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5 あなたは何者?

「フィスカ様? このようなところに座り込んで何をしておられるのですか?」


 キルスティの声に、フィスカは泣きそうな顔で視線をあげた。立ち聞きしていたことに気づいていないのか、少し戸惑いの表情で笑うキルスティの顔がそこにあった。

 しらばっくれているのか、あるいは、本当に気づかなかったのか、その表情からは何一つ読み取ることはできない。

 いや、その微笑すら空々しいと感じてしまうのは、自分の思い過ごしだろうか。


「私……」


 と、言いかけ、フィスカは咄嗟に口をつぐむ。

 声に怯えがでてしまうのではないかと恐れて、それ以上、言葉を発することができなかった。


「どうなさいましたか? 青ざめた顔をなさって、どこか具合が悪いのですか?」


 震えていることを悟られまいと、膝においた手を強く握りしめる。


 誰と何を話していたの? 

 抹殺ってどういう意味?

 あなたは、何者?

 お父様とはどういう関係だったの?

 この屋敷に来た理由は?


 いくつもの疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡っていく。

 問いたださなければ、そう思って何度も口を開こうとするのだが、結局、声にすることができなかった。もし、さっきの会話を聞いてしまったことが知られたら、自分が殺されるのではないかと思ったから。


「え、ええ……薔薇園を散歩していたの。気分転換に……でも広くて迷ってしまって。おまけに、疲れて急に目眩が……」


 それで、座り込んでしまったのだと、フィスカは弱々しい声で言う。

 白々しい嘘をついていると自分でも思った。

 おかしいと思われただろうか。

 思うに決まっている。

 ちらりと上目遣いでキルスティを見上げると、相手の静かな目がこちらを見下ろしていた。

 背筋が震えた。


 どうしてこの私がこの男に怯えなければいけないの。

 私はこの屋敷の当主よ。

 この男の主人なのよ。

 なのに、身体が震えて動けない。


「お帽子をお忘れになったのですね。目眩の原因はきっとこの日射しのせいでしょう」


 片膝をついて座り込んだキルスティが手を伸ばしてくる。

 伸ばされたその手を、思わずフィスカは振り払ってしまった。キルスティが不思議そうに首を傾げる。


「何を怯えているのですか?」


「怯えてなんかいないわ……っ!」


 不意に身体をふわりと空に浮き、気づいた時にはキルスティの腕に抱えられていた。

 あまりにも唐突すぎて言葉がでなかった。


「お疲れなのでしょう。毎晩、遅くまでお仕事をなさっておられるのだから」


「突然何? おろして! どこへ連れて行くつもり!」


「どこへ? お屋敷ですよ。お部屋までお送りいたしましょう。医師に診て貰って、それから少し、お休みになられたほうがいいですね」


 そう言って、キルスティは屋敷に向かって歩き出した。


「抱えてもらわなくても、自分で歩けるわ!」


 だからおろして、と足をばたつかせ、身をよじって抵抗するがびくともしない。自分を抱える力強いその腕から逃れることができなかった。

 ひたと、濃紺の瞳がこちらを見据えられ、それ以上フィスカは何も言えなくなってしまう。

 ふと、緩やかな風に混じって、薔薇の甘い香りがする。いや、この香りはキルスティの身体から放たれているのか。

 フィスカはそっとキルスティの肩口に頭を添えた。


 ねえ、誰と話していたの。

 抹殺なんてぶっそうなことを言って。それとも私の聞き間違い?

 そうよ、聞き間違いよね。


「フィスカ様?」


 あれこれ思いを巡らせているところに突然声をかけられ、フィスカははっと視線をあげた。


「嘘をついていますね」


「え?」


「散歩は嘘ですよね」


 キルスティはにこりと微笑む。それはまるで、自分を翻弄させるような悪戯な笑み。

 突然言いあてられフィスカは言葉をつまらせる。

 おそらくひどく動揺しているのを見抜かれているに違いない。

 間近で見つめられ、逃げることもできない。

 不意打ちだ。

 もしかしたらこの男はそれを狙っていたのか。


「本当は、何かわたしに用があってここへ来たのでしょう? 違いますか?」


 確かに用があったのは事実だ。だが、その用を伝えに来てあの場面を見てしまったと知られては……。


「何でもないわ」


 すっと、わずかに目を細めるキルスティの瞳の奥に、鋭い光が揺らぐのを垣間見る。

 フィスカはこくりと喉を鳴らした。


「そうですか」


「そうよ。ほんとうに何でもないの! たいしたことないの。もうお屋敷につくわ。おろしてちょうだい」


「目眩をおこされたのでしょう?」


「もう大丈夫。平気よ」


「あんなところで座り込んでいたほどだったのにですか?」


「だから、もう治ったって言ったじゃない! だいたい、こんな真似をして無礼にもほどがあるわ!」


「お叱りなら後でゆっくりとお受けいたします」


 キルスティの態度は、まるで、聞く耳をもたないという頑固なものであった。


「おろして。いいから、おろしなさい!」


 思わず声を荒げてしまう。

 こんなところを屋敷の誰かに見られでもしたら恥ずかしくてたまらない。


「使用人の分際で、私の言うことが聞けないの!」


「大切な主人だからこそ、心配をしているのですよ。ですが、そうですね。おろして欲しければ、わたしにお願いをしたら、考えてさしあげましょう」


 キルスティの口許に薄い笑いが刻まれたのは気のせいだろうか。


「なっ! おまえ……」


 この男は主人である自分にお願いをしろというのか。

 とんでもない男だ。

 突然の豹変ぶりに、フィスカは戸惑うばかりであった。


「さあ、いかがいたしますか。フィスカ様? そこの垣根を越えたら、お屋敷についてしまいますが」


 フィスカはぎりっと唇を嚙んだ。


「おろして……」


 と、弱々しく呟く。けれど、キルスティはそんな小さな声では聞こえないとばかりに聞こえないふりをよそおう。


「おろして……お願い」


 と、泣きそうな声を落とすフィスカに、ようやくキルスティの腕が解かれすとんと地面におろされた。


「さて、わたしの元にやってきた用事とは何だったのでしょうか?」


 もはや、すっかり相手の思うつぼであった。


「夜会に……」


 フィスカはすっと視線を斜めにそらす。


「今度の夜会……おまえに一緒に来て欲しいと思って、それを伝えたかっただけ……」


 おどおどして、はっきり物を言わないキルスティに苛立ちを覚え、そんな男など嫌いだと思ったフィスカだが、今まさに自分の態度がそれであった。


「わたしに、ですか?」


「ええ。でも、もう……」


「かしこまりました。精一杯、フィスカ様のお役にたてるよう努力いたします」


 思いもよらない相手の返事に、フィスカは目を見開く。

 驚いた表情で目を丸くするフィスカに、キルスティはうなずいて微笑む。

 夜会の供をしろと言われてひどく驚くだろうと思ったら、顔色一つ変えず落ち着いた声だった。

 フィスカはぽかんとした顔をする。

 困惑するキルスティの顔を見て楽しみ、無理矢理連れていこうと思ったのに。とはいえ、すっかりそんな気も削がれてしまったが。なのに、キルスティはまるでその程度のことなど何でもないという平然とした態度だ。


「断ると思ったわ」


「お断りしたほうがよろしかったですか?」


「だって、夜会など、そんな場には絶対出たがらないと思ったから」


「それ以前、わたしごとききがそのような場にでることじたい、恐れ多いことですが」


「おまえのことが、わからなくなってしまったわ……いったい、おまえは……」


「はい?」


 問い返すキルスティに、フィスカは何でもないと首を振る。


「わたしでよろしければ。フィスカ様のお役にたてるよう、精一杯努力いたします」


「ほんとうに、一緒に来てくれるの?」


「ええ」


 フィスカは信じられないという顔で、キルスティを見上げた。

 先ほどまでキルスティに対して抱いた不可解な思いも、この時ばかりはフィスカの脳裏から消えてしまっていた。

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