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葛藤

 十年という歳月は長いようで短い。

 一週間が首を振るよりも早いと豪語するお爺さんとお婆さんにとっては、それはより顕著になる。

 だがこの十年間は、お爺さんとお婆さんにとって、密度の濃いものだった。


 桃太郎は、十歳になった。



 ***



「えいやぁぁぁっっ!」


 裂帛の気合いとともに鋭く踏み込む。大上段から振り下ろされた木剣はしかし、すくい上げるようにして払い上げられた相手の木剣に弾き飛ばされた。桃太郎は相手との体格差ゆえにバランスを崩し、さらに足払いをくらって派手に尻餅をついた。

 ──まずい!

 咄嗟に身を起こそうとする。が、それよりも早く相手の木剣が喉元へと突きつけられた。遠くでカランと弾かれた木剣が落ちる音がした。桃太郎の負けだ。

 思わず歯ぎしりをし、目の前の木剣の主を見上げる。

 短めの黒髪に勝ち気そうな瞳が特徴の自分より五つ歳上の少年。その少年はニンマリと歯を見せると、


「ははは。そんなに睨むなよ桃太郎。負けたのは修行をちゃんとやってないお前が悪いだろー?」


「ちゃんとやってるよ! だいたい与助にいちゃんだって、もっと手加減してくれてもよかっただろ!」


 桃太郎はビシッと指を突きつけるが、与助は軽く笑ってそれを受け流した。


「んー? あれ十分手加減したんだけどなー」


「そんなバカにしくさった口調で言われても説得力ない!」


「バカになんてしてないよ☆」


「してんじゃん!」


 五歳下の子供をからかう少年の図、というなかなかに珍しい、どうしようもない画が出来上がっていた。まさに茶番。

 そしてその茶番を止めたのが桃太郎と同い年の少女だというのも、どうしようもない点だった。


「与助さん。あまり桃太郎をからかわないで」


 透き通るように綺麗な声音。二人が同時に横を見ると、そこにはちょうどいい岩に腰掛けた少女がいる。

 艶やかな黒髪は背中ほどの長さ、大きな目、白い肌。それらはすべて薄いピンク色の着物と調和していて、とても可愛らしいが、同時に年の割には落ち着いた印象もある。

 桃太郎と同い年のその少女は立ち上がると、今だ尻餅をついた姿勢のままの桃太郎のそばまで行き、


「大丈夫? 結構派手に転んでたけど」


 手を差し伸べた。

 桃太郎はその手を見て思わず頬を染める。幼馴染とはいえ、近くにその顔があると緊張してしまうのだ。


「あ……うん。大丈夫大丈夫」


 そんな風に言いながら、手を取るかどうか躊躇していると、しびれを切らしたのか向こうから手を掴み立ち上がらせてくれた。


「あ、ありがと。蛍」


「うん、どういたしまして」


 ニコッと微笑む幼馴染に桃太郎はまたも赤面。その様を見られないようにと顔を背ける。

 すると視界に入ってきたのは与助の必死で笑いをこらえる顔。


「与助にいちゃん! なんだよその顔!?」


「い、いや? なんでもなくっくくく……!」


「笑ってるよな!?」


 怒りとは別の感情で顔を赤くした桃太郎が与助に詰め寄った瞬間、与助の腹筋が崩壊した。


「ぎゃっはっはっはっ! おまっ! 顔あかっ!」


「うるさあぁいっ!」


 あたりに響く与助の笑い声。

 なんというか、とにかく恥ずかしかった。

 桃太郎はたまらず与助に殴りかかるも、先ほどの試合同様まったく歯が立たない。右へ左へと避けられ続け、最後には体力が尽きた。


「修行が足りんぞ若者よー」


「与助にいちゃんだって若者だろ!」


「ていうか、与助さんもよく村長に修行が足りんって言われてますよね」


「え? いやほら。親父はまあ、規格外すぎるから……」


 痛いところをつかれたのか与助は頭の後ろをかき視線を逸らす。それを蛍がジト目で見るのを眺めながら、桃太郎はふと昨晩のことを思い出していた。



 ***



 日もくれ、外はすっかり暗くなったころ。

 部屋の中は囲炉裏に灯された火と、天井につるされた松明で照らされていた。


「婆様、おかわりっ!」


 古い家に響き渡る元気な声。

 茶碗を差し出す桃太郎を温かい眼差しで見つめるのはお爺さんとお婆さんだ。


「はいはい、少し待っててねぇ」


 言うとお婆さんは茶碗を受け取る。桃太郎はよく食べるのため、米はいつも多めに炊いているのだ。

 お爺さんはその様子を眺めながら口を開いた。


「そういえば、隣の村が鬼に襲われたようじゃの」


「ええ、何人かうちの村に逃げて来ましたからねぇ」


 お婆さんは相槌を打つと桃太郎に茶碗を渡す。受け取った桃太郎はお爺さんの話もロクに聞かずに白飯をかきこんだ。

 逃げて来た村人。今日、夕方頃にやってきた彼らは、現在村長の家にて保護されている。

 人がこうして安全に暮らしていられる理由、それはひとえに鬼除けの結界によるものだが、それを張るのも人である以上、完璧ではない。ごく稀に綻びが生じ、それを修復する前に鬼が気がつけば破壊されてしまうことがあるのだ。もちろん綻びなど十年に一度程度しか発生しないし、そこに鬼が居合わせることなど、もっと可能性として低いものではあるが。だが、逃げてきた村の者達は、その極小の可能性に当たってしまったのだ。逃げ切れただけでも奇跡と言える。


「それで、まあこれは本当の話かは分からないのじゃが、ついさっき村長に聞いての」


「? なんですか?」


 そこで言葉を切ったお爺さんを不審に思い、お婆さんが先を促す。それに小さく頷くと、お爺さんは続きを語った。


「隣の村を襲った鬼は、結界を破壊したのではなく、突破したらしい」


 ピタリ、と桃太郎の箸が止まる。その表情は理解できないという風にキョトンとしていた。


「爺様、そんな鬼がいるの?」


 不安そうに尋ねる桃太郎に、しかしお爺さんは「分からん」と首を振る。


「少なくとも儂は見たことも聞いたこともない。そもそもそんなもんがおったらもっと早く人間は全滅しとるとも思う」


 それはそうだろう。鬼は好んで人を襲い喰らう。鬼除けの結界を突破できるのであれば、もったいぶらずに最初からしていたはずなのだ。

 だが桃太郎は簡単には安心できなかった。

 別につい最近になって鬼が結界突破の方法を見つけたとも限らないのだ。先にも言ったとおり結界は完璧ではない。どこかに抜け道があったとしても、何ら不思議ではないのだから。

 そんな桃太郎の様子を見ていたお爺さんは、今度は安心させるように語りかける。


「大丈夫じゃよ。もしそんな鬼がおっても、村長たちや、村の若いもんが倒してくれる。特に村長なんかはべらぼうに強いぞ。なんせあの与助の父親じゃからの」


 与助は──桃太郎をからかうのが日常ではあるのだが──実はかなり強い。少なくとも村の同年代とは、すでに一線を画していた。その父親の村長ともなると、桃太郎は見たことはないが、かなりの剣術の使い手であることは間違いなかった。


「それなら安心だね」


 桃太郎自身、与助の強さは毎日挑み続けていてよく知っている。鬼がどれほど強いか知らないが、剣術上級者が群れとなってかかれば勝てるはずだ。

 納得し、安心すると、桃太郎は再び箸を動かし始めた。



 ***



「桃太郎、どうしたの? ボーッとして」


 気がつくと目の前に蛍の顔があった。どうやら回想にのめり込むあまり、周りが見えていなかったらしい。

 桃太郎は至近距離にある幼馴染の顔に赤面しつつ、体を起こした。


「いや、与助にいちゃんはどうしてそんなに強いのかなーって思って……」


「おう? なんだ突然褒めだして。もっと敬ってもいいぞ? ほれほれ」


「どうしようすごく敬いたくない!」


 ここぞとばかりに調子に乗る与助に、桃太郎は脱力する。剣の腕だけは尊敬できると思っていたが、人間として残念すぎて、尊敬する気持ちはもはやマイナス。端的に言えば尊敬できない。


「それに、与助さんが強いのって村長の息子だからでしょ? 毎日特別稽古つけてもらってたらそりゃ強くなりますよ」


「ははは。否定できねぇ」


 蛍に図星をつかれた与助は、しかし悪びれずに笑う。


「その村長だって、むかし何人かで鬼に挑んで一人だけ生還できたとかいろいろあるんですし」


「与助にいちゃんズルい!」


「ははは! ズルいと思うなら村長の息子に生まれれば……あー……」


 再び桃太郎をからかおうとした与助はその途中で口をつぐみ、済まなそうに後頭部をボリボリかく。

 それが何故なのか、(よわい)十歳の桃太郎にも理解はできる。


「別に俺の両親がもういないからって気使わなくていいよ。与助にいちゃん」


 実際桃太郎は両親がいないことを気にしていない。お爺さんとお婆さんは親みたいなものであるし、与助という兄のような人もいるのだ。むしろ満ち足りている。


「うーん、そうは言ってもな」


 だが与助も珍しく律儀に困っている。

 そこでふと、桃太郎の胸中にちょっとした疑問──いやそれは好奇心と言った方が適切だろう──が沸き起こった。

 それは気にしていないと思っていても、この歳ならばごく当たり前に沸き起こるもの。そして桃太郎は特に考えもせずにこれを口にした。


「そういえば、与助にいちゃんは俺の親について知ってたりするの?」


「いや、まあ知ってるといえば知ってるし……知ってないといえば知らないことになるんだけどな……」


「どっちだよ!」


 いつも通り桃太郎がツッコミを入れる。が、与助は桃太郎をからかおうとはしてない。

 そんな彼の様子を、蛍は不審に思いつつも言及はしない。

 桃太郎は「まあそれはいいや」と気にせずに続けた。


「どんな人だったのかとか、どうしていなくなったのかとか教えてほしいんだけど」


 瞬間、与助の表情に困惑の色が混ざった。それは幼い頃の記憶ゆえに思い出しにくい、というより、話すべきかどうか迷ってるように思えた。

 桃太郎と蛍はそれを不思議そうに見つめ、与助はその視線から逃れるように身じろぎする。

 しばらく与助にとっては居心地の悪い時間が続くが、桃太郎と蛍の視線からは逃れられない。すると諦めたかのようにため息をつき、


「お前はな、桃から生まれた(、、、、、、、)んだよ。桃太郎」



 ***



 自分でもわけが分からないまま家に向かっていた。脳天から降りかかった混乱が全身に染み渡たるように桃太郎を支配したのだ。通り過ぎて行く景色すらも意識の外だ。

 自分が、桃から生まれた? そんなはずはない。人は人からしか生まれるはずがない。だから冗談言うなといつも通りツッコもうとした。

 だが、それはできなかった。桃太郎ができたのは蚊の鳴くような声でただ一言「は……?」と言うことだけだった。

 家に入ると、ただいまも言わずに聞いた。


「俺が桃から生まれたって本当?」


 それは確認よりも詰問に近かった。自分でも気がついていない焦燥が無意識のうちに滲み出たようだ。

 お爺さんとお婆さんはそろって目を見開く。だが桃太郎はそんなことに気を配っていられない。


「俺が、桃から生まれたって本当?」


 同じ質問。

 お爺さんとお婆さんは一度顔を見合わせ、そして小さく頷き合うとお婆さんが桃太郎に向き合った。


「本当だよ。十年前、あたしが川で洗濯してたらね、流れてきたんだよ」


 肯定。それは妙な納得とともに桃太郎の中に入ってきた。それはそうだろう。与助は大人気ないが、つまらない嘘をつくことはないのだ。それ以前に、あの時の彼の目は真剣そのものだった。


「あたし達には子供がいなくてねぇ。だから桃から生まれてきたあんたを神様からの贈り物だと思って、育てることにしたんだ」


「……うん」


 お婆さんの言っていることもほとんど頭に入らない。条件反射的に返事をしていた。

 自分は桃から生まれた。親はいない。

 それは自分の親がもう死んでいると言われるよりも大きな衝撃を与えた。そしてその恐怖は、逃れられない、強力な毒のように桃太郎の思考を誘導、あるいは支配し始めた。

 自分は桃から生まれた。親はいない。いや違う。だが考えようによっては親はいる。

 ──桃の木。

 植物。人たり得ないもの。自分はそこから生まれた……?

 自分は桃の木から生まれた。だが人間は人間からしか生まれない。桃の木から人間など生まれるはずもない。

 それなら、それならば、自分は──


人間(、、)、なのか……?」


 桃太郎の口から無意識に放たれた疑問は、耳から入り脳へと到達する。そして幾度も反芻された。

 ──俺は人間なのか。

 ──いいや俺は人間じゃあない。

 ──違う。俺は人間だ。

 自分自身に問い、自分自身を否定し、だがそれでも人間でありたいという欲望が溢れ出す。

 もう、わけが分からなかった。

 桃太郎が突然、思いも寄らぬ形でぶつかってしまった壁はとても頑強で巨大だ。齢十歳の子供が相手にするには、あまりにも。

 どうしようもないという感情が桃太郎を支配し、思わず歯を噛みしめる。


「っ……!」


 不意に、ジャリッと何かを踏みしめる音が聞こえ、桃太郎は意識を戻した。

 ──足音……?

 辺りはすっかり暗くなっているが、尻の下には見慣れた岩。自分がどこにいるのかはすぐに分かった。いつも、与助と蛍と一緒にいる場所。あらゆる場所から死角になるこの場所を知っているのは桃太郎、蛍、与助の三人だけだろう。

 そしてそんな中に一つの光源。その眩しさに思わず手で顔を覆ってしまう。松明だ。


「……?」


 誰かいるのかとよく働かない頭で思い、確認しようとする。だが明かりが眩しくてそうはいかない。


「やっと、見つけた」


 光源の主はそう言うと、気がついたよに松明を後ろに下げた。それを確認し、桃太郎は薄めた目を徐々に開いて、


「ほた、る……?」


 相手を認識した。

 幼馴染はその大きい目にうっすらと涙をにじませている。


「もう……本当に心配したんだから……!」


 怒った、しかしどこか安堵したような声。それは彼女のセリフが真実であるということを教えてくれる。


「お爺さんたちも心配してたよ。急に飛び出して行ったって。とにかく、早く帰ろ」


「……」


 手を掴まれる。普段なら赤面ものだが、今はそんな余裕がなかった。

 蛍は、引っ張った手が一向に動きだそうとしないことを不審に思い振り返る。


「桃太郎、どうしたの……?」


「……」


「やっぱり、桃から生まれたってこと、気にしてる?」


 慈しむような声音。それを聞いた瞬間、桃太郎は、自分でも気がつかないうちに話し出していた。


「……れは、……げん、なのかな……」


「え?」


「俺は、人間なのかな……」


 蛍が目を見開く。

 だが桃太郎は気にしていられない。蚊の鳴くような声で続ける。


「みんなはさ、人から生まれてくるのに、なのに俺は、桃から生まれた。そんな奴が人間なのかな」


「桃太郎……」


「神様の贈り物だとか言われたけどさ。それでも、それでも俺、人間じゃないんじゃないか?」


 一度話し始めたら止めることができない。感情の吐露は、徐々に熱を帯びていき、蚊の鳴くような声もしだいに蛍に当たり散らすようになっていった。


「俺は、生きていていいのか……!?」


 最後に吐き捨てるように、それこそ自分の中でさえ言語化しなかった疑問を言い、そして沈黙した。耳の痛くなるような静寂。だがそれも長くは続かない。

 蛍は桃太郎の頬に手を当て、そして、桃太郎の頭をその胸に引き寄せた。


「……!」


 小さく息を飲む桃太郎は驚きを禁じ得ない。ポタリと後頭部に何かが落ちたのが分かり、瞬時にそれがなんなのか理解した。

 ──涙。


「そんなこと、言わないでよ」


「え……?」


「生きちゃいけないわけないじゃない! 桃太郎は人間だよ。照れたり怒ったり笑ったり、苦しんだりできる、ちゃんとした人間だよ!」


「っ……!」


 その涙声は、術でもなんでもない、ただの言葉。それでも体の奥へと染み渡り、叱咤し元気づける強さに満ち溢れている。


「ねえ、桃太郎」


「……なに」


「一生私がそばにいるから。そばにいて、君を守るから。だから、君も私を守って」


「え……?」


 いまいち理解できず反応の悪い桃太郎の瞳を、蛍はまっすぐに覗き込んだ。そしてニコッと微笑み、


「それなら、生きる意味ができるでしょ?」


 瞬間、桃太郎に立ちふさがった壁が崩れていくのが分かった。

 桃太郎は小さく頷き、そして。

 目から落ちるものに気がついた。

 蛍はそんな彼を見、そして再び抱きしめる。

 桃太郎を縛っていたタガが次々に外れ、小さな嗚咽を漏らす。蛍は黙って頭を撫でてくれた。

 桃太郎は、気の済むまで泣いた。



 ***



 与助は、少し離れたところから二人を見ていた。

 桃太郎がいなくなったと聞いて真っ先にここに来てみたのだが、どうやら蛍の方が一歩早かったようだ。そして、自分にはできないであろう形で桃太郎を救った。まったく、感服する。


「フッ……」


 与助は二人を見ながら微笑みを浮かべる。

 素晴らしい絆、あるいは大人顔負けの愛だろうか。それを見せつけられては、自分の決心もより強固になるというものだ。


「お前らは俺が護るよ」


 与助はそうつぶやき、その場から去った。

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