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第6話 逃走



 アスターは、リリィの手をしっかりと握りしめたまま走り続けた。リリィもまた、アスターに手を引かれながらも、必死についていく。

 後ろからは、白衣を着た男たちが怒声を上げながら追いかけてくる。

「くっ……待てっ!」

 白衣の男たちの執拗さに、アスターは思わず舌打ちをした。

 リリィが自分のことをあまり喋りたがらなかったのは、このためだろうか。本当なら今すぐにでもリリィに説明をしてもらいたかったが、今は逃げることに専念した。

 息を切らしながらひたすら走り続けると、二人の前方に密集した民家が見えてきた。

「リリィ、ちょっと狭いところを通るよ」

 乱れる息をそのままに、リリィは頷くことで返事をする。

 アスターはリリィの手をさらに強く握ると、左へ直角に進路を変え、家と家のあいだへ身体を滑り込ませる。時折、衣服を壁にこすりつけながら奥へと進んだ。

 ふと後ろを振り返ると、狭い路地の入口で男たちは何事か話していた。すると、一人はアスターたちを追い始め、もう一人は来た道を引き返していった。

 白衣の男は逃すまいとその跡を追ってくるが、大人の体格ではその隙間は狭すぎた。少しずつアスターたちとの距離は離れつつあった。

 アスターは通路の脇に置かれていた大きな樽を見つけると、横に倒して白衣の男に向けて転がした。

 白衣の男は迫り来る樽を飛び越えようと地面を蹴る。しかし、タイミングを見誤ったのか宙で樽に足を引っかけ、したたかに顔を地面に強打した。

 顔面を押さえ痛みに悶える白衣の男を尻目に、

「リリィ、このまま引き離して採掘場へ行こう!」

 壁に擦れて徐々に汚れていく衣服を気にもとめず、二人は狭い路地を右へ左へと曲がりながら走り続けた。



 ようやく狭い路地を抜け、アスターたちは開けた通りへと出た。そのまま真っ直ぐ街の南へ走ると、遠くに採掘場が見えてきた。

 採掘場の入口には逞しい体つきをした男たちが、休憩をとっている。

 遠くからこちらへ走ってくるアスターの姿に気づいた一人の炭鉱夫が、

「よぉ、アスター。どうしたんだ? 彼女を連れてデー……」

「ごめんっ、通らせてもらうよ!」

 アスターは速度を落とさずに男の脇を駆け抜けていき、採掘場の奥へと消えていった。

「……ト、じゃあなさそうだな……」

 アスターに声を掛けた炭鉱夫は、呆気にとられた様子でアスターたちの後ろ姿を見送った。その直後に、今度は白衣を着た男が採掘場へと向かってきた。

 額や鼻は赤く擦れ、その傷口からは僅かに血を滲ませている。

「そこをどいてくれっ!」

 白衣の男たちは走りながら怒鳴った。しかし、それを否定するように、炭鉱夫は両腕を広げて白衣の男の前に立ちはだかる。

「おっと、ここから先は立ち入り禁止だ」

 足止めされた白衣の男は、膝に手をつき乱れる呼吸を整える。

「今ここに、二人の子供が来ただろう。私は二人に用がある。通してくれ!」

 息を切らしながら白衣の男は訴える。しかし、炭鉱夫は毅然とした態度で、広げた両腕を降ろすことはなかった。

「ここから先は俺たち炭鉱夫の仕事場だ。関係ない者を通すわけにはいかんな。見たところ、お前さんはトリアスの者じゃないだろう。だったら、なおさら通すわけにはいかねぇな」

 炭鉱夫は、にやりと不敵な笑みを浮かべて白衣の男の訴えを退ける。

「くそっ……頭の硬い連中だ。いいからそこを通せと言っている!」

「何度言っても同じだ。さっさと引き返すんだな」

 近くにいた他の炭鉱夫が騒ぎを聞きつけて、次々と姿を現す。いずれも負けず劣らずの屈強な体つきをした男たちばかりだ。

「なんだ、何の騒ぎだ?」

 その数があっという間に十人を超えた。男たちの立ち並ぶ光景は、それだけで白衣の男に威圧感を与えた。

「ちっ……」

「どうしても通りたけりゃあ、俺たちとやり合うことになるが?」

 その大きな手を胸の前で骨を鳴らし、じりじりと白衣の男に迫った。彼も重要な使命があっての追跡だったが、目の前の大男たちに使命ごと気圧されていく。かたや室内に引きこもっての研究ばかりしてきた線の細い男、かたや採掘場で毎日身体を鍛えられている屈強な身体を持つ十人以上の男たち。巨象の群れに子猿が吠えているような光景だ。

「仕方がない、ここは一旦引こう」

 そう言い残すと、白衣の男は悔しげにその場を立ち去った。

 男の遠ざかる後ろ姿を見て、炭鉱夫がその逞しい両腕を降ろした。

「何だったんだ、あの二人?」

「さぁな。事情は分からんが、どうやらアスターを追ってきたらしい」

 そう答えると、降ろした両腕を今度は胸の前で組んで見せた。

「追ってきた? アスターのやつ、何かやらかしたのか?」

「分からん……が、あいつらはトリアスの者じゃなかった。一体何がどうなってんだか……」

 突然の騒ぎで、何が起きたのか誰一人として分かる者はいない。

 屈強な男たちは一同に首を傾げた。



 アスターとリリィの逃走劇は、小さな街のトリアスではまたたく間に広がり、ちょっとした騒ぎになっていた。その騒ぎを聞きつけたラドロウの美しい師団長と若い兵は、アイリスの前にいた。

「ちょっと、放してよ。あたしは何も知らないって言ってるでしょ!」

 若い男の兵によって後ろ手に捕らえられているアイリスは、正面に立つ白衣の男を睨みつけて怒鳴った。

 アイリスの怒声には耳を傾けず、白衣の男は平静を装ってアイリスに問いかけた。

「つい先程まで、君は白い髪の少女といただろう。我々は、少女の行方を聞かせて欲しいだけだ」

「いたたっ……だから、さっきから何度も言ってるでしょ! ちょっと話をして、服を選んであげただけ。それ以外のことは知らないし、どこへ行ったのかなんて分からないわよ!」

「こら、暴れるなっ」

 アイリスは白衣の男の問いに何度も同じ答えを言うが、ラドロウの兵は掴んだ手を緩めることはない。身をよじって逃れようとするも大人の力には敵わず、両腕に痛みが走るだけだった。

「ラドロウの者たちよ、その子を放すんだ」

 良く通る声が投げかけられると、その場にいた一同が声の方へ振り返る。

 そこには、自警団の服に身を包んだオレガノの姿があった。

「貴殿は先程の……」

「ロベリア殿と言ったか。今すぐ、その子を放してもらおう。トリアスの民を傷つけることは、自警団長として見過ごすわけにはいかない」

 穏やかな口調だったが、その表情には僅かに敵意が込められている。

「待て、彼女を傷つけようとは思っていない。ただ、我々の捜す白い髪の少女のことについて話をしたいだけだ」

 白衣の男は、割って入るように口を挟む。

「その子は知らないと言っているだろう。なら、それ以上の詮索は無用のはず。それとも、これがか弱い少女に対するラドロウ流の尋問か?」

 オレガノの手は鞘に納めた剣の柄にあてられている。場合によっては、ためらいなく剣を抜くという意思の表れだった。

 オレガノの言葉にしばらく思案した後、ロベリアは若い兵に、

「その子を放してやれ」

「ロベリア殿!?」

 白衣の男は、ロベリアの言葉に驚きの声を上げる。

 ようやく自由の身になると、アイリスはオレガノの後ろに身を隠した。

「すまなかった。少々行き過ぎたようだ。ただ、先程もこの男が申した通り、トリアスの民を傷つけるつもりは無い」

 ロベリアは一連の非礼を素直に詫びた。

「では、ひとまずこの場は引いてくれるな?」

「もちろん」

 ロベリアはそう言うと、若い兵と白衣の男を促してその場を立ち去った。

 ロベリアたちの姿が見えなくなると、オレガノは柄にあてた手を降ろした。背後で肩を震わせるアイリスの頭を優しく撫でる。

「大丈夫か? アイリス」

 俯いたままアイリスは大きく頷く。

「来るのが遅くてすまなかった」

 アイリスは俯いたまま、まだ恐怖に震える声でオレガノに訊ねた。

「あの人たち、何なの? どうしてリリィを捜してるの? アスターは無事なの?」

 オレガノはアイリスを落ち着かせようと、何度も頭を撫でながら、

「彼らは隣国のラドロウという街から来た兵だ。詳しくは分からないが、どうやらリリィを追ってここまで来たようだ」

「リリィを追ってきた? リリィって何者なの?」

「それは俺にも分からない。少数とは言え人捜しのために兵を動かしているのだから、単なる少女ではないだろうな」

 オレガノはアイリスに余計な不安を与えまいと、差し障りのない言葉を選んだ。とはいっても、オレガノ自身も正確なところを把握しているわけではない。オレガノが伏せた言葉は、あくまで自身の想像でしかなかった。

「アスターは……アスターは大丈夫かな?」

 ようやく上げた顔には、不安と恐怖が入り交じった表情があった。大きく開かれた瞳の端には、小さな光るものが見える。

「大丈夫だ。俺が必ず見つけ出す」

「うん……」

「アイリス……リリィのことはあまり公言しない方がいい。また、今みたいな事になりかねないからな。今日はあまり外を出歩かないで、家で大人しくしているんだ」

 オレガノの言葉に、アイリスは力なく小さく頷く。目の端に溜まった涙を、指先で拭った。

 ようやく落ち着きを取り戻したアイリスを見て、オレガノはもう一度アイリスの頭を撫でた。

 ロベリアたちが去った方を眺め、オレガノは街のどこかにいるアスターとリリィの安否を気遣った。



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