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君が想う度に

作者: のせしあ
掲載日:2026/11/04

僕が君と出会ったのは、君が少し大きくなって、言葉や文字や数字、いろんな人達を知り始めた頃だった。

君が生まれて何回目かのその日に、布袋に包まれた僕は君の前に差し出された。

思えばその日が、僕が生まれた日だった。

だって君は、僕を袋の中から取り上げてくれた瞬間から、僕を抱きしめてくれたから。

君が僕を抱きしめて何かを想う度、僕は生きる。

君が僕という存在に歓喜して、抱きしめてくれれば僕に”喜び”が。

君が誰かと喧嘩して、怒って僕の体に顔を埋めれば僕に”怒り”が。

君が何かに失敗して、僕の胸で泣けば僕に”悲しみ”が。

君が過去のことを顧みて、後悔で僕を胸に抱けば僕に”悔しさ”が。

君が無力感で僕を抱きしめて、君が何も感じなくても僕に”絶望”が。

それまでの日々で、君が眠りにつきながら僕を抱きしめる度に、僕に君の”あたたかさ”や”心地良さ”、”楽しさ”に、”優しさ”も”愛しさ”も、注がれていく。

君はいつも僕を抱きしめてくれる側だから、きっと知り得ないだろうけれども、君が僕を抱きしめてくれる時、僕はいつも、君に生かされて”嬉しい”と思っているんだ。

もしかしたら、君はそうは言わないかもしれないけれども、僕はこれをいつも、”幸せ”と呼んでいるんだ。

だから僕も、君に幸せをあげたいと思っているんだ。この”あたたかさ”を、君にも知ってほしくて。優しい君のことだから、誰かから与えられる優しさのあたたかさは、すでに知っているかもしれないけれど。

僕が君の感情を通して”生きる”ように、君に僕の感情が流れたらいいのに。

君が何かを想って僕を抱きしめる度、僕はそう想うんだ。君を抱きしめてあげたいよ。

テディ・ハグより

君は目を覚ます。それから、カーテンの外に光を見た。君はそれを朝日の光だと朧気に理解する。けたたましく鳴るはずのアラームは静かで、君は朝日の中にその身を起こす。急き立てる音が無いのを不思議に思って、君は枕元のスマホを手に取った。アラームが鳴る前の時刻を表示する画面に目を見開いて、君はどことなく嬉しそうな顔を浮かべる。

僕は久しぶりに、君のそんな一連の動きを間近で見られて、”嬉しい”と思う。

ここ最近、育ての手から離れ、ほとんどのことを自分でこなすようになった君は、僕を抱きしめなくなった。君から遠いところに座らされた僕は、君を見守ることになった。君に抱きしめてもらえないのは”悲しい”けれども、君が『自分の部屋』と呼ぶこの箱の中を一望できるのは、少なからず”楽しい”ものだ。

君はずっと、その顔に嬉しさと疑問符を浮かべながら画面を見ている。

いつもより早くに起きたこともそうだが、寝覚めが良いのも珍しくて動揺しているのだろう。君は朝、アラームが聞こえないほど深く眠っているか、朧気な意識の中アラームを止めるか、起きたと思ったらもう一度寝てしまうかだから。

…その様子を見るに、覚えていないみたいだ。君と僕が、初めて話したことを。


君がいつも使っているテーブルを、僕と君で挟んで真正面に向かい合って座っている。君は当たり前に僕と喋る。

今日会ったことを話してくれる様子は、君がかつて僕を抱きしめて眠った時、僕に君の感情と記憶が注がれる感じに似ている。

君は表情を色々変えて話してくれる。君に、たくさんのことを言葉で教えてもらうのは初めてだから、すごくすごく”楽し”くて”嬉し”くて、”幸せ”。

そういう時間はあっという間に過ぎるとなんとなくは知っていたけれども、実際にこうして体験してみると、かなり印象とは違うところがあった。僕はずっと、ただ気付けば時間が過ぎているだけだと思っていた。けれども本当は、それまでの時間が気付けば過ぎ去っていたことに”悲しさ”を覚えるものだった。しかも、過ぎ去った時間に感じていた”楽しさ”も残っている。全く違うと思っていたそれらの感情が一緒にあって、僕は少し困惑した。

君は僕のその様子に気付いてくれて、話していたことも止めて僕に声をかける。

「どうかした?」と優しく聞く君に、僕は”幸せ”を感じた。

「うん…あのね…”悲しい”と”楽しい”が一緒にあってね…僕、自分で何を感じているのか、わからなくなっちゃって…」

君は僕の『悲しい』という言葉に反応して、焦る様子を見せる。「どうして? 何が悲しいの?」と心配してくれる。

「…時間って、あっという間に過ぎちゃうんだね。初めて知ったんだ…。もうすぐ、君と話すこともできなくなるんだと思うと…、…すごく、”悲しい”んだ…。」

そう話すと、君も悲しそうな顔をする。僕はその表情を変えたくて、違う気持ちを伝える。

「あっ…。でもねっ、君と話せて、すごく”楽しい”んだ。僕、初めて君と話して、初めて時間が過ぎるのを感じて、初めての感情があって、”嬉しい”も”幸せ”もあって…、うーん…、…だからね、その…、”悲しい”けど、”悲しくない”よ…。…う~ん…?」

どれだけ言葉を尽くしても、伝えたい言葉にならなくて唸る僕に、君は微笑む。「僕も、君と初めて話せて幸せ。」と笑いかけてくれる君に、僕の中にあったはずの”悲しさ”は消えてしまった。”悲しみ”が無くなった分だけ、”幸せ”が注がれていく。

そのままでは僕の中から溢れてしまいそうで、君に分けてもらいたくて、君の隣に駆け寄って手を握る。君は僕の突然のそれに、少し驚いたような様子を見せる。

「あのね、僕、君が初めて僕を抱きしめてくれたあの日から、今までずっと、君のそばで生きてきて、本当に”幸せ”なんだ。でもね、だからこそずっと、君に僕の”幸せ”を分けてあげたいと思っているんだ。…目が覚めれば、君は忘れちゃうけど、それでも、分けてあげたいんだ。…抱きしめてくれる?」

「もちろん。」と君はまた微笑んで、一度僕を抱き上げる。僕はそこで、君と初めて会った時のことを思い出した。そして君は、久しぶりに僕を抱きしめてくれる。”幸せ”のあまり、僕も君を抱きしめ返すけれど、”幸せ”が溢れそうになるばかりで、ちっとも分けられているような感じがしなくて疑問に思う。

「…僕、ちゃんと君に”幸せ”を分けてあげられてる?」

「うん。すごく幸せだよ。」と答えてくれる君の言葉に嘘は無さそうで、ますます疑問が深まる。

「でも、僕の中の”幸せ”は無くならないよ?」

「いいことじゃないの?」と今度は君のほうが僕に聞く。

「だって、『分ける』っていうのは、自分の中から、何かを取って、それをあげるっていうことでしょ? 自分の中から無くなるんでしょ?」

次々と尋ねてしまって、君を困ったように唸らせる。やがて君は唸り声を潜め、小さな声で「…幸せは、分けられないんだ。」と呟く。

「わ、分けられないの…?」

「うん。幸せは連鎖するものだから。君から幸せを貰ったら、僕は幸せになるでしょ? そうしたら、君はどう思う?」

「”幸せ”…。」

「よかった。じゃあ僕も幸せ。」

「僕も…! …ふふ。ほんとだ。れんさしてる。つながってるね。…終わりがないことも、”幸せ”…?」

「うん。」と返してくれる君に、僕の溢れそうになっていた”幸せ”は、膨らんで大きくなっていくものに変わった。バケツが風船になったみたいだ。

「…僕ね、今君のおかげで”生きて”いるんだ。君が何かを想って僕を抱きしめてくれる度に、僕は君の感情を吹き込まれて”生きる”んだ。君がいないと僕は生きられなかったし、君を抱きしめられなかった。僕を生まれさせてくれてありがとう。大好きだよ。」


そうして、僕と君はまた話せなくなった。けれども僕の風船の中にはずっと、君の最後の「僕も大好き。」という言葉が浮かんでいる。

君はあの夜、なんの気もなく、また僕を抱きしめてくれた。けれど僕にとっては、何にも代えられない瞬間になった。だって、君がまた僕を抱きしめてくれたおかげで、僕は君と話せたんだから。

また風船が膨らむのを感じていると、君の視線が僕と合う。そして、君は覚えていないはずなのに、傍に転がっている僕の手を握る。微笑んで「早起きできた。」と独り言のように呟いた。すると君は、また昔のように僕を枕元に座らせて、いつもの朝の支度を始める。少しご機嫌な様子ということだけが、いつもの支度との違い。

けれど、君がまた僕をここに座らせてくれたということは、きっとまたいつか、君と話せることになると思って、僕は”幸せ”とは別のものに、心を膨らまされた。

…いつもよりすっきり目が覚めた時、僕が忘れているだけで、実はこんな出来事が起こっていればいいのにな。僕がたまにご機嫌でいられる理由も、こういうことだったりして。

 いつも僕のそばにいてくれる、愛しい君へ。

  どこかの空想で

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