第17話 奇石の力
「さて、なぜここにいるのか説明願おうか」
ラナンが去った後、ロベリアは目の前で立ち尽くすオレガノを見据えた。
「リリィを……白い髪の少女を連れ戻しに来た」
オレガノはゆっくりとロベリアに振り向く。その顔には、奇石を持ち去ったラナンに対する焦りの色が出ている。
「あの少女か……貴殿もラナン殿も、なぜあの少女に固執する?」
「やはり何も知らされていないか……」
小さく溜息をつくと、オレガノは肩をすくめて見せた。
「どういうことだ?」
「白い髪は聖女の証だ。彼女の体内には未知の奇石が宿っている。ラナンはそれを手に入れようとしているのだ」
「聖女、だと?」
ロベリアは小さく眉をひそめ、その瞳からは僅かな動揺が見て取れた。
「耳にしたことくらいはあるだろう、聖女フリージアの話を」
このファネロ大陸において、聖女フリージアにまつわる話は神話や民間伝承の類に位置し、各国でその名が知られている。生前に起こしたさまざまな奇跡とともに、人々のあいだで語り継がれている。ロベリアも例外なく、フリージアの話は幼い頃から聞かされていた。
「奇石の力はそれ一つで国を左右する力を持っている。やつは明らかに、奇石の力を利用して何かを企んでいる。それを看過するわけにはいかない」
「企むだと。何を知っているというのだ」
オレガノの言葉に、ロベリアの動揺は徐々に広がりつつあった。
「そこまでは分からん。だがやつはすでに奇石を一つ手にしている。それを知った以上は、放っておくわけにはいかん」
真っ直ぐにロベリアを見据えるオレガノの瞳は、嘘ついているそれではなかった。ロベリアにはオレガノが動揺を誘う虚言を言っているのではなく、真実だと言うことを直感した。
「時間がない、通してもらおう」
オレガノが部屋を出ようと踏み出すと、ロベリアは反射的に剣を抜いてオレガノの前に立ちはだかった。
「悪いがすんなり通すわけにはいかない。彼がラドロウの者である以上、私には彼を守る義務がある。それにこれは総督の意思でもある」
ロベリアの実直なまでの志しに、オレガノはやや呆れた様子で、
「今の話を聞いていなかったのか? やつを放っておけばこの街どころか、オルドビス公国の存在すら危ぶまれるかもしれんぞ」
「ラドロウの兵はルドベキア総督の言葉にのみ動く、それだけだ」
「ならば、力尽くで通させてもらう」
腰に下げた剣をゆっくりを抜き、オレガノは構えた。
一定の距離を保ったまま、両者の睨み合いが続いく。
「いくぞっ!」
言うと同時にロベリアは前へ踏み出し、手にした剣を振りかざした。
オレガノは剣を水平に構え、振り下ろされるロベリアの剣を受ける。同時に、手首を捻ってロベリアの剣を振り払い、横を抜けつつ今度はオレガノが剣を振り下ろす。
ロベリアは身を捻ってその斬撃をかわし、そのまま流れるように剣をなぎ払う。
振り下ろした剣をそのまま垂直に構えて、オレガノは左から迫るロベリアの攻撃を防ぐ。
「融通の利かないやつだな。他人の言葉ではなく、自分の意思で動こうとは思わないのか!」
オレガノは一旦距離を置くと、間髪入れずに剣を鋭く突き出した。
「私が、この街のために剣を振るうことに違いはない!」
突き出された剣を避け、ロベリアはオレガノの頭上に剣を振り下ろす。
甲高い音ともに剣と剣がぶつかり合い、そのたびに薄暗い部屋の中には閃光に似た火花が散った。
「総督に……この街に忠誠を尽くすと、私はこの剣に誓った。それに仇なす者は誰であろうと容赦はしない!」
「ついさっき、真実を突きつけられて動揺したのは誰だ! 思考だけでなく、忠誠心も揺らいだのではないのか?」
「っ……だまれっ!」
二人は口撃を交えつつ、剣を持つ手を休めることはなかった。何度となく、振り下ろし、なぎ払い、突きの応酬が交わされる。まったくの互角に打ち合う二人だったが、視界の悪い部屋で足下に転がる椅子にオレガノは体勢を崩した。
その一瞬の隙を逃さず、ロベリアの剣が迫る。
辛うじて斬撃を防ぐも、弧を描くようにしてオレガノの剣ははじき飛ばされた。
「これまでだな」
オレガノに剣を突きつけるように、ロベリアが立ちはだかる。丸腰のオレガノは誰の目から見ても窮地に追い込まれた状況だ。しかし、当の本人はまったくその気配はなく、僅かに口元を歪ませる。
「はたしてそうかな?」
そう言いながら、オレガノは左手にはめた手袋を静かにはぎ取った。
開いた左手に握られた右手を重ねると、オレガノの手から光が放たれる。
「な、なんだ!?」
オレガノが素早く右腕を払うと、その手には返り血に染まったかのような赤黒い刀身を持つ剣が握られていた。
「ばかな! 手の平から、剣だと……!?」
「よく見ておけ。これが、奇石の力だっ!」
オレガノが水平に払った瞬間、すさまじい衝撃がロベリアを襲った。
オレガノの斬撃はロベリアの頭をかすめると、後方にある壁を突き抜けた。斬撃はそこで留まらず、ラドロウを囲う城壁をも打ち砕いく。
剣圧に吹き飛ばされたロベリアは、したたかに背中を打ち苦悶の声を漏らした。
「ぐあぁっ!」
痛みを堪え、とっさに顔を上げたロベリアの眼前には、オレガノの赤黒い剣先が突きつけられていた。先程と似たような構図だが、二人の立ち位置は真逆になった。
「俺の言葉を思い返して、もう一度よく考えてみることだ。忠誠心が揺らいだのなら、己の中の正義で動いたらどうだ、師団長殿?」
「くっ……」
剣圧に吹き飛ばされた際に剣を手放してしまったロベリアは、眼前に突きつけられた剣先を睨んだ。
二人のあいだにわずかな沈黙が降りたその直後、窓ガラスを打ち破って、何者かが部屋の中へ飛び込んできた。
ロベリアに向けた剣を引いて、オレガノは反射的に身構える。
部屋に飛び込んできた者がゆっくりと立ち上がると、外からの明かりでその姿が露わになる。
「なっ……お前、なぜここに!?」
オレガノは、見知った顔の闖入者に対して驚きの声を上げた。
リリィの手を引いたアスターは、誰ともすれ違うことなく研究所の外へと飛び出した。アスターの目の前では、二頭の巨狼とラドロウの師団兵の抗争が続いていた。
抗争とは言っても、巨狼たちの圧倒的な力によって兵の士気はすでに消えかかっている。
「コリウス! ジニア!」
不意に自分たちの名を呼ばれた巨狼は、後ろを振り返った。研究所の扉の前に、アスターを白い髪の少女の姿を見た。
『その娘か』
「うん。だから、早くここを離れよう!」
「そうはいきませんよ」
疲弊した師団兵たちのあいだを縫って、ラナンが姿を現した。
「お前は……!」
アスターはリリィを庇うように、前へ踏み出した。
「君も来ていましたか、アスター君」
二頭の巨狼を前にしても動じることなく、ラナンは堂々と前に立ちはだかる。
「前にも言ったはずです。彼女は我々で保護すると、それが彼女のためでもあると」
「僕も言ったはずだ。リリィはここにいるべきじゃない、連れて帰ると」
余裕の態度を崩さないラナンに、アスターは自身の決意を口にした。それを裏付けるかのように、アスターの眼は力強くラナンを捉えている。
「言うことを聞かない子供には、少々お仕置きが必要なようだ」
不敵な笑みを浮かべると、白衣のポケットに忍ばせていた右手を静かに上げようとした。
「おい、ラナン! 一体何の騒ぎ……ひっ!」
師団兵を両手でかき分けながら、ふくよかな身体を揺らしながら男が現れた。ラナンたちの前に現れた男は、眼前の巨狼に驚いて目を見開いた。
「これはこれは、ルドベキア総督」
「いい、一体何事だ! それにこの化け物は……」
ラナンは涼しい顔のまま、
「ちょうど良い。被験者第一号はあなたになってもらいましょう」
右手に忍ばせていた黒火の石を取り出すと、ラナンはルドベキアに向けてかざした。
「被験者? 何を言って……!」
ルドベキアが言い終える前に、ラナンが手にした奇石が黒い閃光を放った。その直後、ルドベキアの大きな身体を黒い火が包み込んだ。
「な、何だこれは!」
自身の身体を覆う、炎のように燃え盛る黒い火を見てルドベキアは言った。それは通常の赤い炎とは違い、まったくの熱をはらんでいなかった。
黒い火に包まれたルドベキアの身体は、手足の先端から徐々にその存在が塵となっていくのが見えた。
「なっ……か、身体が消えて……?」
「これが以前から総督がご所望されていた黒い火です。いかがですか?」
「黒い火だと! ラナン……貴様、裏切ったのか!?」
ラナンは冷ややかな笑みを浮かべながら、
「おや、人生最後の言葉がそんなものでよろしいのですか?」
身体の先端から、さらさらと灰に似た塵が風に吹かれて四散していく。ルドベキアの身体が消えていくのに比例してその量は増していった。黒い火は消えることなく燃え続け、やがてルドベキアという肉体を完全に消し去ってしまった。
「な、何だあれ……黒い、火?」
目の前で起きたことに、アスターはただ呆然と見ることしかできなかった。黒い火に包まれた男は、人を焼く独特のいやな匂いを発することなく、骨すらも残さずにすべてが塵となった。
『奇石か……』
ジニアは小さくこぼした。
『あれは厄介だぞ。ジニア、油断するな』
これまで、百人を超えるの師団兵にも圧倒してきた二頭の巨狼に、強い警戒の色が浮かんだ。
ルドベキアの最期を見届けたラナンは、再びアスターに向き合った。
「さて……次は君の番だ、アスター君」
先程と同じように、ラナンはアスターに石を掲げた。そして次の瞬間、アスターに向けて漆黒色の石から光が生じた。
思わずきつく目を閉じ、アスターは自分の最後を覚悟した。
が、いつまで経っても、アスターの身体が黒い火に包まれることはなかった。
「なんとも、ない……」
アスターは不思議そうに、自分の両手や身体、足を確認した。しかし、どこにもルドベキアを塵にした黒い火は見当たらなかった。
首に掛けていた、ガウラからもらった晶石が僅かに光っているようにも見えたが、それはすぐに消えてしまった。
「ん……まだ上手く制御できなかったか?」
予想外の出来事だったが、ラナンは動じることはなかった。
「では、改めて……」
ラナンは再び石をアスターに向けた。そして同じように、手にした石が閃光を放つ。
『アスター!』
コリウスはとっさにアスターとリリィを突き飛ばし、庇った。
次の瞬間、金狼の美しい尾に黒い火が灯った。
『ちっ……』
コリウスの尾の先端でくすぶる黒い火は、ルドベキアのときと同じようにその存在を塵に変え始めた。
『ジニアァッ!』
金狼が銀狼の名を叫ぶと、ジニアは迷うことなくその大きく鋭い牙でコリウスの尾に噛みついた。そのまま、その強力な顎の力でコリウスの尾を噛み千切る。その直後、断面から赤い鮮血が吹き出した。
『つ、ぐあぁぁぁっ……!』
ジニアに噛み千切られたコリウスの尾は、黒い火によって塵と化した。
『アスター、ここは引くぞ!』
激痛を堪えながら言うと、コリウスは大きな口でアスターを咥えた。
「えっ、ちょっ……コリウス!?」
コリウスに習って、ジニアもリリィを咥える。
「きゃああっ!」
それを確認したコリウスは、アスターを咥えたまま師団兵の群れを飛び越えて、市街地へと駆け出した。遅れることなく、ジニアもそれに続く。二人を咥えた巨狼は、瞬く間にラナンたちの前から遠ざかっていった。
「逃がしたか……」
小さく舌打ちをしたラナンは、ゆっくりと辺りを見渡した。
「さて……」
ラナンの周囲には、百人以上の師団兵と白衣を着た研究員たちの姿があった。
「不幸にも巨狼たちの襲撃によって、城塞都市ラドロウの総督ルドベキア殿がその命を落とされた」
ラナンはおもむろに、声を高らかに話し始めた。
ルドベキアを死に至らしめたのは、他でもないラナン本人だ。まるで、巨狼たちがルドベキアを殺害したかのように言うラナンの真意が分からず、周囲はざわめいた。
「そうなってもらわなくては、私の立場が危ういのでね。君たちには、総督の後を追ってもらおう」
ラナンは言い終えると同時に、黒い石をかざした。石から放たれた閃光が周囲の師団兵や研究員に注がれると、辺りは一斉に黒い火で覆われた。
黒い火に包まれた兵や研究員たちは、恐怖に声を張り上げた。
「ふふふふ……ははははははははっ!!」
まるで地獄絵図を思わせるその光景の中で、ラナンは狂気に満ちた笑い声を上げた。その声は周囲に響き渡り、やがて夜の闇へと消えていった。