第5話「色のない水脈と、偽りの聖女の種明かし」
翌日から、時の塔での生活は一変した。
掃除や食事の準備はすべてサイラスが魔法で片付けるようになり、空いた時間のすべてが魔法の修練に充てられた。
広大な中庭の中央に立ち、僕は目を閉じて自身の内側に意識を向ける。
風のそよぎ、土の匂い、遠くで鳴く鳥の羽音。
外界の情報を遮断し、血脈の奥底に眠る熱源を探り当てるのだ。
「焦る必要はない。魔力は誰の体の中にも等しく流れている。それを認識し、汲み上げる回路を開くだけだ」
背後に立つサイラスの低い声が、直接脳内に響くように耳元をくすぐる。
彼の左手が僕の背中に添えられ、右手が僕の握りしめた拳を包み込んでいた。
背中から注ぎ込まれる彼自身の魔力が、誘導灯のように僕の体内を巡り、滞っていた回路を一つずつ焼き切っていく。
『熱い』
血液が沸騰するような感覚に襲われ、額から汗が滲み出した。
暗闇の中で、微かな光の糸が見えた気がした。
「……見えました」
「それに触れろ。そして、外へ引き出すイメージを持て」
言われた通りに、その光の糸をたぐり寄せる。
指先の毛細血管にまで熱が満ちていくのを感じながら、僕はゆっくりと目を開いた。
僕とサイラスの重ね合わされた手のひらから、透明な液体のようなものが滲み出していた。
それは光を乱反射することもなく、ただ周囲の空気を歪ませながら、静かに手のひらの上で揺らめいている。
熱も、冷たさも、どんな色も持たない、純粋な力の塊。
「これが、僕の魔力……?」
「そうだ。だが、妙だな」
サイラスの瞳が細められ、鋭い観察の光を帯びる。
彼の手が僕の手から離れた瞬間、手のひらの上で揺らめいていた透明な魔力は、形を保てずに霧散してしまった。
「僕の魔力は、何の色もありませんでした」
「属性を持たない魔力というものは存在しない。炎、水、風、土、あるいは光や闇。必ず何らかの性質を帯びるものだ」
サイラスは顎に手を当て、何かを計算するように虚空を見つめた。
そして、再び僕の前に立ち、彼自身の魔力を手のひらに具現化させた。
チリチリと空気を焦がすような音と共に、金緑色の眩い光球が彼の指先に現れる。
「アイゼン。お前の魔力を、これにぶつけてみろ」
言われるがままに、僕は再び体内の回路を開き、透明な魔力を練り上げた。
両手でそれをすくい上げるようにして、サイラスの光球へと近づける。
透明な水面が金緑の光に触れた瞬間、爆発的な光が中庭を包み込んだ。
鼓膜を破るような轟音ではなく、空間そのものが共鳴するような低い振動。
サイラスの作り出した小さな光球が、僕の魔力を吸い込んだ途端に何十倍にも膨れ上がり、太陽のような輝きを放ち始めたのだ。
しかも、それほど強大な力に膨れ上がっているにもかかわらず、暴走の気配は微塵もない。
それどころか、荒れ狂っていた魔力の奔流が、嘘のように静まり返り、完全な安定を保っている。
「……信じられない」
サイラスの驚愕の声が漏れた。
彼は光球を消し去り、僕の両肩を強く掴んだ。
その瞳の奥で、散らばっていた無数の点と点が結びついていくのがわかる。
「増幅、そして中和。お前の魔力は、他者の魔力に干渉し、その限界を底上げする特異な性質を持っている。それだけではない。魔力の不純物を取り除き、呪いのような負の性質すらも無効化する力だ」
「僕の力が、あなたの呪いを……?」
「ああ。僕がこれまで生きてきた中で、お前の傍にいるときだけ呪いの進行が止まっていた理由が、ようやく理解できた」
サイラスの唇の端が、微かに持ち上がる。
それは、僕が初めて見る彼の明確な笑みだった。
「アイゼン。お前は無能などではない。お前のその力こそが、かつてあの国で奇跡と呼ばれていた現象の真の正体だ」
「どういうことですか」
「お前の妹だ。彼女が聖女と呼ばれ、枯れた大地を潤し病を癒していたのは、お前が常に彼女の傍にいたからだ。彼女自身の魔力など、取るに足らないものだったのだろう。無意識に漏れ出していたお前の増幅の力が、彼女の魔法を奇跡の領域まで押し上げていたに過ぎない」
頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
リアが聖女として祭り上げられ、僕が役立たずとして蔑まれていたあの日々。
ユリウスが僕を捨て、リアを選んだあの決断。
そのすべてが、根本的な誤解の上に成り立っていた幻影だったというのか。
胸の奥で、どす黒い感情が渦を巻く。
怒りではない。
悲しみでもない。
ただ、あまりにも滑稽な現実に対する、ひどく冷たい虚無感だった。
「もう過去を振り返る必要はない」
サイラスの温かい手が、僕の冷たくなった頬を包み込んだ。
彼の親指が唇をなぞり、その熱で僕の心を縛り付けていた呪縛が解けていく。
「お前は僕の番だ。お前のその力は、僕だけを救うために使えばいい」
僕は静かに頷き、彼の広くて温かい胸に額を押し当てた。
僕を縛っていた鎖は、もう何一つ残っていない。
ただこの人のために、僕のすべてを捧げようと決めた。




