第3話 ラドロウの動向
「ラナンよ、貴様らしからぬ失態だな」
大きな椅子に深々とふくよかな身体を沈めたまま、男は苦言を呈した。深緑で統一された服は、男の大きな腹部によって引き伸ばされている。
豪奢に飾り立てられた部屋で、男が座る椅子が僅かに軋む。
「申し訳ありません、私の行動が軽率でした」
ラナンは目の前の男に対して、うやうやしく頭を下げた。
「まぁよい。それより、師団兵の件だったな」
「はい」
「たかが娘一人のために師団を動かすわけにはいかん。まだ、事を荒立てるわけにはいかんからな。だが、護衛という名目で数名なら連れて行ってかまわん。師団長のロベリアに話を通すといい」
「感謝いたします」
男は机の引き出しから葉巻を取り出すと、口にくわえて火を着けた。口から吐き出される煙がラナンの眼前に迫り、総督室に広がる。
「ところで、例の石はどうだ?」
ラナンはわざとらしく咳払いをして、
「まだ調査中ではありますが、少女の件を考えると本物である可能性は高いかと……」
ラナンの報告に、男は満足げな笑みを浮かべた。
「ふふっ……そうか。かつて、デボン皇国の聖都マルムをたったの一日で灰にしたと言われる力。早くこの目で見てみたいものだ」
「本物であれば、マルムの二の舞にならないよう細心の注意を払わなければなりませんので。ルドベキア総督には、今しばらくお待ちいただきたく存じます」
「ワシとて急くつもりはない。一国を覆すだけの力を秘めた石だからな。だが、何事にも限度というものがある」
ルドベキアの顔からは先程の笑みは消え、目の前にいるラナンを鋭く見据える。それに応えるように、ラナンはもう一度頭を下げてみせた。
「承知しております。総督の壮大な計画に関わる、重要なことですので。それにしても……」
ラナンはひと呼吸おいて続ける。
「総督の野心には底がございませんね」
ルドベキアは大きな身体を揺らしながら、豪快に笑い出した。
「親の仇がよく言う」
「彼女は特別な存在です。ならば、しかるべき庇護下にあるのは当然でしょう。それに、これは彼女自身のためでもあります」
「娘に関しては、貴様の好きなようにするといい。黒い石の件、引き続き頼んだぞ」
ラナンは一礼すると、大きな扉を開いて総督の部屋から出た。扉のすぐ傍では、白衣を着た男が待っていた。ラナンは小さく息をついて歩き出すと、白衣の男もその後に続いた。
「ラナン所長、いかがでしたか?」
「兵に関しては、ロベリア殿に話を通してくださるらしい」
「そうでしたか。ではさっそく、こちらも出立の準備を進めておきます」
そう言い残すと、白衣の男は素早い足取りでラナンの前から姿を消した。
「壮大な絵空事な計画なことだ。総督の座すら身に余る分際で、国をどうこうできるわけがない。その調子で、せいぜい私の手のひらで踊り続けるといい」
広い廊下に一人残されたラナンは、内なる声を漏らした。
その口元には、ルドベキア以上の不敵な笑みがあった。
翌朝。日が昇ってまだ間もない、ラドロウの街道には人の姿もまばらな時間。ラナンが所長を務める奇石研究所の前には、四名の兵と彼らが乗る馬の姿があった。兵と言っても重苦しい全身を覆う鎧を纏っているわけではない。深紅のフロックコートに鉄製の胸当てを着けただけの軽装に、腰には細身の剣を携えているだけだ。
その中の一人が、この上ない不機嫌な表情を露わにしていた。
「なぜ少女一人を捜すために、少数とはいえ兵を動かさねばならないのですか?」
若い男の兵は、師団長である金髪の女性に問いかけた。
「総督からは、トリアスまでの護衛と人捜しとしか聞いていない。それに、戦うばかりが我々の役目ではないぞ」
「それはそうですが……」
師団長にたしなめられ、若い男の兵は僅かに口ごもらせる。
男を気遣うように、師団長の女は言葉を続ける。
「気持ちは分かる。だが、これも兵としての使命と思って堪えてくれ」
「ですが、師団長であるロベリア様までが同行するというのは……」
男の言葉にロベリアは口元に小さく微笑を浮かべ、
「私のことは気にするな。それだけこのラドロウが平和であると言うことだ」
ロベリアは異論を唱える若い兵に対して、叱責するわけでもなく、穏やかな口調で諭した。
腰まで届く、長く美しい金色の髪が穏やかな風に揺れる。
本来なら、目上の者に対して若い男の兵のような発言は慎まなければならないが、ロベリア自身がそれを良しとしなかった。少なくとも自分に対しては<言いたいことは、はっきりと言う>ということを、部下である兵たちに言い聞かせていた。
二十七歳という若さで、しかも女性でありながら城塞都市ラドロウの師団長となったロベリア。兵としての実力もさることながら、寛容な性格と兵に対する心遣いから、部下たちから慕われていた。また、鋭いながらもどこか優しさを宿した瞳、整った鼻、薄く引き締まった唇。それらから生まれる美しく凛々しい表情も、部下だけでなくラドロウの民からも人望を集める要因になっている。
総督のルドベキアからも正当な評価を受け、師団長という地位を授かることになったのだが、ロベリアは総督に対して快く思っていない。ルドベキアは、少なくとも表向きは決して悪い人物ではないが、時折見せる独裁的な一面が、ロベリアのルドベキアに対する信用を希薄にさせている。しかし、彼女を慕う部下やラドロウの民のことを思うと、その本心をさらけ出すわけにはいかなかった。そのこともあり、ロベリアは今回の護衛の話も、嫌な顔をせずに引き受けたのだった。
ほどなくして研究所の扉が開かれると、ラナンと白衣を着た二人の男が現れた。
「ロベリア殿、お待たせして申し訳ありません」
ラナンはロベリアのもとに歩み寄ると、手を差し出した。ロベリアも手を差し出して、その手を軽く握った。
「いえ、ご準備の方はよろしいですか?」
「はい。師団長自らご同行いただいて恐縮です」
「それではラナン殿たちは、後ろの馬車にお乗りください。トリアスまで我々が先導します」
ラナンの背後にいた白衣の男たちは、荷物を馬車に積み込み始める。
荷物の積み込みが終わり、ラナン自身が馬車に乗り込もうとしたとき、研究所から呼び止める声が聞こえた。
「ラナン所長!」
研究所の扉から現れた男はラナンに駆け寄ると、ロベリアたちには聞こえないように小さな声で耳打ちした。
「晶石の結果が出ました」
「どうだった?」
「晶樹から採れる晶石に似ているようです。ただそれ以上のことは今のところは……」
「晶樹か……石は今どこに?」
「ここにあります」
そう言うと、男は手にしたリリィの晶石を差し出した。ラナンは考えを巡らせてから、男から晶石を受け取り、白衣のポケットに入れた。
「ひとまず私が持っておこう」
ラナンが馬車に乗り込むと、あとの二人もそれに続いた。
ラナンたちが馬車に乗り込んだのを確認したロベリアは、
「それではよろしいですか?」
「お願いします」
確認が終えるとロベリアの合図で馬が歩き出し、他の兵士と馬車がその後に続いた。
敷きつめられた石畳のおうとつに揺られながら、馬車はゆっくりと進み始める。
「晶樹から採れる石に似た性質、か……」
ラナンは独り言のように呟くと、荷物の中から一束の書類を取りだした。その中から晶樹に関する記述を見つけ出すと、小刻みに揺れる馬車の中で目を通した。
「なるほど。あながち無関係と言うことでもなさそうだ」
ラナンが顔を上げ外に目をやると、馬車はすでにラドロウ近隣の道を走っていた。
これからラドロウの本格的な一日が始まろうという時間に、リリィ捜索の一行は隣国に位置する鉱山都市トリアスへと向かった。