第02話 その者、機転を利かせる【前編】
まさかの第二話で前後編。
いや、今日中に前編までは投稿したかったのでw
それではどうぞ。
走る。
走る、走る。
逃げてしまった。
大人しくしておけば良かったのかもしれない。
けど、今更悔やんだところで遅いのだ。
服なのかどうなのか、唯布を着せられただけのようにすら見える物を纏った少女が、走っていた。
息を切らしながら、ひたすらに。
捕えられれば、その末路は惨憺たるものだろう。
手首に括られた黒光りする金具、足のは行動に不便が出るからか外されているようだ。
路地裏を抜け、聞こえて来る追っ手の声に漏れそうになる悲鳴を必死に堪えて。
嫌だ、嫌だ嫌だ、と目尻から溢れる涙は走る勢いに流れ、宙を舞う。
そうしてようやく人混みに出た。
が、
「所詮餓鬼の考えだ、そんなもん読めてんだよ」
赤茶色の長髪を後ろで結った男が、待ち構えていた。
急に止まろうとしたからか、その勢いで少女は転んでしまう。
転んだ痛みに顔を歪めるも、その男は容赦なく少女の銀の髪を掴んだ。
「なぁ、嬢ちゃん。アイツらはバカだから出し抜けるかもしれねえけどよ、俺を誰だと思ってやがんだ? あ?」
引っ張り上げられる度に頭皮に走る電流に似た痛み。
思わず漏れそうになる嗚咽を、唇を噛み締め堪えれば、その男を少女は睨んだ。
「ヒュー。嫌いじゃあないぜ、その反抗的な眼。さあどうする、今なら俺専属の侍女になる事で奴らにゃ伝えるが……」
そこで止まり、腰の鞘からナイフを引き抜くと、その頬に切っ先を添え、
「逃げるんなら、ここで殺す」
どうせ奴隷なんだ、道端で死んでようが誰も眼にゃ止めねえよ、と付け足し、下卑た笑いを上げる。
唯、悔しかった。
もしここでこの男専属の侍女になったとしても、顛末は変わらない。
再び奴隷としての生活が始まるだけだ。
けど、逃げようものなら殺される。
殺される訳にはいかない。
怒りが、悔しさが、恐怖が、慄きが混合し、少女は涙を零した。
救いはない。
神様なんて言うのはいない。
自分がよく解っている。
と、
「ようやく揃ったよ」
頭上から降り掛かる声。
若い、少年の声だ。
「誰だ!?」
咄嗟に少女の髪から手を離した男は、そう叫んだ。
「名乗る程の者じゃねえけど、まぁ、強いて言うなら、通りすがりの日本人だな」
声は聞こえど、姿はなし。
どこから聞こえて来ているのか。
男はナイフを手にしたまま、視線を彷徨わせた。
見えない敵程、恐ろしいものはない。
だから男は、冷や汗を垂らしていた。
動悸は乱れ、緊張感にナイフを持つ手が震える。
「まさかさ、日本円がこっちの世界の金になってるとは思わなかったから驚いたよ」
可笑しそうに笑い、
「こっちに来る間に両替でもされたのかね?」
と何者かに尋ねるかのように、その声は響いた。
と、少女の耳に聞こえる複数の足音。
混み合う大通りの方からではない。
裏通りの方から、その複数の足音は聞こえて来ていた。
少女はそれをどうにか伝えようと、声の聞こえる方に視線を向けた。
それを汲み取ったか、声は途端に消え、不意に少女の体に浮遊感が生じた。
「それじゃあ頂いてくわ」
小脇に抱えられているのだろう、少女は浮遊感を覚えながら聞こえて来る男の叫びや足音に耳を塞いだ。
だが自分を抱えた少年は人混みへわざと紛れると、こう叫んだのだ。
「人殺しだ!!」
と。
そうして大通りの状況は一変する。
ざわめき、どよめき、四方八方から上がる悲鳴。
多くの人々が一斉に逃げ始めようとするものだから、更に人混みは混み合う。
しかしその少年は人と人の間を縫うように抜け、宿屋に転がり込んだのだ。
「宿泊の予定を取り付けたいんですが、大丈夫ですが?」
走って逃げて来た事を、まるで感じさせないような口ぶりで、その少年は宿屋の受付嬢にそう尋ねたのだった。