第19話 リリィのキセキ
夜の暗闇に包まれた森の中を、金色と銀色に輝く光が駆け抜けていた。
二つの光は森の深部に到達すると、ようやくその動きを止めた。
金狼は足を止めると同時に、その巨大な口に咥えていた少年を吐き出すように解放する。
「コリウス!」
金狼の口から解放された少年は、地面を転がると、慌てた様子で立ち上がる。
疲れ果てたようにその場で倒れ込む金狼に、アスターが駆け寄った。
白い髪の少女を咥えていた銀狼も、ゆっくりと少女を地面へ降ろす。
『まさか、人間ごときにしてやられるとはな……』
本来あるはずの尾から血を流しながら、コリウスは息を荒くした。
『大丈夫か、コリウス?』
銀狼は苦しむ金狼の顔を覗き込んだ。
『あぁ、この程度の傷で死にはせん』
だが、痛みに苦しむ金狼の表情に、それほどの説得力はなかった。
「ねぇ、アスター。この狼たちは……?」
ラドロウでの騒動で、何がどうなっているのかまったく分からないままのリリィは、ようやくその口を開いた。
「この二頭はコリウスとジニア。人の言葉を話せる獣で、リリィを連れ出すのに協力してくれたんだ」
詳しく説明すると長くなるため、アスターは必要最低限のことだけを述べた。
「それじゃあ、私のために……?」
リリィはトリアスの街でのことを思い出し、表情を曇らせた。自分の存在が、人だけでなく獣までにも迷惑を掛けてしまった。その思いが、リリィの胸を強く締めつける。
「……ごめんなさい」
痛みに倒れ込む金狼に、リリィはそっと手を置いた。リリィが優しく金色の毛並みを撫でると、金狼の表情から、徐々に苦痛の色が薄れていった。だが、それは金狼の思い込みではなく、実際に痛みが引いていた。黒い火から逃れるためジニアによって尾を噛み千切られた傷口が、驚異的な速度で塞がっていく。やがて傷口は完全に閉じ、コリウスの出血も治まった。
「傷が……」
『聖女の奇跡、か……?』
アスターが漏らした言葉に、ジニアが答えるように呟いた。
傷が塞がり痛みが引いたコリウスは、ゆっくりと四本の足で立ち上がる。
『聖女よ、助かった。礼を言う』
「えっ? 聖女?」
自身の持つ力にまだ気がついていないリリィは、傷が治ったことも、自分が聖女と呼ばれることも、理解できていなかった。戸惑うようにアスターたちを顔を見ていると、後方から低い声が聞こえてきた。
『その白い髪……本当に聖女だったか』
二人と二頭が声の方を振り返ると、巨大な黒獅子の姿があった。
『レグネリー様』
巨狼たちは、かしずくようにその場に座った。
『少年、どうやら目的は無事に果たせたようだな』
「うん、ありがとう。コリウスとジニアも、本当にありがとう」
「あの……聖女って一体……?」
先程から出てくる聖女が、どうやら自分のことを指しているらしいことは分かったが、なぜそう呼ばれるのかはリリィには分からなかった。
『なんだ、何も知らなかったのか。それでは我から話をしよう』
レグネリーは自ら、聖女について説明を始めた。
かつて、リリィと同じ白い髪を持った女性がいたこと。その女性は体内に宿した奇石の力で多くの人々を救ったことで、やがて聖女フリージアと呼ばれるようになったこと。そして、彼女の死後、その身体から取り出された奇石が、今なおこの大陸のどこかにあることを。
「さっきコリウスの傷を治したのは、リリィの持つ奇石の力だよ。そして、たぶんラナンは、リリィの身体の中にある奇石が目的だと思う」
レグネリーの説明にアスターが付け加える。
これまでラナンからは、特別な力を秘めている程度しか聞かされていなかった。レグネリーによって詳細を知ることができたリリィは、自分が聖女と呼ばれる理由とラナンの目的を理解した。
「私が聖女で……奇石を持ってる……?」
『そなたがどのような奇石を宿しているのかは、他の者に知る術はない。己自身で見いだす以外にな』
「でも、ラナンは奇石を持っていたよ。黒く光る石を……」
アスターは、ラナンが黒い火で人を塵にしたことを思い返した。ラナンはすでに奇石を持っている。
急に不安になり、アスターは心配顔でリリィを見た。
アスターの意図を察したリリィはゆっくりと首を横に振り、その不安を否定した。
『おそらく、フリージアが持っていた奇石だろうな』
黒い火で自身の尾を失ったコリウスは、今は無き金色の尾を見ながら、
『あれは対象をすべて塵にする危険な力だ。うかつには手を出せん』
『狙いが奇石であれば、そのラナンという者は必ず聖女を取り返そうとするだろうな』
レグネリーの言葉に、有効な対策を提示することができず、その場は沈黙に包まれた。
一同の不安にレグネリーは小さく息をつき、
『とにかく今は、みな休息をとるといい。対策はそれからだ』
そう言い残すと、レグネリーはその場を離れて森の深部へを姿を消した。コリウスとジニアも、遅れてその後に続く。
「そうだね。僕たちも、ここで少し休もう……リリィも、いろいろあって疲れた……でしょ?」
リリィを気遣うように言うと、急に疲れが出たのかその場に倒れ込んだ。そして、アスターはそのまま寝息を立て始めた。
アスターの寝顔にどこか安心したような表情を浮かべると、リリィは胸元にある母の形見に手を手にする。が、首から掛けていたはずの晶石はなかった。どこかで落としたのだろうかと記憶を辿るが、明確な答えは出なかった。銀狼にここまで運ばれる際に、その途中で落としてしまったのかもしれない。
リリィは諦めた様子で息をつく。
「お母さん……私が聖女だって、知ってたの? 私……これからどうしたらいい?」
小さくこぼしたつぶやきは、誰の耳に届くことなく森の闇へと消え去る。
目を閉じて考えるも疲れが出たのか、ほどなくしてリリィも眠りについた。