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第8話 決意



 陽はすでに西の空に沈みかけ、空は不安を煽るような澄んだ茜色に染まっている。

 アスターの家から少し離れたところにある小高い丘の上で、二つの墓石の前にオレガノは一人佇んでいた。

「なぁ、バジル。もうお前たちが逝ってから十二年だ。小さかったお前の息子も、ずいぶん逞しく成長したぞ」

 オレガノは手にした葡萄酒の瓶を墓前に置いた。その場に座り、グラスに注がれた葡萄酒を一気に飲み干す。

「知ってるか? あいつ今、生意気にも一人の女の子を必死に守ろうとしてるんだぞ」

 小さく笑うオレガノの顔には、どこか自分の子の成長を喜ぶ父親のような表情があった。

「頭で考えるよりもまず身体が動くところなんかは、お前にそっくりだな」

 オレガノの足下には、夕陽が作り出した長い影ができている。

 少しだけ涼気をはらんだ風が、丘の草を揺らしながら吹き抜けていく。

「あいつはもう一人前の男だ。もう、俺が見守る必要もなくなったのかもな……」

 まっすぐ墓石を見つめるオレガノの瞳には、どこか決意の光を宿している。

「俺はそろそろこの街を出ようと思う。あの子の存在が周囲に知れ渡れば、いずれあいつも動き出すかもしれんしな」

 オレガノは静かに立ち上がると、コートについた草を手で払い落とす。

 夕陽で赤く染まったトリアスの街を、静かに見下ろした。



 ガウラが去った後、アスターとリリィは貰ったパンを静かに食べた。

 あれから二人はひと言も交わさずにいる。

 アスターは先に食べ終わったころ、リリィのパンはまだ半分ほど残っていた。

 アスターは、ずっと今日の出来事を思い返していた。街で白衣の男たちに追われたことを。

 白衣の男たちは白い髪の少女を捜していると言った。そのときのリリィは明らかに怯えていた。白衣の男たちが言っていた白い髪の少女がリリィのことだというのは、アスターにも分かった。しかし、なぜ白衣の男たちがリリィを捜しているのか。なぜ、リリィは白衣の男たちを恐れていたのかは分からなかった。いくら考えても、アスターには答えの出ない問題だった。

「アイリスさん、大丈夫かな……」

 不意にリリィが口を開いた。リリィの表情は、白衣の男たちが現れてからずっと沈んだままだ。

「大丈夫、街にはオレガノたち自警団がいるから。きっと、大丈夫だよ」

「なら……いいんだけど……」

 ようやく話したその声も、表情と同じく沈んでいる。

 それから再び、二人のあいだに沈黙が降りた。

 静かな水晶洞窟には、奥の壁から流れ出る岩清水の音だけが小さく響く。

 リリィは考えに考えに抜いた末に、その重い口を開いた。

「ねぇアスター、私ね……」

「リリィ」

 意を決したように話し出したリリィの言葉を遮るように、アスターが話しかけた。

「僕は、決めた」

「決めた……?」

「うん、僕はリリィを守る。リリィがあいつら逃げたいなら、僕は全力であいつらからリリィを守る」

「アスター……」

 力強く言うアスターの目には、揺るぎない強い意志があった。

 そのアスターの瞳に、リリィは戸惑いを隠せなかった。

 アスターの言葉は素直に嬉しかった。白衣の男たちに追われているとき、自分の手を引くその力強さも。涙が流れそうなほど嬉しかった。

 しかし同時に、アスターに迷惑を掛けていることに罪悪感を抱いていた。白衣の男たちはアスターの顔を覚えただろう。おそらくこの先、再びアスターのもとに白衣の男たちが現れるかもしれない。アイリスだって、今頃どうなっているのか正直なところは分からない。

 たった一日、自分がこの街にいることで二人には迷惑を掛けてしまった。二人どころか、この街に住む人全員に迷惑を掛けてしまったかもしれない。そう思うと、アスターの思いを素直に受け取ることはできなかった。

「さっきも言ったけど、僕は迷惑だなんて思ってない。だからリリィが落ち込む理由はどこにもないよ」

「………」

 アスターが優しい言葉を掛けるほどに、リリィには重くのしかかってくる。

「ずっと走りっぱなしだったから疲れたでしょ? それを食べたら今日はもう休もう。明日は朝早いしね」

「うん……」

 リリィは残りのパンを食べ終えると、その場で横になった。

 リリィが眠りについた後も、アスターは一人でずっと起きていた。ここは安全な場所だと言ったが、白衣の男たちが絶対にこないという保証はどこにもなかったからだ。

 アスターは朝が訪れるまで、一人静かに夜を過ごした。



 眠っていたリリィは、岩清水の音によって不意に目を覚ました。一体今、何時なのだろうか。どれくらいのあいだ眠っていたのだろうか。ゆっくりと上体を起こして辺りを見渡すと、寝る前までは隣にいたアスターの姿がどこにもない。

「アスター?」

 リリィの小さな呼びかけは、静寂に包まれた水晶洞窟に虚しく響いた。これ以上迷惑を掛けないためにも、本当なら今のこの状況は望ましいはずだったのに、リリィは不安と寂しさを抱えずにはいられなかった。

 その複雑な思いを抱えていると、洞窟の奥から一人分の足音が聞こえてきた。その音はやがて大きくなり、こちらへ近づいてきているのが分かった。反射的に身構えると、奥から近づいてきた人影はアスターの姿をかたどった。

「リリィ、起きてたんだね」

 アスターは明るい表情で、リリィのもとに歩み寄る。

「もうすぐ陽が昇る。今のうちに家へ帰ろう」

 そう言ってアスターは、右手をリリィに差し出した。アスターの手を握ると、リリィはゆっくりと立ち上がる。握られた手は温かく、不思議とリリィの心を落ち着かせた。

 アスターは昨日の逃走劇と同じように、リリィの手を握ったまま歩き出した。

 坑道を抜けて外へ出ると、街全体が薄く白い霧に覆われていた。

 東の空にはまだ陽は昇っていなかったが、僅かに空が白んでいるのが分かる。

 まだ誰もいない静寂と霧に包まれた街を、二人はアスターの家へと向かって歩いた。街の静けさに習うかのように、二人もまた静かに歩き続ける。

 ようやくアスターの家が見えてきた頃には、街を覆っていた霧も幾分かは薄れていた。まるで何日も戻っていなかったような、懐かしささえ感じる我が家にアスターは足を踏み入れた。リリィもその後に続き、静かに扉を閉める。

「はぁ~……」

 アスターは家に入った途端、安堵のため息を漏らした。

「実を言うと、白衣の男たちがいたらどうしようかと思ってたんだ」

 苦笑いをしながらアスターはリリィに言った。その表情には、どことなく疲れが見えている。

「悪いけど、ちょっと眠ってもいいかな。あんまり眠れなかったんだよね」

 寝ずの番をしていたことは伏せたまま、アスターは大きな欠伸をした。

「うん」

「僕はここで寝るから。リリィもだま眠かったら僕のベッドを使っていいよ」

 そういうと、アスターは食卓の脇で寝転がり、急速に眠りについた。

 アスターの寝顔を見つめながら、リリィは自分がどうするべきかを決心した。

「アスター、ありがとう……でも、ごめんね」

 静かに寝息を立てるアスターに、リリィは静かに言った。リリィの青く澄んだ瞳には、これから起こす自分の行動に対しての決意が満ちていた。

 アイリスからもらった帽子と衣服を静かに脱ぎ取り、丁寧にたたんでテーブルの上にそっと置いた。

 足音を立てないよう静かに歩き、ゆっくりと扉を開く。


――街の外に馬を止めてある。連絡はそちらにお願いしてもよろしいかな?


 リリィは、一日前のオレガノとロベリアの話を思い返す。

 唇をきつく結び、力強く踏み出してアスターの家を離れた。

 リリィが家を出たことに気づかないまま、アスターはただ静かに寝息を立て続けた。



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