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第13話 奇石研究所



 絨毯が敷かれた通路には四人分の足音が響いている。

 時折すれ違う、白衣を着た研究員らしき者が通路の脇へ下がり、先頭を歩くラナンに一礼する。

 予想外の客人にも関わらず、ラナンはいつもと変わらぬ態度で歩く。その後ろからアスターとオレガノ、さらにその後ろに二人を追い返そうとした白衣の男が続く。

 アスターとオレガノは、ラナンに案内されるがまま無言で歩いた。建物の中にはいくつもの部屋があるが、どれも窓にあるカーテンによって遮蔽され、中の様子を伺うことはできない。

 一行は四階への階段を上がると右へ折れた。その反対側の突き当たりには、部屋の前で一人の男が立っている。直立不動の姿は、まるでその部屋を監視する看守のような印象を与えた。

「ここで話をしようか」

 所長室の前で立ち止まると、ラナンはその扉を開いた。

 部屋の中は広々としており、中央には長方形の背の低いテーブルに、それを挟むように革張りのソファがある。左右の壁際には書架が並び、どの棚にも様々な本が隙間なく収められている。

 ラナンは部屋の奥にある大きな庶務机を回り込むと、座り慣れた大きな椅子に腰を下ろした。

「かけたまえ」

 部屋の入口で立ち尽くすアスターとオレガノに、ソファに座るよう促す。

 アスターはやや緊張した面持ちでソファに座り、オレガノもその隣に腰を下ろした。

 二人の後ろについていた白衣の男は一礼すると、静かに扉を閉めて退室した。

「さて……」

 ラナンは両肘をついて左右の指を絡ませる。

「まずは、リリィのことを感謝した方が良いのかな?」

 ラナンの口調には、どこか挑発じみた響きが含まれている。

「俺たちがリリィを助けたのは、自分たちの意思でしたことだ。貴殿に感謝されるようなことではない」

「そうでしたか。だが理由はどうであれ、我々が助かったことには違いない。感謝していますよ」

 扉がノックされると、白衣の男が二つのカップを乗せたトレイを持ってきた。男はアスターたちの前にカップを置くと、ひと言も喋らずに退室した。

「まぁコーヒーでも飲みながら話を聞きましょうか」

 アスターは目の前に置かれたカップに目を向けた。その中ではコーヒーの表面が静かに揺れている。

「安心してください、毒など入っていません。それとも、ミルクの方が良かったかな?」

 ラナンは口元だけを愉快そうに歪ませた。

 ラナンのあからさまな挑発に対して、アスターは勢いよくコーヒーを喉の奥へ流し込む。飲み慣れないコーヒーは、アスターの口の中にほろ苦さを残した。

 音を立てて手にしたカップを置くと、

「リリィはどこだ」

 アスターは睨みつけるようにラナンを見た。

「知ってどうするのですか?」

「連れて帰る」

 自分たちの目的を端的に口にした。

「リリィはお前たちが来たとき、怯えた顔をしたんだ。お前たちとの関係はよく知らないけど、リリィとってここはいるべき場所じゃない」

「アスター君。君はもう少し、目上の者に対しての言葉遣いに気をつけた方がいい」

 そう口にしながらも、ラナンはさほど気にした様子はない。

 縁のない眼鏡を指先で押し上げながら、ラナンは少し嫌みを含んだ微笑を浮かべた。

「何か勘違いしているようだが……彼女は自分の意思で我々の元に返ると言ったのだ。決して無理矢理ではない」

「そういう状況を貴殿が作ったのではないのか?」

「人聞きの悪いことを。私は、彼女が幼い頃からここで面倒を見ている。いわば親代わりのようなものです。子が親の元に帰ることは悪いことかな?」

 二人の言葉にラナンはまったく動じることはない。

 余裕に満ちたラナンの態度に苛立ちを抑えきれくなり、アスターは立ち上がってラナンの庶務机に迫った。

「お前の言うことは信用できない。リリィは怯えていたんだ。お前たちが来た途端、それまで笑っていたリリィが怯えたんだ。僕はそれを……黙って見過ごすわけにはいかないっ!」

「見た目通りの子供の言い分だな。彼女は自分の意思で戻ってきたのだ。自分の意思を押しつけるのではなく、彼女のことを思うのなら彼女の意思を尊重したらどうかな?」

 怒りを露わにラナンに迫るアスターの背後から、オレガノが落ち着いた声で後を継いだ。

「俺たちは、多少なりともこの研究所のことやリリィのことを知っている。その関連性を鑑みても、彼女をここには置いておくわけにはいかない」

 オレガノの言葉に、ラナンは僅かに眉を寄せた。これまで余裕のある、見下げた目にわずかな陰りを見せる。

「なるほど……君たちが何故、わずか一日足らずでここへ辿り着いたのかは理解した。だが、それがどうしたというのだ。我々が彼女を保護すべきだと思わないのかね。彼女はまだ、内に秘めた可能性を把握していない。だが、ここにいることで、彼女は自分自身を知ることができる。仮に彼女の力を欲する者が現れても、ここなら彼女の身の安全は保証できる。リリィにとって、最適な居場所とは思わないかね?」

 オレガノはラナンの言葉に違和感を覚えた。リリィのことが知られれば、奇石(きせき)を調べているこの場所は真っ先に怪しまれる。それなのに、ラナンは身の安全は保証できると言いのけた。先日の、トリアスを訪れたラドロウの兵を思い出し、少なくともここは師団兵を統べる総督府との繋がりがあることを悟った。同時に、ラナンを相手にすることはこの城塞都市ラドロウを相手にすることを理解した。

「申し訳ないが、これでも忙しい身でね。そろそろお引き取り願おうか」

 ラナンが卓上の隅に置かれた小さなベルを打ち鳴らすと、扉から白衣の男が現れた。

「客人がお帰りだ。丁重にお見送りを」

 白衣の男は恭しく一礼すると、扉の傍で二人に退出するよう促した。

 オレガノは、ラナンの前で怒りの収まらないアスターの腕を引いた。

「落ち着けアスター。事を荒立てても今は不利になるだけだ。ここは一旦引くぞ」

 小さな声でアスターに耳打ちした。

 オレガノにやや引きずられる形で、アスターは所長室を出た。

 下りの階段へと向かうその正面には、来たときと変わらず、部屋の前に立つ男の姿があった。オレガノはそれを横目に、白衣の男の指示に従い階下へと進んだ。



 まるで追い出されるかのように、アスターとオレガノは奇石研究所から出てきた。後ろを振り返ると、白衣の男が無表情で扉を閉じるのが見えた。

 オレガノは一つ息をつくと、アスターを見た。

 アスターはずっと、憤りを露わにしたままだ。リリィを連れて帰れなかったことと、自身の不甲斐なさに、歯を食いしばる。

 オレガノは何も言わずに、そっとアスターの背を叩いて歩くよう促した。納得いかないながらも、今の自分にはどうすることもできない。アスターは悔しさと憤りの混ざり合う感情を押し込めて、オレガノの後に続いた。

「やはり、すんなりリリィを連れ出すことはできなかったか……」

 ラドロウの街を歩きながらオレガノは独り言のように呟いた。その言葉に噛みつくように、アスターはオレガノを睨む。

「どうして……なんで、あんなにあっさりと引いたの?」

 怒りが収まらない様子のアスターに、オレガノは仕方なさそうに小さく溜息をつく。

「仮にも奇石を調べている場所だ。あの男が奇石を持っていないとは限らないだろう。奇石の力は強大だ。うかつに手を出すわけにはいかないだろう」

 オレガノの言い分は正論で、アスターにもそのことは理解できた。だからといって、アスターの憤りが収まることはなかった。

「それに……俺は諦めたなどと、ひと言も言っていないぞ」

「えっ?」

 驚いて見上げるアスターに、オレガノはおどけた様子で、

「なんだ、追い返されただけで諦めるのか?」

「い、いや……そういうわけじゃ……」

「言っただろう。放っておくわけにもいかない、とな」

「オレガノ……」

 アスターが自分自身の不甲斐なさに憤りを感じているあいだにも、オレガノは冷静に次の手を考えていた。決して諦めたわけではなかったが、アスターには次の手段を考えるという発想がなかった。オレガノの言葉に目が覚めたかのように、アスターの瞳には気力が戻りつつある。

「でも……それじゃあ、どうするつもり?」

「それをこれから考えるのさ」

 事実、今のオレガノには具体的な策は何もなかった。ある一つを除いては。アスターの両親の墓前でのことを思い起こし、手袋がはめられた左手が強く拳を握る。

「とりあえず、この街を出てから考えるとしよう」

 長い時間を掛けて辿り着いたラドロウを、二人は僅か一時間も経たないうちに後にすることとなった。



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