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第2話 光降る森



 月がまだ薄い雲で覆われている頃。

 小さな鉱山都市トリアスの街道を、一人の少年が歩いていた。

 背負ったバッグからは、少年が歩くたびに金属同士がぶつかる鈍い音が鳴った。

 少年の表情は、まるで何か良いことがあったかの様な、またはこれからあるかのような、そんな笑みを浮かべている。はやる気持ちを抑えきれないかのように、その足取りは軽く、普段よりも少しだけ歩幅は大きくなっている。

 歩き慣れた暗い夜道を進むと、正面にランプを手にした人影が見えてきた。

 小さなトリアスの街では住民の数が少なく民家も少ないため、街の外れともなると開けた場所が多くなる。夜道を照らすのは、遥か上空からの月や星の輝きと、手にした携帯用の小さなランプのみだ。

 正面から近づいてくる人影を見極めようと、少年は足を止めてランプを前にかざした。

「なんだ、アスターか?」

 少年に近づく人影が、声を掛けてきた。

 自分の名前を呼ばれた少年は、その良く通る声に聞き覚えがあった。

「オレガノ!」

 人影の正体が自身のよく知る人物と分かると、少年はオレガノと呼んだ男のもとへ駆け寄った。

 軍服にも似た濃紺のフロックコートに身を包み、腰には鞘に収まった剣。左手には革製の手袋をはめている。胸元には、トリアスの自警団が身に付ける石の形を模した章が付けられている。どうやら夜の街を巡回中のようだ。

「どうしたんだ、こんな時間に」

 人気のない夜道に一人でいることを、オレガノは率直に訊ねた。

「今日は、晶樹(しょうき)が年に一度の胞子を降らせる日なんだ」

「晶樹の森に行くのか?」

 トリアスの西には晶樹の森と呼ばれる、結晶化した木々がある。透き通るような晶石の姿をしていることから、晶樹と呼ばれていた。鉱石の一種でありながら、植物のように生長する不思議な木である。晶樹は年に一度だけ、満月の夜になると胞子を降らせる。胞子もまた晶樹のように透明度が高く、月明かりを受けた胞子は幻想的な輝きを放ちながら、ゆっくりと大地に降り注がれる。

「うん。胞子を見るのもそうだけど、晶石を採りに行かなきゃならないから」

「そうか、気をつけて行けよ」

 オレガノはそう言い残すと、街の方へと歩き出した。

 アスターもまた、目的地である晶樹の森へと向かい歩き始めた。



 晶樹の森は、空に浮かぶ星明かりを受けて、森全体がうっすらと光を放っているように見えた。

 森に辿り着いたアスターは、手にしたランプの明かりを消した。

 植物の木の姿を模した晶樹は、暗闇の中、仄かに光を放っている。

 幻想的な輝きを眺めながら、アスターは木々のあいだを縫うように森の奥へと歩き出した。

 晶樹の高さは、いずれも二十メートル前後。幹からは細い枝が伸びているが、晶樹には葉に相当するものがない。これが晶樹でなければ、ただの枯れた森にしか見えないだろう。

 アスターは一本一本、確かめるように見ては、手に触れて晶樹の状態を確認していた。しばらくのあいだ晶樹の状態を確認していると、これまでより一回り大きな晶樹が見えた。アスターはその晶樹を眺め、同じように手に触れて晶樹の状態を確認した。

 軽く拳で叩くと、木の堅さではなく、鉱石の堅さに似た手応えを感じる。

「うん。いいな、これ」

 背負っていたバッグを降ろし、中から小さなノミと金槌を取りだした。

「悪いけど、少し採らせてもらうよ」

 アスターは晶樹に断りを入れると、手にした工具で晶樹の幹を削り始めた。静寂な森に、金属同士がぶつかる甲高い音が響き渡る。少しずつ丁寧に晶石を削り採っていき、両手に余るほどの量を採取した頃、アスターの頭上で薄氷がひび割れるような音が聞こえてきた。

「あ……」

 見上げると、晶樹の上部からいくつもの光の粒が粉雪のように舞っていた。

「胞子が降り始めたんだ」

 アスターは手を止めて、工具と採取した晶石をバッグに押し込んだ。それから1枚の布を取り出すと、それを口元にあてて頭の後ろで端をきつく結び、マスクのように鼻先と口を覆った。

 そのままその場に寝転がり、上空から降ってくる胞子を眺めた。

 晶樹の胞子は非常に軽く、細い枝の先端が砕けるたびに無数の胞子が舞い上がらせた。晶樹と同様に、月明かりを受けて淡い輝きを放つ胞子の姿は、この世のものとは思えない神秘的な光景だ。しかし、美しい輝きを放つ胞子は、ひとたび吸引すると人の体内で胞子が生長し、身体の内側から結晶化が進みやがて死に至る。かつてそのようなことが起こったため、胞子が降る日は誰も森には近づかなくなった。

 風に運ばれた胞子はやがて大地に降り、植物と同様に生長していくが、生長の条件が厳しいためか森は十年で数本しか根を伸ばさない。

 晶樹のことはまだ未知の部分が多く、詳しいことはあまり知られていない。安易に手を出してこの美しい光景を失いたくない、という人々の思いから、アスターのような採取した石から装飾を作り出す技巧士以外は、手を出さないようにしていた。それは技巧士も同じ思いで、不必要な採取は誰も行おうとはしなかった。

「やっぱり、何度見ても凄いな……」

 アスターは地面に寝転がったまま、じっと胞子の動きを眺めていた。ゆるやかな胞子の動きは、少しずつアスターを眠りへと導いていく。やがてアスターはゆっくりと瞼を閉じ、そのまま眠りに入ろうとしたとき。

 閉じた瞼の奥を刺激する強い光を感じた。

 その刺激に眠りの世界から急速に引き戻されたアスターは、勢いよく上体を起こした。

「な、何……?」

 辺りを見渡すと先程のような強い光はどこにもなく、眠りに入る前と変わることなく上空には胞子が舞い続けている。

 ゆっくりと立ち上がり、もう一度辺りを見渡した。すると、晶樹が群生する中に見慣れないものが視界に入った。ゆっくりと近づくと、晶樹の根元で膝を抱えるようにして倒れている少女の姿があった。

「だ、誰……?」

 少女はアスターと同じ年頃で十三、四歳といったところ。一際目を引いたのは、頬に張り付いた白い髪と、透き通るような白い肌。

 アスターは恐る恐る少女に近づくと、その肩に触れて小さく揺すった。

「ね、ねぇ……君、大丈夫?」

 しかし、少女が起きる気配はなく、その瞳は瞼に覆われたままだった。

「誰だろう? トリアスでこんな子は見たことないし……」

 目の前の少女をどうするか悩んでいると、舞っていた胞子の一粒が少女の頬に落ちた。

「とりあえず、このまま放っておくわけにもいかないか」

 アスターはバッグから布を取り出すと、自身と同じように少女の口元を布で覆った。そのとき、少女の頬に、一筋の濡れたような跡が見えた。

「…………」

 アスターは背負っていたバッグを腕に掛け、白い少女をゆっくりと背負った。

 少女の身体が安定したのを確認すると、アスターは足下に気をつけながら歩き出した。

 晶樹の森を出ると、森の中とは対照的に暗闇に包まれた景色が広がっている。

 背中で眠ったままの少女に気遣いつつ、アスターは歩き慣れた道をゆっくりと歩き始めた。

「あそこには誰も居なかったはずなんだけどなぁ。この子、いつの間に来てたんだろう」

 アスターは自分のすぐ横にある少女の顔に目を向けた。少女の瞳は相変わらず閉じられたままだ。

 少女の顔は小さく、白い肌は一切の汚れもない美しい肌をしている。均整の取れた目と鼻は小さく、ゆるやかな曲線を描く頬は何とも言えない柔らかさを想像させる。

 急に、少女の顔がすぐ隣にあることを意識したアスターは、自分の顔が赤くなるのを感じた。特にやましいことを考えていたわけでもないのに、慌てふためく自分がいた。少女に向けていた目を慌てて正面へ戻す。

 しかし、少女を支えるためとは言え、抱える白い足に触れている手や、背中に感じる少女の体温に意識してしまう。

 大仰に頭を振って、あらゆる思考を頭の中から振り落とした。

「とにかく、家に連れて行くしかないかな」

 自分自身を納得させるように呟き、トリアスにある自分の家へと向かって歩き続けた。



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