攻めの防具
「カップ麺、出来ましたよ」
その声が背中にかかっても、僕は振り向かなかった。
ただ、「ありがとう」と、小さく言葉をこぼす。
後輩はもう慣れたもので、何も言わず、机の隅にそれを置いた。
醤油の香りが鼻腔をくすぐる。
それでも、視線は前を向いたままだ。
僕は椅子に腰掛けたまま。
瞬きの回数を一定に保つ。ここで最初に叩き込まれた作法だ。
「そういえば、知ってます?」
後輩は構わずに声をかけてくる。
「最近、新しいダンジョンが見つかったとかで。
魔王級クエストじゃないか、なんて盛り上がってますよ」
「へえ」
僕は手探りで、用意された食事を掴む。
これも、慣れた配膳と所作のワルツだ。
ミリ単位の狂いもなく置かれたそれを、左手が静かにエスコートする。
首は、寸分も動かさない。
世界はどうやら騒がしいようだが、ここには静謐が要る。
後輩は、僕が話を広げる気がないと察したのだろう。
小さく息をついた。
「それ。そろそろですか?」
「どうだろうな。
ゆっくり、ゆっくりとだ」
蓋の上に乗った箸を取り、蓋をはがす。
湯気で視界が曇ってはいけない。
そのために、僕は眼鏡をやめてコンタクトにした。
濃い醤油の香りが、ふわりと立ち上る。
静かに、視線を固定したまま麺をすする。
目の前のそれは、熱を持たない。
熱を引き受けるのは、僕のほうだ。
……ダンジョンか。
冒険者と呼ばれる連中が、こぞって買い付けに来る。
皆が、こいつを必要としている。
だが、悪い。
これはスピードアップできない。
早くて手軽。
そこにも、もちろん価値はある。
だが、僕には手元のもので充分足りていた。
最小限の動きで麺を啜り、咀嚼する。
強い塩味と魚介出汁の刺激が、舌から脳へ、喉へと落ちていく。
ふと、手を止めた。
……そろそろだ。
背後で、後輩の構える気配を感じる。
視線の先で、複雑な器具や容器を通ってきた一滴が、今にもこぼれ落ちようとしていた。
表面張力の限界まで盛り上がったそれは、落ちる寸前で、わずかに震える。
そして、自由落下を得たそれは、その下で待ち受けるガラス瓶へと吸い込まれた。
「ぽとん」でも「ぽとり」でもなく。
――これは。
あの人は、落ちる瞬間に世界が一度止まると言った。
僕は、そんな話を信じていなかったのだが。
カップ麺からそっと手を離し、立ち上がる。
そして、雫が落ちたガラス瓶の表面を撫でる。
半分ほど溜まったそれが、そっと世界に波紋を起こした。
「先輩?」
背中に、訝しげな声がかかる。
僕は答えず、瓶に蓋をして、引き出しにしまった。
そして、新しい器をセットする。
「……魔王級クエスト」
思わず、口にしていた。
僕はカップ麺を手に取り、残ったスープを一気にあおる。
熱が、沁みた。
世界は急いでいる。
けれども――
ポーションは、ただ配合すればいいものじゃない。
一滴一滴を見守る。
ゆっくり、ゆっくりと。
そして。
僕は椅子に戻り、視線を固定する。
一定の瞬きを、再開した。




