09.【閑話】放蕩息子の帰還2
「そうですか」
私はここ数年ずっとラドミール青年から弟の愚痴を聞いていたので、彼の言葉に少し驚いた。
だが私は内心の動揺を押し隠し、静かに話を聞いた。
相手の話を評価せずに受け止めることこそが、心の安らぎや気づきに通じるのである。
「はい、昔は弟なんて死んでしまっても別に悲しくもない、いや、いっそのこと死んでしまえばいいとも思っておりましたが、今はどこで何をしているのか心配で仕方ありません。父も晩年、弟の話ばかりで、父の身の回りの世話をしているのは自分なのにと苛立ちが募りましたが、今は父の気持ちがよく分かります。弟がもし旅先で病に倒れていたら、と思うといても立ってもいられません。いっそのこと、私は弟を探しに旅に出たい……!」
「ちょっ、ちょっと待ってください」
私はラドミール青年の剣幕にあわてた。
傾聴を心がけていたが、そんな場合ではない。
彼は今にもこの寺院を飛び出しかねない勢いだ。
「弟さんが今、どこにいるのか分からないのでしょう?」
「はい」
「闇雲に探したところで十年も前に出て行った男性が見つかるはずがない。第一、あなたがいなくなったら、畑はどうなります?」
「それは……」
畑のことを言われると弱いらしく、ラドミール青年は言葉を濁す。
ラドミール青年の営む農家は大きく、現場の農作業をする雇い人はいるが、彼らをとりまとめるラドミール青年がいなければそれも立ちゆかない。
「ご心配は十分私にも分かります。ですが彼がもし無事に生きており、そして故郷であるここに戻ろうとした時、暖かく迎える彼の家がないことの方が不幸ではありませんか?」
「弟の家……」
ラドミール青年はハッとしたように顔を上げた。
「悲しい話ですが、彼本人の帰還は叶わないかもしれない。しかし彼の子や孫、彼と親しかった友人達が彼のことをあなたに伝えるために訪れるかもしれません。その時、あなたが家にいなかったら、彼らはどこへ向かえばよいのでしょう?」
「神父様……」
「あなたが真に弟さんを思うなら、やるべきことはお父上に代わり、弟さんを迎える彼の家を守ることではないでしょうか? そのために必要なのは何よりあなた自身の幸福です」
「私は、結婚してもいいんでしょうか? 自分だけ幸せになるようでとても心苦しいのです」
ラドミール青年は心境を吐露した。
「律法を厳格に守るあなたを私は誇りに思います。おそらくはお父上もそう思われたことでしょう」
「父が、でしょうか?」
「はい、あなたもご存じのようにこの寺院で私は長らく一番の新入りでした。未熟者な分、話しやすかったのでしょうね、彼は私に『面と向かっては言えないが、ラドミールには感謝しているんだ』と言っていました」
ラドミール青年は驚いたように目を見張る。
「父さんがそんなことを?」
ラドミール青年の前ではことさら厳格な人だったが、私には息子自慢のような話もしていたのだ。
「あなたのお父上は幸福のうちに神に召されました。あなたの幸せを、神は祝福してくださいます」
ラドミール青年がかつて抱えた不満を、私は正直に言うと理解出来る。
葛藤を乗り越え、弟の無事を願うに至った彼には幸せになって欲しいと思っている。
「神は私に祝福を」
そう言うと、ラドミール青年は跪き神に祈った。
私は彼の肩に手を置き、厳かに頷いた。
「神はいつもあなたのそばで見守っておられます。今あなたがすべきことは、弟さんを探してあてもなく彷徨うことではありません。まず家を快適に整えることです」
「家を整える、ですか」
「はい、家の掃除をすることをおすすめします」
私は断言した。
***
私とラドミール青年が話し込んでいる間、シーラもまた見知らぬ男と対話を続けていた。
声を掛けてきた男は何故かそれきり黙り込んでしまった。
「……何の用でしょう?」
シーラは苛つきながら、彼を促す。
やがて彼は意を決したように顔を上げ、シーラに尋ねた。
「あの、ジョン・カントレルの墓はどこにあるでしょうか」
「ジョンさんですか? あの人のお墓はそこ左に曲がってまっすぐずーっと歩いた先です」
「そうですか……」
男は墓の場所を聞いても突っ立ったままだ。
シーラは「じゃあ私はこれで」とさっさとその場を去ろうとしたが、男性は彼女を呼び止めた。
「あの、シスター、大変ぶしつけなお願いですが」
「はあ」
「私がとう……いえ、彼のところに墓参しても、きっと彼は喜ばないと思うんです。ですから、シスター、私の代わりに彼の墓で祈りを捧げて頂けないでしょうか」
「えっ、嫌です」
シーラは即断した。
「はっ、えっ」
男は驚いた様子でシーラを見つめた。
シスターといえば、割合優しげな女性が多いが、シーラは一秒も顧みることなく、キッパリと彼の要求を断った。
「自分で行ってくださいよ」
「いや、それはちょっと……」
と男は躊躇った。
「あなた、ジョナサンさんですよね」
シーラの指摘に、その男、ジョナサンはびくりと肩を揺すった。
「ひっ、人違いです」
と彼はシーラから顔を背けた。
「えっ、でも、その左手の入れ墨」
シーラが言うとおり、ジョナサンの左手の甲には入れ墨があった。
「自分で掘っちゃったんですよね。ハートの下にラブ&ピースって書こうとして綴りを間違えてラブ&ペスってなっちゃったやつ」
ジョナサンはハッとして左手の甲を隠したが、シーラは更に言った。
「あと、右耳に豚にかじられた古傷があるとも聞きました」
「こっ、これは猪にやられたんだ」
「それはふかしで、本当は豚」
「……っ、にっ、兄さんから聞いたのか?」
「兄さんなんて知りませんよ、ジョンさんから聞きました」
「えっ、父さんから? ……父さんは俺のことをなんて? 怒ってたんじゃないか?」
ジョナサンは心配そうに呟いた。
「あー、心配してましたよ。『最初は怒ってたけど、馬鹿息子が死んじゃってないか心配だって。生きているうちに会いたかったけど、それは叶わないのが俺っちの唯一の心残りだ』って言ってました」
「父さん……」
ジョナサンはシーラの言葉を聞いてむせび泣いた。
遠くから「父さん、父さん」と号泣する男性の声が聞こえてきた。
振り返るとそこにシーラと先ほどの男性の姿があった。
泣いているのは男性の方だ。シーラは呆れた様子でそれを見ている。
「まさか、シーラ君が泣かした?」と私はあわてた。
「……!? あの声は、ジョナサン?」
ラドミール青年はハッとして顔を上げた。
「ジョナサン?」
彼はシーラ達がいる礼拝堂の扉に向かって歩いて行く。
私も急いで後を追った。
ジョナサンは受け取った財産を放蕩生活で早々に使い果たし、やがて飢えに苦しみ、豚の飼育業に手を出したが、それも上手くいかなかった。すっかり落ちぶれた彼は、自分の過ちを悔い改め、父のもとへ帰る決意をした。
ただあんな形で家を飛び出した自分を、父と兄が迎えてくれるか心配だった。
故郷に戻ったものの家の門を叩けず、それとなく家の様子を探ると、なんと父が一年程前に亡くなっていたのを知り、ジョナサンはひどく後悔したがそれも後の祭りである。
ともかく父の墓参をしたいと寺院にやってきたという訳らしい。
話を聞いてラドミール青年は慈愛に満ちた声で弟に言った。
「ひどい格好だ。家で着替えてゆっくり休みなさい。お前の部屋はいつでも使えるようにしてあるよ」
「兄さん、許してくれるのか。一旗揚げるどころか、俺は財産を使い果たして無一文になってしまった」
ラドミール青年は笑った。
「少し前なら『ざまあみろ』と思ったかもしれないが、今はそんな気分じゃないよ。父さんが亡くなってしまった。元気になったら墓前で追悼の祈りを捧げてくれないか」
「兄さんさえ、良ければ、今、行っていいかな」
「もちろんだ」
兄弟は連れ立って父親の墓に向かった。
この後――。
兄のラドミールは結婚し、弟のジョナサンはしばらく兄の農家を手伝った後、コツコツと貯めた金で隣の敷地を買い、豚の飼育をはじめた。
数年後、冷害で農業が不作の年があったが、ジョナサンは恩返しとばかりに兄の援助をした。
彼らはそうして手を取り合い、助け合って暮らしたという。
次回は『ルビーの遺言』。
今度の依頼人(?)は老婦人。
生前老婦人が大切にしていたルビーの指輪。彼女は自分が死んだらそれを一緒に埋めてくれと遺言したが、棺に納められたルビーは偽物だった。亡き老婦人はシーラにそう主張するのだが、果たして真相は?




