犬
鬼除けの結界が完成し、その内部での生活が可能となってから、村と村との行き来は極端に少なくなった。
それも当然だ。鬼に襲われる危険を顧みない者など限られている。
だから雑草を抜いて作られた道路は、必要のないものになってしまった。通る者がいなくなれば、そこには再び雑草などの植物が生えてくる。
それは自然の雄大さを感じさせた。
桃太郎はそんな元道路だった雑草を踏み分け踏み分け進んでいく。
確かに村間の行き来は激減したがゼロではないし、自然が雄大だからと言って植物の成長スピードには限界がある。ここが道だったんだろうなぁ、と分かるくらいには他と差があった。
雑草は通行者の歩行の邪魔になるが、桃太郎の五年による鍛錬で鍛え抜かれた足腰は、それをものともしない。疲れなど感じさせない様子で進んで行く。
太陽は、村を出た時と比べてかなり昇っている。心なしか暖かくもなってきていた。
「もうすぐ昼時、かな……」
ポツリとつぶやくも、それに答えてくれる者はいない。今、彼は一人なのだ。
村を出てから八時間以上過ぎているはずだが、今だに鬼と遭遇するこなとはない。
村長が言っていたことだが、結界を出たらすぐ鬼だらけ、ということではないらしい。むしろ奴等の生息数はかなり少なく、村から村の移動でも遭遇しないことの方が多いと聞いた。
だからと言って、結界の外が危険なのに変わりはない。遭遇しにくいと言っても、それは決して看過できるようなレベルではないのだ。
「けどまあ、遭遇しにくいってのは救いだよね」
桃太郎は自信過剰なわけではない。きちんと自分の実力は認識している。一回きりの闘いならともかく、鬼と連戦して勝てる自信はさすがになかった。
草を掻き分けかき分け進んでいた桃太郎だが、一本の木を見つけ不意に足を止めた。
「そろそろ休憩するかな……」
なにせ歩きっぱなしだ。疲労を最小限にとどめるためにも、こまめに休憩しておいた方がいい。
つぶやくと彼は木陰へと足を向ける。
そしてその木の陰に何か白いものが出ているのを見つけた。
「……?」
警戒心が沸き起こる。さすがに鬼ではないだろうが得体の知れないものだ。腰を落とし、刀に手をかけゆっくりと回り込む。
そして見えてきたものに桃太郎は少なからず驚いた。
「……人?」
そう、そこには小柄な少女が倒れていたのだ。
先ほど見えた白いものはこの子の髪だったらしい。長く綺麗なそれは、よく見ると白というより銀色だった。白地に空色の刺繍がほどかされた着物を着ているが、所々に泥が跳ねた箇所がある。
そしてなにより最も目を引いたのは、頭頂部から生えている一対の犬の耳。呼吸に合わせて上下している。
木陰にある幻想的な光景。桃太郎はしばし警戒することを忘れてしまう。
もぞもぞと少女が身じろぎし、そして透き通るような声音でこう言った。
「おなか……空いたわん……」
台無しだった。
***
「やー、助かりましたっ!」
分けてやったきびだんごを食べながら少女が言う。
桃太郎の昼食が半分ほどなくなったことになるのだが、まあかなり嬉しそうに食べているので文句は言うまい。
年の頃はおそらく桃太郎よりも一つが二つ下だろう。その笑顔には邪気がなく可憐だ。
「で、お前はなんなの? どうしてあんなところに倒れてた? というかその犬の耳は?」
「あー、はい。私犬憑きなんです」
「犬憑き?」
首を傾げると、少女は団子を口に運ぶのを止めた。
「私のひいお爺ちゃんが子供の時に犬に悪さをしたせいで、その犬に呪われたんです。だから私の家族はみんなこんな感じです」
言ってヒョコヒョコと犬耳を動かす。
「なるほどね。で、なんでお前はこんなとこにいるの? その家族は?」
すると彼女は目を泳がせ、そしてうつむいた。
「……死にました」
「……そうか、悪いこと聞いちゃったな」
大切な人を亡くしてしまう悲しみを、桃太郎は痛いほどに分かっているのだ。自然と謝罪の言葉が口から漏れた。
「いえ、鬼に襲われるなんてのはよくあることですし。私はそれから逃げてきたんです。そしたらおなかが空いて行き倒れちゃって」
「鬼……?」
彼は何よりもその一言に反応した。
鬼を滅ぼす。それが桃太郎が村を出た理由であり目的だからだ。
桃太郎は少女へと向き直りそして聞いた。
「それはいつのことだ?」
「え? ついさっきですけど」
「行き倒れたのじゃなくて! 鬼のことだ! いつ襲われた? そこまでどのくらいだ? その鬼がどこに行ったのかは分かるか?」
「ちょちょちょ……そんなにたくさん聞かれても困りますわん!」
詰め寄るような勢いで質問攻めにする桃太郎に少女は困惑する。
だが桃太郎はそんな様子にも、もっと言えば少女が犬らしく「わん」と言ったのにも気がつくことはない。
「どうなの?」
そう問う瞳は真剣そのものだ。
少女は間を置くようにきびだんごを一つ口に入れ咀嚼し飲み込む。
「……襲われたのは今朝です。私の家族は憑きもののことで村を追い出されてますから山の奥の方、と言っても大した山じゃないですけど。とにかくそこに住んでました。だから鬼除けの結界はなかったんです。幸い犬と同じように鼻が利くんで鬼が近づいてきたのが分かったら逃げてたんですけど。今回はみんな寝てて」
少女は息継ぎをするように一旦言葉を切る。
話す様子は少し辛そうだ。
「目の前でみんな殺されました。私たち家族は、普通の人より結構身体能力が高いので、ちゃんと闘えば倒せたかもしれないんですけど。やっぱり不意をつかれましたから。そこから私だけなんとか逃げ出して、ここまで来ました。そこまでそんなに離れてはないと思いますけど、鬼がどこに行ったのかは分かりません」
「そうか。ごめん、辛い話させて」
「いえ……」
いつしか少女は目に涙をためている。彼女は何かを飲み下すようにもうひとつきびだんごを口にした。
自分の目的のためとはいえ、大切な人を失った時の話をさせたのは失策だったかもしれない。桃太郎は反省の念を抱いた。
何にせよ、彼はその鬼を殺しに行くつもりだ。それが目的ということもあるだろう。だが、この少女を悲しませた存在を放っておくことができない。そんな気持ちもあったかもしれない。
「辛い話をさせちゃったお詫び、というわけじゃないけど」
「……?」
少女が不思議そうに見つめる。それに桃太郎は少し表情を崩し、
「俺が君の家族の仇を打つよ」
***
花。それが少女の名前だった。
桃太郎が花の暮らしていた場所への案内を頼むと彼女は渋々ながら承諾してくれた。
「私たちが襲われたとこに行っても鬼がいるとは限りませんよ? 結構時間過ぎてますし」
山を登る道すがら、花が振り返えり、そのまま後ろ向きに登りながら言う。
「鼻が利く、だろ? いなかったらそれで探してもらうよ」
「えー、まあ分かりましたけど」
またもや渋々と言った風に言う。
確かに辛い記憶だろう。それに関連することに関わり続けるのはなるべく避けたいと考えてしまうのは当然だった。
だが桃太郎にも他に手段がないこととて事実。
「それにしても鬼退治のために村を出るなんて、初めて聞きましたよ私」
「だろうね」
「どうしてそんなことしようと思ったんですか?」
「……花と同じように、大切な人を鬼に殺されたからだよ」
そう言った桃太郎の目は一瞬怪しく光るも、花はそれに気がつかない。慌てて「すっすいません!」と頭を下げた。
「いいよ。俺も同じように聞いちゃったし」
そう言って頭上に迫っていた木の枝を避ける。
木が多くなってきた。太陽の位置は枝に邪魔されて見えないが、花と会った時間からはだいぶ過ぎているだろう。
「ところで、あとどのくらい?」
まだまだ時間がかかるというのなら日を改めるべきだ。暗くなってからの鬼との遭遇はちょっと避けたい。
「もう少しですよー」
「具体的には?」
「んー、二十分かかりません。十五分か……ももたろさんがついて来られるなら十分かかりません」
花はそこで少し挑戦的に桃太郎を見る。
私にすらついて来られないようじゃ鬼を倒すのは夢のまた夢ですよ。そんな意味を含んでいたが、犬憑きの彼女にとって走ることは得意なことの中でも上位に位置する。普通の人間がついて行けるものではない。
だが桃太郎はしばし思案したのち、
「いいよ、走るんでしょ? 着くのが早いに越したことはないからね」
そんな風にあっさりと言った。
「おっ、自信あるみたいですね」
「まあな。ところで花」
「なんですか?」
「後ろ」
桃太郎に指摘されて花は首を傾げる。
ここで前に向き直れば、彼女の常人離れした身体能力で回避できただろう。
だが、最初に振り返ってからずっと後ろ歩きだった彼女は、背後に迫る大木に気がつかず、
「キャインっ!」
盛大に後頭部をぶつけた。
***
「私について来られるなんて……ほんとに普通の人間ですか?」
「……そうだよ」
即答出来ないことを少し虚しく思いながらも、桃太郎はそう答えた。
花はそんな桃太郎を不審に思いつつも周囲を見渡す。巨大な影は見当たらない。
「やっぱりもういませんね」
花が少し辛そうに言う。桃太郎はそんな彼女の頭を撫でてやった。
花とその家族が住んでいたという場所。それはなるほど確かに山の奥の方にあった。その山も大して高くはなく、丘、と言った方が適切に思える程度だ。
木を切り開いて作られたのであろう空間には、木造の家がむごたらしく破壊されその残骸が散乱している。家はもう原型をとどめていない。木片にはいくつか血が付着しているものがあったり、もっと分かりやすく飛び散っているものがあったりと何とも生々しい。
「……酷いもんだな」
「……はい」
襲われた時の恐怖は凄まじいものだったろう。それなのに花は辛そうな表情こそすれ、泣くことはなかった。
自分など、あの日の翌日に現場に行った時は吐いてしまったというのに。
「取り敢えずここにはいないみたいだから探して欲しい。お願いできる?」
「……はい」
彼女は目をつぶりその可愛らしい鼻でクンクンと言う。
するとゆっくりと歩き始めた。桃太郎もそれについて行く。
そうして少しずつ進んで行く。木が切り開かれているフロアから、気が生えている場所へ入る。
この辺りは傾斜がほとんどない。だから歩くのに苦労はなかった。
林を掻き分け進んで行くこと十数分。林が途切れ、急傾斜の岩壁、崖が見えてきたあたりで花が足を止めた。
「どうした? 見つけたの?」
「はい。ここまで来ればなんとなく。たぶんあそこを隠れ家にしてるんじゃないかなぁと」
花が指差す方向を見ると崖には巨大なくぼみがある。くぼみと言ってもだいぶ奥行きがあるらしく、内部は黒く塗りつぶされているようにも見える。
「なるほど、あそこか」
あれならば鬼の巨体でも入ることができるだろう。
鬼がどういった習性を持っているのかは分かっていないが、まさか二十四時間通して歩き続けているわけでもあるまい。とすればあの穴倉はちょうど良い休憩所となるはずだ。
「よし、じゃあ行こう。穴からおびき出すから木陰にでも隠れてて」
逃げてもらった方が安全だろうが、しかし仇が死ぬところを見なければあまり意味はないだろう。桃太郎はそう判断した。
「え? なんでおびき出すんですか」
「あんな狭い穴倉の中で闘ったら攻撃避けられないよ」
そう言って歩き出す。腰から刀を抜きしっかりと手に握る。
──さあ、初陣だ。
花が隠れたのを見てから穴の中を覗く。
内部はやはり深く、最奥まで光が当たっていない。仕方なく少し入って進む。
だが生き物のいる気配がしない。あの巨体なら呼吸音もそれなりにするだろう。そしてここは音が反響する。息を止めでもしない限りそんなことはできない。
しかし五年前に見たあの鬼から考えてもそんな事はしないだろう。ただ食欲のみに動かされている鬼は、捕食のために先制攻撃をしかけてくるならともかく、不意打ちなんてことはしてこないはずだ。
とすれば、敵はここにはいないことになる。
いくら休憩所として優れていたとしても、鬼がそれを使うとは限らないのだ。つまり、今ここに鬼はいない。
「張り切ってたんだけどな……」
ため息とともに肩の力を抜く。
とにかく外に出て、もう一度花に匂いを探ってもらおうと考えた時だ。
「きゃああぁぁぁぁぁああっっ!!!」
「っ!?」
外から、悲鳴が聞こえた。
「花っ!?」
急いで外へ飛び出す。左右を確認しそして桃太郎が見たのは。
金棒を振り上げる鬼と、腰を抜かして逃げられずにいる花だった。
「くそっ!」
強く地面を蹴り走り出す。
金棒が振り下ろされるまでには少しの猶予がある。だが桃太郎から鬼までもかなり離れている。
──間に合うか!?
瞬間、鬼の手がブレる。
それがあの日の鬼と重なる。
あの日、蛍を助けられなかった自分を思い出す。
恐怖。助けられるものを助けることができなかったことからくる、ひどく鈍重な恐怖。
だが、もうこれに負けるわけにはいかない。負けていては鬼と闘うことなどできない。
その恐怖を振り払う、否、乗り越え打ち消すために五年も修行してきたのだ。
蛍と、与助の仇を打つために。
時間がゆっくりと流れる。
凄まじい威力を持つであろう鬼の金棒すらもゆっくりと見える。
音が遠くなり、次第に聞こえなくなる。全ての神経が足のみに集中しているようだ。
全力で踏みしめ、そして前へと弾き飛ぶ。
爆音。
鬼の金棒が地面を砕き、その振動が木の葉をも揺らす。宙を着物の切れ端が舞い、そして落ちた。
鬼の後方。そこには花を抱えた桃太郎の姿がある。その着物の袖は千切れているが、傷はない。間一髪避けることができたのだ。
「ごめん花、やっぱ逃げてもらうべきだった」
花はポカンと桃太郎を見つめていたが、途端に何かが崩壊したように泣き出す。
「し、死んじゃうかと思ったわんんんっ!」
「……わん? ああ、いやごめんって」
お詫びとばかりに頭を撫で、そして下ろす。
だいぶ足が震えていたが、なんとか立つことができたようだ。
「花、俺があいつを引き付けるからできるだけ早く逃げて。いいな?」
「わ、わん」
返事をすると花はゆっくりと歩き出す。
それと同時に鬼も振り返った。ギロリと睨めつけるように桃太郎を見てくる。そこには凄まじい怒りが含まれているように思われた。
前に見た鬼ほど大きくない。それが改めて見てみての最初の感想だった。
肌は青黒く、額に生えた角はギラギラと鋭く輝いている。持っている金棒には、比較的新しい血痕がいくつもついていた。おそらく花の家族のものだろう。
鬼は金棒を腰だめに構える。そして一歩踏み出すと同時に居合切りの要領で振り抜いた。
「っ!」
赤黒い鬼と比べて数段速い動きに一瞬驚愕するも、上体を下げて回避。その勢いを利用して全力で前へと踏み出した。
「せあぁっ!」
水平切り。
鬼の左太ももを斬りつけその刃を鮮血で濡らす。なかなかの手応え。返す刀でもう一撃食らわせようと腕に力を込める。
だが敵もその巨体から考えられないほどに速い。金棒を持っていない方の手で殴りかかってくる。
──まずい!
転がるようにして股をくぐり抜ける。素早く起き上がり鬼の背中に一閃。またも鮮血が飛び散るが、万全の体勢からの一撃ではないため傷は浅い。
鬼が再び動き出すのを感知した瞬間、思いっきり後方へ跳ぶ。一瞬遅れて、さっきまで桃太郎のいた場所を金棒が襲っていた。
──タフだな。
そんな思いを抱かざるを得ない。
太ももへの一撃は、その足に体重をかけることもかなりの負担となるほどに深く斬っているはずである。だが敵は体勢を崩す気配はない。
青鬼が腰を落とすのが見えた。
──くるっ!
桃太郎がそう判断するのと鬼が地面を蹴ったのはほぼ同時。
──溜め時間が短い!
桃太郎は驚愕に目を見開く。居合いはまだ大技というほどではなかった。だから溜めが短くても分かる。だがこんな飛びかかるような大技に少ししか溜めないなんてことがあるのだろうか。
「ぐっ!」
間一髪回避。横へと回り込み左の太ももを斬りつけ間合いを取る。何よりまずはバランスを崩させることだ。
鬼の周りを走る。的に狙いをつけさせないように円を描くように走るのだ。
はたして鬼は首を右へ左へと動かし手を出せないでいる。
──今だ。
直角に折れ曲がり凄まじい速度で肉薄。鬼の左太ももに傷をつけ、勢いそのままに再び間合いを取り走り出す。
いかに鬼といえども何度も同じ部位を攻撃されればいずれガタがくる。そのためにはこの戦法が一番だ。
再び肉薄。今度は内太ももを斬りつけ、鬼の股をくぐるように退避。
「ガアァァァァァァァアッッ!!」
そこで初めて青鬼は声を上げた。
耳をつんざき鼓膜を震わせるそれは、空気を揺らしビリビリと体を縛り付けるようだ。
それは悲鳴のようにも聞こえ、怒りの咆哮にも思えた。まさしく暴力の権化に相応しい。
だが桃太郎は止まらない。再び同じ軌道で走り始める。
だが今度は鬼は首を左右に振ることなく腰を落とした。そう、先の大技を繰り出す溜めを作るように。
──バカなっ!?
この戦法はそう簡単に崩せない。単純ゆえに隙がなく、桃太郎の速度を持って用いられたことでより盤石となっているはずなのだ。
そんな桃太郎の気持ちとは裏腹に鬼は地面を蹴った。
だがその体の向いている場所は、金棒を振り下ろしたとしても桃太郎がギリギリ通過することのできる場所だ。
一瞬浮かぶ疑問。しかしそれはすぐに解消されることになる。
鬼がその金棒を投げたのだ。桃太郎の進行方向へと。
轟音とともに地面に突き刺さる金棒。反射的に急ブレーキをかけてしまう桃太郎。そして彼が止まってしまった場所に鬼が飛んでくる。
ギリギリ当たらなかったはずの攻撃が、金棒によって必中へと変えられてしまったのだ。
気がついた時にはもう遅い。振り上げられる拳は凄まじい威力を秘めていることだろう。それこそ食らったら全身の骨が折れ、止めを刺すのが容易になるくらいに。
──しまった……!
瞬間的に自分の負けを悟った時だ。
「やああぁぁぁぁぁあっっ!!」
突然空中に現れた銀髪の少女が、鬼のこめかみへと蹴りを放った。
かなりの距離を助走して放ったのだろう。鬼の巨体の軌道がズレ、桃太郎から少し離れたところへと転がった。
「ガアァァ……!!」
二度目に聞く鬼の声は間違いなく悲鳴だ。先ほどとは打って変わって弱々しい響きがある。
こめかみが弱点なのは人間と同じらしく、青鬼は起き上がろうと腕に力を込め、そして崩れた。
「花……!?」
鬼のさらに向こうへと着地した銀髪の少女──花の名前を呼ぶ。
彼女は振り向くといたずらっぽく笑った。
「やっぱり、自分の家族の仇を打つの、まるまる人任せにするのは嫌だな、と思っちゃいまして」
「はは……! あんなに怖がっておいて」
だが確かに花の言う通りかもしれなかった。仇は自分で打つからこそ意味があるのだ。少なくとも、完全に人任せにするべきではない。ましてや花には、犬憑きによる力で少しなら闘うことができるのだ。
「それよりいいんですか? 早く止め刺さないで」
花が指差す方向を見ると、鬼が再び起き上がろうとしているところだった。
「でもお前がやらなくていいのか?」
ついさっきと言っていたことが違うのではないか、という意味を込めて言う。
すると今度は罰の悪そうに笑い、
「鬼蹴った時、ちょっと足痛めちゃったんですよねー……」
「なるほど」
確かに変な体勢で蹴ってはいた。
時間があれば花に刀を渡して殺させるところだが、今はあいにく鬼が起き上がりかけている。ダメージのおかげで動きは遅いが、早く止めを刺す方がいいのは明白だった。
桃太郎は鬼に近寄りまず体重をかけている右腕を斬り落とした。
吹き出す鮮血。「ガアァァァァァァアッッ」という悲鳴が辺りへと響く。
そして地面へと倒れ伏せた鬼の胸へと飛び乗り、刀を逆さへ構えると、
「鬼は全て、滅ぼす……!」
喉へと刀を突き刺した。おびただしいほどの血が流れ出し、鬼が悲鳴も上げられずに痙攣する。
口からも血が溢れ出す。牙を真っ赤に染める。次第にその体から力が抜けていく。
そしてしばしの後、鬼は動かなくなりその瞳からは光が消えた。
──その時の桃太郎の瞳がこれまでにないほど怪しく光ったのを知る者は、誰もいない。
犬は絶対イヌ耳美少女だって思ってました。