雉
女は今しがた倒した鬼をトンと蹴ると上空へと舞い上がっていく。家屋の屋根の上へと着地し、形勢が不利そうな花の元へと走り出す。
桃太郎は一度善治郎を見てから、猿王の状況を確認する。まだまだ余裕がありそうだ。
桃太郎は正体不明の女の方へと走り出した。
女は桃太郎よりも一足先に花の元へとたどり着くと、どこからともなく数本の羽根を取り出す。
否、その根の部分は鋭く尖り光っている。暗器と言った方が適切だろう。
「ふっ!」
投擲。一度に投げられた羽根形の暗器たちは、寸分違わず赤黒い鬼へと向かっていく。
鬼がそれに気がつきそれらを防ぎ、腕に投擲された全ての暗器が突き刺さった。そしてーー
「ガァァッ!?」
次の瞬間、暗器が突き刺さった鬼の腕が突然力を失ったかのようにダラリと垂れ下がる。これには花も、そして桃太郎も驚いた。
「なんだよあいつ……」
当然沸き起こる疑問はひとまず飲み込む。今は闘いの時だ。
桃太郎は再び動き出した女を視界に収めながらも、片腕を使えなくなった鬼へと走り出す。
踏み込み一閃。ギリギリ半歩下がられたせいで、足を斬り落とすまでには至らないが、確かな傷をつけることに成功する。桃太郎は返す刀で今度こそ切断しようとさらに踏み込む。だが刀を振るよりも早く、鬼がバランスを崩して倒れた。
「うおっ!?」
とっさに顔を覆い、舞い上がった土煙を吸い込まないようにする。桃太郎が薄眼を開けて確認すると、先ほどと同じように女が鬼の上に乗っている。
鬼の瞳からは輝きが失われていて、絶命しているのは明らかだった。
女は倒した鬼には一瞥もくれず、再び舞い上がると残った鬼へと向かって行った。
「ももたろさん、あの人は……?」
「分からない」
突然起こったことに理解が追いついていない、といった様子で尋ねてくる花の疑問を、桃太郎は解消し得ない。驚いているのは桃太郎とて同じなのだ。
桃太郎がふと目の前に倒れた鬼の頭部を見ると、一筋に流れる真っ赤な血を見つけた。その筋を追っていくと、そのこめかみに一本の暗器が刺さっているのが分かる。
ただし投擲していたものとは少し種類が違っている。針の部分が太く、そしておそらく長い。
「なるほど……」
ただ単純に急所を突き、反撃させる間も無く倒した。腕の自由が奪われている左から襲撃すれば、とっさに防ぐこともできない。そういったところだろう。
そしてあれだけの速さでもって動いていながら、少しも急所を外していない。下手をしたら腕の自由を奪ったのもすべて計算なのかもしれない。
だとしたら、凄まじい技量である。仲間にしたい。桃太郎が瞬時にそう思うほどに。
桃太郎が猿王に加勢しに行こうと体の向きを変えると同時に、離れた場所で最後の鬼が土煙を起こして倒れた。
結界を突破して現れた三体の鬼は、あっけなく全滅させられた。
***
「あなた、怪我はない?」
桃太郎が村人と一緒になって瓦礫を片付けていると、不意に後ろから声をかけられる。振り返ると、不意打ちとはいえ鬼三体を瞬殺した女がいる。
「あ、ああ、特にないよ」
なぜそんなことを聞くのかと戸惑いながらも答えると、女は「そう」と言って安心したような声を出した。ただし、表情は変わっていない。
「なあ、あんたは一体何なんだ? この村の村民なのか?」
無論、桃太郎はこの女を知らない。三日も過ごしたこの村で過ごしているのだ。村民ではないだろうということは分かっていた。
「私は鳴女。村民ではないわ。鬼がこの村を襲っているのが見えたから来ただけよ」
「鬼と闘うのは慣れてるのか?」
桃太郎が聞くと、鳴女は考えるように目を伏せた。
「闘う、というより、殺すのに慣れているのよ」
「なるほど」
彼女の闘い方は、最小限のもの労力で敵を仕留めるものだった。それは戦闘というよりも暗殺に近いのだろう。
桃太郎が一人納得していると、鳴女は話は終わりとばかりに回れ右をし、
「怪我がなかったなら良かったわ。それじゃ」
「あ、ちょっと待ってくれ。あんたこれからどうするんだ?」
この場から立ち去ろうとする鳴女の背中に向かい声をかけると、彼女は半身だけ振り返った。
「どうする、とは?」
「えっと、この村救ったのあんただし、しばらく泊まっていくのかってこと」
「そのつもりはないわ。怪我人の手当をしたらすぐ村を出るわよ」
「どこかに行くのか?」
「……鬼ヶ島よ」
桃太郎の質問に眉をひそめつつも彼女は答えた。そして口のはしを歪める桃太郎を見ると、少し頬を染めながらまくしたてる。
「笑いたいなら笑いなさい。別にまったく、毛ほども気にしないわ。各地を周って鬼を狩るよりも、今のこの時期に鬼ヶ島に行けば何十倍も効率良く仕留められるってだけだもの。私なら全滅とまではいかなくてもかなり多くの鬼を殺せるし、身の危険を感じたら逃げられる。だからおかしいことなんて何一つとしてないわ。それから、それから……」
「あーいや、別にそういうつもりじゃなくて……」
慌てて桃太郎が止める。鳴女の表情はやはり変化がなかったが、頬が少しばかり赤かった。
そんな彼女の目を見て、桃太郎は言う。
「俺たちの仲間にならないか?」
***
瓦礫も片付き、怪我人も手当てし終わった頃。
「雉憑きの鳴女よ。よろしく」
鳴女の素早さの秘密は、雉が憑いたことによるものだった。だから羽根形の暗器を使うそうだ。
そんな彼女を花と猿王に紹介すると、二人は共に微妙な表情をした。
「ももたろさん、また女の人増やすんですか……?」
「なんだよそのいかがわしい響きは。仲間だよ仲間。戦力。決してそういうんじゃない」
「どうだかのう……」
「猿王まで!?」
悲痛な叫び声を上げる桃太郎だが、花と猿王のリアクションがまるまる間違っているとは言い難い。
鳴女は美人だ。肌は白く透き通っている。落ち着いた雰囲気も相まって非常に可憐だった。
だからと言って桃太郎に戦力増強以上の目的がないのも事実。花と猿王の懸念は的外れだ。
桃太郎がなおも食ってかかる二人を諌めていると、鳴女が修羅場などお構いなしに言う。
「ところで、船はどうするつもり?」
「え、船?」
「鬼ヶ島は海の向こうよ。泳いで渡るなんてわけにもいかないでしょう」
「海の向こう、なのか?」
言って桃太郎は目をぱちくりとさせる。
「は? 当然でしょう? 鬼ヶ『島』なのよ」
確かに当然である。島とついているからにはどう考えても島であるはずだ。周りを海に囲まれているのは容易に想像できる。というより想像しなくても分かる。
だがそうだとすると疑問が一つ思い浮かぶ。
「じゃあ鬼はどうやって海を渡ってこっちまで来るんだ?」
鬼ヶ島に鬼の食糧たる人間はいない。だからこそ鬼たちは人間の住む方へとやって来るのだが、移動手段はどうなっているのだろうか。
陸続きなら問題はないだろうが、間に隔たるのは海だ。さすがに鬼といえどもーー
「泳いで渡ってくるに決まってるじゃない」
「…………」
さすがは鬼。なんでもありだった。
「まあ、当然じゃな」
猿王が頷いているが、その横で花はたった今知ったという顔をしていた。それが桃太郎の救いであったのは言うまでもあるまい。
「それじゃ、ここの村人たちに言って船を貸してもらおう。出発は二日後くらいで……」
「この中に船を漕げる人はいるの?」
「あ、それなら多分花が……」
「私ですか!? ムリですよ! ちょっと漁の手伝いしたくらいで漕げるようになんてなりませんって!」
首をブンブン振って不可能宣言をされた桃太郎。それならと再び口を開く。
「じゃあ、誰か鬼ヶ島まで漕いでくれる人を探すとか」
「鬼が闊歩するようなとこに近づきたがる者などいるわけなかろうが」
今度は猿王に否定されうなだれる桃太郎。
「それ以前に、鬼ヶ島はどこにあるんだ? ここから近いのか?」
一番重要なことを聞いていなかったと、桃太郎は鳴女を見る。すると仕方ないという風にため息をつかれた。
「かなり近いわよ。西に何キロか行った場所から船に乗れば、半日くらいで着くわ」
「へえ。鳴女って詳しいんだな」
「こ、これくらいは鬼ヶ島に行くなら持っていて当然の知識よ」
「というか桃太郎……、お主こっちが鬼ヶ島だと確信せずに来ていたのか……」
猿王にまで呆れられて、桃太郎は「ぐぬぬ……」と息を漏らす。
だが知識の問題は仕方がない。鬼ヶ島の詳しい位置を知っているものなど非常に稀有であるし、何より与助の父親である村長は「なんかずっと西に行ってればそのうち着く」としか言っていなかったのだ。
そして同じく知らなかったのだろう。花がポカンと口を開けているのが、桃太郎の救いだったのは言うまでもない。
しかし船の問題は鬼ヶ島に行く手前無視することはできない。
最悪の場合、ここの村の人々に漕ぎ方を教えてもらうしかないだろうが、それも一朝一夕できるものではない。
鬼が鬼ヶ島に集まる期間は二週間ほど。そして実のところ、その期間はほとんど始まっているのだ。
期間が終わるまでに最低限以上の技術を身につけ鬼ヶ島に乗り込む。字面で見れば簡単なことこの上ないが、なかなかに厳しいのは言うまでもない。
そもそも行って帰ってくるか分からない者に船を貸してくれるかも分からないのである。下手をしたら自分たちで作らねばならないし、その場合今年の冬は見逃さざるを得ないのだ。
桃太郎たちがどうするかと思案に暮れていた時だ。
「今、大丈夫か?」
小屋の外から声が聞こえてきて四人ははっと顔を上げる。桃太郎が扉を開けるとそこにいたのは善治郎だ。
「今回のことで礼が言いたいと村長が呼んでいる。来てくれ」
善治郎はそう言うと歩き出す。
桃太郎は一度小屋の中を振り返り、すでに三人が動き出しているのを確認すると、善治郎の後を追いかけ始めた。
***
「今回は、ありがとうございます。被害が小さくて済みました」
そう言って頭を下げる村長。
それを見ながら桃太郎は尋ねる。
「被害は、具体的にどれくらい?」
「家が十数軒と怪我人が二十名ほど。死者は十には届かないでしょう」
「そう、ですか」
それでも何人かは死んだ。鬼に喰われたのだ。
ーーあの日の、蛍や与助のように。
桃太郎は知らず拳を握りしめる。
何もできなかったわけではない。だが、どうしようもない類の無力感が桃太郎を支配しそうになり……。
不意に肩を叩かれた。鳴女だ。
彼女は顔を桃太郎の耳へと近づけると、
「こんなことをなくすために鬼ヶ島に行くんでしょう?」
囁いた。
確かにそうだ。桃太郎が鬼を滅ぼすと誓ったのは復讐のためだが、もし鬼が滅びればこんなこともなくなる。
ならばなんとしてでも鬼ヶ島に行かねばならない。
桃太郎は胸を張り、村長へと向き直った。
「村長。聞いてるとは思いますが、俺たちは鬼ヶ島に行こうと思ってます。なので、そのための船を出していただきたい」
すると村長は眉をひそめた。
「鬼の被害を最小限に止め、そして退治してくれた事に対するお礼をするのはやぶさかではありません。しかし、鬼ヶ島に近づきたがる者はこの村にいないでしょう。今日のことがあればなおさらです」
「ぐっ……」
まったくの正論に桃太郎は押し黙る。その後ろでは猿王が「やっぱりのう……」とつぶやいていた。だが、
「村長」
不意に横から声がかけられる。今まで状況を傍観していた善治郎だ。
「俺が、船を漕ぎましょう」
その言葉にこの場にいた全員の視線が善治郎へと集まった。視線はすべてこう言っている。「なぜ」と。
「別に、ただ送り届け、何日かしたら迎えに行くだけでしょう。それだけなら、鬼に襲われる心配もありますまい。それに」
そこで善治郎は腰の刀に手をかけカチャっと音を鳴らした。
「いざとなれば、俺なら逃げきれます」
詭弁である。
桃太郎はついさっき知ったことだが、鬼は泳いで鬼ヶ島へと向かう。送り届けるだけといっても、危険がないわけではないのだ。
加えて、もし戦闘になった場合、それは海上戦となる。鬼もそうだが、善治郎とて普段の実力が出せないのは当然のことだった。
そしてそのことに、この村で生まれ育ち、海を渡る鬼を見たことがあるであろう善治郎に思い当たらないはずがない。
だが善治郎は真っ向から村長の視線を受けた。
しばらくの後、諦めたように村長は目をそらした。
「分かった。お前の好きにすればいい」
「ありがとうございます」
こうして桃太郎たちは鬼ヶ島へと渡る手段を手に入れた。
***
二日後。
桃太郎たちは小型の船に数日分の食料と水を運び入れていた。いよいよ今日、鬼ヶ島へと向かうのだ。
「よし、これで最後っと」
樽を運び入れた桃太郎は一息つくと周りを見渡す。
花が猿王と喧嘩をしていて、それを鳴女が仲裁していた。これから死にに行くかもしれないというのに、呑気なものである。
「まあ、むしろその方がいいんだろうけど」
桃太郎はそう呟く。彼自身、大して気負ってはいない。
これから行く鬼ヶ島にはすべての鬼が集まっている。その中には無論蛍と与助の仇もいるだろう。それだけは、何としても殺さなければならない。
「準備はいいか?」
不意に船の中から声がして、桃太郎は振り返った。善治郎だ。
「大丈夫です」
言いながら桃太郎も乗り込む。
するとその時。
「今、出発ですか」
村長がやって来た。
「はい」
「すみませんね。村の復旧で忙しくて、見送りがこんなに寂しくて」
「いえ、大丈夫です。ちゃんと帰ってくるんで、出迎えてさえもらえば」
桃太郎はそんな軽口を言ったが、村長は笑わなかった。
「ご無事で」
代わりに真剣な口調で言われてしまう。桃太郎は少し困りながらも「はい」と返した。
船が動き出す。
ゆっくりと、そしてだんだんと速度を上げていく。しだいに陸が遠くなっていく。
桃太郎が見つめるのは進行方向。鬼ヶ島のある方角だ。
今日から、善次郎が迎えに来る五日後まで、桃太郎たちは鬼ヶ島にいることになる。
そこは鬼の楽園。そして、人にとっての地獄だ。
後には引けない。だが桃太郎に恐れはない。
彼は目的を確認するかのように一言だけ呟いた。
「鬼を全て、滅ぼす」