第七話 対峙する黒鉄
黒い鋼の声音で詠まれた、二人の名前。それは湖上の薄氷を踏み割るかのような無遠慮さで、二人きりの戦場を引き裂いた。
その言霊に貫かれた瞬間、自身の脳が瞬間的に裏返ったかのような激痛を覚えてローレとユニアは大きく怯む。放とうとしていた攻撃が逸れ、見えない何かに弾き飛ばされたように体勢を崩した。
まるで二人の間の空間へ物理的に亀裂が入ったかのよう。
しかし自分の身に起きたことを鑑みる余裕は今の二人にない。反動にたたらを踏みながら、響いた声の発生源へと目を向ける。
仕切り直しとなった戦場を三つ巴に変えるべく、広場へと踏み入って来たのは短い黒髪を靡かす優美な人型。
「少し見ない間にまあ随分と人間から外れたわね、二人とも」
「っ、ミリゼ!?」
「どうして――」
微笑みどころか冷笑すら浮かべずに、あどけなさを残した面立ちはただひたすらに無表情。表向きにはそれなりに豊かだった情動の気配はまるで無い。
ミリゼはただじっと、冷たい琥珀色の視線で二人を射抜く。吐き捨てるように言葉を続けながら、一歩を引きずるように踏み出した。
「見てられないから――なんて、わざわざ言う必要も無いでしょう」
その一歩が、歪な硬い気配を宿して世界を揺らす。
まるで全身に枷が嵌っているように重々しく、そしてそれを千切りながら進んでいるよう。
実際に、その歩みはこの場で重要なものを乱しつつある。
ミリゼが踏んだ地面が、妙な音を立てた。ガラスが軋むような、人が聞けば眉を顰める不快な音。鼓膜を針で引っ掻いたような痛みが二人に走る。
「――さて、ちょっとだけ雑音いれたから、もう何分かであなたたちの保護者が気付くわね。そうなればお互いに拙いんじゃない?
それが嫌なら一旦退きなさい。これでも私、あなたたちと仲良かったつもりだから。ああ、逃げて仕切り直す気ならやめてね。その場合は地獄の底だろうと追っかける」
ミリゼが踏み入ってきたことで、ほんの少しだけ一帯が歪んだ。特段大きく害があるものではないものの、それでもほんの少しの摩擦が世界に生じる。
その影響で零れた波動は並の人間には知覚できないだろうが――生憎、この街には並とは言えない存在がこの場の三人以外にもいた。
このままでは、帰りが遅いと焦れているだろう彼女たちの庇護者に気取られる。そうなればおそらく数秒とかからず駆けつけてくるはずだ。
二人きりならあくまで私闘。しかし他が加われば、それはもはや戦争だ。そうならないために先走ったのに、そうなってしまえば本末転倒にも程がある。
「さっさと自分の居場所に行って、務めがあるなら果たしなさい。それがあなたたちが望んだ、あなたたちのあるべき形でしょう」
「っ、だからって、そんなの今更!」
「退けるわけがないでしょう……!そうでなければ、私は何のために――」
しかし、二人も易々とは退けない。ここで逃げれば何のために友情を捨てたのだ。
頷けるわけがない。九年の縁をそのような無為に貶めるつもりは無いのだから。
秘匿が部分的に破られたとはいえ、まだ時間は数分ある。この戦いは、排除の対象が一人増えた程度で背を向けられるような安易な決断で始めたのではないのだから。
「もうすぐあの人が来る?ああ別にいいよ、その前に終わらせるからさ!そもそもミリゼ、キミには関係ないでしょう!」
ローレが吠えるように叫び、背の翼が威圧するように広がった。ユニアも同じく、両手の剣をより強く握りしめる。
しかしその決意を無駄な努力と嘲るように、ミリゼはまた一歩を踏み出した。向き合う二人は退きも進みもしない――凍ったように動けない。
二人の足が止まっているのは躊躇ではなく、恐怖でだって断じてない。それでも何故か一歩も先へ進めないのだ。
「心は決めてても納得してないのが丸わかりのザマでこれ以上やっても後腐れが残るに決まってるわ。もういっそ、何も無かった事にはできない?この九年丸ごと」
「ふざけるな!そんな簡単に無かったことにできるほど、あたしにとってキミもユニアも軽くないよ!だからちゃんと覚悟を決めたんだから!」
「それでは全員ただの道化ではありませんか!私が一体、どんな想いでいると……!ええ大切ですよ二人とも!嘘じゃない、ですが、それでも!」
しかして、二人の意固地さも筋金入り。出会ってから微塵も変わっていないとミリゼが先だって評した通り、生来から二人は向こう見ずだ。
それがもう行き着くところまで行き着いたのだから、引き返す選択肢はとうの昔に捨て去っている。その頑迷さは狂気と呼べる領域に足を踏み入れていた。
全くもって業腹な事に、ミリゼにはそんな二人の内情がある程度は理解できる。
わからなくもない。不快なものを殺したくてたまらない気分は。状況だって、何ならこの二人よりも理解している。
だけど、わからなくもないからこそ認めない。
このまま二人を進ませれば、その後が確実に拗れる。ミリゼはそうなる事が心の底から気に入らない。
「あなたの気分なんて知らないわよユニア、お互い自分のことは何も話してないんだから。今日まで引き伸ばしたのはあなたたち二人でしょうが。自分たちだけで決めるには何もかも遅いのよ。この状況が傍目に訳が分からなくて滑稽になってる理由なんてそれ以外に無い」
ミリゼの糾弾に、二人は何も返せない。
何も語らず何も進めず、ぎりぎりまで目を逸らし、いざその時になれば思い切る。そんな今日までの悪い意味での幼稚さを自覚しているのはローレとユニアで全く同じ。
だからその清算のために二人は揃って駆け出したのだが――
「うるさい……ミリゼ、お願い……!帰って……!」
「嫌よ。帰ってほしいなら力づくで退かしてみなさい」
そんな中、視界に映る黒い彼女はあまりに冷たく重い壁だ。
まずあれをここから退けなければ今夜の全てが無駄になるというのに、比べて今の自分たちが酷く脆いものに思えてしまう。
「私からは最後よ、ローレ、ユニア。ここから今すぐ失せて帰れ」
「そっちこそ、退いてよミリゼ!あたし、キミまで殺したくない……!」
「邪魔をするなら……例え貴女でも……!」
それでも依然として二人の中で大勢力を誇っているのは前進の選択肢。
心に浮かべた最善を阻害するものに対しての、排除という極端な結論。
その短慮さに関しては半分同意できるため、向き合うミリゼもあまり強く否定はしない。そうまで強く心を決めているのなら、もう知らんと言いたいのが彼女の本音だが。
同時、あの二人を逃せば次はないとも思っている。
死ぬのは勝手にすればいいが、死に方くらいは考えてほしい。
例え一人残されたとしても、せめて清々しく墓守をしていたい。そうミリゼは願うのだ。
「……ああ、そう」
それに細かいことを差し置いても今のミリゼはは単純に機嫌が悪い。手っ取り早くて暴力的な選択肢を選ぶ躊躇は、今のミリゼからも欠けていた。
「一応、私はまだそれなりに二人を好いてるわ。そんな私が、どうかお願い死なないでと言って。殺し合いなんてやめてと言って。それでも止まらないんだ。口で言って止まってくれないんだ、そうなんだ――それはそれでいいけれど。ねえ、例え私でも、なに?」
「え……?」
そっちがその気なら、と。特に逡巡も交えずに、ミリゼは苛立ちを戦意へ変えた。
「揺れる決意で、震える足で、私の心を焼き熔かせもしない程度の熱情で。何より自分の心すら納得させられない程度の想いの丈で――私を見て心が二つに割れかけてるその様で、いったい私をどうする気?倒す?それとも殺すの?ああ、随分と舐めてくれるじゃない」
剣呑に強まる語気。
けれどミリゼは言葉と裏腹に、やれるものなら、などと大上段から見下すように思ってはいない。だからこれは半ば虚勢、根拠が用意できない強がりだ。
二人に対する油断は無く、ゆえに躊躇も等しく持たない。実際、この場においてミリゼの優位は無いのだから。
ミリゼは、タイミングを見計らってやって来ていた。
双方退くに退けないところまで二人を進ませなければどちらかが途中で諦めて死を受け入れてしまいかねず、しかし完全に覚醒されれば今の彼女の手には負えなくなる可能性が高い。
よって寸前で止めることが、ミリゼの勝算を残したまま二人を生かす最善だった。
そしてそれは裏を返せば、あと一歩で均衡が覆る状況であるということ。それ程までに今の二人は強い。
だから、ミリゼも手加減とかは考えていない。こうまで覚悟を決めさせておけばどうせ勝手に生き残ると確信している。
殺したところで、この誇らしいまでに愚かな幼馴染たちの瞳に宿る光は決して死なない。
だから、一度や二度は殺しても大丈夫だ。
「私の音が外に届くまで五分くらいかしらね。それまでに私をここから叩き出せれば、また仕切りなおせるわ。
そうなったらもう勝手になさい。誰にも知られないまま勝手に殺して殺されてよ。もう私は知らない」
強い想いは理不尽を覆す無敵の力だなんて、そんな当たり前のことを疑う理由はどこにも無い。
そんな事は、彼女たちと出会う前からもう十分に知っている。
ミリゼはこの世の誰よりも、心というものの力を知っているし信じているから。
ゆえにミリゼは、今の自分に出せる全力を封じるつもりは欠片もなかった。
「さあ続けてよ、私は勝手に混ざるから」
そうして彼女は、一陣の颶風と化して戦場へと踏み込んだ。
♢
新たに一つが加わった暴嵐の三重奏は、しかし先と異なり一方的な様相となりつつあった。
「つよ、い……!」
地面にほぼ垂直な角度から叩き落とされた踵を、ローレは間一髪で回避する。
「ですが、それ以上にっ……!」
弾丸の速度すら遥か超える加速で振り抜かれた拳から、ユニアは半ば転がるようにして逃れた。
そんな二人の混乱と困惑の隙を突きながら、ミリゼは淡々と、しかし魔的とも言える速度で容赦ない追撃を加えていく。
「まともに戦えないでしょう――ほら、次」
「ぐうっ」
「くっ」
ミリゼ一人を相手に、二人は見る間に防戦一方へと追い込まれていた。
その体術の強さを支えているのは、柔においても剛においても卓越した技量――に見える、ローレたちをして常識外れと思わせる観察眼と思考速度。まるで彼女一人が異なる時間単位の中を歩んでいるような錯覚さえ覚えさせる異様なまでの攻撃精度の高さは、その時限りの模範解答を引き続けて外さない。
「これでもダメか――流石に強いわね、二人とも」
それだけの暴虐を絶え間なく繰り広げながら、しかしミリゼの表情は至って冷静。それどころか朴訥な賛辞を吐き出す始末。もはや挑発としか思えない。
「この、どの口で……!」
「っ、はぁ、嫌味ですか?そうですね?!」
「嫌味って何、こちとらこれでも綱渡りなのよ?自分を卑下しないでほしいわね。もっと自信を持ちなさいよ化け物め」
「なにを訳わかんない事っ!」
背筋を伝う断続的な悪寒に従い、二人は回避に徹しながら隙を縫うように反撃する。しかし、まるで通じずあしらわれるだけ。
ミリゼのしなやかな四肢から繰り出される、何故だか受けてはいけない予感がする徒手空拳の乱撃乱舞。そこに武術の型のような気配はしない。動作の一つ一つやその繋がりさえ一見して滅茶苦茶で、けれど強くて速いから技量なんて必要ないと言わんばかり。素人然とした隙なんてこれっぽっちも見つからない。
基礎的な身体能力では今のローレとユニアに比べて二回りは上。卓越した対応力と運動性能の相乗が、二人をまとめて捻じ伏せんと猛速で唸りを上げている。
しかし、現状は拮抗のままだった。
個人の力で上回っていても、二対一という手数の差を埋める手段をミリゼが使っていないのが拮抗の主たる要因。
ミリゼが片方の攻撃をいなせば、追撃を加える間もなくもう片方が入れ替わるように攻め立てる。
一秒の間に二度三度と間断なく入れ替わり続けるローレとユニアの攻防が、図らずも最上の連携となってミリゼ単騎による蹂躙劇を封じていた。
ミリゼの攻撃の範囲や距離が、人型の範疇から逸脱していないのも救いだろう。
ローレとユニアが揃って有する遠隔攻撃や広域爆撃のような手段を、ミリゼは攻勢に絡めていない。
それが理由で、二対一の均衡が形作られていた――と、知らぬ者は思うだろうがそうではない。三者の能力を比較すれば、そもそもこの光景自体が理不尽なのだとさえいえる。
少し敵の性能が上という程度で手も足も出なくなるほど、ローレもユニアも柔な力量ではないのだから。
きっと、いいや間違いなく。ミリゼはさほど強くない。未だ一撃もまともに与えられていないため防御力は知らないが、攻めの観点においてはあくまで身体能力と判断力に秀でているのみだ。
先の戦いで発揮されていた本来の総合値で見れば、仮に一対一であっても劣勢になるのはミリゼのはず。まして二対一になったなら、恐らくミリゼは一分と経たず真っ先に脱落するだろう。
それでも覆らないミリゼの独壇場は、二人の身に起きている原因不明の異変が招いている事態だった。
「目が……痛い……!血が、攣りそう……!」
「っ……!あ、たま、が……っ!」
ローレとユニアが、血を吐くように苦痛を訴えた。青を通り越して白い顔色は貧血さながらであり、一瞬でも動きを止めればそのまま蹲ってしまいかねない。
明らかな不調、それも極めて深刻なもの。
爆発的なまでの成長率は勢いを完全に失い、二人は本調子をまるで発揮できていなかった。
そんな中、仮に万全であっても決して甘くはないだろう相手と戦っているのだ。変わらない劣勢は、それが理由である。
「さあ、行くわよローレ」
「っ、こん、の……ォ、っ、舐めないでよ――!」
ミリゼが地面を蹴り突貫した先にいたのは、ローレ。
迫る脅威を認識したローレは回避のために後ろへ飛び退りつつも正面へと手を翳し、その内部に力を集中。飛びそうな意識を集中し、手の震えを気力で抑え込みながら照準をミリゼへ向ける。
今や視界に収めているだけでも苦しい黒髪の幼馴染へ向け、太陽を連想させる金の輝きを帯びた光線を放ち――ほんの少し、制御がぶれた。
「っ、ぐぁっ――!」
攻撃の狙いが僅かに逸れ、込めた力に自分の感覚と寸分の誤差が出る。
制御を間違った力の一部は行き場を失い、必然的に起こった反動爆発。逆流した力が体内で爆ぜたにも関わらず、肩が外れて腕の骨が砕ける程度で済んだのは不幸中の幸いだった。
「なんで……!また、これ……!」
自分の心と身体の同期に生じている軋轢。その齟齬による現実への影響よりも、思い通りにいかないという違和感が全霊を振るわせてくれない。
加えて、気力の集中が何故か難しい。
正体不明の何かが、ずっと自分の邪魔をする。
その影響は戦闘行動のみならず、先程ユニアに負わされた傷にさえ伝播していた。
血も流れておらず、とっくに癒したはずの傷なのに、幻痛が止まない。厚く塞いだ裂傷や打撲の痕跡が時を巻き戻したように一斉に金切り声を上げ、ローレの神経を乱反射しながら脳へ向かって這い上がる。
耐えるために気張ろうとして、しかし痛みの残響によって白む思考は彼女の味方として機能しなくなっていた。
「重たい、痛い……っ!どうして……っ、しまっ――!?」
「遅い」
ローレが怯んだ一瞬の隙に、撃ち損じた光条を掻い潜ったミリゼが懐にまで迫っていた。
両脚に加えて地に着けた左腕をバネとし最後の加速を帯びて跳躍、焦りを顕にするローレへ向けて自身を砲弾として撃ち出す。
その動作は、獲物の急所を狙って飛びかかる猟犬を連想させた。
ローレは咄嗟の防御を選択するも、既に時遅く。
すれ違いざまミリゼの振るった腕が、ローレの脇腹を深々と抉り取った。
「ぁ、が――?!」
激痛――ローレの背骨に風が触れる。
何の抵抗もなく貫通するミリゼの腕。即座に抜き取られた掌からさらさらと砂のように零れ落ちるのは、ローレの血であり肉であったもの。肋骨や臓腑の一部も穿たれて、違いがわからないほど小さな破片になって風に攫われ吹き飛んだ。
「精霊だけあって霊素の防御は硬いけど――今の私ならどうとでも」
信じ難いことに、ローレがその身に帯びていた霊素の鎧が紙屑のように破られていた。ただの一撃で、ユニアでさえ完全には突破できなかったそれごとローレの肉を抉り取っている。
傷の跡はまるで鮫の歯型。握り拳を易々と内に収められる半円状。
人間であれば疑う余地なく致命傷だが、強力な精霊であるローレにとっては重傷でこそあれ命にまでは届かない。主要な臓器の損傷すら、安静にして時間をかければ再生するのも可能だ――本来ならば。
いつまで経っても、痛みが鳴り止まない。流れる血は勢いを増していく。
「っ、あぐ、ああ……っ!」
「気張れないから堪えられないでしょ。お願いだから大人しくしてて」
血が止まらない、傷が塞がらない、痛みがずっと治らない。
感覚がそのまま固着して、縫われたように離れない。
堪えるという機能さえも麻痺している以上、末路は失血死か狂死かの二つに一つ。
それでも体をどうにか起こそうとするものの、現実は膝をついて蹲るだけの事しかできていない。爪が剥がれるほどに地面を掻いて、吐き出した血に咽せている。
猛烈な目眩の直後、ローレの額に槌で殴られたような痛みが走る。上体を起こす力すら保てなくなって地面に頭を打ったのだ。
その程度の本来なら何て事ない痛みでも、脳が凝固したかのように衝撃が一気に突き抜ける。
目眩が酷い。そろそろ血の量が生存に足りなくなり始めている。意識よりも先に身体が限界に達するのが避けられない。
「さっきから……これ、キミの仕業か……!ぅうっ!」
「隠してたわけじゃないわよ。学園でもみんなそうだったでしょう?私を見ると固まって、何も言えなくなっちゃって。あなたたちには効かなかったんじゃない。ただ流せていただけよ」
背に負った翼が明滅する。強風に煽られた蝋燭のように頼りなく、行き場をなくした光が儚く霞と散っていく。それはそのまま彼女の現状を表していた。
ローレの桁違いな気力を鑑みても、意識を保てるのは数十秒が限界だろう。
「諦めて気絶しなさい、さもないと死ぬわよ――あら」
そんな予測の結果を弾き出してローレへの追撃を止めたミリゼの隙とも呼べない隙を狙い、この場のもう一人がすかさず踏み込んだ。
「思ってたより仲良しね。なんだかちょっと妬けるかも」
「背に腹は、変えられませんから。それに貴女は危険です、ミリゼ……!あるいは、ローレよりも、誰よりもずっと――!」
「否定はしないけど、あなたに言われたくは――」
そうしてミリゼが迎撃に移ろうとした、その瞬間。
「――は?」
ミリゼの足が衝撃によって掬われかけた。傷はないが、それでも体勢を崩す力としては十二分。
鋼の気力で意識を保っていたローレが炸裂させた光の衝撃が、ユニアを迎え撃とうと構えていたミリゼに命中して気を引いた。彼女さえ排除できれば元に戻るという推測の元、ユニアの援護として余力を振り絞った最後の一発。
稼いだ時間は一秒ほど。言うに及ばず、この戦域では致命の間隙。
「っ!」
「これ、で……終わりです!」
空の黒雲を一本の刃に凝縮したかのような瘴気の集束が、ミリゼの胸を撃ち抜いた。
銀の切先が衣服を貫き、肌に触れてそこで止まる。
しかし、刃と皮膚の拮抗は数秒。結果は、ユニアの腕が僅かに前へと進んだ事で示される。
「うそ――」
瞠目して息を吞むミリゼの胸に、正面からユニアの刺剣が突き立った。
心臓を脊椎ごと貫く角度と深さ。受けたのがローレであったならばこれは致命傷、勝負を決する傷となり得る。
これにはミリゼも素直な賞賛と驚きの念を感じた。警戒していたつもりでも、少し甘く見てしまったと自分を恥じる。肝心の詰めを失敗した代償として、痛みと屈辱を甘んじて心に刻み込む。
「……ええ、やれるならあなたよね、ユニア。言いたくないけど、見事だわ」
「え……?」
だが、まだ最奥には届いていないという事実を誤魔化すことはしない。
ユニアも少し遅れてそれに気付いた。
武器は確かに刺さったけれど、彼女の身体を貫通していない。かなり深く突き立っているのに、切っ先が背中から出てこない。
その異常に気付いてユニアが目を見開くと、ほぼ同時。ミリゼがユニアの手首を掴み、強く握りしめた。
「う、ぁ、っ……?!」
ユニアが抱いた勝利の確信は、腕から流れ込んでくる凍気の奔流と胸に奔る激痛によって完全に塗り潰された。刃が何かに押し返されたと感じたのもつかの間、ミリゼの傷から黒い鉄の爪のような何かが這い出てきてユニアを貫き持ち上げる。
「でも残念、足りないわ。ガワを破れたのは褒めてあげる」
その声は、口から発されていなかった。血色の良い唇は開くことすらしていない。
ミリゼの胸から生えユニアを刺し貫く、巨大な一本の黒い角錐――その細やかに振動する音が、少女の言葉となって届いている。
この世界の外にいるなにか――ミリゼという人形を次元の向こうから操る一端が、黒い爪で亀裂を押し広げながら顕現していた。
「なに……あれ」
聳えるように生える爪は、ミリゼが撫でるように触れた途端、まるで積み木を崩すように抵抗なく細かい欠片になって崩れ落ちた。からからと澄んだ音を立て、カットされた宝石を思わせる美麗な黒の破片となっていく。そして、地に着いた端から霧のように消え去った。
「……ぅ」
その光景を見ながら、まず限界を迎えたローレが意識を手放した。
これにて片方が落ち、更にもう片方も虫の息。
貫かれていたユニアが、棘が完全に壊れて消えると共にミリゼの足元に崩れ落ちる。
「っ、はぁ、けほ、げほっ――」
「おやすみユニア。起きるまでは面倒見てあげるから、寝て頭を冷やしなさい」
痛みすら遠ざけるほどの急激な喪失感に苛まれながら閉じようとするユニアの瞼。元の澄んだ色を通り過ぎて虚ろになりゆく碧瞳が映すのは、胸の傷も消え去って無傷となったミリゼの姿。
「――っ、ぅ……」
その瞳がしっかりと自分を見ていることを認識しながら、凍死寸前のような仄暗い暖かさに抱かれてユニアは気を失った。
広場の中で動く者がミリゼを除いていなくなり、それと同時に空気が変わる。
涼やかな風が吹き抜けて、世界の流れが正常に戻ったことをミリゼに知らせた。
しかし、ミリゼは動かない。
この状況を引き起こした当事者として、ミリゼはこの場を収めておく責任がある。
「さて、と……」
ミリゼは振り返り、降り立った二つの影に向けて微笑みかけた。
彼らの警戒を解くために、今しがた地に沈めた二人の友人に倣った態度を装って。
「私に敵意は無いですよ。よければこの子たちが起きるまでお話ししましょう。精霊にも聖騎士にも、前から興味はありましたから」