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第14話 大樹カレン



 ラドロウの街を出たアスターとオレガノは、来た道を戻るように馬を走らせていた。

 頭上で輝く太陽は僅かに西へ傾いていたが、まだ昼の明るさを維持していいる。数時間と滞在しないまま、二人はオルドビス公国を出てジュラの森へと入った。

 訪れたときと同じ道を、今は逆に進んでいる。頭上から差し込む木漏れ日は心なしか弱まっており、薄暗さを感じさせる。

 二人が森の中を中程まで進むと、遠くから草の擦れる音が聞こえた。それは急速に大きくなり、二人の前に巨大な二つの影が飛び出した。

『なんだ、また貴様らか』

 金色に輝くの体毛に覆われた巨狼が人語を発した。

「コリウス!」

 アスターは、数時間ほど前に名を交わした金狼の名前を口にした。

『また、面倒くさい人間かと思ってきてみれば、間抜けな人間だったか』

 金狼に続いて、冷たく銀色に輝く巨狼が辛辣に言った。

『貴様たち、ラドロウへ向かったのではなかったのか』

「行ってきたさ。今はその帰りだ」

 コリウスの問いに、オレガノは肩をすくませながら答えた。

『人間にしては早い帰りだな……ん?』

 コリウスはアスターたちが森を抜ける際に言っていた目的を思い出した。

『貴様たち、誰かを連れ戻しに行くと言っていたような気がしたが……』

 しかし、ラドロウからの帰りの彼らには、他に誰の姿もなかった。辺りに身を潜めている気配も感じられない。

 コリウスの言葉に、アスターは僅かに顔を俯かせた。

「まぁ、ちょっと手違いがあって……な」

『なんだ。目的を果たせず、帰ってきたのか』

 銀狼のジニアは、愉快そうに口元を歪ませた。

「否定はせんさ。だが、諦めたわけでもない」

 オレガノは先程アスターに行った言葉を繰り返した。オレガノの瞳には、どんな困難にも屈しない光が宿っていた。

 何かを成し遂げようとするオレガノの力強い瞳に、コリウスはある人間の瞳を思い出した。アスターと名を交わしたこともあり、コリウスは興味本位で聞いた。

『貴様らが、成そうとしていることは何なのだ?』

『コリウス!?』

 金狼が人間に対して興味を示したことに、銀狼は驚きを隠せなかった。長いあいだ、人間と接することを拒んでいた獣とは思えない発言だったのだ。

 オレガノは考え込むように腕を組み、正直に答えた。

「リリィという、白い髪を持つ少女を助けようとしている」

『白い髪、だと?』

 ジニアは驚いたように声を上げた。そして、隣に立つ金狼に目を向けると、コリウスも同様に驚きの表情を浮かべている。

『……聖女か』

 コリウスはその低い声で静かにこぼした。その言葉に反応したアスターが顔を上げ、

「聖女のこと、知ってるの?」

『あぁ、我らに多少は関わりがあることだからな。とは言っても、ずいぶん前のことだ。貴様らの言う聖女とは別人だがな』

 今度はオレガノがコリウスの言葉に驚く。

「別の聖女だと? フリージアとリリィ以外にもいたというのか?」

 二頭の巨狼は互いの顔を見ると、何事かを考えるように目を閉じた。

 やがて、コリウスが静かに目を開くと、

『ついてこい』

 コリウスとジニアは、アスターたちの返事を待たずに、森の深部へと進み出した。

 アスターたちも互いの顔を見合わせた。一つ頷くと馬から降りて、二頭の巨狼の後を追った。



 無造作に生い茂る草をかき分けつつ、高低差の激しい足場に、アスターは息を切らしながら巨狼たちの後を追った。

『おそいぞ、人間』

『まったくだ。これだから人間は面倒くさい』

 立ち止まっては後方を振り返り、巨狼たちは二人の姿を確認しながら進んだ。

 コリウスたちのような獣にとっては庭のような場所でも、人間であるアスターたちにとっては過酷な道のりだった。アスターたちの苦労を気にもとめずに、コリウスたちは森の深部へと進み続ける。

「人間は、普通こんなところは通らないよ」

 顔から吹き出る汗を拭いながら、アスターは恨めしそうに巨狼たちを睨んだ。アスターの前を行くオレガノも、アスターほどではないものの、巨狼たちの後を追うことに苦戦していた。

 数十分のあいだ、おそらく人間の中では誰も踏み入れたことがないであろう深い森を進んだ。やがて、薄暗いその森の中にあって異様に明るく、開けた場所が見えてきた。その場所だけは陽の光が直接地面まで届き、その中央には一本の巨大な晶樹(しょうき)があった。だがそれは、晶樹の森にあるような美しさはなく、灰色にくすんでいた。

「こんなところに晶樹? でも、少し違うような……」

 緑の森の中にただ一本だけあるその晶樹はどこか異様だった。しかし、それ以上に驚くべき姿がその晶樹のそばにあった。

 全身が漆黒のような毛で覆われた巨大な獣。コリウスやジニアよりも一回りは大きい体躯に逞しい四本の足を持つその獣は、獅子の姿をしていた。

『レグネリー様』

 コリウスとジニアは巨大な黒獅子の前まで進むと、人がひざまずくかのように座った。

「これほど巨大な獣がいるとはな」

「コリウスたちが小さく見える……」

 アスターたちは感嘆の声を漏らした。レグネリーと呼ばれた黒獅子は伏せていたが、その状態でもアスターの身長を超えていた。

『まさか、お前たちが人間を連れてくるとはな』

 巨狼たちと同じように、黒獅子は人の言葉を発した。その声は、年老いた老人のようなしわがれた低い声だった。

 アスターは小声で、

「ねぇオレガノ、この森の獣ってみんな喋るの?」

「ははは、そんなことはないさ」

 オレガノは笑って答えたが、その笑みはすぐに消えた。

「彼もまた、コリウスたちと同じなのだろう」

 オレガノは悲しげな瞳で言うと、アスターとともにレグネリーの前まで進み出た。

『話はコリウスたちから聞いた。お前たちは聖女を救いたいらしいな』

「うん……でも、だめだった。だから今は、別の方法を考えているんだ」

 アスターは真っ直ぐにレグネリーの顔を見て答えた。

 レグネリーは一つ頷くと、小さく息をついた。

『少し、昔話をするか』

 そう言うとレグネリーは遠い記憶を思い起こすかのように、空を仰いだ。

『人の時間で言うと、今からおよそ八十年ほど前のことだ』



 聖女フリージアの死後、その遺体から発見されたいくつもの奇石(きせき)は、持つ者に特異な力を与えることが判明した。それこそが、フリージアのもつ奇跡の業を生み出す源だった。

 しかし、奇跡の業に違いはなかったが、その力はかつてのフリージアほどの効力はなかった。そこでデボン皇国は、人の手によって奇石を身体に埋め込むことを思いついた。その結果、奇石の力を引き出すことに成功する。だがそれでもフリージアほどの力はなかった。加えて、埋め込むんだ際に拒絶反応を起こすケースが多く、非効率であった。

 このことで、奇石は所持するよりも、身体に埋め込む方がより強い力を引き出せ、生まれ持って奇石を宿している場合はさらに強い力を引き出せることが分かった。

 だが、当時起きていた奇石を巡る紛争で、その技術と文献は失われた。はずだった。

 アスターたちが暮らすトリアスは、シルル共和国の西端に位置する。トリアスから遠く離れたシルルの中央には、かつて小さな国が存在していた。その名はペルム国。

 長年にわたる調査で、ペルムはかつて北の大国デボン皇国で生まれたその文献の一部を入手し、独自の研究を重ねて、その技術の再現させた。それだけに留まらず、ペルムは奇石の複製にも成功していた。

 そのときの実験体がレグネリーたちだった。レグネリーたちは奇石の力によって、通常の獣以上の能力を得て、人語も解するようになった。

 レグネリーたちはペルムから逃げ出すこともできず、日々実験体として人間に酷使されるレグネリーたちを救ったのが、ユーフォルビアという名の白い髪の女性だった。

 ペルムから逃れたレグネリーたちは、人目を避けて広大な森に逃げ込んだ。その逃げ込んだ森の深部で、灰色の髪をした一人の少女と出会う。

 カレン=ジュラと名乗る少女は、生まれながら灰色の髪と僅かながら特異な力を持っていた。人々から奇異の目で見られ、やがて迫害されるようになる。少女は人目を避けるようにして森で暮らすようになり、人々はやがてその森をジュラの森と呼ぶようになった。

 カレンは人ではない人語を解するレグネリーたちに心を開くようになり、レグネリーたちもまた、ともに人目を避ける立場のカレンと親しくなっていった。



『だが、所詮は人の命。我々は奇石の力で長い時間を過ごせるようになったが、カレンはその短い生涯をこの森で全うしたのだ』

 アスターとオレガノは、レグネリーの話にただ黙って耳を傾けた。

 自身には直接関わりのない話だが、同じ人間としてレグネリーの言葉は痛みを伴って届いた。

『カレンが息を引き取ると、その身体から突然晶樹が生まれた。この晶樹がそうだ』

 レグネリーは背後を振り返って言った。この開けた場所の中央に屹立する、一本のくすんだ色をした晶樹。その晶樹がカレンの成れの果てだと言った。

「カレンも、聖女だったの?」

 アスターの問いに、レグネリーは静かに首を振った。

『いや、おそらく違うだろう。伝承にあるフリージアも我々の知るユーフォルビアも白い髪だ。お前たちが連れ戻そうとしている少女もそうなのだろう。だが、カレンの髪は灰色だ。聖女ではないが、それに近い存在だったのかもしれんな』

「そんなことがあったとはな……」

 自身の知らない事実に、オレガノは驚きを隠せなかった。アスターもまた、

『お前たちが聖女を助け出すというのなら、我々も手を貸そう』

「え?」

 レグネリーの申し出はアスターたちにとって意外だった。これまで人目を避けてこの森で過ごしてきた彼らだ。人が嫌いであり、人には関わらぬようにしてきた彼らが、人の問題に力を貸そう、そう言ってきた。

『我々は聖女によって救われた身だ。それにこのまま見過ごせば、獣たちがまた人間に利用されんとも限らん』

『先日の森を荒らした件もあるからな』

『奴らには二度と森に踏み入れられぬようにせねばなるまい』

 レグネリーの言葉に付け加えるように、ジニアとコリウスが続いた。

「いいのか? これまで人目を避けてきたお前たちが、人の前に姿を現すというのか?」

『聖女の力は強大だ。その力が悪用されれば、ジュラの森どころかファネロ大陸そのものの存在すら危ぶまれることになる。カレンは、ただ平穏な暮らしを求めていた。我々はカレンの意思を継ぎ、その意思を守る。カレンの眠るこの森を守る、それだけだ』

 レグネリーの言葉に同意するように、コリウスとジニアは小さく頷いて見せた。

「すまない、助かる」

 オレガノは静かに獣たちに頭を下げた。人として、感謝と謝罪の意を込めて。



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