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第19話 真相と過去

 少年は頷かなかったが、代わりに細めた目尻からは涙が伝っている。

 いつかは責任を取らなきゃいけないことだった。

 ずっと先延ばしにしてきた、その報いがこのタイミングで訪れただけのことだ。

「なぁ。……煙草を一本吸わせてくれないか。お前に俺を殺す理由があることはよくわかったから」

「言い訳なら聞きたくない」

「しないさ。死ぬのが嫌なわけでもない。……でも、お前も知りたいだろう。どうして俺があいつに銃を売ったのか」

 返事はなかったが、心なしか銃口が額から離れた気がした。両手をあげて抵抗しないことを示しつつ、箱から煙草をそっと取り出す。口に咥え、ライターで火をつけた。

 話しても良さそうな雰囲気を感じ取り、晃は煙をゆっくりと吐き出してから口を開いた。

 二年前。俺が《《間接的にこいつの家族を殺した》》ときのことだった。

「二〇一七年九月二十日。白金台にある心療内科、香嶋医院の院長家族が自宅のすぐ側で殺された。犯人はそこに通う患者で名前は畠山(はたやま)慎二(しんじ)。医院と院長に一方的な恨みを抱き、持っていた散弾銃(ショットガン)で修学旅行に行っていた次男以外の家族を惨殺した……」

 晃が憶えている限りの事件の全容だった。

 少年の息がにわかに荒くなる。トリガーに掛けられた手が細かく震えはじめたが、それでも話すのをやめなかった。

 自分には話す義務がある。そう思った。

「最初に言っておくが、俺は犯人の畠山に会ったことは一度もない。初めて会う人間に銃を売ることはないからだ。俺があの散弾銃を売ったのは河内龍之介。お前がさっきのメモで名前を見つけた、ヤクザとチンピラの間をうろついているような男だよ」

「どうして……そいつに銃を」

 少年は瞳の奥に炎をくすぶらせたまま、左手の甲で涙を拭って尋ねた。

「個人的に付き合いがあったからだ。それに、最初は観賞用って話だった」

 巻紙の先が赤く燃える。

 こぼれ落ちそうになる灰を灰皿に落とした。

「すこし長くなるぞ」

 彼は答える代わりに首を縦に振る。

 どこから話せばいいのか……。

 思い出しながら、なるべく正確に話せるよう努めた。

「……河内と知り合ったのは、俺がまだ東京の外れで工場勤めをしていたときのことだ。誘われて顔を出した飲み会に偶然そいつがいて、河内もその時はまだ、ヤクザの金のキリトリをたまに手伝うくらいのチンピラだった。それからしばらくは連絡を取ることもなかったが、数年後に偶然、新横浜駅の構内でそいつと再会したんだ。いまどきそんなのは流行ってもいないのに河内には小指の第一関節から先がなかった。理由を聞くと、名古屋に本部を置く戸倉組の盃を受けたが、二年足らずで破門になったとのことだった。そいつはそのとき足を洗ったにもかかわらず、ほかの組の組員と揉めていた……。それで護身用にと銃を売ってやったのがそもそもの始まりだったんだ」

 晃はトリガーに掛けられた人差し指を眺めながら、煙草をひと口吸った。黙ったまま、先を促すひばりの意思を感じて、話しを続ける。

「そいつとはその後も何度か取引があった。それで……あの散弾銃だ。『知り合いが観賞用に欲しがっている』。河内は最初にそう言っていた。それが嘘だったとわかったのは、あいつが白金の事件で警察に逮捕された後だったよ。あの馬鹿、畠山に銃を横流ししたときに丁寧に指紋を残していやがった。警察だって証拠があったから逮捕せざるを得なかったんだろう。俺は河内が度重なる借金で首が回らなくなっていたことも知らなかったし、俺から仕入れたものをたびたび転売していたことも後で知った。俺の見る目がなかったんだろう。あいつならやり兼ねなかったが、その時はただ、河内が俺のことをペラペラと警察に話さなかっただけましだと思ったよ。香嶋院長と家族については……痛ましい事件だとは思ったが、畠山個人が起こしたことだと、どこかで割り切ってもいた」

「自分の売ったものが原因で……あんな悲劇が起きたのに?」

 カタカタと震え出す銃を両手で支えるようにして、彼は銃を持ち直す。死が迫っているというのに、不思議と心は穏やかだった。

「畠山は、河内の野郎から散弾銃を仕入れなかったとしても、別のルートを使ってかならず手に入れていたはずだ。包丁やナイフだって、人を殺すことができるがどこにでも売ってるだろう」

「銃は人の命を奪うためだけの道具だろっ! こんな風に!」

 悲鳴のような金切り声が狭い部屋に響いた。銃口が乱暴に押しつけられる。

 彼の視線は晃を捉えているようで、何もない宙を彷徨っているように見えた。事件の日のことを思い出しているのか、息は荒くその眼は恐怖に見開かれている。

 晃は自分の犯した罪について考えてみた。

 武器を作る罪、誰かに渡す罪、それを使って誰かの命を奪う罪……。

 それぞれが違う種類の過ちで、その行為の結果がいつか法や刑罰とは関係のないところで自分の許に返ってくるのだろう。

 この状況がそうだ。……これは自分の犯した罪そのもの。

 晃は短くなった煙草をひと吸いし、灰皿へと押しつけた。

「その通りだよ。お前の家族は、俺が売ったもののせいで命を落とした。こんな話をしたところで俺の罪が軽くなるわけじゃないし、ましてお前の家族が戻ってくるわけでもない」

 すでに覚悟は決まっていた。

 俺はこいつを殺せない。武器を奪って捻じ伏せるのは難しくなかったが、そこから躊躇なく引き金を引ける自信はなかった。

 数日間、一緒にいただけの関係だ。

 同情かもしれないし、ただ自分の失くしたものを重ね合わせているだけなのかもしれない。家族でも友人でもないのに、ここまで情に絆される理由も正直よくわからなかった。

 本当なら弟のために復讐を果たし、お守り代わりにしていたあの石を取り戻してやりたかった。

 だが、もしいま目の前に仇が現れたとしたら、自分は躊躇わずに引き金を引くだろう。たとえそれが何の意味も持たない行為だったとしても、失くした家族のために復讐を果たしたいという気持ちだけは痛いほどよくわかる。自分は弟の仇をずっと血眼になって探し回っていたが、いまのこいつにとっては自分がその仇だったというわけだ。皮肉な話だった。

「……引き金を引けよ。それでお前の気が済むなら、引け」

 ひばりの手に手を添えた。トリガーを引く指に触れる。

 彼は小動物のように身体を震わせて後ずさりした。

「なんでっ……! どうして、あんたなんだよっ……!」

 おさまっていた涙が溢れ出す。ひばりは手の甲でそれを拭いながら感情のままに口を開いた。

「……あの事件の日、僕は高校の修学旅行の最終日だったんだ。たくさんのお土産を抱えて学校の友達と東京に帰ってきたら、家の周りには人だかりができてた。白い外壁には飛び散った赤黒い血がべっとりついていて……僕は一瞬でパニックになったよ。現場検証に来ていた警察の人がここで何が起きたかを説明してくれたんだけど、そのときの僕はまったく理解することができなかった。それから……どうやって移動したかも憶えてないけど、警察署の霊安室で冷たくなった家族と向き合ったとき、初めて僕は僕の家族に何が起きたのかを理解した。父が治療を担当していた患者さんが恨みを募らせて、僕の大切な家族をあんな姿にしたんだって……!

あの事件のせいで、僕の人生は変わってしまった。父も母も兄も、みんな優しい人だったんだ……! 父は開業医として自宅近くに医院を開いてからも、病気の人に寄り添えるようにって新しい治療や薬について学んでた。母は明るくそれを支えてて、兄は将来父さんのような医者になるんだって……。僕の家族は殺される必要なんて少しもなかったのに、どうしてっ……!」

 あまりに痛々しい叫びに、言葉が出なかった。かけるべき言葉も見当たらない。

 弟を失くしてから取った行動を今まで一度も後悔したことはなかったはずなのに、初めて自分がした選択を呪いたくなった。

 誰かを不幸にしたかったわけじゃなく、ただ弟の無念を晴らしたかっただけだった。

 それでも、その行為が誰かの人生を破滅させる可能性があるのなら、一度立ち止まって考えてみるべきだった。金を稼ぐ方法にも選択肢はある。

 こうして目の前に突きつけられなければ一生気づくこともなかったかもしれないが、自分はどうやらそれを間違えていたらしかった。

 続きが聞きたかったし、聞くべきだと思った。

「それで……その後、お前はどうしたんだ」

「父方の叔父に引き取られたよ。みんな同情はしてくれたけれど、そのぶん、まるで腫れ物を扱うみたいだった」

 過去を見つめる目がすっと細くなる。

「僕はたった一日で、すべてを失った。だからどうして僕も一緒に逝けなかったんだろうって、ずっと考えてたんだ。家族の分まで生きようだなんて、そんな風に考える余裕はすこしもなかった。運命をただひたすら呪ったよ。死にたくて仕方がなかった。未来のことなんて何も考えることができなかった。……だから僕は叔父の家を出て、学校も行かずに親の遺したお金でふらふらするようになったんだ。ある日、ネットカフェで寝泊まりしていたところを狙われた。僕は店から出たところを知らない男たちに襲われて、車でどこかに連れ去られた。拉致されたんだ。連れて行かれた部屋には僕と同じような若い子が何人かいて……そこからさらに別のところに移された。耳に入ってくるのは中国語ばかりだったから、僕はなんとなく、自分が中華系のどこかの組織に売られたと察したんだ。実際、買ったのはそこのボスだった。『シャオロン』って名前の……」

 少年は顔を歪め、唇をきつく噛みしめる。

「そいつは日本語を話してた。僕はずっと佑佑(ヨウヨウ)って呼ばれていて……。それからは、ずっとそこで……動物みたいに、飼われて……」

 続く言葉は嗚咽によってかき消えた。

 そこには身体に刻まれたあの傷のことも含まれているんだろう。楊宇春と王朱亜。ふたりの中国人を葬り、おそらく遼の事件にも深く関わっている男――龍源会の頭。羅小龍。

 ひばりの身体の傷を見たとき、すぐにその名前が思い浮かんだが、どうやらその勘だけは間違っていなかったらしい。

 彼は左手の袖で溢れる涙を乱暴に拭って言った。

「記憶は曖昧だけど……あるとき、いつもは閉まっているはずの部屋の鍵が開いてたんだ。見張りの男もいなかった。僕は夢中で逃げたよ。ビルみたいな建物から飛び出して、ひたすらに走り続けて……。それで、どこかの階段で足を滑らせて頭を打った。意識が戻ったときには何も憶えていなかったけど、それでもずっと何かから逃げなきゃいけないような気がして、体力の続く限りずっと走り続けた。晃さんがお菓子をくれたあの場所で、僕はとうとう力尽きたんだ。寒くて、空腹でどうしようもなかった。でも、人に助けを求めるのも不安で……ずっとあの場所にうずくまって隠れてた」

「……俺と会ってからのことは、全部憶えてるのか?」

 思わず訊くと、彼は涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま眉を下げて笑った。

「全部憶えてるよ……。忘れられていたら、迷わず引き金を引けたのに」

 トリガーに掛かった指にぐっと力が込められる。

 ……それでも、引き金が最後まで絞られることはなかった。

 熱を持った銃口が下ろされて床を向く。

 ほっとしたのと同時に、胸の奥に灼けつくような痛みを感じた。呼吸をしても肺に十分な空気が行き渡らないみたいに胸が苦しい。

 いま目の前にいる少年も同じような痛みを抱えているんだろうか、と一瞬だけそんな錯覚をしたが、きっと彼の方が何倍も痛かったに違いない。

 稲光がカーテンの隙間を走った。ひときわ大きな雷鳴が轟き、部屋の照明が消える。

 どうやら停電したようだった。

 淡い闇に目が慣れてきた頃、彼は沈黙したままの銃をそっとローテーブルの上に置いた。

「……俺だって、本当はわかってるんだよ。晃さんが全部悪いわけじゃない……」

 子どものようにしゃくり上げながら、自嘲気味に言って笑う。

「俺の家族を殺したのは、紛れもなくあの畠山だ。それに、晃さんはあいつのところから身体ひとつで逃げてきた俺を助けてくれた……」

「それは、お前……」

「それでも……俺はこの気持ちをどうしたらいいのか、わからないんだよ。記憶を取り戻したら楽しい思い出のひとつも見つかるかもしれないって、そう思ってた。なのに、そんなことはすこしもなくて……家族はみんな知らない奴に襲われて、殺されてた。俺を待っていてくれる人なんて誰ひとりいなかった。俺は帰る家すらない、本当のひとりぼっちだったんだよ……!」

 ぼんやりとした薄闇のなかでも、ひばりが泣いているのがわかった。引き攣るような声が耳に痛い。彼はその場に両膝をつき、身体をくの字に折るようにして肩を震わせた。嗚咽を漏らし、時折咳きこんではひどく嘔吐(えず)く。

 晃は無力感に襲われながらも、ただ子どもにでもするみたいに、そっと抱き寄せては背中を撫でた。同じような仕草で、何度も。ほかにしてやれることがあればよかったのだが、それくらいしかできなかった。

 どのくらいのあいだ、そうしていただろうか。

「……晃さん……俺、これからいったいどうしたらいいの……」

 縋るように腕を掴んでいたひばりが、晃の胸を数回、強く叩いた。非難めいた口調だった。

「考えなくていいから、少し休め」

「でも」

「……いいから」

 目を真っ赤に腫らしたひばりを、やや強引に抱き締めた。

 生温かい涙がシャツの肩口を濡らしていく。

 泣かせている原因の半分は自分にある気がして、気安く泣くなとも言えなかった。

 たまに嗚咽を漏らしながら泣いていたひばりが、思い出したかのように訥々(とつとつ)と話し始める。

「……俺の実家ね、犬がいたんだ。ゴールデンレトリーバーの子犬。きなこって名前の女の子でね……まだ飼い始めたばかりだった」

 名づけ親が誰かはわからなかったが、食べ物の名前がついているのが、どこかこいつらしいと思った。涙で声が震える。先は聞きたくなかった。

「修学旅行から帰ってきた日、人だかりをかき分けてなんとか家の敷地に入ったんだ。辺りは血だらけで、最初に目に入ったのが……きなこの……」

 言いかけて、ふたたび言葉に詰まる。

「もういいから……何も話すな」

 肩口で号泣するひばりの背中を、手のひらで丁寧にさすった。

「……晃さん……」

 慰める方法なんてない。それでも、諦めて見限ることはできなかった。

 横なぐりの雨が激しく窓を叩き、稲妻が光ってはふたりのいる暗闇を照らしていた。

 晃はこの冷たい雨がはやく止むように祈りながら、泣き続ける彼のそばにずっと寄り添っていた。


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