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第11話 ジュラの獣



 ジュラの森に入ってから、どれほどの時間が経っただろうか。上空から降り注ぐ木漏れ日は、昼間のそれとまではいかない。時折、枝に止まっていた鳥が飛び立っては遥か頭上の葉を揺らす。

 二組の人馬は、足下の悪い中を緩やかに歩を進めている。

「話は何となく分かったけど……どうしてオレガノもついてきてくれたの?」

 リリィの事情や立場は、オレガノの話で大まかなところは理解できた。しかし、だからといってトリアスの自警団長であるオレガノまでが、ラドロウまで一緒に同行してくれる理由が分からなかった。

 リリィを追ってきた白衣の男たちは、危険な連中なのだろうか。フリージアの時のように、リリィを巡って争いが起こるとでも言うのだろうか。少なくとも、話し合いですんなりリリィを連れ出すことができるとは思ってはいない。そのあたりは、アスターも覚悟の上だった。

「やつらの目的までは分からんが……まぁ、他人事ではないからな」

「えっ? それってどういう――」

「静かに!」

 森の中でありながら開けた場所へ辿り着くと、オレガノは突然、アスターに馬を止まらせるよう手を上げた。

 鋭い視線で辺りを見渡すが、生い茂った草木以外は何もなかった。だが、オレガノは何らかの気配を感じ、その警戒を解こうとはしない。ゆっくりと馬から降りると、隙のない姿で周囲を見渡した。

 アスターもそれに習って、馬から降りて周囲を見渡す。

 ここは様々な獣たちが棲むジュラの森。にもかかわらず、獣たちの姿はなく、木の枝に止まっていた小鳥すらも、いつの間にかその姿を消している。

「何か、いるの?」

 アスターは思わず、生唾を飲み込んだ。

「…………」

 アスターの問いにオレガノは答えないまま辺りを警戒していると、不意に獣特有の低い唸り声が聞こえた。奥に見える茂った草が、音を立てて揺れているのが見える。唸り声は徐々に大きくなり、腹の奥底を響かせるほどだった。

 やがて、生い茂る草の中から唸り声の主が姿を現した。体長が三メートルを超えるほどの巨大な体躯の狼だった。それも二頭だ。一頭は金色に輝く毛並み、もう一頭は冷たく銀色に輝く毛並みをしている。

 二頭の巨狼は明らかに敵意をむき出しにした眼を向けてきた。怒りに震えているかのような口からは、鋭く大きな牙が見え隠れしている。

「この森の住人……いや、番人ってところか。明らかに歓迎されてないな」

 言葉とは裏腹に、オレガノの眼は巨狼を見据えて、その挙動を一切見逃さない。

 オレガノの背は決して低くなく、標準的な大人の体格だ。だが、二頭の巨狼の前では、そのオレガノは小さく見えた。

「オ、オレガノ……どうする……?」

 巨大な二頭の狼を前に、アスターは身体の震えを抑えきれない。少しでも気を抜けば足がすくみ、その場に崩れ落ちそうだった。

「アスター、後ろの木陰に隠れていろ」

 オレガノは腰に掛けた剣の柄を握ると、鞘に収められていた細身の刀身をむき出しにした。

 オレガノと違って戦う術のないアスターは、言われたとおり近くの木に身を潜めた。木陰から顔を覗かせてオレガノを見守る。

 二頭の巨狼とオレガノの睨み合いが続く。それはわずか数秒にも数十分にも感じられた。

 その睨み合いにしびれをきらしたのか、銀狼が鋭い牙をむき出しにしてオレガノに飛びかかる。

 銀狼の突進に身をひねって横へ避けると、オレガノは銀狼の背後で細身の剣を振りかざす。だが、さらにその背後から金狼が迫ってきた。

 オレガノは地面を転がるようにそれをかわし、片膝をついて制止する。すばやく顔を上げると、眼前にはすでに銀狼の牙が迫っていた。

 オレガノは銀狼の口を狙って剣を横になぎ払う。銀狼の口はその剣によって切り裂かれる、はずだった。そうするはずだったオレガノの剣は、銀狼の堅牢な牙によって防がれた。強力な顎の力で剣を挟み込み、そのまま斬りつけることも引き抜くこともできない。

「くっ……」

 動きが止まったオレガノの頭上に、巨大な影が見えた。見上げると、銀狼の背後から飛びかかっていた。その一瞬、金狼の腹部に光る物が見えた。

 オレガノはとっさに剣の柄から手を放すと、大きな銀狼の股下をくぐり抜けるように身体を滑り込ませる。銀狼の下を抜ける瞬間、その腹部に金狼と同じく光る物を見つけた。

 オレガノはそのまま銀狼の背後へ回ると、距離をとった。銀狼は咥えていた剣を吐き捨てると、威圧するようにゆっくりとオレガノの方へ振り返る。金狼もその横に並んだ。

 両者は再び睨み合いに入る。

「その容姿から、ただの狼ではないと思ったが……そういうことか」

 二頭の巨狼は、低い唸り声を発しながらオレガノをにらみ続ける。

 オレガノは静かに、常にはめている左手の手袋を右手で掴んだ。その僅かな動作の隙に、銀狼が飛びかかる。

 オレガノの眼前に銀狼が迫ったとき、銀狼の横顔に何かが当たった。

「なっ……!?」

 予期していなかったことに、オレガノは驚きの声を上げた。

 銀狼は予想外のことにとっさに動きを止め、何かが飛んできた方を睨みつけた。視線の先には、木陰に隠れていたはずのアスターの姿があった。近くに落ちていた小石を拾い上げ、アスターが銀狼に投げつけたのだ。

 銀狼は、憤慨したように猛々しく咆哮した。その声はすさまじく、周囲の大気を震わせるほどだった。突風が起きたかのように草木が音を立てて激しく揺れる。

 アスターは思わず耳を塞ぎ、身体が痺れたように動かなくなった。身構えていたオレガノも、その声に僅かに身体が痺れるのを感じた。

 咆吼が止むと同時に、銀狼はアスターに向かって走り出す。

「アスター!」

 オレガノが叫ぶが、アスターは身動きが取れないままだった。

 銀狼の牙が今にも噛みつかんとアスターに迫る。アスターはきつく目を瞑り、銀狼の牙が身体に食い込むのを覚悟した。その次の瞬間。

 一筋の閃光が走り、銀狼の身体をかすめた。銀狼の身体は、閃光に弾かれたように横へ飛んだ。一筋の光はそのままいくつもの木々を貫き、森の奥へと消えた。閃光の元を辿ると、手袋が外されたオレガノが左手をかざしている。

 オレガノはそのまま、左の手のひらを金狼に向けた。

「これで分かっただろう。俺たちはお前たちの敵ではない。むしろ似た者同士だと思うが?」

 金狼は、オレガノが向けた左手を凝視した。

「とりあえず、そのむき出しの牙を収めてくれると助かるのだが」

 落ち着いた様子でオレガノが言うと、金狼は唸り声を止めた。

 はじき飛ばされた銀狼も、金狼の横に並んで敵意を沈める。

 アスターは恐る恐る目を開けると、敵意が失せた二頭の巨狼の姿が立ち並んでいる。わずかなあいだに、何が起こったのか分からなかった。

「オレガノ……?」

「アスター、もう大丈夫だ」

 オレガノは左手に手袋を付けながら、アスターを落ち着かせるように言った。

『ひとまず、お前たちと争うのはやめるとしよう』

「えっ?」

 突然聞こえてきた、しわがれた低い声にアスターは驚いた。しかし、辺りを見渡しても周りには人の姿は見あたらない。どこかに隠れているのだろうかと木陰の奥を注視していると、

『どこを見ているガキ。こっちだ』

 アスターは声が聞こえた方を振り返ると、そこには二頭の巨狼がいるだけで人の姿はない。

「ど、どこだ……?」

『貴様の眼は節穴か?』

 声がすると同時に、銀狼の口が僅かに開くのが見えた。

「ま、まさか……狼が、喋った?」

『何度言えば分かる、他に誰もいないだろう。これだから順応力のない人間のガキは面倒くさい』

「えええええっ!!」

 アスターは目をむき、大きく口を開いたまま呆然とした。

 巨大な体躯に金と銀の毛並み。それだけでもアスターにとっては驚愕の対象だった。その上、まさか獣が人の言葉を喋るというのは、想像の域を優に超えていた。

「まぁ、そういうことだ」

 オレガノは肩をすくめて、至極当然かのように言い捨てた。

「オレガノ、知ってたの? どういうこと?」

「いや、俺も人語を解するとは思っていなかったが……まぁ、やつらは俺たちの敵ではないと言うことだ」

『敵ではない、と決めつけるな。とりあえず、貴様らを見逃してやると言っているまでだ』

 金狼はオレガノの発言を訂正する。

『お前たち人間と関わるとろくなことがないからな。まったく面倒くさい連中だ』

 続けて銀狼が悪態をつくように言い放った。

 目の前の出来事に驚きつつも、アスターは少しずつ落ち着きを取り戻していった。

「よく分からないけど、僕たちを襲わないってこと?」

『それは貴様らの行動次第だな。この森を汚す者なら、誰であろうと牙を向ける。それが俺たちの役目だ』

『昨日といい今日と言い、面倒くさい人間がよく通りやがる』

 銀狼は不機嫌そうにこぼした。

「昨日? ということは……」

「あぁ、おそらくラドロウの者たちだな。この森を抜けたということは、やはりラドロウへ戻ったか」

 リリィを連れ戻しに来た白衣の男たちが、この森を抜けたことを確信した。

『貴様ら、先の奴らと知り合いか?』

 金狼は鋭い眼をオレガノに向けた。

「いや、俺たちは奴らを追ってここへ来たんだ」

「そいつらが連れ去った女の子を連れ戻しに行くんだ」

 オレガノの説明に、アスターが付け加えた。

 金狼は興味なさげに鼻を鳴らし、 

『貴様らの目的に興味はない。だが奴らは森を汚し、我々の仲間を傷つけた。奴らに会ったら伝えておけ。再びこの森に立ち入るその時は命はない、とな』

 金狼は敵意を露わにして、怒りに満ちた声で言った。

「分かった、伝えておこう」

 オレガノは短く答えると、地面に落ちたままの細身の剣を拾い上げて、腰の鞘に収めた。

「アスター、そろそろ行こうか」

「うん」

 二頭の巨狼によって予定外の時間を浪費した二人は、本来の目的を果たすため、止めていた馬の元へ向かった。

 アスターは手綱を引いて馬を連れ出すと、

「それじゃ僕たちは行くよ」

『さっさと失せろ、面倒くさい人間』

「僕は面倒くさい人間、じゃない。僕にはアスターという名前がある」

 銀狼の度重なる悪態に、アスターは憮然とした表情で反論した。

 それに対して巨狼たちは、突然大きな声で豪快に笑い飛ばした。

「な、何がおかしい!」

 巨狼たちの笑いにアスターは憤った。

 それでも巨狼たちの笑いはしばらく続いた。ひとしきり笑うと金狼が、

『まさか我々に対して、名を名乗る人間がいるとはな』

『面倒くさい人間じゃなくて、間抜けな人間だったか』

 大きな声を上げることはなかったが、巨狼たちはなおもくぐもった笑いを漏らした。

『コリウスだ』

「え?」

 不意に金狼が発した言葉の意味が分からず、アスターは反射的に聞き返した。

『我の名だ。こっちはジニアだ』

 金狼のコリウスは、鼻先で銀狼を示しながら言った。

 巨狼が名乗ったことに、訳もなくアスターの表情には笑みが浮かぶ。

「そうか。それじゃあコリウスにジニア、また会おう」

 そう言い残すと、アスターとオレガノはラドロウへ向けて歩き出した。

『人と名を交わすとはな。カレン以来か……』

 コリウスはアスターの背を見送りながら小さく呟いた。

 遠い出来事に思いを馳せるかのように見上げたその眼には、懐かしさと哀しさを宿していた。



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