第三話 どうしようもない子
その喫茶店に彼女らが立ち寄る頻度は週に一度、たまに二度。
少々の茶菓子を頼んで一時間ほど駄弁り去っていく容姿端麗な少女三人の顔を店側が覚えるのに時間はかからず、彼女たちは常連として認識されていた。
それは今日も、店の隅にある席で。
「――いや、二人ともあたしを何だと思ってるのさ。前に立つのって結構しんどいんだよ?慣れたからってプレッシャー感じないわけじゃないからね?」
「ミリゼ。こういう時のこの子は面白いですね。すごく老けた方みたいで」
「まあこの中で一番苦労はしたでしょうね。三年連続で生徒会長だもの」
頬杖を突いてむすりと頬を膨らせるローレと、けたけたと愉快げに笑うユニア。そんな二人を見て、穏やかに微笑むミリゼ。
机の上には飲み差しの紅茶と頼んだ菓子類。量はいつもより気持ち多め、値段は少しだけ背伸びしたもの。それらを摘まみながら、三人はこれまでの諸々についての感想を言い合っていた。
くだを巻くとまでは行かないが、割と何も考えずに思ったことを口にしている状態だ。
そして現在、三人の中で特に口数が多いのはローレだった。
「なんか、無言でみんな見てくるもん。別にイヤってわけじゃないし、むしろ喜んでって感じではあるんだけど、いやでも重いってー……ミリゼそのケーキ一口ちょうだい」
「ん。はい、口あけて――そういうところよ、あなたがいろんな面倒事の流し先に最適なのって。尊敬するわ」
「ええ、まったく」
ずいと口元に突き出されたケーキに遠慮なく食いつくローレを見ながら述べられたミリゼの意見に、ユニアが横合いから追従する。手元の紅茶の温度を楽しむようにカップに指を這わせつつ、小さく息を吐いて揶揄うような眼をローレに向けた。
「人柄も責任感も能力も、あとは嫌味なくらい小綺麗なその外見も。飾り物として最適ですからね。取り敢えず押し付け――こほん、任せれば何とかなるので」
「ん……ぐ……もしかしてバカにしてる?」
数秒かけて口の中のものを嚥下したローレがユニアをじとりと睨むが、ユニアはわざとらしく首を傾げるだけ。
しかし、ローレに対しての印象ではミリゼもユニアと同感だ。だからユニアと入れ替わりに口を開く。
「してる。よくやるわねあの子バカじゃないのって毎回思ってる。凄いなとか偉いなとかも思うけど」
「はい。一字一句、ミリゼに同じく。それに付け加えて感謝もしていますよ。あ、お砂糖とミルク取ってください」
ローレは三年間連続で学園の生徒会長を務め上げていた。生徒会長への立候補が可能なのは高等部の三年間のみのため、事実上の史上最長任期。しかも得票率は一切誇張なしの十割だ。
その偉業が示す通り、ローレは人当たりの良い人気者。いつでも明朗快活で、決して誰かを邪険にすることはない。八方美人の類ではあるが、ここまで徹底できる者はまずいないだろう。
当の本人は見ての通り、そんな称賛を受けても心外だと言わんばかりに手を振るだけだが。何なら少し引いている。
「やめやめ、キミらにそんなん言われるとなんか鳥肌立つから。それに感謝ってなにさ、ずっと置き物だったよ、あたし。で何、砂糖とミルクね、はい」
「ありがとうございます――置き物や飾り物になれるのも才能ですよ、素直に誇ってください」
「割と普通にいろんなこと執りなしてたわよね。日陰だった私から見てもよくやってたと思うわよ」
「えぇ……?なんか褒められてる気がしない」
ミリゼもユニアも本心から賞賛しているが、しかしローレは同意しかねるらしい。幼いころから揉め事があれば即座に飛び込むほど度胸があるくせ、自己肯定感に欠けている部分も変わらない。
恐らく身近に特別な存在が二人もいるからだろう。それを証明するように、ローレは灰色の少女へ目を向けながら言葉を続けた。
「てか、それ言い出したらユニアだって働き詰めだったじゃん。……見てて鬱陶しくなるくらいちょこまかと」
そう口にするローレの顔には、なんとも言えない微妙な感情が浮かんでいた。きっとその感情は、今のミリゼが覚えているものと同じだろう。ミリゼはちょうど口に含んでいた紅茶を飲みこんでから、微かな苦みを吐き出すように口を開く。
「……ユニアのあれは働き詰めって言うのかしらね。余計なお節介と紙一重だと思うんだけど」
「ほんとそれ。あれこれ勝手にやって嫌われないのが不思議っていうか、あたしとかミリゼだったら絶対に角が立つって言うか……いやミリゼは逆に立たないか。とにかくユニアって影薄いから気にされないんだよね。ああそう言えばってくらいで」
はぁ、とため息をつきながらミリゼとローレは同じ方向へ視線を向けた。
言葉の内容はほとんど相手を非難する内容だったが、しかし目の前でそれを言われた当の本人は悪びれもせず、にこにこ笑って佇んでいる。
「性分と申しますか、寂しい部分が気になってしまうのです」
ユニアという少女はおとなしそうに見えるが、その本性はじっとするのが我慢できない自由人。白鳥じみた気品を備えた鴉の類だ。俯瞰して見ていたミリゼに言わせても、学園で一番やりたい放題やっていた問題児はユニアである。
そしてそんな行動力に反し、ユニアは影が薄い。ゆえに行動を咎められることが全くなく、本人もそれを自覚した上で随分と楽しそうにやっていた。
ふらりと現れては掃除や水やりなどを人知れずさっと済ませていく姿から、ついたあだ名が妖精だ。
後で気付いてもその結果が決して悪いものにならないのだから、誰もが好意的に受け止める。
神出鬼没が極まって、ユニア・アーフィオラ三つ子説なんて与太話もまことしやかに囁かれていた。ミリゼがその噂を初めて耳にしたとき、ちょうど側にいたローレが頭を抱えていたのを覚えている。
「まぁ助かりはするけどさ、するんだけどさぁ。けど生徒会室に覚えのないやたら立派な本棚が二つも増えてたのは何の冗談?キミが運び込んでるの見たって聞いたよ?」
「ローレが資料の置き場で困っていると小耳に挟んだので。ミリゼに手伝ってもらって廃材置き場から失敬した諸々で作りました」
本当に、善意であるから咎められない。責める理由を見つけようにも、彼女の行動で他人に迷惑がかかった事例は全く無い。何をしているのか気付かれないことすらままあって、気付かれたとしても誰も気にしていないならまあいいかとつい許してしまう。
しかしローレのような視野の広い存在にとって、その遠慮を知らない行動力は呆れと困惑を覚えてしまうのだろう。
「手伝って、って……あー、キミも共犯かぁミリゼ。思い返せばあのやたら丁寧で飾り気ってもんを許さない仕上げはキミの仕事だよ」
ぼーっとしている間にユニアに矛先を逸らされたが、ローレからの視線もミリゼにしてみれば特に堪えるものでもない。赤い瞳を見つめ返すこともなく、何も感じていない内心のままさらりと返す。
「主犯はユニアよ。ちゃんと先生に許可も取ったわ。
それに、あれやこれやと引き受けてるあなたにも問題はあるでしょう。個人の相談事ならともかく同好会の会計とか、聞き取りの集計とか、生徒会長の役目かしら?」
「う……量が多くて困ってるって言われたから、その。あの時は、ほら、ちょうど手すきだったの」
「面倒事に限って引き受けますよね、ローレは」
「面倒事以外を全部キミが片付けるからね、ユニア」
気怠く頬杖を突くローレとけたけた笑っているユニアを見ながら、ミリゼは一人回想する。
振り返って見ても、ローレとユニアは普通の子とはとても言えない。特別な存在とはああいうものだと誰も彼もがすぐに理解できるほど、二人の少女は別々の方向で傑出していた。
二人の間にいるからこそミリゼも注目を浴びていた、そんな側面も確かにある。
基本的にミリゼは大勢にとって〝なんだかわからないけど、すごく出来るやつ〟以上でも以下でもないのだから。
「ああもう、なんか思い出してたら腹立ってきた。ねえミリゼぇ、キミからこの子に何か言ってよ。あたしじゃ何にも言えない」
「きっと何も言いませんよ。ね、ミリゼ?」
「ああうん、そうだった。そんな子だった」
九年間の最後の最後、卒業式の今日に至るまで結局ミリゼと関係を築いたのはこの二人だけ。他とは当たり障りのない会話しか交わしていない。
日頃の行い自体は良かったので陰口や悪評の類は聞かないが、それでもミリゼは孤立し続けていた。
「何よ藪から棒に。そんな子ってどんなよ、どう見えてるのよ」
ローレとユニアは、それを上手い具合に掻い潜ってミリゼと気安くつるんでいた。
主たる原因はミリゼに対する認識だろう。彼女たちは二人して全く同じ感慨をミリゼに対して抱いていた。
「どう、かぁ」
「それはですね」
ローレとユニアは顔を見合わせて無言で言葉を共有する。内心の一致を苦笑で確認し合ってから、口を揃えて同時に一言。
「「 どうしようもない子 」」
関係のない者が聞けばなに一つとして要領を得ない言葉でも、正鵠を得た表現には違いない。
二人は、ミリゼがかなり厭世的な性格をしていると早い頃から察していた。より正確には、自分に厳しく他人に甘い潔癖症だろうと。
見る者が恥じ入ってしまうくらいに自分の普段の行動からは無駄を削ぎ落とし、他人の瑕疵はめざとく見つける癖してそれらを心に秘めて指摘しない。
誰にも何も言われないよう、自分を徹底的に整えている。だから、誰も何も言えない。無理矢理に文句をつけてしまえば、十中八九自分に返ってくる。
そんな姿を指して、他人からは押すことも引くこともできない――〝どうしようもない〟という評価は、正しかった。
「色々と言いたいことはあるけど、まあ一言。キミ、行動はともかくとして性格は絶対に人好きしないよ。黙ってればってやつ」
「典型的な事なかれ主義ですね、そう珍しくはありません。自分の責任を誰かに譲る気も、誰かの責任を自分が請け負う気も無いのでしょう」
「……ねえ、私のこと嫌いだったりする?何かしたなら謝るけど」
ミリゼも自分の性格はかなり自己中心的な部類だと自覚しているつもりだったが、しかし面と向かって指摘されたのは初めてなので反応に困ってしまう。
拗ねたような表情を作って見せたミリゼを鼻で笑いながら、ローレが椅子の背もたれに体重を寄せた。
「別に、性格で付き合い選んだわけじゃないからさ。それに何かしたってよりむしろ――ん?あれ、あたしのマフィンどこ……ユニアぁ!」
「もふもふ……んっ、ミリゼ、半分いかがです?」
「貰うわ。ありがと」
「ちょ、ちょっとミリゼ、それあたしの、あっ、ああ……こいつら、このっ!特にユニア今日という今日は絶対にっ!」
油断を誘発する影の薄さを活かした手癖の悪さをいつも通り発揮しながら、ふとユニアが小首を傾げてミリゼを見た。
「ちなみにミリゼ。ミリゼは私のことをどう思います?」
「むぎぎ……あ、そうだあたしも。ついでに教えてよ、あたしのことどう思ってるか。それであたしの勝手に食べたことは半分チャラにしてあげるから」
ユニアを睨み歯を食いしばって唸っていたローレも、直後にミリゼを見つめて同じことを問うてくる。なぜこういう時は息が合うのかと、ミリゼは疑問に思わずにいられない。
「別にいいけど、半分?」
「さっきあたしにケーキくれた分で半分。それでキミは免罪終わり。あ、ユニアは丸ごと残ってるから何かちょうだい」
「ではこのドーナツ一個で。足りなければ私持ちで追加しますが」
「ふふん、よろしい。一個で許す――はむ」
ローレは言うが早いか手を伸ばしてユニアの前に置いてあった皿からドーナツを手に取る。それを笑顔で頬張りつつ、何かを期待するような視線でミリゼを見つめた。
と言っても、答えはミリゼの中で決まっている。
「最初に会った時から、そう印象は変わってないわ。一言、存在が空気読んでない変なの二人って感じ」
言った瞬間、空気がぴしりと固まった。ミリゼは二人の額に薄く浮かんだ青筋を幻視する。
「…………ねえ、ほんっっと、これ以上ないくらいキミにだけは言われたくない事なんだけど」
「……ええ、加えて妙に癪に障ります」
じろりと向けられる、もの言いたげな二色の視線。
何が琴線に触れたのか。間違いないのは、ミリゼの一言が予想以上に深い角度で刺さったらしい事である。
唇の端がひくつくような、怒ってはいないが笑い飛ばせてもいない複雑な表情。どうにも〝変わっていない〟と言われたことへの腹立たしさを確定しかねている様子だ。
「気に障ったなら言い直す?気の利いた語彙は無いけど」
「吐いた唾は飲まなくていいよ、しっかり聞こえたもん。……いや、うん、大丈夫。言いたいことは伝わったから」
「……いえ、別に傷ついたわけではありません。本当に。ただ、この服はどうですかと聞いたら黙って鏡を差し出されたような釈然としない感覚が……」
ローレもユニアも、例えこの世にただ二人の友人の前でも内心を吐き出すことは少ない類だが。それでも今は気を抜けばテーブルに突っ伏しそうな顔である。抱いているのはきっと自責と表現するのが最も近いが、深いところまではわからない。
「――でも、やっぱり……ふふふっ」
そう、ローレが不意に口元に手を当てて笑い出した。
堪えきれない愉快さ、というよりはちょっとした微笑ましさの発露に近いような静かさで。
「なに、どうかしたのローレ」
「いやだってさ、ユニアがこんな複雑そうな、人に文句言いたそうな顔してるのってキミと話してる時くらいだから。こう――すっごくいい気味だなって」
殊更に溌剌とした嫌味を聞いたユニアの表情に、初めて敵意に近しい感情が覗いた。普段の彼女からは想像できない、やや低く絞り出すような声が出る。
「……言いましたねローレ、覚えておいてください」
「うんうん、覚えといてあげるからキミはこの九年間あたし相手にやらかした諸々を一生覚えといてねユニア。一方的にあたしの気に障ったことだって山ほどあるからね?」
「それは何をどうしろと……ミリゼ、後でこの女へ一発お願いできませんか?これが無駄にきらきらしていないのは貴女の前くらいなのです、鬱陶しくて仕方ない。貴女に睨まれれば黙るでしょう」
我関せずで紅茶を啜っていたミリゼには、二人の間で火花か何かが弾ける音が聞こえた気がした。こういうノリは見ていて愉快であるものの、付き合ってはいられないとつくづく思う。
「面倒ね。やるなら両成敗でいい?」
カップを置いて半目で見ながら、ミリゼはこれ見よがしに嘆息する。
ミリゼに二人を嗜めるつもりは無い。もうこれをどうにかするのは諦めているから。言わせてもらえるなら、この二人も割とどうしようもない女である。
「そりゃいいね、あたしが痛い目みてる間はこの子も同じなわけだ。うん、それでいいよ思い切りやって」
「うふふ。涙目のこの子を想像するだけでとてもいい気分になれますね」
「……そんな仲悪かったっけ、あなたたち。いや、中途半端に折り合いが悪いのは昔からだけど。
本当、変なとこで噛み合わないのよね」
本心など語ったことは一度もない。けれど何となく理解はできる。
諸々の根本的な相性が、この二人は全く合わないのだろう。
ミリゼも含めて三人で、よくもまあこんなに中身が違うくせして付き合いが続いたものだ。
あるいは、噛み合わないからこそ三人での行動を続けたのかもしれない。
時刻はじきに夕方の手前。
そろそろ帰ろうか、なんて誰からともなく言いだしたのはその直後。
長いようで短い和やかな茶会は、さしたる波もなく終わりを告げた。