『黄色』
「大丈夫! 絶対、貴方ならできるよ!」
「絶対、なんて何を根拠に……?」
「貴方のことをよく知ってるから!」
そんな会話をした、過去の恋人がいた。俺が独立を目指して、仕事の合間に必死に勉強をしていた時の言葉だった。
彼女とは仕事先で出会った。違う部署ながらも、互いの関係が強い業務内容で。
俺は新卒で、彼女は中途。
中途採用だからか、とにかく周りに追いつこうと必死な様子に、心の底から尊敬していた。違う部署のことでも一生懸命な顔をしてメモを取るのだから、社会人のお手本だよなぁと、新卒ながらに思っていた。
最初は、仕事での最低限しか関わっていなかった。それでも、その仕事ぶりに惹かれてはいて、明確に好きを自覚したのは、俺も彼女も、すっかり先輩になってしまった頃の話だ。
彼女は後輩を引き連れて、仕事を教えながら、そして見守りながら俺の部署との連携を図る。俺も教えられる立場ではなくなり、時には先頭で業務を進めていた。
とある、仕事でのこと。俺が主導の業務で、取り返しがつかないと言っても過言ではないミスが発覚した。判明したのは、彼女が後輩に物事を教えている最中だった。
俺は上司に呼び出され、みんなの前で酷く叱責された。謝るしかなかったけど、謝って何とかなるような問題ですらなかったから、上司の怒りはいつまで経っても収まらなかった。
割って入ろうとしてくれた他の先輩も居たには居たが、それが火に油を注いでしまった。
もうこれは、辞表を出すしかないのかもな。
自分なりに頑張ってきた仕事だったが、そんなことが頭によぎった。そのくらい、上司の怒りは恐ろしく、しかし言っていることは全て最もであった。ただ、俺のミスが悪かった。
だが、床しか見えない視界の横に、突然、ふと影が増えた。思わず顔を上げそうになって、でも上司の前だからと堪える。
「大変、申し訳ございませんでした」
横から聞こえたそんな声は、紛れもない、彼女の声だった。なんで、君が。その思いは、少しだけ勢いを弱めた上司が代弁した。
「このミスは、私の部署との連携不足が招いた結果です。私の相談が足りておらず、判断をひとりに委ねてしまったせいです」
いやしかし、と、戸惑いだす上司に彼女は続けた。
「お取引先様には、私のほうから既に電話でご連絡いたしました。この後すぐに直接お伺いし、謝罪してまいります」
彼女はいつの間にか、そんなことまでしてくれていたのか。毅然とした声の頼もしさに、俺は拳をぎゅっと握る。なんて、情けない。
彼女のおかげで勢いを無くした上司は、深く大きな溜息を吐き、早く行け、と言った。腰を上げると、顔は背けたまま、追い払うように手を動かしている。
俺は再三頭を下げて、彼女の後を追った。車に乗り込み発進した途端、厳しかった彼女の表情が和らぐ。
「あー、怖かったですねぇ」
先ほどの件なんて嘘みたいに、けたけたと笑い出した。俺は上司のように戸惑いの声を出す。
「そんな、すみませんでした。俺のせいなのに、一緒に謝罪させてしまって」
「いいえいいえ。相談不足だったのはその通りですし、ひとりで謝るより、ふたりで謝ったほうが寂しくないでしょう?」
ね? と、彼女が下手くそなウインクを見せた。「ウインク、できてないですよ」と指摘して、彼女がまた、けたけたと笑う。
この時だった。俺が、君を守りたいと思ったのは。人の為に謝れる君を、誰よりも笑顔が素敵な君を。俺がもっと強くなって、頼れる男になって、幸せにしたかった。
頑張りすぎてしまう君に、もっと楽しいことをしてほしくて。養うために給料を上げたくて、独立を目指した。でも君は、俺の右腕として働きたいと言った。君が一緒なら、これ以上に頼もしいことはないと思った。
俺達は、独立した日に結婚した。借金があったから、結婚式は挙げなかった。それを後悔するくらい、事業は非常に好調で、あっという間に軌道にのった。
だから、君を解雇した。
仕事の右腕じゃなくて、家での右腕として。家事、そしていつか育児に集中できるように。幸せな家庭を築けるように。
君はいつも笑ってた。
玄関には、黄色のヒナゲシをいつも飾ってた。
『成功』という花言葉があるらしい。
きっと、君が飾ってくれたヒナゲシのおかげだね、と。昔はそんなことを言えてた。
いつからか、君は笑わなくなった。
多分、俺が笑わなくなったから。
身を粉にして働いてるのに、笑ってる君が憎くなったから。
帰りが遅くなっただけで、子犬のような目をした君が憎くなったから。
ベッドの中で伸ばしてきた手を、俺があの時、叩いた、から。
分かっていた。あの時の失敗と同じ。
本当は、全部、俺だけのせいだった。
今はもう、一緒に謝ってくれる人なんていない。
忘れてしまっていた君への感謝は、
どんなに縋っても、手遅れになってしまった。




