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05.物忘れの激しい死体5

「主治医の先生のお話では、旦那様の怪我の治りは遅いようで、旦那様は苛立ちを募らせておりましたが、それでも時間と共に徐々に回復してゆきました。ですが、療養が長かった分、なかなか体力が戻らないご様子で、無事に骨がくっついてからも、頻繁に立ちくらみを起こしたり、少し歩いただけで息切れしたりとあまり体調は良くなかったのです。それでも根が活動的な方ですので、そんな状況でも痛み止めを使って精力的に仕事をしておりました」

「ふむ」

 シーラが言っていたジレッド氏の自慢話、『鎮痛剤入りの湿布と痛み止めを使ってそれでも仕事した俺』の部分だな。


「あの日は、昼食を召し上がって……そうですね、一時間ほど後のことでしょうか、旦那様は急に胸を押さえてパクパクと苦しそうに喘いだ後、意識を失って倒れました。すぐに先生を呼びましたが、手当ての甲斐なくそのまま……」

 さすがに長い間一つ屋根の下に住んだ主人のことである。ジレッド氏の最期を語る執事はしみじみとした口調だった。


「そうですか……」

 ジレッド氏の命を奪ったのは、怪我ではなく、心臓の発作だったようだ。

「心臓発作というのは、誰にでも起こりうることらしいです。これもまた神の思し召しでしょう!」

 執事は何故かそれまでのボソボソとした小声とは打って変わり、大声でそう主張した。

 彼の言うことに間違いはない。しかし、私は反論した。

「そう言われているようですが……」

 ジレッド氏は小太りの男性だった。

 壮年期の肥満男性は心臓発作のリスクが高まると聞いたことがある。

「心臓発作は食生活によってリスクが高まるそうですね。主治医からは食事の指導はなかったんですか?」

 執事の言う通り、誰でも起こりうる病なので、食生活に気をつけていても同じ結果になったかも知れないが、少なくとも医師には注意義務がある。

 司祭としては何でもかんでも神の思し召しにされてはたまったものではない。


「それは……」

 私の指摘に執事はびくっと体を震わせる。


 執事はしおしおとした小声に戻り、「はい、ございました」と証言した。

「お医者様からは、貝や小魚を食べるようにと言われておりました」

「貝や小魚は骨折にもいいらしいですからね」

 我が宗教の戒律でも肉を避け、魚を食べる日がある。


「はあ、そのようでして」

 執事は浮かない表情で相づちを打った。

 執事の表情を見て、私は彼に問いかけた。

「ジレッド氏は医師の指導に従いたがらなかった?」

「いえ、肉がお好きな方なので、最初はご不満だったようですが、今の旦那様(・・・・・)が気遣って貝や小魚を差し入れるようになってからは、自分から進んで召し上がるように……」

 怪我をする前のジレッド氏はもっと太っていたが、負傷後、医師の指導もあって少し痩せたらしい。

 残念な結果になったが、ジレッド氏は奮起してリハビリに励み、健康に気をつけていたそうだ。


 私は執事の言葉に一つ気になることを見つけた。

「『今の旦那様』というのは?」

 執事の生気の失せた声が言った。

「先代のジレッド様には妻子がいらっしゃらなかったため、遺産は全て弟のパドック様が受け取りました」

「つまりそのパドック氏が今のご主人ですか」

「はい。屋敷以外の事業も全て彼が継承したと聞いております」



 事業と言えば。

「確か、ジレッド氏は銅鉱山を持っていましたよね」

「はい……」

『鉱山』の一言で、ワインを飲んで上機嫌になった執事の顔色はすっかり元に戻ってしまった。

「先程のお話だと、記者が鉱山のことを調べているようですが、何かトラブルでも?」


「……」

 執事は逡巡する様子をみせ、なかなか口を開こうとしない。

 そこで私は話題を変えた。

「ジレッド氏は元は鉱夫だったそうですね。弟のパドック氏も鉱夫をなさっていたのですか?」

「いえ、彼は旦那様に学費を出してもらい、学校に行き、会計士の資格を取ったそうです。旦那様にとっては自慢の弟のようでした」

「……」

 ジレッド氏が学費まで払った『自慢の弟』は追悼のミサには顔を出さない。

 人はそれぞれ様々な事情を抱えている。

 とはいえ、ジレッド氏の弟への思いは一方通行だったのではと思わせるエピソードだ。


 私はジレッド氏のグラスにワインを注ぎ、話を続けた。

「ではパドック氏は鉱山のことは門外漢ということですか。お兄さんが突然死なさって急に跡を継ぐことになるとは彼も大変ですね」

 そう言うと、執事は皮肉っぽく笑った。

「いや、そうでもないようですよ?」

「とおっしゃいますと」

「『兄さんより僕の方が上手くやる』が口癖の方ですからね。鉱山経営も『上手くやる』おつもりのようですよ。そのくせ記者の対応は私に任せっきりで……」

「記者ねぇ」


 話しすぎたと思ったのか、執事は急に話を切り上げた。

 執事は少々芝居がかった様子で椅子から立った。

「おっと、そろそろ帰らないと日が暮れてしまう。神父様、ご馳走様でした。失礼致します」

 私は腰を下ろしたまま、彼を見上げ、問いかけた。

「執事さん、ジレッド氏が所有していた銅山は、クイダド鉱山ですね」

 私の言葉に執事はギクリと肩を揺らした。

「どっ、どうしてそれを?」

 恐怖で引きつった顔で彼は私に問いかけた。


 ただの推測なのだが、どうやら当たっていたようだ。

 私はさらに執事に質問をぶつけた。

「それで、新聞記者は何を探っているんです? 港町の貝や魚を食べた子供達が死んだり病気になった原因が、銅山から染み出た水であることですか? ジレッド氏は死亡する前、頻繁に貝や小魚を食べていたそうですね。死亡当日は?」

 執事は悲鳴のような声で叫んだ。

「記者の話は何の根拠もない言いがかりです! それに、だっ、旦那様の死因は、心臓発作です! 貝も魚も関係はない!」

「ええ、そうでしょう、彼は病死(・・)です。鉱山から出た汚水は彼の死因と直接の関係はありません」


「だったら、わっ、私は悪くない。私は誰も殺してはいない!」

 私はこの言葉に否とも応とも答えなかった。

 代わりに私はこう言った。


「執事さん、あなたのいる場所はアーチボルト寺院です。そして私は司祭です。もしあなたが悔いていることがあるのなら、神に懺悔なさい」


 執事は急に体から力が抜けたようにへたり込んだ。

「私の罪は、許されるでしょうか?」

 彼はか細い声で私に問う。

 私はおもむろに答えた。

「あなたがまことに悔いたなら、神はお許しになります」



 告解室(・・・)から出た執事を礼拝堂の外まで見送り、別れ際、私は彼に『あること』を聞いた。

「ジレッド氏にお医者様がよく効くと処方したのは『酢酸鉛』の湿布薬、それと痛みが激しい時に使う頓服の飲み薬ではありませんでしたか? 頓服は水薬ですね」

「はい、よくご存じで」

 執事は感心したように言うが、この寺院の私以外の神父は老人ばかりだった。

 老人は大抵、どこかに痛みを抱えているものだ。

「よく効くといって『酢酸鉛』の湿布を出す医者は多いですからね」

 特にヤブ医者寄りの医者は。





 ***


「神父様」

「うわ、びっくりした!」

 執事を見送り、礼拝堂に戻った瞬間、私は突然声を掛けられ悲鳴を上げた。

「……なんだ、シーラ君か、驚かせないでくれたまえ」

 声の主はシーラだった。


「それで、何か分かりましたか?」

 出てくるのも唐突だが、質問も実に唐突だ。


「気になるなら、君も同席すれば良かったのに」

「嫌です」

 と彼女は即座に言い返した。

 彼女の人嫌いはかなり重症だ。


「まあ、分かったと言えば分かったね」

「あの執事がジレッドさんを殺した犯人ですか?」

 人に聞かれたらとんでもないことになりそうなことを彼女は聞いてきた。


「まさか。そうなら私は彼を家に帰したりせず、自首するように説得するよ。執事は犯人ではない」

「えっ、じゃあ誰が犯人なんですか?」


 私は死者の声が聞こえる十七歳の新人修道女に言った。


「――シーラ君、この件は最初に君が言った通りだった」

「はい?」

「ジレット氏は病死で、殺されたというのは彼の勘違いだ」


真相は、ジレッド氏の勘違いで殺人ではない、でした。

一体ジレッドの身になにがあったのか。

舞台は異世界のなんちゃってヨーロッパですが、時代は19世紀前半を想定してます。

次回から解答編に入ります。


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