第12話「決別の雨上がりと、ただ一人を抱きしめる帰路」
王城の門を抜けると、空には美しい虹が架かっていた。
僕が降らせた浄化の雨が上がり、雲の切れ間から差し込む陽光が、濡れた石畳をキラキラと反射させている。
沿道に集まってきた民衆たちは、恵みの雨に歓喜しながらも、城から出てきた僕たちを見ると、そのただならぬ雰囲気に圧倒されて道を空けた。
彼らの顔には生気が戻り、病の気配は完全に消え去っていた。
僕の魔力が、一時的とはいえこの国の呪いを中和したのだ。
「いい顔をするようになった」
隣を歩くサイラスが、唐突に口を開いた。
僕が不思議に思って見上げると、彼は金緑石の瞳で僕を真っ直ぐに見下ろしている。
「あの塔に来たばかりの頃は、今にも折れそうな枯れ枝のような目をしていた。今は違う。お前は自分自身の足で立ち、自分の意志で世界を選び取った」
「それは……あなたが、僕に力をくれたからです。僕一人では、きっとあの暗い広間の隅で、ずっと膝を抱えていたはずですから」
僕は照れくささを誤魔化すように、彼の腕に自身の腕を絡ませた。
サイラスの唇の端がわずかに上がり、彼は僕の頭にポンと大きな手を乗せる。
その瞬間、背後から荒々しい足音が近づいてきた。
「待て! 頼む、行かないでくれ!」
泥だらけのユリウスが、警備の兵士の制止を振り切って走ってくる。
彼は息を乱し、血走った目で僕に向かって手を伸ばした。
その必死な形相は、王太子としてのプライドなど微塵も感じさせない。
僕は立ち止まり、冷たい視線で彼を振り返った。
「これ以上、僕に何を求めるのですか」
「僕が悪かった。君の価値を見抜けなかった僕が愚かだった。だから……君の居場所は、ここにあるはずだろう。僕たちが誓い合った言葉を、思い出してくれ!」
ユリウスの言葉に、僕はため息をつく事すら忘れてただ呆れ果てていた。
幼い日の約束。
君を守るという、甘く脆い言葉。
それを一番初めに裏切り、泥で汚したのは誰だったというのか。
僕が口を開くより早く、サイラスが僕の前に立ち塞がった。
彼の周囲の空気が一気に氷点下まで下がり、大気が鋭い刃のようにユリウスの肌を切り裂く。
「気安く過去を語るな。お前が彼に与えたのは、安い言葉と裏切りだけだ」
サイラスの低い声が、広場全体に響き渡る。
彼から放たれる目視できるほどの殺気に当てられ、ユリウスは恐怖でその場にへたり込んだ。
「彼は僕のものだ。彼の魂も、魔力も、彼が過ごすこれからのすべての時間も。虫けらが触れていい存在ではない」
サイラスが指先をわずかに動かすと、目に見えない強烈な衝撃波がユリウスの体を打ち据えた。
命を奪うほどの威力ではないが、彼の心を完全にへし折るには十分な暴力。
ユリウスは地面にうずくまり、両手で頭を抱えて震え上がった。
もう、僕を引き留めようとする気力すら残っていないだろう。
「行きましょう、師匠。もう、十分です」
僕はサイラスの冷たい手を取り、自身の温かい魔力を流し込んで彼をなだめる。
サイラスは僕の手の感触に少しだけ瞳孔を緩ませ、無言で頷いた。
僕たちはユリウスに背を向け、王都の門へ向かって歩き出す。
振り返ることは一度もしなかった。
灰色の鎖は、これで完全に断ち切られたのだ。
◆ ◆ ◆
王都から離れ、人気のない森の入り口まで来たところで、サイラスが空間転移の魔法を展開した。
周囲の景色がぐにゃりと歪み、胃が持ち上がるような浮遊感の直後、僕たちはあの見慣れた時の塔の中庭に立っていた。
先程までの騒がしさが嘘のような、完璧な静寂。
枯れていた中庭には、僕の魔力に当てられて芽吹いた青い花が、風に揺れて咲き乱れている。
古い羊皮紙とラベンダーの香り、そしてサイラスの魔力が放つ微かなオゾンの匂い。
ここは、僕たちの楽園。
僕が帰るべき、唯一の場所。
「……帰ってきたな」
サイラスが深く息を吐き出し、僕の背中から両腕を回して抱きしめてきた。
彼の大きな体が僕にのしかかり、その重みに少しだけよろめく。
彼の心音が、背中越しに激しく打ち鳴らされているのがわかった。
「師匠?」
「少し、魔力を使いすぎたようだ。王都での転移と、虫けらどもへの威圧で、抑え込んでいた呪いが暴れようとしている」
サイラスの声はひどく掠れており、彼の額からは冷たい汗が滲み出していた。
僕は慌てて振り返り、彼の体を支える。
彼の中に渦巻く黒い呪いの泥が、寿命を喰らおうと必死に暴れ回っているのが、僕の魔力感知を通してはっきりと伝わってきた。
「すぐに中和します。僕の力を、全部あなたに流すから」
「アイゼン、無茶をするな。お前の体が……」
「無茶ではありません。僕は、あなたを永遠に僕の傍に縛り付けると決めたんです」
僕は彼の広い胸に両手を当て、深く息を吸い込んだ。
今度は一時的な延命や中和ではない。
僕の魔力のすべてを懸けて、彼の魂に刻まれた呪いを根源から書き換える。
僕たちの永遠の契約を、この閉ざされた塔の中で果たすために。
僕は覚悟を決め、彼の金緑石の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。




