プロローグ
毎日が過ぎていく。
今日が何日か、何曜日か、分からないくらい、毎日が無駄に過ぎていく。
これからも変わらない……変わらない? 本当か?
父さん、母さんがいなくなったら……どうする?
このまま引き籠りでいいのか?
学校も行かず、仕事もせず……アルバイトすら……
何かしないといけないはずだ。本当にそう思う、思っている。
でも、僕には何もできそうにない。
僕にはできない。
毎日、こう結論付けて終わる。
そして、再び毎日が過ぎていく……そう思っていた。
『……そう、今日までは。』
中野慎一郎は神奈川県在住の鋭意引き籠り中の青年だ。両親と共に住み、二階の一室で引き籠り生活を送っている。しかし、どうしても部屋を出ないといけない時がある。それは、トイレで用を足す時と風呂に入る時だ。この二つは一階にしかない家、慎一郎には一階に下りることさえ精神的な苦痛を伴う事柄だ。引き籠りの中には、これらの行為も部屋の中で済ませる者もいるというが、慎一郎には、そこまでの決心はなかった。
丁度、巷ではゴールデンウィークが終わり、初夏の乾いた風が心地良い、そんな季節、慎一郎は昼間ではあるが、こともあろうか腹痛に見回れ、仕方なくトイレに篭城、部屋を空白にしていた。この時間が大きく運命を変えることも知らずに。
トイレを済ませた慎一郎が部屋に戻り、ドアを開ける……と、常識を逸脱した大きな物体が部屋の中央にある。
「うわああああ!! なっ、何これ!?」
思わず叫ぶ慎一郎。留守中の部屋に入って勝手に入って何かする人間は一人しかいない、慎一郎の母親だ。
「ちょっと! ちょっと! 母さん! これ何っ!?」
自室に入る慎一郎が部屋から大声を上げ、母親を呼び付ける。部屋には、一メートル四方を上回る大きさはあろうか、巨大なダンボールが置かれている。土台は木材で組まれており、相当な重量のある物体ということは想像できる。
母親の反応を待つ慎一郎、少しだけ間を置いたその時、ダンボールの反対側から突然、顔を出す母親。
「……っしょっと!」
「うわ!? いたのっ!?」
「ちょっと、慎一郎!!」
「何!?」
「これなんなのよ!? また、わけの分からない物ばっかり買って……」
「いやいや、な、何? 何これ? 知らないって!」
「またあれで、あんたが買ったの届いたんじゃないの?」
「いやいやいや……あ、Azamon? 違うでしょ? こんなの届かないでしょ、普通!」
「あれ、なんだっけ? あれ? お人形さん。」
「ふぃ……フィギュアのこと?」
「そう、またその、えーと……ふぃぎゃー、を買ったんでしょ!? 全くもう……」
「いや!? 違う違う! 違うから! 頼んだ覚えないしっ!!」
「全く……いい歳した男の子がお人形さん遊びなんて……はあぁ……」
「いや、意味、分からんし! 違うし! 部屋から出すからっ!」
巨大なダンボールを押す慎一郎。
……シーン。
「むお、ぬおおおお、おもーーっ!?」
ピクリとも動かないダンボールの物体。
「あんたの部屋まで運ぶの大変だったのよ! 後は自分なんとかしなさい。」
「そ、そう言われても……だから、こっちも知らないって……」
「あぁもうっ! 肩凝りが酷くなっちゃうわ!!」
腕を回し、肩からバキバキと嫌な音を響かせる母親が慎一郎の部屋から出ていく。
「いやいや、そもそも母さん一人でどうやって運んだんだよ!? どんだけ怪力だよ!?」
「じゃぁ、ゴミはちゃんと分けて、ダンボールは資源ゴミで出すのよー。」
階段を降りながら、ゴミの出し方を諭す母親。
「あ、ちょっと!」
……。
「あのさ!」
……。
……。
「おーい……」
ポカーン……
「うちの母さんは、なんで人の話を聞こうとしないんだろう……?」
部屋の中央にあるダンボール。今まで床に転がっていた本や雑誌、ゲーム機などは部屋の隅に追いやられ、無造作に積みあがっている。中央にあったテーブルすら、本やゲームの間に無造作に巻き込まれている。元々、足の踏み場のない部屋ではあったが、それらを一掃してしまった巨大なダンボール、どこから手を付ければ良いのか、慎一郎は悩んでいた。
唯一の救いは、ベッドに座るスペースが辛うじて空いていたくらいだろう。慎一郎がその僅かなベッドの片隅に腰を掛ける。
(邪魔だ、邪魔過ぎる。
どうすればいいんだ……?
このままは嫌過ぎる。
あ、開けるしか……ないのか……?)
得体の知れない物への恐怖を抱きつつも、そっと手をあて、耳を当ててみる。
「……。」
動くことも音がすることもない。
次に、ダンボールの周囲を見回す。業者が送ってきたのなら伝票があるはずだ。どこから送られてきたのか、何が入っているのか、確認できるはず……だが、伝票は見当たらない。
「だ、ダンボールを開けるだけなら、だ、大丈夫かな……」
重量のある荷物のせいか、必要以上に厳重にテープで巻かれているので、それらをひとつずつハサミで切り、外装のダンボールを部屋の天井にぶつかるくらいまで持ち上げ、ベッドの上に置く。
「ふぅ……」
ダンボール自体もかなり重い。
「とにかく、場所がないから、ダンボールを畳まないとダメか……」
ふと、慎一郎がダンボールに目を向けると、ダンボールの下方に小さい文字でスペックのようなものが書かれている。
『本体重量 四十キログラム 以上 七十キログラム 以下』
『格納庫重量 八十キログラム』
『全体重量 約百五十キログラム』
「そりゃ、持ち上がらないよ、これ……」
ぺしっ!
一人突っ込みをする慎一郎、額を叩いた音が虚しく部屋に響く。間を置いて、ダンボールを部屋の隅に積みあがった所有物の更に積み直し、一旦、ベッドに座る慎一郎。
ダンボールの中に入っていた品物に目を向けると、ダンボールの大きさとほとんど変わらない、不思議な形をした金属の物体が目に入る。
「んー、なんだろう、卵型……の金庫みたいな……ドラム式の洗濯機のような……?」
!
「ダンボールに書いてあった感じだと、本体と格納庫か……これが格納庫? 格納庫ってことは、この中に、また何かが入っているわけか……扉っぽい部分もあるし。」
側面についている扉、ガラス張りのように見えるが、内部は暗くて見えない。他には大きな扉はなく、この扉が正面ということになるものと認識した慎一郎だったが、ここでまた悩み始める。この先、何が出てくるか分からない、漠然とした不安。
「物騒だよね……幾らなんでも……」
不安を持ちつつも、捨てるに捨てられないまま、部屋に置いておくのは宜しくない。それを思った慎一郎が正面の扉に手を伸ばす。
「開けてみるか……」
ガチャガチャガチャ……
「あっ、あー……開かないわ。良かったー、あ、開かなくて良かったー。」
取っ手らしき物のない扉。押したり引いたりしてみたものの、扉はビクともしない。終わりにしようと思ったその時、扉の手前にボタンと液晶ディスプレイのようなものが付いているのを見つけてしまう。
「うわ、なんだこれ……こんな電源ボタンっぽいボタンが付いてたら、絶対、一歩進んじゃうよ、絶対……」
独り言を混ぜつつ、頭の中で考え始める慎一郎。
(電源ボタンを……これを……押すのか?
どうしよう……どうしよう?
どう考えても、怪しい。
怪し過ぎる。
でも、ボタンがあると気になって押したくなっていく、不思議だ。
でも、そういう心理あるよね、普通……だよね……)
「ぶつぶつぶつ……」
言葉にならない言葉を放ちつつ、結論が出たのか、ゆっくりと電源ボタンらしきボタンに手を伸ばす慎一郎。
「はぁはぁはぁ……ぇ……えいっ!」
ポチっ……
……。
「……?」
……。
「……あれ?」
ポ……パッ!
「うおっ!?」
ツーテンポほど遅れて、扉下に斜めに取り付けられている液晶ディスプレイらしき物が強い光を放ち、ディスプレイに多くの文字が表示し始める。何かを促がしているようなことが英語で表示されている。
「きゅ、急に光ったら焦るじゃん……なんだこれ……あぁ、英語、英語ね。英語なんて読めるわけないし、はいはい次へ次へ……」
next、next、confirm、next、next、next、I agree……finish
液晶ディスプレイに描画されたボタンをタッチで進めていく慎一郎。終了らしき情報を知らせているように見える。慎一郎に読めるはずはない英単語だが、雰囲気だけで意味を読み取っているようだ。
「終わったっぽいな……多分。」
……。
カッ……カリ……カリカリ……カカカ……カ……カリ……
(なんだか、音はしてるみたいだけど……)
パソコンのハードディスクにデータを書き込みにいくような、乾いた音が聞こえる。しばらくその音を聞きながら、周囲を見回してみる慎一郎。ガンメタリックで如何にも仰々しい格納庫。他にも開きそうな小さな扉や取っ手を見つける。
(開けてみたいけど、音が止んでからにするか……)
「はあぁ……」
溜め息を付きながら、格納庫の正面と思える扉の前に立ったその時。
プシャ……
「え? え?」
プシュワアアアアァァァァーーーー!!!!
「ええええーーーー!?」
格納庫の扉の隙間から、勢い良く水蒸気が発生する。それと共に扉が開くと、一瞬で部屋中が湯気で真っ白になる。
もくもくも……
「うわー!? 何っ!? うへっ! ごへっ! ごほっ!」
「起動……完了。」
水蒸気の白で何も見えない部屋の中で、聞き覚えのない小さな声を聞き取る慎一郎。
「!? ごほっ! ごほっ! ちょ……何これ……」
「マニピュラブルドレス、No.4754、ドレスタイプ……ネクロマンサー、パルナ・シノノメ、起動完了しました。引き続き、アクターの登録作業を行います。」
部屋の中央に人間らしき影が囁いている。大人しい少女をイメージさせる、無機質で澄んだ静かな声が、確かに部屋の中で聞こえている。
慎一郎は何が起こったのか把握できず、しゃがみ込み、頭を抱えて動揺する。
「な、な、なな、な……うわ……な、なな、何……? 声……?」
「アクティベーションサーバへの接続……成功、アクター登録……承認……登録完了。」
「な、なな……ちょ……誰……?」
湯気が引いていくと共に、格納庫から出てきたと思われる人影が徐々に姿を現してくる。
「あ、あわわわ……あ、あの……」
「はい、マスター。」
「……え?」
「はい。マスターとお呼びすれば宜しいですか?」
「え? え? あ、あの、えーと……」
「マスター? 応答してください、マスター?」
「あ、あの……あの、君は……だ、誰?」
「マニピュラブルドレス、ネクロマンサー、パルナ・シノノメです。」
「え……あ……? ま……ね?」
「マニピュラブルドレス、ネクロマンサー、パルナ・シノノメです。」
「マ、マダ……ネ、ルナ?」
「はい。」
「まだ、寝るな?」
「はい。」
互いに通じていない会話のやり取りの間に湯気が消えると、先程の格納庫の前に、小柄で細身の少女が姿を現す。同時に、慎一郎が伏せていた頭を上げ、周囲を見回す。
「うわー!?」
「……?」
格納庫の前に立っている少女は、ほとんど何も身に着けていない。殆ど全裸と言うべきか……特に大事な所が隠れていない。薄手で白い、艶のある素材……シルクだろうか、掌から肘まである手袋、足も同じく膝上までの靴下……それだけ身に付けている。慎一郎には刺激が強過ぎるシチュエーションのようだ。
目を伏せる慎一郎、次の言葉が出てこない。
……。
……。
とにかく少女の裸体を注視しないよう、目を向けないようにしている慎一郎に対し、何事も起こっていないかのように冷静な少女が澄んだ声で慎一郎に呼びかける。
「マスター? 大丈夫ですか? 応答できますか?」
少しを置いて、慎一郎が返事をする。
「え、え、え……ま、マスター……って、ぼ、僕のこと……?」
目を逸らしながら答える慎一郎。
「はい。」
「あ、あ、あの……さ、布団、布団、というかタオルケット!? その辺にあるよね!? ととと、とにかく! 体をそれで隠して! 早く!」
「はい、マスター。」
スルスルスル……スス……ス……
体、薄手のタオルケット、手足のケープが互いに擦れ合う音がする。そして数秒後、少女は素早く報告を行う。
「作業完了しました。」
「ふぅ……」
確認するや否や、慎一郎はまた目を覆いたくなり、赤面する。前を隠して貰ったものの、それはそれでセクシーさ、いやキュートさを醸し出していた。慎一郎の異性への耐性のなさ、心の繊細さを考慮すると、大きな効果はないようだった。
「はぁ……め、目のやり場には……こ、困る……けど……なな、なんとか……」
「はい。」
「えええ、え……と……ままま、ま、まずは……ね……」
「はい。」
「せせせ、せ、整理、じょ、状況の整理をね、し、しないと……僕には何が起こったのか、全く理解できていない、い、意味不明……ってレベルじゃないくりゃり……えー、意味不明ってレベルじゃないくらい意味が……」
「了解しました。マスターの不明点を、私が分かる範囲でお答え致します。」
「う、う……うん。」
(と言っても、何から質問すればいいのかも分からない……どこから聞けばいいのかすら……この状況は……まずい、親にどう説明すればいい? それに世間的にもまずいでしょ……まずいよ……絶対、犯罪扱いだよ……どうしよう……)
……。
無言の時間が経過すると共に、慎一郎が気まずくなってくる。一方で、慎一郎をジッと見つめ、律儀に待ち続ける少女。
「冷静に……冷静に……はぁ……はぁ……はぁ……」
焦る慎一郎の呼吸が荒くなる。
「宜しければ、まずはマスターが落ち着いて、その後、私から一通りの説明を行うというのはどうでしょうか? そのほうが宜しいでしょうか?」
「あ、う、うん……そ、そのほうが助かる……ますです。」
……。
……。
数分後、少し落ち着いてきた慎一郎に声を掛ける少女。
「宜しいですか?」
「う、うん。な、なんとか……」
「では、説明させていただきます。」
「う、うん。」
すると、少女は先ほどより少し声を大きく、澄んだ声そのままに流暢に説明を始める。
「私はマニピュラブルドレス、または鞘束と呼ばれる、聖剣を納める鞘です。そして、鞘束を纏うアクター、約者様が即ちマスター、あなた様です。」
「僕?」
「はい、今後は私がマスターのツルギの鞘となり、盾となり、鎧となり、マスターのご活動を全力でサポートして参ります。」
「え……と? はい?」
「はい、なんでしょうか?」
「あ、あの……何を言ってるのか……ちょっと……この子、ヤバいんじゃ……」
「マスター、ヤバいというのは、幾つか意味があると思われますが、どのような意味でヤバいという言葉を使われたのでしょうか?」
「あ、ご、ごめん……つい、頭で思ったことを喋っちゃう癖が……」
「データによると、老化で衰えた脳を補うための復唱のため、頭の中を整理するため、一人で寂しい場合に口走ってしまう、など、様々な原因が考えられますが、マスターくらいの年代であれば、通常、通院や投薬による治療の必要はないようです。」
「な、なんか……悲しいね、そういう事実って……」
「マスターとして支障が出るレベルではないと思われます。」
「そ、そうなんだ……ならいいんだけど……って! 良くない! 良くない!」
「マスター、聞いても宜しいでしょうか?」
「は、はい、な……何? ななな、なんでしょう?」
「ヤバいとは……素晴らしい、美味しい、出来が良い、若しくは危険を表す言葉です。先ほどのヤバいのは、どのような意図で使用されたのか、確認させてください。」
「え…あ、あ……そ、そんな特別な意味で使ってない、なんとなく……ふ、普通に。」
「普通……ですと、つまりヤバくはないと思われますが……」
「う、う、うん、そう、独り言だから、気にしないで!」
「はい、マスター。」
(一体、なんなんだよ、これ……夢だよね? 早く、覚めろ……覚めてくれ……日常が変わってしまう……こんな簡単に……? こんな突然に? もう、誰とも関わらず生きていきたいのに……急に……ワケ分かんないよ……なんのトラップだよ……ダンボールから女の子が出てくるとか……有り得ない……有り得ない……絶対に有り得るわけが……)