第4話 少年と少女の朝
白い髪の少女が目を覚ますと、見知らぬ部屋が目に入った。
やや煩雑な部屋の壁には大きな棚があり、そこには様々な鉱石が並び置かれている。少女が寝ていたベッドのすぐ隣にある小窓から、薄暗い部屋を照らすように陽光が差し込んでいる。
「ここは……?」
少女はゆっくりと上体を起こすと、寝ていたベッドから降りて部屋を出た。
隣の部屋に入ると、木製の四角いテーブルの上には食パンと片面だけを焼いた目玉焼きにベーコンが置かれている。二人分の朝食があった。
なぜ見知らぬ家にいるのかを考えていると、別の部屋からアスターが姿を現した。
「あ、やっと起きた」
首に掛けたタオルで顔の汗を拭きながら、アスターは努めて明るく声を掛けた。
「あなたは……?」
「よかった。昨日の夜からずっと眠り続けてたから、心配してたんだ」
アスターは少女の手を取って、握手を交わした。
「僕はアスター。この家で一人で暮らしてる石の技巧士さ」
「アスター? 技巧士……?」
少女は少し驚きながら、アスターの言葉を繰り返した。
「君は?」
「わ、私はリリィ……」
少女の短い自己紹介を聞いて一つ頷き、
「とりあえず座ってよ。遅くなったけど朝食にしよう」
椅子を引いてリリィに座るよう促した。まだ状況が把握できないまま、リリィは勧められるまま椅子に座った。アスターはリリィの向かいの椅子に座ると、パンを口にした。
「ね、ねぇ。ここはどこ? どうして私はあなたの家にいるの?」
空腹を満たそうと勢いよく食べ物を口に入れていたアスターはむせながら胸を叩き、ミルクで喉につかえたパンを胃の中へ流し込んだ。
「僕の方こそ聞きたいな。どうしてリリィは晶樹の森で倒れていたの?」
「晶樹の森?」
「うん。ここから西にある晶樹の森で、君が倒れていたのを見つけたんだ。そのまま放って置くわけにもいかないから、ここまで運んできたんだ」
「そうだったの。ごめんなさい」
「ううん、それはいいんだけど……晶樹の森で何をしていたの?」
アスターの問いに、リリィは昨晩のことを思い出そうとした。いつものように、冷たくて狭いあの部屋にいて、窓から夜の月明かりを眺めていたこと。部屋にラナンたちが入ってきて、それから……。
リリィは、はっと何かに気づいて胸元を見た。肌身離さず身に付けていた、母親の形見である晶石の首飾りは見当たらなかった。悲しげに目を伏せると胸元で、あるはずのない晶石を握りしめた。
そのまま沈黙を続けるリリィに、アスターは気遣うようにできるだけ穏やかに続けた。
「話しにくいことなら、無理に話さなくてもいいよ」
「ごめんなさい……。でも、助けてくれたことは、ありがとう」
「とりあえずさ、食べなよ。リリィもお腹すいてるだろ?」
「うん……」
元気づけようとするアスターに対して、自分の素性や昨日の出来事を話せないことに後ろめたさを感じていた。リリィは目の前に置かれたパンに手を伸ばし、小さな口でゆっくりと食べ始めた。
「アスター、帰ってきてるかぁ?」
ちょうど最後の一口を食べ終えたときに、家の外からアスターを呼ぶ声が聞こえてきた。
二人は声がする方を振り向くと、濃紺のフロックコートを着たオレガノが部屋に入ってきた。
「おはよう、オレガノ」
オレガノは「あぁ」とだけ短く返事をすると、テーブルに目を向ける。昼食にはまだ少し早い今の時間、食事の内容から朝食だということに気づいた。
「なんだ、ずいぶん遅い朝食……ん、その子は?」
オレガノは、一人暮らしのアスターが見知らぬ女の子と食事をしていることに驚いた。
「この子はリリィ。昨日の夜、晶樹の森で倒れていたところを助けて、家まで連れてきたんだ」
「あ、あぁ……そうだったのか……」
リリィは少し怯えた声で「おはようございます」と小さく挨拶した。
少女の特徴的な白い髪に、オレガノの表情が僅かに険しくなる。
「ん、どうしたのオレガノ?」
特に何かを言うわけでもなく、口を閉じたままリリィを見つめていたオレガノに、アスターが声を掛けた。
「いや、何でもない。それよりもアスター。昨日、晶石を採ってきたんだろ?」
「うん、そうだけど……?」
「その晶石で、この子に何か作ってあげたらどうだ?」
「えっ?」
「こうして、出会ったのも何かの縁だ。記念になるかもしれんぞ。それに、こんな可愛い子にプレゼントできるなんて、お前にはそうそうないだろう?」
「な、何言ってるんだよ!」
オレガノの「可愛い」という言葉にアスターは、不意に昨日の夜のことを思い出し、思わず声を荒らげる。しかし、赤く染まったアスターの頬は、オレガノの言葉を否定していなかった。
アスターの慌てふためく姿に、その良く通る声でオレガノは笑い飛ばした。
「照れるな、照れるな。朝食は食べ終わったんだろ。いいから早く工房へ行ってこい」
アスターの前に置かれていた食事はなくなっており、白い陶器の器だけが残っていた。それに対してリリィの食事は、まだ半分以上が残っている。
オレガノはアスターの肩を掴んで立ち上がらせると、半ば強引に背中を押しやった。
「わ、分かったよ。それじゃあそれまで、リリィのこと頼んだよ」
にこやかな笑顔でひらひらと手を振るオレガノを見て、アスターはしぶしぶ工房へと姿を消した。
二人のやりとりに、呆気にとられた風に眺めていたリリィが、オレガノに訊ねた。
「あの……作るって何を……」
「ん、アスターから聞いてなかったかい? あいつは石細工の技巧士なんだ。採ってきた鉱石や宝石を加工して装飾を作ってるんだよ」
オレガノは答えながら、それまでアスターが座っていた椅子に腰を下ろした。
「もともとはあいつの父親がやっていた仕事だったんだが、十年以上前に両親が亡くなってな。今は跡を継いでるのさ。と言っても、まだまだ半人前だがな」
オレガノはアスターが向かった工房にちらりと目を向けると、すぐに視線をリリィに戻した。
「俺はあいつの両親とちょっとした知り合いで、あいつのことは小さい頃から知っている。一緒に暮らしているわけではないが……まぁ、俺が面倒を見ているようなものだ」
「そう、だったんですか」
「まぁアスターのことはこの辺にして……」
自分自身を落ち着かせるかのようにひと呼吸置いてから、今度はオレガノが訊ねる。
「君は一体何者なのかな? 白い髪のリリィさん」
「え……?」
口調はどこか軽い印象だが、オレガノの目は真っ直ぐにリリィの青い瞳を捉えている。
「少なくとも俺の知る限りでは、白い髪を持つ女性はこの世に一人しかいない」
「…………」
「本来、人は白い髪をもって生まれることはない。生まれつき白い髪を持つ女性は、特異な存在とされている」
リリィはオレガノの言葉を静かに聞き入った。
「俺が知っているその女性は、様々な奇跡の力を持っていた」
「奇跡……」
自身の言葉を繰り返すリリィに、オレガノは小さく頷くと、
「今から二百年以上も前に実在した女性。聖女フリージアって、聞いたことあるかな?」
「は、はい……母から名前だけは……」
「当時の彼女は、その力で様々な奇跡を起こして、人々を救った。干涸らびた土地に水を与え、不治の病を治し、時には天災をも退け。人々を救う彼女は、いつしか聖女と呼ばれるようになった」
オレガノはアスターが飲み残したミルクを一口啜った。
「彼女の死後、人々は新たな聖女を待ち望んだが一向に現れることなく、フリージアは少しずつ人々から忘れ去られていった……」
そう語るオレガノの表情には、どこか寂しさが含まれている。
「しかし、白い髪の女性は再び現れた。今こうして俺の目の前にいる」
「わ、私は……」
「さっき、昨日の晩に晶樹の森で倒れているところをアスターが助けた、と言っていたね。あそこから近いところには、ここトリアスと隣国の城塞都市ラドロウがある。ラドロウは少し前から特殊な機関が存在して、ある研究をしているとか。もしかして君は……」
オレガノの言葉に驚いたリリィは、とっさに腰を上げ後ずさる。その拍子に、リリィが座っていた椅子が派手な音を立てて床に倒れた。
「私を……ラドロウに連れて帰るんですか? あなたは一体……」
怯えるリリィにオレガノは両手を振って、慌てて否定した。
「いや、そうじゃない! 驚かせてすまなかった。とりあえず、座ってくれるかな?」
まだどこか警戒心が解けないものの、リリィは倒れた椅子を戻して座り直した。
「まぁ、これで君のことが少し解ったよ。ちなみに、アスターには話したのかい?」
リリィはゆっくりと首を横に振った。
「そうか……俺はあいつの育ての親のようなものだ。できればあいつには余計なトラブルに巻き込まれて欲しくない、というのが本音だ。だが、君を無下に追い返すつもりもない。一応、白い髪の女性については多少は知っているつもりだからな」
「知っているって……どういうことですか?」
「まぁ、それについては……」
不意に、家の扉をノックする音が聞こえた。
家の外に数人の気配を感じ取ったオレガノは人差し指を口にあて、リリィに静かにするように伝えた。
「少しのあいだ、アスターの部屋に行った方がいい」
状況が飲み込めないリリィだったが、オレガノの指示に従って奥にあるアスターの部屋へ向かった。
リリィが姿を隠したのを確認すると、オレガノは家の扉を開いた。
扉の外には、オレガノの服装に似た深紅のフロックコートに鉄製の胸当て、腰には細い剣を携えたロベリアが立っていた。ロベリアの後ろにはもう一人、若い男の兵士らしき者がいる。
「突然申し訳ない。私はオルドビス公国の者だが、今、人捜しをしている」
「人捜し?」
アスターの家はトリアスの街の外れに位置する。そのため、この家に人が訊ねることはそう多くはない。それに、二人の服装は隣国オルドビス公国の軍服だ。わざわざ、隣国から人気の少ないこの家を訪ねてくることにオレガノは違和感を覚えた。
「はい、名はリリィ。年の頃は十三、四で、白い髪の少女なのだが……心当たりは?」
ロベリアは威圧するわけでもなく、至って平静を装って訊ねた。
「いや、この辺りでは見かけないな。ここは辺境にある小さな街だ。そのような少女がいたらきっと目立つだろう」
「うむ……」
「わざわざ隣国から足を運ばれたのであれば、それなりの理由があるのだろう。俺はトリアスの自警団長を務めるオレガノだ。もし見かけたのなら貴殿に伝えよう」
「それはありがたい。私はオルドビス公国・城塞都市ラドロウの師団長ロベリアだ。街の外に馬を止めてある。連絡はそちらにお願いしてもよろしいかな?」
「分かった」
ロベリアたちはオレガノに一礼すると、アスターの家を後にした。
二人の姿が見えなくなったのを確認すると、オレガノは静かに扉を閉じた。
「あの……」
話し声が途絶えたことに気づいたリリィが、部屋の奥からおずおずと覗き込んでいた。
「あぁ、もう大丈夫だ」
そう言ってオレガノは、再びリリィに座るよう促す。
リリィはゆっくりと椅子に座り、
「どうして本当のことを言わなかったんですか?」
「なんだ、言って欲しかったのかい?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「さっき言ったろう。俺は無下に君を追い返すつもりはないと。それに、そんなことをしたらアスターのやつが……」
「僕がどうしたって?」
いつの間にか、工房からアスターが顔を覗かせていた。
「アスター」
不意にアスターの声がしたことに、オレガノは僅かに驚いた。
「さっき、聞き慣れない声が聞こえたんだけど……誰か来たの?」
「あぁ、ちょっと道を尋ねられたんだ。どうやら迷ったらしくてな」
オレガノは隣国から師団兵が来たことを伏せ、とっさに当たり障りのないことを口にした。
「そうなんだ」
「それよりもアスター。リリィを連れて街へ行ってこい。良い機会だ、たまには可愛い女の子と息抜きしてこい」
「な……何言ってんだよ!」
「そう照れるな。あぁ、彼女はあまり目立ちたくないらしいから、何か上から着せてやれ。今のままではトリアスでは目につくからな」
オレガノはリリィの白い髪、白い肌、白い服を見て言った。
「そうなの……リリィ?」
リリィは返答に迷い、オレガノを見た。
オレガノは柔らかい笑みで一つ頷く。
いいように振り回されている感を否めないながらも、アスターはオレガノの提案を受け入れることにした。
「確かに、ずっと家の中に、って訳にもいかないか。リリィ、ちょっと待ってて」
アスターは自室に戻って、リリィに合う服を探し始めた。
オレガノは自室にこもったアスターに、
「それじゃあ俺は街の巡回に戻るからな」
部屋の奥からアスターが返事をすると、オレガノは一人家を出た。
扉を後ろ手で閉めると、
「白い髪、か……」
オレガノは神妙な面持ちで小さく零し、街へと向かって歩き始めた。