07.物忘れの激しい死体7
執事はパドック氏が「兄に食べさせてくれ」と持ってきた貝や小魚を見て、嫌な予感がしたという。
その頃には既に港町の子供の病気は大きな問題に発展し、執事の耳にも入っていた。
ジレッド氏は可愛がっていた弟のパドック氏に自分の財産の管理を任せていた。
当然、パドック氏も港町の騒ぎは聞いているはずだ。
執事には兄のジレッド氏が弟を思う程、パドック氏は兄を慕ってはいないように、感じられた。
パドック氏は無学な兄を見下しながら、成功した彼に強い劣等感を抱いていたように思う、と執事は言った。
「パドックさんは、お兄さんに毒入りの貝や小魚を食べさせたってことですか?」
シーラはそう言うと、「うへぇ」と小さくうめいた。
「心配になった執事は『この海産物は、クイダド鉱山の近くの港町のものではありませんよね』とわざわざ確認したそうだよ。パドック氏は『違う』と答えたが、執事の目には魚も貝も鮮度が少し悪く、近くの港で買ったものではないように見えたそうだ」
鉱山は王都から馬で一日ほど掛かる。船でも同じくらいの距離だそうだ。
「しかし『貝や魚は骨にいいんだ』と言われると執事は断り切れずに、それをジレッド氏の食卓に出した」
「えっ、ジレッドさん、毒入りの魚、食べちゃったんですか?」
「ジレッド氏は弟の気遣いに感謝し、魚介を喜んで食べたそうだ。差し入れは毎日ではなかったし、執事は用心していつも少ない量しか出さなかった」
執事なりに主人であるジレッド氏を守っていたらしい。
だが、そんな努力もむなしく。
「ジレッド氏はパドック氏からの差し入れを食べて一時間後に死亡した」
「ジレッドさん、魚介類食べて死んじゃったってことですか? それってやっぱり殺人じゃないですか?」
シーラが鼻息荒く言った。
執事も自分が出した食事が原因でジレッド氏が亡くなったのではと深く悩んでいたが、その認識は誤りだ。ジレッド氏の死にまったく関わりがなかったとは言えないが、直接の死因ではない。
何故なら……。
「もしパドック氏からの差し入れがクイダド鉱山の近くの港町のものであっても、そもそも致死量に達しないんだ」
「でも、子供は亡くなったんですよ」
「これは私の推測だが、港町の子供達の病気の原因はおそらく鉛中毒だ」
シーラは不思議そうに首をかしげた。
「鉛ですか? ジレッドさんが持っているのは銅山ですよね?」
「銅山では銅以外にも副産物として別の鉱石が採れることがある。特に銅山では鉛や亜鉛が副産物として採掘されやすいそうだ。主に鉛が採れる鉛山より排出される鉛の量は低く、今まで問題にならなかったが、その分被害はじわじわと広かったんだろう。鉛は子供の方が感受性が高く、中毒になりやすいそうだ」
その証拠に港町の被害は子供に集中している。
「ただし大人も鉛中毒にならないわけではない。現にジレッド氏の死因は鉛中毒だ。それと水銀中毒も患っていたはずだ」
「えっ、ジレッドさんの死因は心臓発作じゃないですか?」
「心臓発作の可能性はもちろんあるが、どちらにしても原因は鉛と水銀の中毒だろう」
「は? どうして神父様にそんなの分かるんです?」
「新聞記事の子供達の症状、それジレッド氏の症状から推測だよ。鉛というのは、体内に蓄積され、時間の経過とともに徐々に自然と排出されていく。つまり、曝露し続けなければ、鉛を摂取しても中毒にまでなることはない。大人はたかだか半年、少量の貝や小魚を食べた程度では鉛中毒にまずならないんだ。故に、パドック氏は殺人を犯してはいない」
「え、でもジレッドさんの死因は鉛中毒……なんですよね? 矛盾してません?」
「ジレッド氏は鉱夫だった頃、鉱山でかなりの量の鉛に曝露していたと思われる。彼は自らツルハシを振るって鉱脈を見つけたんだろう?」
「はあ、そう言ってましたね」
「その後ジレット氏は現場から離れたが、執事の話ではよく鉱山に採掘の様子を見に行っていたそうだ。その上彼は骨折して、再び大量の鉛を摂取してしまった」
「えっ、骨折? 骨折でなんで鉛を?」
「骨折の治療で、医師がジレッド氏に処方したのは、『酢酸鉛』の湿布。この湿布は鉛が塗布されている」
「どっ、毒じゃないですか!?」
「毒も薬も紙一重だよ。まあそれは置いておいて、この湿布は使い方を間違えねば良い湿布だそうだ。医師が、使い方を間違えねば、ね」
「間違えたんですか?」
「おそらくね。これは打撲の湿布薬として使われるそうだが、効果を高めるために、危険なほど『酢酸鉛』の濃度を上げて使う医師がいるそうだよ。それと、そういう医者は頓服としても水銀もよく使う」
「水銀?」
「執事に聞いたんだが、ジレッド氏は骨折の痛みの他にも様々な不調を抱えていた。便秘、貧血、頭痛などの全身の不調。これらは全て鉛中毒の症状だが、なんだか分からない病の時にヤブ医者が『とりあえず』使うのが水銀なんだ」
「ふーん、水銀ですか? あの銀色の水みたいなやつですよね」
シーラは意外そうだ。
水銀は医療品に良く使用されており、女性の化粧品や鏡、そのほか様々な製品にも使用されている。危ないなんて認識を持つ人は少ないだろう。
「そうだ。シーラ君は水銀を見たことがあるようだが、素手で触ったりするなよ。水銀は我々の生活に欠かせないものだが、最近の研究ではかなり危険な物質なのが分かってきた。一部のご遺体にも保存のため鉛や水銀が使用されているから、自然に屍蝋化した以外の腐ってない遺体の取り扱いには十分気をつけろ」
「……はい、気をつけますが、そもそも見たくないですね」
シーラはげんなりした顔で言った。
話がずれてしまったので、私は軌道修正した。
「まともな医者は患者が痛みを訴えたら、昔ながらの柳の樹皮を煎じた薬を飲ませるが、水銀の方が即効性があると好む医者もいる。ジレッド氏の主治医はそっち側だったようだね」
「あの、じゃあジレッドさんを殺した犯人は医者ですか?」
「どうかねぇ。世の中ヤブ医者は案外多いんだよ。うちの老神父も一時期、頭痛薬として水銀を飲むように言われてね」
シーラは目を丸くする。
「えっ? その人、大丈夫でしたか?」
「確かに一時は良かったが、常用しているうちに体が震えたり、記憶障害、それに腹痛を訴えるようになって、別の医師に見てもらったところ、水銀中毒だと判明した」
その医師に水銀や鉛などの鉱物の中毒について聞いたのだ。
「短い間ならよく効くので、鉛や水銀を使う医者は多いらしい。ジレッド氏の主治医は疑う余地なくヤブだが、彼に患者を殺す意図はなかったと思われる。だが以前から鉛の曝露をしていた上に、鉛の湿布と水銀の飲み薬を処方されたことで、ジレッド氏は鉛と水銀の両方に冒され、いつ死んでもおかしくない状態になってしまった」
「あの、ジレッドさんは誰かに突き飛ばされたって言ってましたけど……?」
「心臓発作で心臓が止まったが生還した老神父から聞いたが、彼によると心臓発作は『誰かに胸を強く叩かれたような痛み』だったそうだ。人に寄るが、心臓発作は『殴られた』とか『突き飛ばされた』といった外部から受けた強い衝撃として認識されることがあるらしい」
ちなみに水銀中毒になった老神父とは別の神父である。
神父達のおかげで病気には少し詳しくなってしまった。
「鉛と水銀の中毒は両方とも記憶障害を引き起こしやすい。鉛中毒が進行し、ジレッド氏の認知機能は低下していた。そんな中で起きた心臓発作を彼は『突き飛ばされた』と誤認したんだろう」
「それじゃあ、全部ジレッドさんの勘違いですか。じゃあ本当にジレッドさんは病死で、犯人はいなかったんですね」
「私は医者ではないので断言は出来ないが、彼の死の原因は鉛と水銀中毒による腎の臓の病だと思う。腎を悪くすると心臓に負担が掛かり、発作が起こりやすくなる。逆に心臓が悪いと、腎に非常に強い負担が掛かる。ジレッド氏の場合は、たまたま心臓の方が先に止まってしまったようだね」
「パドックさんは無実ってことですか?」
「これも私の推測だが、パドック氏は兄の具合が良くないのを見て、港町で噂になった魚介類を食べさせることを思いついた。動機はジレッド氏が死亡したら受け取る遺産だ。そこに殺意はあっただろうから、無実とは言い難いが、彼は殺人を犯していない。後は第二の犯罪が起こらないことを願うが……」
私は憂鬱な気分で嘆息を吐く。
「第二の犯罪?」
「ジレッド氏を襲った暴漢達は捕まっていない。彼らは新たに鉱山主になったパドック氏に対し、どういう感情を持つだろうね」
こうして事件は無事に解決した。
シーラからジレッド氏に彼の死因について説明したものの、ジレッド氏は持論を曲げることはなく、相変わらず自分は殺されたと主張し続けているそうだ。
人は死んだ直後、自分が死んだ時の状態に囚われているそうだ。
だが自らの人生を顧みることで、人は少しずつ自分の死を受け入れる。
ジレッド氏が自らの罪に気づき、悔い改めた時に、天国の扉は開かれるだろう。
悔い改めたといえば、執事はその後、屋敷を辞めた。
それが彼なりの罪を償う手段だった。
今は別の屋敷に執事として勤める傍ら、近くの教会に足繁く通い、神に祈りを捧げているという。
そして、ジレッド氏の全ての財産を相続したパドック氏だが、ジレッド氏の死から半年後、彼はジレッド氏と同じように暴漢に襲われた。
パドック氏はジレッド氏よりさらに重い傷を負ったが、何故か湿布薬も鎮痛剤もそして骨に良いという貝や小魚を食べることも拒み、その怪我が原因で亡くなった。
彼は死の間際まで強い痛みにさいなまれ続けたと伝え聞いた。
パドック氏はジレッド氏の隣に埋葬された。
シーラの話では。
「お前が俺を殺そうとするのが悪い」
「兄さんがあこぎな商売をしたせいじゃないか」
兄弟は墓地で今日も言い争いを続けているらしい。
彼女はそのやりとりを横目で見ながら、「懲りないな、あの二人」と呆れている。
立て続けに二人の鉱山主を亡くしたクイダド鉱山は間もなく閉山となり、下流の港町を騒がせた子供の病気も収まったという。
はい、第一話完結です。
「別に犯人はいなかった」という推理小説としてはこれ、どうなんだろう?なオチですね、すみません。
水銀の脅威が知られていなかった時代の話でした。