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第四話 分かれ道の先

 最初にそれに気が付いたのは、最初に喫茶店から出たユニアだった。

 

「――おや、止みましたね」

「本当。でもすぐにまた降りそうよ」

「それに、そろそろ暗くなるね」

 

 空を見上げれば、入る前には降っていた雪が止んでいた。僅かに生じた雲の切れ目、その真下に今の三人は立っている。

 周囲の雲は変わらず厚い。晴れ間とも言えない天気の間隙はそう長く続かないだろう。


 円形の広場の中心に聳える時計塔の針は、既に夕刻の半歩手前を差している。ミリゼが今から帰って家に辿り着く頃には、暗闇の帷が完全に降りきっているくらい。


「――それじゃ、私は帰るわ。元気でね、二人とも」


 ミリゼは二人に向き直り、片手を軽く上げて別れを告げた。九年の縁の切れ目とするには淡白かもしれないが、これくらいの方が未練もあるまい。


 受けたローレとユニアの表情はそれなりに大きな寂しさと、それから他の感情が二つか三つ混じった複雑ながらも透明に近い微笑み。僅かな夕陽に染まった二人は、細波が通った後の水面のように静やかだ。

 あくまで、表面上は。

 

「うん、それじゃあまた――」

「では……」


 言いかけた言葉を感情と共に飲み込んだ表情。直後にローレは自分の心を振り払うように大きく手を振り、ユニアは寧静を示したいかのように控えめに手を振った。


「……、じゃあね!さよなら、ミリゼ」

「お元気で。さようなら」


 名残惜しいのは同じらしい。その確認ができただけでも充分だった。


「ん。じゃあね」


 ミリゼは軽く、けれど二人に向き合ったまま手を振ってから広場に繋がる道の一つへ向かう。そこから少し脇道に逸れれば、自分の家への近道だ。


 そしてミリゼの足がその路地の影を踏んだ時、背後で密やかな声がした。


「……………………ねえ、ユニア。後で――」

「――。わかりました、夜半ですね」

 

 それが聞こえていないと思っているのは、本人たちだけだ。行き交う他人からは隠せても、隠そうとした相手であるミリゼ本人には聞こえていた。



「……聞こえてんのよ、馬鹿」


 

 歩みを止めず路地へと入りながら、ミリゼは眉間に薄く力をこめる。視線は前を見据えたまま、しかし意識は背後へ向いている。もう随分と距離を隔てていたが、二人の密談はしっかりと耳に届いていた。


 ミリゼを締め出した上で二人が交わした約束の時間を、ミリゼは記憶の隅に小さく薄く刻み込む。

 

「夜半、ね。まあ、まだいいでしょう。どっちかが日和る事に期待するわ」

 

 それでも、今はまだ様子を見るとミリゼは決めた。二人の事は信じている。心から頑張って欲しいと思っている。これまで見た誰よりも何よりも、彼女たちは特別だから。


 もしも破綻して何か起きたなら、その時はその時。自分が介入する権利も、これに関してはあるだろう。


 雲の色が淀んでいく。どうやら太陽が地平線に触れたらしい。もう三十分もすれば完全な夜になる。

 そう考えると同時、はらりと肩に微かな感覚。見上げれば、気にならない程度の粉雪が再び降り始めていた。

 

 雲の切れ目は一時の気まぐれだったかのように消えている。夕陽の暖かな光は厚く暗い雲に遮られ、少しも見えなくなっていた。



 ♢

 ミリゼの家は、大通りから大きく外れた静かな住宅街にある。

 はっきり言ってかなりのボロ家。というか外観は家というのも憚られるため、想定されている用途は住宅というより寝泊まり可能な作業場だろう。

 

 しかしそのため、広さはともかく家賃は格安。通学も含めた交通の便は不自由だが、その程度をミリゼの健脚は苦にしない。


 住み心地は、率直に言って最悪だ。

 床を踏めば天井が連鎖して軋み鳴る。さりとて下手に摺り足をするとささくれ立った部分に靴下が引っ掛かる。骨組みは風が吹くたび痛ましい悲鳴を上げ、今のままでは屋根を支えているのも辛そうだ。

 自力で修繕するのも難しく、この家を引き払うのもそう遠くない日のことだろう。

 

 そんな欠陥住宅は、近所の子供たちから魔女屋敷と言われていたりもする。

 

 度胸試しの一環か、悪戯しに来たことも何度かあった。

 可愛らしいので暫くは放置していたのだが、しかしその場面にミリゼがたまたまばったり出会したせいで子供がミリゼの視線と特有の存在感に竦み上がってしまい、寄り付かなくなってしまった。

 

 その日を境に不本意な曰くが増えたことは言うまでもない。いつしか貧相な魔女屋敷の噂は、そこに住む黒髪の魔女共々めでたく一帯の怪談と化していた。


 まあしかし、ご近所付き合いは建物の立地次第で解決する問題である。具体的にはもう少し小綺麗で部屋も多い、人の少ない空気の綺麗な地域の一軒家とか。

 自分へちょっとした見栄は張りたいので一人きりで山籠りなんてものは却下するとしても、そのくらいの自立はしたい。


 人としてではなくとも、一人として生きていたい。そう願ってミリゼはこの国に来たのだ。


「そのためにはまず人並みの生活水準、っと……お金、やっぱり欲しいかも。仕事のやり甲斐はありそうだし」


 自分の家の扉の前で溜息を吐きながら、ミリゼは自分を励ますようにそう呟く。そして家に入ろうと手を伸ばす――寸前、足元を動く小さな影に気が付いた。


「――ん?あら」


 ミリゼは身を屈め、その影を指先で無造作に掴み上げる。

 捕まえたのは、四肢を持つ奇妙な生き物。鼠でも虫でもない真っ黒な体色のそれは、ミリゼの指に摘ままれてくねくねとのたうっていた。


「丁度いいお土産ね」


 改めて前を向き、空いている方の手でノブを掴んで扉を開く。蝶番の錆だけは落としてあるが、それでも扉自体が少し古いせいで音が鳴るのは如何ともしがたい。近所に聞こえない程度なのが救いだった。


 家に入り、後ろ手にゆっくり扉を閉める。ドアノブから手を離し、そこでミリゼは口を開いた。


「ただいま」


 ただいまを言うのは、この家に住んでから少し後に始まった習慣。引っ越してから増えた二匹のペットは人間の幼児程度に賢いが、同じくらいの寂しがりだ。こうして帰ってくるとすぐさま反応する。



「――ジッ」

「ジル」「ジギ」「ギルゥ」



 奇怪な鳴き声と共に、二体の影が廊下の奥から現れた。


 家で飼える犬猫に比すればかなり大きな四足獣。形や大きさは狼に近いが、しかしその外見は哺乳類どころか有機物とすら思えない。

 鋭利に削られた黒い角錐状の棘が身体中に隙間なく生えていて、柔らかそうな体毛や皮膚が無いのだ。


 そして二匹の外見にも大きな差異があった。個々の要素は似ているため起源が同じだとは理解できるだろうが、個性では済まされないくらいに形が違う。

 

 一匹は上顎が三つ、下顎が二つに分かれており、口を開いた姿を横から見れば百合の花弁を思わせる形になる。鬣のように頭の後ろから上半身にかけて大きく鋭い棘が後ろ向きにたくさん生えているため、前から見ると実際の体長よりも大きく屈強に見えた。

 

 もう一匹は頭が三つ生えている。後脚の大腿が大きく発達しており、二本足で身体を支えて立ち上がることも容易にできそうだ。そんな兎にも似た体型の都合で、上半身をやや下げた姿勢で半ば這うように歩いている。


「ラム、コーン。今日も良い子にしてた?言いつけ通り、外に出てない?」


 二体の獣がミリゼの手に頭を寄せながら甲高く鳴く。それぞれの口が開き、唾液のぬめりが無い乾ききった口の奥から金属の角錐のような形の舌が甘えるように突き出された。

 

 五又の顎を持つのが衝角(ナバルラム)、頭が三つあるのが三角帽(トライコーン)

 見ての通り、普通のペットではない。


 この国に住まう第三者がこの獣たちを見れば、こう言うだろう。

 異獣だ、と。


 異獣。この二匹は、一般にそう呼称されるものに間違いない。先ほど玄関前でミリゼが捕えた生き物と同種である。

 ローレとユニアを家に呼んだことが無い理由の一つがこの二匹だ。あの二人ならもしかしたら黙っていてくれるかもしれないが、危ない橋は渡れない。

 

 異獣とは、場所を選ばず見られる謎の存在。例外なく獰猛で、あらゆる生き物に襲い掛かって捕食を試みる。そして食べれば食べるほど大きくなる。

 体の構造や発生のメカニズムも不明。もはや生物としての括りではなく、一種の現象という認識だった。


 とまあ、ここだけ挙げれば不気味で危険極まりないかもしれないが、通常の異獣に関してはそこまで害のあるものではない。というのも、基本的に小さく貧弱なのだ。


 生まれたばかりなら手の平に十数匹が収まるサイズで、そこから鼠ほどの大きさに育つことすら稀。

 人々からの扱いはもはや蠅やゴキブリと同列だ。悲鳴を上げた主婦に箒で叩き潰され埃と共に飛び散る様は、もう非科学的な神秘性なんて欠片も感じられない。

 

 一応育てば危険なので飼育は法律で禁止されているが、そんな罪で捕まる人なんてミリゼは聞いたことが無い。


「ほらラム、口あけて」

「ジギ――ジッ」


 ミリゼは捕まえた異獣を見せつけるように一度持ち上げると、二匹の片割れに向けて放り投げる。もがきながら宙を舞う小さな怪異は、がぱりと開かれた顎の奥へと消えていった。

 与えられた餌を嚥下するナバルラムを見て、トライコーンが不満げな鳴き声を上げる。


「ジーッ」「ジー」「ジ」

「ちょっとコーン。強請られてももう無いわよ。あなたにはこの前あげたじゃない。それより早く着替えたいの、ラムもくっつかないで」


 二匹は居間に向けて進むミリゼにじゃれつき、時々その顔を見上げて震えるように唸り鳴く。

 擦り寄って来る二匹を軽くあしらいながら、狭い廊下を通ってミリゼは居間へと踏み入った。

 

 部屋の隅には、見栄を張るように一人用としてはちょっぴり大きめのベッドが壁に張り付くように置かれている。

 すぐ傍には衣類を詰めたクローゼットと勉強机。こちらはベッドの割を食って少し小さめ。机に至っては端を少し削って強引に隙間へ嵌め込んでいる。


「さて。ひとまず、さらば青春っと」

 

 ミリゼは身につけているものを脱いで一度ベッドの上で適当に畳み、それからクローゼットの中にさっさと押し込んでいった。


 ふと、二匹がするりと隙間に割り込むように近寄ってくる。全身が鋼刃の塊のようなくせして、本人たちがその気なら意外なほど動く時の音が鳴らない。

 棘を窄めたりもできるので、見た目より活動のスペースを取らないのだ。

 

 二匹は犬が鼻を鳴らすような音を発しながら、ミリゼの方へと顔を向けた。尻尾は無いが、あったらふりふりと揺らしていたかもしれない。

 

「なによ、もう大きいんだから動くと狭いって前から言ってるでしょ。前に買った中古ラジオ引っ掛けて壊したの忘れてないからね」

「キ……」

 

 ミリゼが睨むと二匹はやや委縮する。

 一度きつく怒ったのが効いていて、それ以降は少し慎重にぴくぴくと動くようになったのが素直で可愛らしいとミリゼは思う。

 

 二匹はおずおずとベッドの上に鼻先を寄せ、そこにミリゼが置いたものを引っ掛ける。

 黒いマフラーと黒い手袋。前者はローレから、後者はユニアからのプレゼントだ。どちらも手作りと思えないほど質が高い。


「……ああ、ローレとユニア。あの子たちがどうかした?」


 咥えられた二つのものを牙に引っ掛けて破らないよう注意しながらトングのような口から取り上げる。至る所が鋭利に研がれた刃みたいなものだから、こういう時はこちらも気をつけなければならない。


「あなたたちと気が合うかは知らないわよ」


 結局、二匹と二人が会う機会は無かった。そこを惜しんでいるのかもしれない。二匹がミリゼに付いてきた理由は人恋しさがかなりの部分を占める筈だから。

 寝巻を着込みながらミリゼは二匹に語りかける。


「前も言ったと思うけど、たぶん人間じゃないからね?霊素の感応量と透過率から見てそうじゃないかしら。それに、中身(こころ)の方はあいつらに近いと思うわ」

「ジ――?」

「あいつら。私の大馬鹿お母様とその妹たち。名前、聞きたくないでしょ」


 吐き捨てるようにそう言った瞬間の反応は劇的だった。二匹の異獣は全ての牙を打ち鳴らして不快げに身動(みじろ)ぎ、耳を覆いたくなるほどの金属の擦音が棘の一本一本から発される。

 明確に怒り、猛悪な獣性を表出させていた。今の二匹の姿を見て慣らされていると感じる者は皆無だろう。


 凶暴に唸る二匹に向けて、ミリゼは宥めるような微笑みを作った。近くにいたナバルラムの頭を撫でて落ち着かせる。


「気が合うわね、嬉しいわ。私もお母様は大嫌い。だけど私やあんなのと比べるのも烏滸がましいくらい綺麗な子たちだから、会っても噛んじゃ駄目よ」


 その〝良い子〟が今夜なにをしようとしているのか察してはいるが、口には出さない。


 ミリゼの言葉で二匹は鎮静した。撫でられた際の余韻か何かを感じているのか硬直していたナバルラムを、トライコーンが嫉妬からか三本の角でがつがつと突いている。


「キッ……キィッ!」

「ギギー」「ジギギ……」「ギーッ!」

「こら、仲良くしなさい。静かにして……ああもう、コーンもこっちおいで――よしよし、と。

 じゃあ、おやすみ。動かないでね」


 着替え終わってクローゼットを閉め、ベッドに腰を下ろして勢いのまま倒れ込む。もぞもぞと動いて体勢を仰向けに調整して枕に頭を乗せると、ちょうど目に映る壁に時計が掛かっている。

 時刻はだいたい八時前――早寝にも程があるが、何かをする気分じゃない。

 そしてミリゼは、意識は沈めないまま瞳だけを閉じた。


 二匹の異獣は部屋の隅へと移動し座り込むと、そのままぴくりとも動かなくなった。ナバルラムもトライコーンも魔除けの石像が如く固まって、先の活力は既に欠片すら残っていない。


 少し傾いて壁にかかった時計は、緊張に固まっているように焦れったく針を動かしている。街の喧騒も遠い静寂の中では、ただの一秒すらも遅く感じてしまう。

 

 しかしそれでも、時計は確実に動いている。

 文字盤の(ふち)を滑らかになぞり、噛み合った歯車に特有の小気味良い音を鳴らす。一歩を進めるごと、静まり返った部屋の中に殷々と反響を置いていく。


 そして――文字盤の天頂に、針が重なった。


 

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