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第九話 コラプリム

「下がりなさい!」


 それが誰の声なのか、また誰に向けられたものなのか。瞬時に察せたのは、俯瞰して広場を見下ろしていた鴉を除けば当の本人たちのみだろう。

 

 長年の交友関係を持っていた彼女たちも同じこと。普段の彼女とはまるで異なる声音を判別することはできず、その激烈な声よりも、むしろ声の主を理解した時の方が驚いた。


「ギィイイイイッ!!」

「聞こえたでしょう、下がれと言ったわ。ナバルラム、トライコーン」


 言葉の主はミリゼ・ティディラ。向けた先は、今まさに地を蹴ろうとしていた二匹の異獣。

 普段の彼女ならぬ威勢を纏い、飛びかかる寸前の獣たちの手綱をほんの二言で握ってのけた。


 しかし、獲物の気配に滾る猟犬が暴れないでいるかは別の話。

 表出している獣性は、場合によっては待てを命じた飼い主である黒髪の少女すら引き裂いてしまいかねないほどに昂っていた。

 

 二匹の魔犬は地面を爪で引っ掻きながら、主人に向けて抗議するように角を振り牙を打ち鳴らして吠え立てる。総身を覆う棘を逆立てながら、ナバルラムとトライコーンはミリゼに牙を剥いて威嚇した。


 対するミリゼは、あくまで冷たく二匹を見据える。

 自分を敵に回そうがアレに襲い掛かろうが、等しく無駄だと宣告するように。

 一応の慈悲として、諌めるように。


「気持ちはわかってるつもり。だけど、今は黙りなさい。大丈夫、私がついてるから」


 その言葉から何を感じ取ったのか。二匹は漆黒の体躯を震わせて低く唸りながら、ミリゼへ吠えるのを止めて引き下がる。不承不承の内心が顕著ながら、彼女の言葉に一旦は折れてみせた。

 

「……それでいいわ、私に任せて――さて」


 必然、主導権をただ一人が握ることとなる。ミリゼは瓦礫と化した時計塔に佇む闇の根源へと向き直った。


「……何の冗談。まるで悪い夢」


 沸々とした不快感を乗せた声が、広場の中心に立つ巨大な鴉から発せられた。

 禍々しい姿に似合わない冷徹な女の声で話す魔物の視線は、じっとただ一人を見つめている。


「連合の精霊皇に公国の聖騎士、それにその小娘二人は一体なに?ああ、そんなのはどうでもいいの」


 炯々と滾る鬼火のような赤い瞳が、より力を増してミリゼを睨みつけた。


「貴女が何故ここにいる、ミリゼ」

「こっちの台詞よヴェブニリク。上姉の一人がわざわざこんな所に何の用かしら。今更あなたに餌漁りの必要は無いでしょう」


 鴉の威圧に怯むことなく睨み返すミリゼの琥珀色の瞳は、宿す光を増していた。

 取り立てて強く輝いている、というわけではない。ただ、いつもは達観したように薄く暗かったその色が、正常な意志の指向性を取り戻している。


 語気の強さからも真っ当な意志の力を感じられた。人間的な魅力という意味では今の方が上だろう。


 ――しかしそれは同時、今の彼女には人間らしい感情任せの危うさが宿っているという事実も示す。まるで纏っていた鋼の鎧が融けて赤熱し、不安定さと危険性を帯びてしまったかのように。

 

 少なくとも先ほど矛を交えた少女たちにとっては、今の彼女の方が恐ろしく感じる。

 あれは人間性と無縁だからこそ、客観的に人間のふりができていたのだから。


 ミリゼの中で、何かが蠢いている。歯を軋らせて低く唸るそれは、いつ何どき少女としての姿を引き裂いて現れるかわからない。


「口の悪さは相変わらずね。出て行った時のまま」


 ミリゼの挑発に対し、鴉は呆れたような気配を見せた。

 顔見知り特有の気安い、しかし断じて友好的な関係にはない態度。

 

 仮に種族を異にする肉食動物同士が言葉を交わすことができたなら、その様相はこうなるかもしれない。どちらが何の拍子で激発するかわからない肌を刺すような緊迫が満ちていく。


「元気そうで何よりよ。貴女のお母様も、きっとお喜びになられる」

「嬉しくないわね。アレが笑ってろくな事になった試しがない。それで何よ。今さら私を迎えに来たとか言うんじゃないでしょうね」

「まさか。それは貴女の側でしょうよ。臆病に捻ねた雌餓鬼(おぼこ)のくせに」

「……言わせとけば」


 不快げに歪む表情に、吐き捨てるような語気。肌で感じ取れるほどの悪感情。二面性と呼ぶことさえ憚られるミリゼの豹変は、明らかに普段の彼女ではない。


 少なくともその関係性においては部外者である幼馴染たちも思わず割って入ってしまうほどに、彼女が安定からかけ離れ始めている。


「ミリゼ……?」

「貴女、変ですよ……?あれは……一体」


 警戒しながらも困惑する幼馴染たちを他所にして視線を外さない少女と、剥き出しの白骨を思わせる嘴を鳴らしながら睥睨する大鴉。

 ミリゼは二人を鴉の視線から庇うように、一歩前に出る。

 現れた魔物の正体を簡潔に口にしながら。


夜魔(コラプリム)よ。〝黒羽の夜魔〟ヴェブニリク・コラプリム。〝暗翼星芒(ゴエティア)〟の方が通りがいいかしら」

「っ――ミリゼ、それって!」

「西の〝夜〟……旧帝国領の、魔女」


 あれらについての最初の記録は、およそ三世紀前の北大陸西方。そこは常に安定を保ち続けた公国と違い、幾つもの国に分かれた戦乱の地だった。

 

 中でも有数の大国であった帝国と呼ばれる国を、その周辺諸国諸共に食らい尽くした魔女たち。

 優に十億を越える人間を一夜にして食い尽くし、以来その地は晴れない暗闇が覆い尽くす異界となった。


 〝黒羽の夜魔〟ヴェブニリク・コラプリム――帝国の崩壊の後に確認された〝妹〟たちではなく、かの虐殺における当事者の一人。〝暗翼星芒(ゴエティア)〟の異名を取る災禍の魔女だ。


 その悪名は、精霊という存在が幻となりつつある公国においても未だ顕在。

 三百年前の大惨劇の象徴は、かつての帝都を中心に大陸西部の全てを覆い尽くす闇の結界として今なお衆目に晒されている。

 街の全てを包み込み、渦を巻いて沸き立つ闇は彼女らの象徴、その名の由来だ。


「ふん――まあ、貴女は心配しなくていいわミリゼ。ここに来た用に関しては、察しの通り食事だから」

「食事……まさか」


 夜魔(コラプリム)の名が今も恐れ忌まれている理由は、彼女たちが余さず人食いの魔女である事に他ならない。

 現れる頻度は何年かに一度。しかしそのたび街が一つ、〝夜〟に呑まれて食い殺される。


 よぎった不吉な予感を、鴉はくつくつと笑いながら肯定した。嘴を鳴らし、翼を大仰に広げながら。

 横溢していく凶念と共に、〝夜〟が激しく渦を巻く。


「ええ、たくさんの血と肉と魂……生きた霊素の塊たち。不本意だけど、私たちが在るための糧」


 その言葉は三人の少女たちの琴線を戦意の形へ瞬時に爪びき――より早くに臨戦態勢を整えていた残りの二人を即応させた。

  

「それは通らんぞ、怪物め」


 広場から一時的に闇を駆逐するほどの眩い雷光を纏った蹴撃が、黒の巨体を空へと高く蹴り上げて、


「ここは私たちの国。消え失せて」


 噴火じみた勢いで放たれた白い爆炎が、その片翼を粉微塵に削り飛ばす。


「――ッ、ぉ……!」


 血泡と共に漏れた苦悶の声は、そのまま魔物の半身ごと解けるように消えていく。黒羽が舞い散りふらつく様は、撃ち落とされた瞬間の鳥そのもの。


 光を消しながら軽やかに降り立つ金髪の女と、翳した手のひらを下ろす白髪の女。

 

 アリオン・モースコルドとルニカ・マステミア。

 今のところ素養に秀でているだけのローレやユニアと異なり、二人は紛う事なき歴戦の英雄である。

 単純な歴史を言えば夜魔(コラプリム)を遥かに超える、それぞれの立場から世界の興亡を見守ってきた生ける伝説たち。

 敵にすれば無視できない脅威であるという認識は、例え夜の魔女といえど捨てられない。


「……いきなり何よ、痛いじゃない」

 

 ――よって敵を捉えた闇はより鮮明に、その姿を戦のために仕立て上げる。

 翼が霧となって溶けていき、鴉の魔物としての輪郭を消し去ると新たな形となって再臨した。


 羽音に混じり、鎖の音が響き始める。

 より小さく、美しく、純化を果たした悪夢の権化が翼を打つ。


「貴女たちも、どうしてこんな場所にいる。九皇連合第三領主、アリオン・モースコルド。熾銀聖騎士団第一軍団長、ルニカ・マステミア」


 地に落ちることなくふわりと宙に浮いて静止したその姿は、舞い散る黒羽に隠れた一瞬の間に様変わりしていた。

 猛禽を思わせる鳥の二脚と、肩口から腕に代わって生える鴉の翼。しかし胴と頭は美しい女のそれ。大きな翼を更に上から包むように羽織った重厚な黒い外套には、軍隊を思わせる金糸の肩章が付いている。

 広い鍔の帽子と眼鏡が特徴的な黒づくめの装いに、白蠟じみた肌の麗しさが異様に映える人面鳥(ハルピュイア)


 鋭利な爪を備えた足を組んで空に佇む女を恭しく支える腰掛けは、支えなく宙に浮かんだ一本の鎖。

 擦れながらのたうつ鎖の両端には無数の棘が生えた鉄球が取り付けられており、意思を持っているかのように蠢く様は双頭の大蛇を連想させる。


 人に近づいたがゆえに顕になる人外の相。美しくも魔性を示す夜魔の姿に、しかし一際異彩を放つ部分があった。


「……その眼、変わらないわね。相変わらずの塵屑みたいで安心した」

「減らず口を。貴女こそ相変わらずのどっちつかずなのかしらね」


 それを見て辟易とした表情になったのは、ミリゼただ一人。他は全員が息を呑む。

 あんなものがあっていいのかと戦慄する少女たちと、何度見ても慣れないと感じ眉を顰める英傑たち。

 この場においてはミリゼの反応が異常なもの。あんなものを〝見慣れた〟〝呆れた〟などと思える来歴は、何であれろくなものではないと断言できる。


 呆然と、感嘆とも恐怖ともとれない吐息とと共にユニアが呟く。

 

「なんて、瞳……」


 人形じみた白皙の美貌の中、鬼灯よりも、血よりも赤い一対の瞳。それが放つ光こそ、この世で最も歪な魔に他ならないと誰もが感じた。


 本当に、恐ろしいほど――綺麗に澄み渡っている。

 

 覗き込めば吸い込まれそうなくらいに純真で、混じり気のない無垢な感情。触れれば焼け焦げてしまいそうなほどの淀みない熱情は、あれの冷徹さが本当に形ばかりのものでしかないと初見の者にさえ一瞬で理解させるもの。

 

 何よりも深く、尊いほどに澄んでいる。どこまでも透き通り、鮮やかな光を放つ赤の両眼。

 ――いや、あんなものは光とさえ呼べない。黒ではない色が付いただけの、奈落の闇そのものだ。


「……何にせよ、下手な真似は許さないわ」


 ミリゼはそう口にして前に踏み出した。相手が何か行動を起こせば即座に対応できるように。

 ローレもユニアも、あれは敵だと完全に認識し立ち上がって構えていた。背にゆらめく翼を広げ、一対の銀刺剣を握りしめる。炉心のような力の鼓動は陰る気配がない。


「ここを守る気?精霊や聖騎士の真似事かしら。嘘にしたって似合わないから止めなさい、ミリゼ。そんなことを言ったって上っ面だけなのはわかってる。それに――」


 しかし、それらを見下ろしながらヴェブニリクは嘲笑うように目を細めた。先程自分を攻撃した二体の精霊を一瞥し、切った言葉の続きを紡ぐ。

 

「今日の私は、付き添いだから」


 その裏側に計り知れない悪意を秘めて、ヴェブニリクが翼を広げ空へと高く飛翔する。

 まるで、道を空けるように。ただ一つ、不吉な言葉を地に落として。

 

「――おいで、ルルン」


 瞬間、ミリゼはその音を聞き取った。ばきばきと、硬い何かが圧力によってひび割れていくような音。

 それが彼方から猛速で迫ってくる。

 

 何が起こっているのか――(なに)がやって来たのかの答えも、即座に脳内で結びついた。ミリゼは半ば反射で叫ぶ。


「ッ、お願いラム、コーン!わかってるわね!」

「ジギィィイイイイッ!」

「ローレ、ユニアっ!」

「はえっ?え、何っ?」

「お願い手ェ貸して!あっち!街ごと吹き飛ばすつもりで攻撃して!」

「ちょっと、そこの黒いの、何を妙な――いや、違う、これ……!」

「我々も従った方が良さそうだ――っ」


 一も二もないと誰もが悟る。にわかに吹き始めた暴風が凶事の前兆に過ぎないと理解したゆえに。

 

 ――より確固たるカタチを持ったもう一つの〝夜〟が、大気を押し除けながら迫り来る。


 ミリゼの命を受け、意を得たりと耳を覆いたくなるほどの金切り声をあげて応じた二匹の鋭獣が地を蹴り駆ける。同じ方向に目掛け、半瞬遅れて無数の攻撃が殺到し――衝突。


 津波のように視界一面を覆い尽くす勢いで、赤い結晶の大群が押し寄せてきた。


 それが神罰の洪水がごとく地を這い、広がる街並みの尽くを洗い流す。


 ミリゼの警告が間に合ったのか、その侵蝕は広場にだけは及んでいない。各々が放った攻撃が、迫る結晶群を貫くように打ち砕いた結果である。

 

 しかし直後に残った光景は、欠片も救いを見出せないほどの暴虐だった。


 人も建物も関係ない。新たに生まれた赤い地層の下に街の全てが埋没した。至る所から上がっていた惨烈な悲鳴が声量を増して一つに揃い、その直後に遮断される。

 全てが、圧倒的な質量に擦り潰された間際の断末魔だった。


 見わたす限りの赤、赤、赤。

 鮮血であってもこれと比べれば酷く汚れて見えるだろうと思えるほどの、美しく透き通った真紅の世界。ほんの少し前まで人が暮らしていた街だとは思えない。生命を拒絶する赤い氷河はさながら魔界の絶景だ。


 人が生き残れる可能性なんて、思考の端にすら残らない。この瞬間、一つの都市が文字通りに全滅した。


「――、――」


 あまりの光景に誰の言葉もない。音といえば急激な肥大が原因で砕けた結晶の欠片が零れ落ちる音くらい。まるで雪崩の直後のような息を詰める静寂は、降りてきた鴉の羽音、そして結晶を踏み締めながら進み出てくる乱暴な足音に破られた。


「――ああ、痛い。本当にこれ食べなきゃいけないですか……ううんワタシもここに残らなきゃ、そのためには壊して殺して食べて食べて強くなるです!……でも汚いなぁ人間って。いっつもいっつも無駄にぐちゃぐちゃ群れてて煩いのです……!うぇ、吐きそう、耳鳴りがする……!本っ当に気持ちが悪いんだから……!」


 やがて聳える赤晶の海を乗り越えて、もう一人の悪夢が現れる。

 声は、不機嫌な幼い子供のそれ。比較的に老成し形ばかりの理性を成していた黒い翼の魔女とは違い、こちらはひたすら手に負えない支離滅裂な癇性を撒き散らしている。


「それに……さっきから、目眩だってひどくて……ヴィリー姉サマ、ここに――ああ?」

「あなた、ルラフュナン……っ!いきなり湧いてふざけたマネしてくれたわね!」

「オマエ――」


 気勢を発したミリゼに向けて、それは激しい敵意を込めた視線を返した。


 身長はユニアよりも更に小柄――おそらく十歳に達したか否かの童女だろう。鮮やかな緑色の癖毛と不機嫌そうに細められた瞳は、それより僅かに明るい翡翠のような色。

 

 しかしそれら人間らしい要素を帳消しにしている異常は、身体のあちこちを覆う真紅の結晶。まるで鎧のように矮躯を包む、鋭利で硬い輝きだった。


 口元から鎖骨にかけての部分、肘から先、そして膝から下の部分は本来の輪郭が確認できない。

 腕に至っては本人の体躯に見合わぬほどの体積となっていた。まるで一度腕を切り落としてから大柄な怪物の腕を移植したかのように、生身らしき細い肩や二の腕に対して釣り合っていない。


 見える範囲の容貌は整っているものの、双眸に滾る想念の熱量はヴェブニリクに並んでいる。

 加えてこちらはヴェブニリクに比べて不安定。見開かれた眼の中で神経質に収縮した瞳孔が放つ刺々しい光は、明らかに正気の中に無い。


「――今度は、鉄腕の夜魔だな」

「あの餓鬼ども、ふざけないでよ……」


 ミリゼに次いで、二人の大精霊がその正体を看破する。


 〝鉄腕の夜魔〟ルラフュナン・コラプリム。

 活動が確認されてから百年と経っていない、若く未熟な〝妹〟。

 

 しかし、若いといっても紛れもない魔女の一人。

 むしろ精神的に幼稚である分、感情的で凶暴な妹の方が姉よりも危険度が高いかもしれない。

  

「ミリゼ……大姉サマの鉄屑人形。ヴィリー姉サマ、あの畜生がなんでここにいるですか」

「状況は知らないわ。どうする?場所を変えるなら言ってねルルン。どうも全員、黙って見過ごす気はないみたいだから」

「ん……?あぁ……?ダレです、あの知らない連中」

「小さい方の二人は知らないけど、大きい方の二人は知ってる。精霊皇と聖騎士の幹部よ」


 姉の言葉を聞いても、幼稚で短慮な魔女に臆する気配は欠片もない。むしろ殺意を顕揚させて、目元を凶悪に釣り上げた。結晶に覆われ見えない口元は喜悦に歪んでいるのか、それとも噛み砕かんばかりに食い縛っているのか。

 確かなのは、怯む気配がまるで無いということ。

 

「構わないです――ワタシがまとめて潰すから。いつも、そう、いつだって目障りな虫ケラは潰すに限るのです」

「わかった。ルルンがやると言うなら付き合うわ。ミリゼはそのうち勝手に消えるでしょう。それに、何より……」


 一度言葉を切ったヴェブニリクの視線が、ミリゼの少し後ろに立って睨みつけてくる二人の少女に向いた。


「そこの小娘二人。見てるととても嫌な予感がするの。ここで殺した方が良さそうね。大精霊が揃ってるのもある意味幸運。あなたたちの魂一つだけでも万の糧になるのだから」

「――っ!」

「ああそうです丁度いいのです!纏めて殺して食べちゃえばワタシが向こう百年くらいは生きてけるのです!」


 ルラフュナンが踏み出した一歩を起点に、べきべきと四方の結晶が裂けていく。赤く透き通ったその内側、まるで脱皮の時を迎えた蛹のように内部から加えられた圧力が赤晶の〝夜〟をさざめかせる。


 応じてヴェブニリクもゆるりと姿勢を変えた。肩から生えた翼を広げて浮かぶ鎖から腰を浮かせ、その鎖も鎌首をもたげた蛇のように両端の鉄球を眼下に擬する。



「さぁ、そろそろ退きなさいミリゼ」

「失せろ雌犬――グズグズするならオマエごと踏み潰してやるのです!」



 地上に叩きつけられる敵意の凝集。最新にして最悪の神秘たる魔女たちが死神すら怯ます殺意を纏う。


「……今のところ、こいつらはあなたたちを殺す気で。私は今しがた、二人につまらない死に方をするなと言って」


 勝手に宣戦布告を叩きつけてきた魔女たちと、即座に飛び出そうとしていた四人の精霊と聖騎士たち。

 その動きを止めたのは、静やかな一人の少女の声。


「ああ――そう。ここまでね」


 呟いたミリゼは一瞬、何かを諦めるような切なげな瞑目を挟み――



「ヴェブニリク、ルラフュナン。止まりなさい」



 次の瞬間、決然と二体の魔物を睨めつけた。


「――」

「あぁ?!」


 黒羽は眼鏡の奥で目を眇め、鉄腕は苛立ちのままに轟然と顔を向ける。

 半端な覚悟で立てば魂まで蒸発する圧力を宿した視線に晒されながら、ミリゼはゆっくりと進み出た。


「これ以上は許さない。この子たちを殺す気なら、私が止める。

 ――この子たちに手を出さないなら、お母様からの願い、私がここで受けてあげるわ」

「……なんですって?」


 態度を動かしたのはヴェブニリク。元から気難しさを持った表情をさらに訝しげに歪め、柳眉を剣呑に吊り上げる。赤く沸き立つ瞳の中には、相手の正気を確かめるような色があった。


「……ミリゼ、意味はわかっているのでしょうね」

「ええ。十全に」

「またぞろ気まぐれかしら?今なら聞き流すから、さっさと行って。貴女の我儘に付き合う気は無いの」

「気まぐれだろうと我儘だろうと私の勝手でしょうが、決めつけないで」

「……本当に、なに?いえ待って、貴女どうして――」


 怪訝なヴェブニリクの言葉に返すは、どこまでも低く頑なな声。今の世界を脅かす闇の神秘を前に、ミリゼはまるで怖じていない。


「く、ひひ、はは――」


 ミリゼの言葉を受けたルラフュナンは、訝る姉とは対照的にけらけらと愉快げに笑い始めた。

 しかし、笑い声から撒き散らされる気配は肌を刺すほど禍々しい。


「きゃはははははははは――聞いた、聞いたですミリゼっ!姉サマも聞いたです、もう撤回なんて許さない!」

「ルルン、待ちなさい」

「待つ?!どうして、ヴィリー姉サマ、この目障りな犬が自分から首を差し出すって言ってるんですよ!ああ最高っ、受けてあげるですよ境鋭牙(ティンダロス)っ!念っ入りに粉々になるまで引き裂いてやる!」


 瞳の光輝は炯々と、歓喜と憎悪が爆発しながら一直線に獲物へ向けて突き刺さる。

 その激発に呼応して、周囲の結晶が波打つように動き始めた。ひび割れながら、まるでその内側から芽吹くように新たな体積を生成して急速に成長する枝葉のように広がっていく。


 そして彼女も、向けられる殺意を受け流すことはない。噛み締めた犬歯を凶暴に剥いて、その挑発に乗ってみせた。


「誰が誰を引き裂くって?いい度胸ね。やってみなさいよ、〝血腫殻(ギルタブリル)〟」

「ギィ――」

「ジルルルッ」

 

 いつの間にかミリゼの傍には二匹の犬が舞い戻っていた。変わらず獰猛に牙を鳴らしながらも、今度は主と共鳴しながら控えている。

 すぐに暴れ出さない理由は、自分たちのみで挑まずとも良くなったと理解したから。


「 ―― 」


 瞬間、双方が視線に宿す光を烈しく燃やし――

 

 

「はーい、一旦それまで」


 

「――っ!」

「……え」


 全員が動こうとしていた緊迫の中を通った声が、その気の抜けた調子に反してミリゼと夜魔(コラプリム)たちの意識に巨大な驚愕を叩きつけた。

 全員が目を見開き、これまでの感情を一瞬だけでも掻き消してその一点を凝視する。


 一人の女が立っていた。夜魔(コラプリム)たちとミリゼの中間に、まるで最初からいたかのように泰然と。

 

 両陣を制し隔てるように鉛の光沢を放つのは、女が携えている無数の骸の集合を模った剣槍(グレイブ)だ。叫ぶ人間の髑髏を中心に多くの生物の頭骨をよじり合わせた穂先、そこに巻き付く一本の背骨が刃に見立てられている。

 

 長い艶やかな黒髪を靡かせて立つその女の琥珀色の瞳を見た瞬間、ローレとユニアは反射的に息を呑んだ。


「……アーデ姉様?」

「大姉サマ!?どうして、ワタシの邪魔しないでください!」


 口々に疑義を発する夜魔(コラプリム)たちの言葉に、新手に対する敵愾心の類はない。


 女は自身を姉と呼ぶ魔女たちの文句を宥めるように一度そちらへ苦笑を向けると、ミリゼたちに向き直った。


「お互いに色々と熱くなりすぎだ。そう、特に君は。ヴィリーの言う通り、君らしくないね。あの頃から随分と背も伸びてるけど、それ以外も変わったのかな?」


 その瞳は、色だけならば彼女と全く同じ。

 しかし宿った輝きとその深さは致命的なまでに食い違っている。


「やぁ。久しいね、ミリゼ。私の可愛い一人娘」


 泥濘のように重く濁った情愛を、黒い言霊で紡ぎ出す。そこの彼女と色は良く似て、しかし正反対の禍々しさを宿した色で。


 髪の長さと少しばかりの年齢差を除けば瓜二つの少女はそれを受け、絞り出すように小さく呟く。

 

「……お母様」


 夜魔(コラプリム)の長姉、〝絶滅の夜魔〟アルデギース・コラプリム――それはミリゼとは似ても似付かぬ雰囲気で、けれど造りはよく似た顔を柔和に緩めて微笑んだ。

 

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