりあえず間違いは起こさないよう注意するメールは送っておこう」
心は嫌がるマロンをつれて、そのまま三人で遊びに街に消えていった。
第十三幕 自室
「とまあそんなわけなのよ」
その日の夜、美沢先生とのデートを終えて帰宅したところ、僕の部屋に心がやってきた。
彼女は僕のベッドに横たわりながら、今日の出来事のあらましを語ってくれた。
「なるほど。それで君の部屋に大谷と鹿野が何年ぶりかに泊まりに来ているわけだ」
僕は隣にある心の部屋のほうの壁を見つめながら言った。
隣からは微かに二人の話し声が聞こえる。
「それとアキバでこんなメールが届いたわけだ」
僕は携帯の画面をみる。画面には心からのメールで「浮気したら部屋にあるアイドルグッズその他もろもろ大事なものを全部捨てます」
恐ろしい脅迫である。
「それで鹿野はアイドル部はもうやめて、演劇部には入るの?」
鹿野が演劇部に参加することになれば、それは物凄いプラスになる。元アイドル部という話題性、そしてその美貌とキャラクターは、演劇部を盛り上げる強力な要素になるはず。
そう期待を込めた僕の問いに、心をはゆるゆると首を振る。
「本人はそうしたいって言ってたんだけど、私が拒否した。それはあれだよ、嫌いとかそういうことじゃなくて、それがカノンにとって一番いいことだと思ったから。
うちのアイドル部に入れるなんて幸運なことなんだから、もうちょっと続けてみなよ。それに部活は違えど、友達は友達なんだから、って説得してね。
一応聞き入れてくれてまだ続けるみたい。何せ演劇部はまだ出来てもないからね、辞めるといわれても責任もてないってのはあるんだけどさ~」
心が笑いながら言った。
きっと心は、純粋に鹿野の事を思いやってそう言ったのだろう。本当に優しい奴だな。
「そうだね。それがいいだろうね」
僕は内心の残念な気持ちは顔には出さないよう同意した。
例え演劇部には来なくても、アイドル部にスパイが出来たと思えばまあ悪くない。
本当自分でも惚れ惚れするようなゲスの思考。でもそれでもいい、使えるものは何でも使わないと、美沢先生から出された課題はクリアできない。
僕はさっそく鹿野を使うことにした。
「ちょうどいい、鹿野に少し聞いておいて欲しいんだが、アイドル部での日々の練習内容と、どういったコーチングを受けているか詳しく聞いておいてくれないか?」
「どういうこと?」
「細かい所はまだ考え中だが、来週から僕たちも練習を開始する。まずは発声練習など基本的な所から入ると思う。ネットや本を見ればやり方やコツなんかも、ある程度わかるんだが」
僕は帰りに買ってきた、いくつかの演劇入門系の書物を心に見せた。
「やっぱり直接指導された方が効率いいし、プロだから言えるちょっとしたコツなんかもあるかもしれない。だから彼女たちが受けているトレーニングの内容がわかれば非常に参考になりそうだと思ってさ」
「そうだね。わかった。詳しく聞いておくね。それと美沢先生はどうなったの?」
「条件付きで引き受けてくれた。その条件が難しいんだが……」
その時隣から壁越しに鹿野の大声が聞こえてきた。
「こころ~!そっちに侵入したがっているマロンを抑えるのももう限界!」
「今行く!」
心も大声で答える。
「じゃあ一旦戻るね。カノンには聞いておくから」
「あ、ちょっと待って。大谷を一人部屋に読んでくれないか?」
部屋を出ようとする心に言うと、彼女は浜に打ち上げられたイルカのような顔をした。
「ええ?ちょっと大丈夫。押し倒されたりするかもよ?」
「その時は助けを呼ぶから大丈夫だよ。ちょっと大谷からも話を聞きたいだけ」
内心は結構びびっていたが、僕は笑って答える。
「そ、そう?まあわかったよ。気をつけてね」
心が出ていき、代わりに大谷が入ってきた。
昼間と同じふりふりのロリータファッションだ。
「うれしいわぁ。またこうして薫風くんのお部屋に入れるなんてぇ」
そう言いながら、あちこちを視線で物色しはじめる大谷。
そのまま一つのアイテムを見つけると、吸い寄せられるようにそれに近寄っていく。
ゴミ箱である……
「ゴクリ、この中に薫風くんの青春の残滓があるのかしら~?ぐへへ……持って帰りたい……ちゅーちゅー吸いたい……」
ちょっと気が遠くなるのをグッとこらえる。
「大谷、心の部屋に戻るか?」
「いっけな~い、マロンちょっと平常心を見失っちゃってたわ~」
ぱっとブリっ子モードに切り替わる。
「ねぇねぇ、立ち話もなんだし、ちょっとベッドに座ってもいい?」
「まあ、いいけど」
僕は自分の椅子に座っていて、他に座る場所はベッドしかない。嫌な予感しかしないが、仕方がないといえば仕方がない。
「ハア、ハア、薫風くんのベッド……。くんかくんか。ああ、薫風くんの匂いがするわぁああああ」
大谷はベッドに座ったとたん、再び我を忘れてうつ伏せになり身悶え始めた。
このまま放置しておくと一人で秘め事でもし始めそうな勢いだ。
「大谷、今から家に帰るか?」
「てへ、再びちょっと自我が茫然自失しちゃってたぁ。ごめんなちゃ~い。
それでマロンと二人っきりでお話って何かしら~?ちなみにマロンは今日は生理じゃないから、いつでもOKだよぉ?それともシャワー浴びてからにするぅ?」
「うん、ちょっとそっちから一旦離れようか。話というのは今日の事とか、これからの事とか……」
溜め息が出そうになるのをグッとこらえる。
「私たちのこれからの事?嬉しいマロンの事そこまで考えていてくれたの?子供は何人欲しい?産まれてくる子供の名前とか何にしようか。うふふ、やっぱり男の子と女の子は欲しいし……」
僕は錬金術を錬成するように両手をパンと叩く。
「ああん、いっけな~い。また軽く精神が那由多の世界に飛んじゃってたわぁ。そうそう今日のことだっけ~?だいたいは心ちゃんから聞いてると思うけどぉ、さっき部屋で待ってる間ちょっと携帯見てたらちょっと面白いのがあったわよぉ」
そう言いながら携帯を取りだし、ある個人のブログを見せてくれた。
そこには昼間の心と鹿野が抱き合う写真などが数点アップされていた。文章をみると、
『最後は泣きながら抱きつき、再び友情が戻った。この展開には、つい自分の目頭も熱くなる。イイハナシダナーと感動したところで、三人目の女子からおひねりを要求された(藁)
圧力に負けてつい払ってしまった(爆)
なにやら水鳥谷学園の演劇部とのこと。アイドルで有名な水鳥谷学園の新プロジェクトか!?』
と書いてある。
「他にもツブヤイターなんかにも同じような投稿がいくつかあがってたわよぉ」
さらにツブヤイターの画面を開き、こちらも見せてくれる。
「本当だ……これ大手のニュースサイトにでも取り上げられたら面白くなりそうだな」
「でしょぉ。おひねりもらうとき、ちゃんと名乗っておいてよかったわぁ。マロンいい仕事するでしょぉ?」
「ああ、でかしたぞ大谷。万が一ってこともある。今夜中にでも演劇部のサイト、トップページだけでも作っておくか……」
「うれしいぃ。薫風くんに褒められるなんてマロンしあわせ~。ねぇねぇ頭いいこいいこしてぇ~」
大谷の要求は軽くスルーして、僕は自分の用件を切り出した。
「それより大谷、実は大谷を部屋に呼んだのは一つ頼みたいことがあるからなんだ。それは……」
「まってぇ。皆まで言わないでぇ。わかってるわぁ」
大谷は床に立て膝をつくと、僕のズボンのベルトを緩めようとしてきた。
「わかっとらんじゃないか!違うそうじゃない。すぐに性的なことに結びつけるな!」
「若い雄と若い雌が互いに欲情するのは当たり前の事よぉ」
再びズボンに手を伸ばす大谷の手を払いのける。
「いいから聞いてくれ!これは大谷にしかできないことなんだ」
「なあにぃ?何でも言ってちょうだい。マロン、薫風くんの為なら何でもするわぁ」
大谷はそう言いつつ、自分の両腕を胸の下に持ってきて、バストを持ち上げるように強調する。その大きさと迫力たるや、すでに暴力的である。大谷も自信があるんだろう。
しかしそれを台無しにするようなことを言わねばならない。
僕はできるだけ簡潔に伝えることにした。
「じゃあ言うぞ。痩せてくれ」
「ヤらせてくれ?」
「違う、痩せてくれ」
「寄せてくれ?」自分の胸を両サイドから中央に押し出す大谷。
「違う、痩せてくれ」
「れ、れ、冷却装置?」
「違う、しりとりじゃない、痩・せ・て・く・れ」
「知ってる?痩せるの痩の字の部首は、やまいだれなの。わかるぅ?つまり痩せるってことは病気ってこと。
さらにダイエットは英語で書くとdiet。die=死。
つまり痩せるってことは死に至る病ってことなのよぉ!!」
「な、なんだってーーー!!、とでも言うと思うか?むしろ太っていると、糖尿病や高血圧など、それこそ死に繋がる病に直結するんだぞ」
「ふんだ。もちろん知ってるわよぉ。でもでもダイエットなんて大嫌いよぉ。なんで薫風くんそんな酷いこと言うのぉ?食事はマロンの生きる喜びなのよぉ」
これまで僕の言うことにはなんでも、はいはいと言うこと聞いてくれた大谷だが、ダイエットに限ってはそうはいかないらしい。
大谷が食べることが好きなのは十分知っているが、ここは鬼になるしかない。
「来週から演劇部は本格的に活動を始める。まずは発声練習から始めようと思っている」
「あめんぼあかいなあいうえお~ってやつでしょぉ。それと痩せるのが関係あるの?」
「それは滑舌を良くする練習で、次のステップだ。最初は肺活量を鍛えることから始める。
腹から声が出せるように腹筋を鍛える。
つまり運動するんだ。吹奏楽部が運動系文化部と呼ばれているのをしっているか?彼らも肺活量を鍛えるため、日々トレーニングをしているし、腹筋は女子ですら割れている。
僕らもそれと同じだ。大谷が運動嫌いなのは知っているが、演劇部員として運動することに協力してくれ」
ノロイちゃんから忠告されたことだが、心、蜜葉、芽理沙の三人に比べて、大谷の演劇部へのモチベーションは高くない。
というか僕たちのような目的がない。
僕や心がいるからついてきているだけだ。そんな彼女に運動を強いたりすれば、貴重な部員候補が離脱してしまう可能性がある。とのことだった。
美沢先生から提示されたある条件をクリアできるまでは、演劇部を辞めてもらっては困る。
だから気は進まないが大谷には直接お願いする必要があった。
利に聡い大谷もそこらへんはわかっているだろう。
さらに自分は大事な人間だが、無理を言えば僕が鹿野を部員候補にするだろうということも。
ここは交渉。駆け引きをするところだと。
「運動……大嫌いだけど……わかったわ。マロン頑張る。でもでもご褒美にこれからは大谷じゃなくて、マロンって呼んで欲しいなぁ」
首をちょこんと曲げて可愛くおねだりしてくる大谷。これくらいは想定の範囲内だ。まあいいだろう。
「わかった。これからそう呼ぶよ。頼むよマロン」
「う、う、う、うれじいいいいいい」
顔を覆いながら僕のベッドでごろごろ転がる大谷、いやマロン。埃が舞うから止めて欲しい。
「ねぇねぇ、お願いもう一回言ってぇ。マロンってもう一回言ってぇ」
「また今度な」
「ああん、いけずぅ。もっとこう耳元でいじわるく囁いて欲しいのにぃ。
それでさっきの痩せる話って、運動をするから痩せていくってこと?それならマロンは消費した分は常に補充したい派だから、そこまで痩せないと思うけど……」
「もちろん食事制限もしてもらうぞ。消費した分食べるなんて論外だ」
「えええぇ。いやよぉぉ。どうして?どうしてなの?薫風くんは痩せた女が好きなの?」
嫌がるマロンに近づくと、僕はマロンの両手を掴んだ。小さく驚いているマロンに囁くように言った。
「よく聞いてくれ。マロンはダイヤモンドの原石だ。磨けば必ず光る。でもまだ誰もその価値に気づいていない。
マロンには痩せれば演劇部の中で一番の人気スターになれる実力がある。学園のヒロインになれる資質がある。
僕にその手伝いをさせて欲しいんだ。
マロンの輝きは僕だけではもったいない。学園全部に見せたいんだ」
歯が浮くような台詞だが、ノロイちゃんからはそれくらいでやれと言われている。
「本当にそんなことできるのぉ?でも別に私はアイドルになれなくてもいいんだけどぉ」
「文化祭までに痩せることができれば、君は必ず最高のアイドルになれる。知ってると思うけど、僕はアイドルが好きだ。大好きだ。アイドルじゃないと本気で人を好きになれない。
逆を言えばアイドルなら誰でもいいくらいだ!」
我ながら最低な自己紹介だと思う。
ただ僕の言葉に、大谷がある程度納得を示す顔をしてくれた。
「マロン……痩せればアイドルになれるの?」
「ああ、間違いない。僕の目に狂いはないさ」
半分嘘だが、半分は本当だ。太っている今でも愛嬌のある顔の大谷は、痩せれば十分に可愛いと思う。
そして各種スペックの高さ。それを活かせば十分スターになれる素質があると思っている。
「わかったわ。マロン痩せるわ。薫風くんの為に文化祭までに痩せてみせるわ!」
「頼んだぞマロン」
ダイエットを決心したマロンは、興奮ぎみに部屋を出ていった。
一人になるとノロイちゃんが嫌味っぽく話しかけてきた。
「また私の指示以上のことしてるけど、ダイエットまでしろなんて制限つけて、こないだの蜜葉ちゃんみたく失敗してもしらないよ~?
大体なんであの子を痩せさせるの?別に演劇部としてなら、太った子がいて問題ないし、むしろキャラがたつと思うけど」
「ダイエット企画は古今東西、昔から人気コンテンツだからな。大谷、いやマロンの痩せていく様も、演劇部の一つの話題作りにする」
「ひどい!話題作りのためだけに痩せろって言ったの?」
「美沢先生からの条件をクリアする為だよ。それに痩せるのは悪いことじゃないだろ」
「あの先生の条件もひどいと思ったけどね~。学園の人気者になれ、だっけ?暗に顧問にはならないって断られたようなもんじゃないの?」
ノロイちゃんは美沢先生への怒りを隠さず言った。ノロイちゃんは美沢先生のことをあまり好きではないのかもしれない。
昼間、デート中に美沢先生から提示された顧問を引き受ける条件。
それはノロイちゃんの言った通り、演劇部を学園の人気者にすること、だった。
演劇部がまず人気者として知名度が上がったら、その時に顧問を引き受けると約束してくれた。
彼女の持論は、まず形から入るのではなく、中身があれば形はあとからついてくる、だった。
スクールアイドルになったから人気者になるのではなく、人気者がスクールアイドルになるということ。民主主義的ともいえる。
確かに演劇部として成功を収めるためには、アイドル部から客を多数奪う必要がある。
その為には、学園の人気者というのは必要な条件ではあるのだった。
「どのみち学園の人気者にはしなくちゃいけないんだ。そこまで無茶な条件じゃないさ」
「そんなことできるの~?」
「色々考え中。まあ見てな。絶対に彼女たちを人気者にしてみせるさ」
僕は精一杯の虚勢を張るために、ノロイちゃんに不敵に笑ってみせた。




