01.物忘れの激しい死体1
舞台はなんちゃって近世ヨーロッパ風異世界です。
科学技術の発展により、かつて世界を支配していた魔法は過去のものとなった。
しかし生と死、そして心。
いまだ科学の力が及ばないこれらの領域において、わずかに魔法は息づいていた――。
***
王都郊外、プラタス地区にアーチボルト寺院はあった。
アーチボルト寺院は寺院としてより、寺院が管理する墓地の方が有名だろう。
過密した都市に死者を埋葬するための十分な空間は確保出来ず、王都で亡くなった多くの人々は、この墓地で永久の眠りについている。
アーチボルト墓地は貴族から罪人まで、さまざまな死者が眠る広大な墓地だ。
ここには歴史に名を刻んだ偉大な英雄や、著名な作家や芸術家なども埋葬されている。
貴族や金持ちは丁重に、貧乏人はそれなりに、罪人は刑執行後にずだ袋に詰め込まれ、この墓地に送り届けられる。
シーラ・アシュレイは、とある曇天の日に、罪人よりは「ちょっとまし」な状態で、この墓地にやってきた。
ずだ袋は被っていないが、非力な少女にしか見えない彼女の両脇には屈強な聖堂騎士が二人、彼女を挟んで立っている。
彼女は修道服を着込んでいた。
修道者が身につけるこの伝統的な衣装は、謙虚や誓願、献身など、戒律や信仰心を象徴するもので、装飾を省いた質素な服なのだが、彼女のそれは一段と飾り気がない。
入りたての新人修道女に渡される服だ。
「カール・ノイラート神父、かねてより申請のあった補助の修道女を預ける。シーラ・アシュレイだ」
聖堂騎士は無表情に、否、愉悦を隠してそう言った。
王都の大聖堂の人間にとってはここは流刑の地だ。
彼らはこの地にこの少女を投獄するのが楽しくて仕方ないらしい。
痩せぎすで顔色の良くない少女である。年の頃は、十六歳ほどだろうか。
信仰に身を捧げる決意をし、修道の門をくぐったばかりの少女がいかにしてここに送り込まれることになったのか。
聖堂騎士はそれを私に伝えることはなかったが、それでよい。
知ったところで私に出来ることは何もないのだ。
「はい、お預かりいたします」
私が彼らに返したのはその一言だけだ。
申請したのは男性の司祭だが、言っても無駄そうだったのでそれも伝えなかった。
彼女が実は有能な修道女である、などという大それた望みは持たない。
深刻な人員不足に喘ぐ寺院の司祭としては、墓場の夜の見回りで泣き出さないでくれと願うだけだ。
この広い寺院に配属されてる司祭は現在、この私一人だけだ。
いままで私を含め五人の司祭がいたのに、夏の暑さで、老衰死、老衰死、老衰死、老衰のため療養中で、ついに私一人になった。
私の祈りは天に通じたようだ。
シーラは無口だが働き者の修道女だった。
もちろん年若いので経験は少なく、知らないことは多いが飲み込みは早い。
またミサの時間に見せる彼女の所作はとても美しい。
さらに本人はあまり言いたがらないが、儀式に精通しているようだ。幼い頃から大きな教会に出入りしていないとこうしたことは身に着かない。
私はほんの少しだけ、彼女の事情に興味を覚えた。
幸いなことに寺院には篤志家から寄付が寄せられ、加えて信徒による花壇の手入れや看板の設置、トイレ掃除など熱心な奉仕活動のおかげで、墓地は美しく保たれている。
まことにありがたい限りである。
しかしながら彼らに頼めない雑用は様々あり、最たるものが、墓地の夜間の見回りである。
広大な墓地の見回りは骨が折れる作業だが、シーラと手分けすることで今までの半分の時間で済ませることが出来るようになった。
彼女は初日から淡々とこの業務をこなした。
私が最初に見回った時は慣れぬ仕事に四苦八苦したものである。具体的には少しちびった。
「墓場に慣れているのかね」
そう質問すると、彼女は「……はあ?」と不可解そうに私を見上げた。
「そうではありません。生きている人間より、死んでいる人の方が怖くないだけです」
というのが彼女の答えだった。
***
その日、私は朝食後、新聞を読んでいた。
新聞は週に一度発行されている。
かつて新聞は政府刊行物としての側面が強かったが、今は多様化し、様々な情報が載っている。
王都で刷られるこの新聞は、昨日発行されたものだ。印刷元から郊外のここまで届くのに半日かかるので、届いた時には既に日が暮れている。
紙面一杯ぎっしりと細かい文字が印刷された新聞は、夜が更けると読みにくい。
届いた新聞は翌日の朝に読むのが私の習慣となっている。
新聞によると、五年ほど前からとある港町で子供が病み、寝たきりになる奇妙な事件が多発していたが、ついに死者が出たらしい。
海に近い港町なので住人は魚介類をよく食べるが、特に貝や小魚を多く食べた子供に被害が集中しているのが分かってきた。
その港町は近くにクイダド鉱山という銅鉱山があることで知られており、活気のある町だが、今は街全体がうち沈んでいるらしい。
なんとも痛ましい事件である。
私が属する宗教界の話も載っていた。
聖女が見つかったそうである。
王都に住むミシェル・オーブリーという名の十六歳の少女だそうだ。
聖女は必ず神から与えられた能力を持っている。
その能力はかつては明かされていたが、今は能力が悪用されないため、秘匿とされている。
『神より授かりし能力とはどんな力なのか?』ということに世の注目は集まりがちだが、聖女誕生こそが、神の導きが我らにある証なので、その力の有益性はそれほど重要ではないのだ。
既に『火、水、風』などの自然霊に関わる力を持つ聖女はほとんどいないので、おそらく聖女は『生、死、心』などの精神と神に関わる力をお持ちだろう。
まあ、同じ王都の聖職者とはいえ、流刑地に等しいここで一介の神父をしている私に聖女の奇蹟を目にする機会はあろうはずがないのだが。
「聖女様が発見されたか、うむ、まあ、喜ばしいな」
王国の聖職者達の中枢は王都中心部にある聖堂教会で、聖女を認定するのも彼らの役目だ。
実は私は過去の経験からこの組織にはあまりいい印象がないのだが、素直にそう感じた。
「…………」
食卓の向かいではシーラが黙々と豆を煮込んだスープを飲んでいた。
他に食卓はパンとチーズとスクランブルエッグと野菜サラダが並んでいる。
墓地の管理は体力を使う仕事なので我々はチーズやパンが多めに割り当てられ、一般の修道士より少しばかり豪華な食事にありついている。我々に倒れられては面倒だからだろう。
チーズやパン、そして卵、牛乳などの食材は近隣の修道院から毎朝届き、それを私が調理している。
料理は以前から私の仕事だったので、今更シーラに任せたくない。
シーラもこのルーティーンに異論はないらしく、文句を言わずに食事をしている。
しかし、この時、彼女は明確に「飯が不味い」という顔をした。
「…………」
私は既に食べ終わった自分のスープ皿を凝視した。
本日のスープはインゲン豆とキャベツのミルクスープ。
使用された野菜、牛乳などの食材はすべて近隣の修道院で作られた新鮮なものだ。今日もいつもと変わりない出来に思えたが。
不味そうにしながらもシーラは食事を完食したので、私はややホッとした。
シーラが食事を終えたのを見計らい、私は彼女に申し送りをした。
「明日はジレッド・ヨマーキー氏の没後三十日の追悼のミサがあります」
我が国の宗教では、没後三日目、七日目、三十日目、そして一年後に、故人を偲ぶ追悼のミサが行われる。
赦祷式と埋葬時の葬儀のミサは身分の別なく行うが、追悼のミサは依頼された時のみ執り行う。
追悼のミサを頼むには別途『ミサ料』を献金する規則なので、貧乏人はよほど信仰心がなければこれをしない。
代わりに通常のミサが、朝夕の一日二回行われるので、日を合わせてミサに参加するのが一般的だ。
故ジレッド・ヨマーキーは金持ちだったので、彼の遺族は追悼のミサを依頼してきた。
ただ金を支払うだけで、参列はしないそうだ。
他に参列者もいないので、ミサに立ち会うのは、私とシーラだけになりそうだ。
こういう信徒は案外多いので、取り立てて珍しいことではない。
ミサは大抵寺院内の礼拝堂で行われるものだが、このアーチボルト寺院では没後、三十日目の追悼のミサのみは墓地で執り行う。
埋葬した土の状態を確かめるためだ。
現在、ジレッド・ヨマーキーの墓は、棺を地中に収め、上を土で覆った状態になっている。
この後、依頼された石屋が墓石を設置するのだが、稀にこの地面の具合が悪いとそれらの設置が延期になったりすることがある。
さらに埋葬品を狙った墓泥棒にあっていないかのチェックを兼ねている。
ジレッド・ヨマーキーと聞いて、シーラはピクリと眉を動かした。
「彼の墓標の前で執り行うので用意をしてください」
と言うと、
ピクリ。
もう一度、彼女の眉が動いた。
「何か、不満でも?」
「不満という程ではありませんが、彼は少々苦手なのです」
「苦手? ジレッド・ヨマーキー氏と知り合いだったのですか?」
常に無表情のシーラだが、この時は「しまった」という風に顔をしかめた。
「いえ、そうではありません」
彼女はもごもごと言いずらそうに否定した。
「シーラ」
私が声をかける前に、彼女は勢いよく椅子から立ち上がった。
「仕事に私情は挟みませんのでご安心を」
そう言い捨てると食べ終わった食器を持って食事室を出て行く。
食事の後片付けはシーラの仕事である。
いぶかしく思いながらも私も自分の仕事をするため、立ち上がった。
「おや?」
それから数時間後、墓地に用があり行くと、そこにシーラの姿を見つけた。
私同様、彼女が墓地にいるのは珍しいことではないが、彼女がいたのは、彼女が「苦手」と言ったジレッド氏の墓の前だった。
しかも彼女は墓に向かって、何事か話している。
話すうちにだんだん何やら気が高ぶったようで、彼女は墓に大声で叫んだ。
「無茶言わないでください!」
「?」
あまりに大きな声だったので私は思わず立ち止まった。
普段陰気……いや物静かな彼女とは到底思えない声量だ。
「殺人の! 犯人を見つけるなんて私に出来るわけないでしょう!」