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非通知

作者: 清音純

この物語はフィクションです

 小さい頃から、私は歌を歌うのが好きだった。運動も勉強もそれほど出来る方じゃないけど、歌を歌うことだけは誰にも負けない。そういう自信があった。

 私が歌を好きになったのは、幼馴染の男の子の影響だった。名前は純。私より一つ年下で、子供の頃から身体が弱くて病気がちだった。小学校までは毎日一緒に通っていたのだが、中学校に入ってからは何度も入退院を繰り返し、結局中学校を中退した。

 病気のせいで気弱になる彼を励ますために、私はよく歌を歌う。そんな時、彼はとても嬉しそうにそれを聴いてくれた。

『美里ちゃんの歌は世界一だよ!』

 それが、彼の口癖。お世辞だとわかっていても、私はそれが嬉しかった。

 

 私は高校生になって合唱部に入った。顧問の先生は私の歌をとても高く評価し、熱心に指導してくれた。

 そんなある日、顧問の先生が私に言った。

『美里、オーディション受けてみない?』

 私はその突然の申し出に驚いた。聞けば百人近くが応募するオーディションで、地方のケーブルテレビで生中継するという。正直、私は初め乗り気じゃなかった。受かるわけがないと思ったし、大勢の前で一人で歌うのは恥ずかしい。でも、その日病院で純にこの話をしたら、彼は何故か自分の事のように喜んだ。

『出なよ! 美里ちゃんなら絶対受かるから! 僕もテレビで見たいし!』

 純のこの言葉にも後押しされ、私は結局オーディションに参加する事にした。


 オーディション当日、控え室の中で私の緊張はピークに達していた。周りにいる人達は、いかにもオーディション慣れしているといわんばかりにリラックスしている。気を紛らわせようと発声練習をしてみるが、声がからからでほとんど音が出なかった。

 こんなので受かるわけない。私は舞台で声が出ずに笑われる自分の姿を想像し、思わず涙が出そうになった。

 そんな時だった。携帯電話からバイブレーターの音が聞こえる。私は携帯電話を手にとって、ぱかっと開いた。ディスプレイには「非通知」の文字。誰だろう、と思いながら、私は通話ボタンを押して、携帯電話を耳に当てた。

「美里ちゃん? 純だけど」

 携帯電話からは、聞きなれた声が聞こえてきた。

「病院から電話してるんだ。今平気?」

「うん……」

 今すぐにでもここから逃げ出したい衝動を抑えて、私はなんとか声を絞り出した。純には弱気な姿を見せたくない。いつだって、元気にしてあげられるように、強い私でいなきゃいけない。そんな思いで、私は声が震えないように必死で努力した。

「もしかして、緊張してる?」

 純が無邪気な声で私に尋ねる。人の気も知らないで、何楽しそうな声出してるのよ、と内心で文句をつけながらも、私は答えた。

「そりゃ、少しはするよ」

「そうなんだ。でも、大丈夫。僕も今テレビで見てるけど、美里ちゃんよりうまい人なんて一人もいないよ! 絶対受かるから! 頑張って!」

 純が元気な声で言う。純のこんな元気な声、初めて聞いたような気がした。心の中に温かいものが広がっていく。私の歌を誰よりも知っている彼の言葉に、偽りがあるはずがない。いつものように歌えばいいんだ。そうしたら、純も喜んでくれる。

「任せといて! 絶対受かるから!」

「うん! 頑張って!」

 そう言って、私は電話を切った。いつの間にか、次が私の番になっていた。軽く発声練習をしてみる。いつもと同じ私の声が、苦もなく部屋の中に響き渡った。


「結果を発表します」

 壇上の中年の男性がマイクに向かって言う。純のおかげで、全てを出し切ることが出来た。結果がどうであれ、後悔はない。

「合格者は、エントリーNo67、片岡美里さんです!」

 拍手が沸き起こる。やった、と私は思わず心の中でガッツポーズを決めた。

「おめでとう、美里」

 お母さんが私のところへやって来る。隣には純のお母さんもいる。私はすぐにお母さんに尋ねた。

「お母さん、病院の番号教えて! 合格したの、純のおかげだから。お礼を言わないと」

 その言葉に、お母さんは何故か隣にいる純のお母さんと顔を見合わせた。

「お母さん……?」

 不思議に思って、お母さんを見る。お母さんは私の両肩に手を置くと、ゆっくりと言葉をつむいだ。

「落ち着いて聞いてね、美里。純君ね、今朝、亡くなったの」

「………え?」

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。だって、そんなはずがない。あの電話がかかってきたのは昼過ぎだった。その時、私は確かに純の声を聞いたのだ。

「嘘だよ! 私、昼間に純と電話で話したもん!」

 抗議する私を、お母さんは困ったような哀れむような複雑な顔で見つめた。

「美里ちゃん……ごめんなさいね……。あの子、美里ちゃんの歌が聴きたい、歌が聴きたいって、何度も何度もそう言って……」

 純のお母さんが涙を流して、顔を両手で隠しながら言う。とても冗談なんかには見えない。それでも、私は必死に言葉を絞り出した。

「だって……テレビで見てるって言ってた! 私の歌、誰にも負けてないって! 私の歌も聴いてたはずだよ! テレビで見てたはずだよ!」

「そうだね……」

 お母さんが涙声で答える。でも、これ以上、現実から逃げる事は出来なかった。目の奥が熱くなって、胸が痛くて、苦しくて、喉がからからで、純の大好きだった声は、今は出せそうにない。

 オーディションに合格した私が流したのは、嬉し涙ではなく、悲しみの涙だった。


 あの日から、舞台に上がる時には、私は必ずこの携帯電話を持っていく。もう古くて誰も使わない携帯電話だけど、私にとっては何よりの宝物。

 その着信履歴には、『非通知』の三文字が、今でも大切に残っている。


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