第五章 駆け落ちだよ!
望まぬ婚約、家を出る決意──。
少女は自由を求めて、夜の街へ。
第五章 駆け落ちだよ!
夜は深く、闇が徐々に庄園を包み込んでいた。
しかし徐氏庄園の灯りはまだ消えず、大広間では二人の男たちが向かい合っていた。
香炉から立ち上る煙。
揺れる蝋燭の光。
その中で、徐家当主・徐承毅と、華やかな装いの中年男が重苦しい空気を纏って座っていた。
「徐兄、そちらがご承知いただいた以上、来月十日に娘御を海城までお連れ願いたい。
うちの息子と正式に顔合わせをし、縁談を結びましょう。」
男は茶碗を置き、拒絶を許さぬ威圧を含ませて言った。
徐承毅は深く頷いた。
その目にはわずかな躊躇がよぎったが、やがて静かに答えた。
「承知した。」
この話はすぐに庄園中に広まり、
奥方たちは後庭で歓談し、下働きの者たちは羨望と憧れを込めて噂した。
——徐家のお嬢様が海城の名家に嫁ぐことになる、と。
だが、
当の本人・徐三宝は、
その知らせを聞いた瞬間、顔を曇らせた。
「政略結婚、媒酌の言葉……
この世界には魔法や修仙があっても、こういう古臭い習慣だけは変わらないんだな。」
自嘲ぎみに呟いた。
結婚が怖いわけではない。
ただ、己の運命を他人に決められることが——
心底、耐えられなかった。
だから、
彼女は決めたのだ。
——徐家を出る。
——自分の足で、世界を見に行く、と。
◆
夜風が花の香りを運び、
夏の名残をそっと庭に溶かしていた。
三宝の部屋では、
荷造りを終えた小さな行李が整然と並び、
揺れる蝋燭の下には、大事に置かれた木彫りの猫があった。
その傍らには、二人の少女が立っていた。
李小藍と、呉玉玉。
幼い頃から彼女に仕えてきた、最も信頼する侍女たちだった。
李小藍は、冷静沈着で抜け目のない性格。
常に完璧な振る舞いで周囲からの信頼も厚い。
だが三宝は知っている。
彼女の忠誠心は本物でありながらも、
その裏には己の生存戦略が冷たく光っていることを。
かつて、徐家の護衛が小藍に想いを寄せ、密かに手紙を送ったことがあった。
彼女は一時はにかみながらも——
すぐにその護衛を陥れ、庄園から追放させた。
彼女は冷たく言った。
「……ああいう男に、私の未来を乱されるわけにはいかないの。」
一方、呉玉玉は小藍とは正反対だった。
天真爛漫で明るく、誰とでも打ち解ける。
素朴な厨房娘とも親しくなり、
一見無邪気ながら、実はとても細やかな観察眼を持っていた。
◆
修行を積み重ねてきた三宝は、
すでに普通の人間には感じ取れないものを察知できるようになっていた。
風の流れ、水の波紋、
空気中のかすかな霊気のうねりさえも——。
ときに、彼女の指先には青白い光がふわりと灯り、
人々が気づかないものを見つけ出すこともあった。
この世界では、
修道者・異能者・武道家という三つの修行体系が存在し、
西方ではまた違う「魔法」の修練体系がある。
◆
「……本当に、行くんですか?」
静かに問いかけたのは、小藍だった。
三宝は答えなかった。
ただ、窓辺に立ち、夜の闇に沈む庄園を見つめた。
「……最初はね、ここで平穏に一生を過ごすのも悪くないと思ってたんだ。」
指先で窓枠の木目をなぞりながら、
心の奥にある迷いを吐き出す。
ベッドの上のぬいぐるみ、棚に並ぶ書物、
机に置かれた木彫りの猫——
それらすべてが、
彼女の十八年間そのものだった。
だが——
(……私は、本当にここで一生を終えたいのか?)
目を閉じ、
指先に力を込めた。
そして、
静かに宣言した。
「行こう。」
◆
角門前——
守衛が目を細め、
フードを被った三人組を見つめた。
「こんな夜更けに、どこへ行くんだ、小藍?」
小藍は一歩前に出て、
にっこり笑った。
「ちょっと、女の子同士で夜遊びです。
……ちゃんと戻りますから。」
守衛は少し迷ったが、
最終的に手を振って見逃した。
三人はそっと角門を抜け、
夜の街へと消えていく。
◆
曲がり角に差し掛かったそのとき、
塀の上からふわりと黒い影が跳び下りた。
「にゃあ。」
三宝が見下ろすと、
そこには見慣れた三毛猫がいた。
彼女は小さく笑い、
そっと猫を抱き上げた。
「君も……来るか。」
それは、庄園で彼女が世話していた野良猫の一匹だった。
「お嬢様、連れて行くんですか?」
小藍が少し困ったように訊ねた。
三宝は優しく猫の背を撫でながら、
口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「うん。
……この子の名前、三花宝ってことにしよう。」
「賛成!」
小藍と玉玉が顔を見合わせ、明るく答えた。
馬車の車輪が軋みを上げ、
暗闇の中へと静かに走り出す。
——ここから、
彼女たちの旅が始まった。
ここから小さな仲間たちと旅が始まります。
中国から執筆している作者として、こうして読んでもらえることが本当に嬉しいです。