獅子王の背中
ニレンはおれを見ていた。一緒に育ったおれが今の今まで見たことのないニレンの顔がそこにある。おれから目を背けていたニレンが、今はおれを見ている。ニレンほどの男がおれのような出来損ないに言葉を贈っている。ここで完全に目覚めるのが獅子なのに……なのにおれは、「期待されても貧窮の獅子は空を跳ね回れなければ、天に牙も爪も立てられない」知識の乏しい頭で考えて、おれというヒトを教えてやろうと出た言葉がそれだった。
「獅子に翼は似合わずとしても、天上をも駆けるが…………士師語り」
ニレンは体調を崩したかのように呼吸を荒げ、胸部を押さえていた。これもおれが初めて見るニレンの姿、戦場では呼吸の乱れを見せず、汗すら流さない凛々しい男子。しかし今、おれの目の前にいるニレンは話すのもやっとのことで、不治の病と闘争する年寄り爺さんのようだ。
「おいニレン、らしくないぞ、どうした……」
「いいや、このセカイで使ってはならない発声をしたんだ。心配いらないよ」
「はぁ? 大神との戦いで呪いでも受けたのか」
「セカイを歩くために課せられた試練のようなものだよ。確信したから禁忌に触れた」
ぼくは少し休ませてもらう。ニレンはそう加えてから宮殿の奥へ足を進めた。確実に弱っている獅子王にでさえ、不意を突いて噛みつけないことは赤子でも分かる。だからおれは噛みつくことも己の貧弱な肩を貸して支えることもせずに、「どんな試練を背負っていようが、どれだけつらかろうがお前は大英雄だ。お前を信頼している帝国民はお前が戦争で殺したエンルル人よりも多い。お前は神の王に負けられないんだ」
この男が必死こいて背負っているものの重みも知らず、おれは誇り高き獅子王に向けて負け犬の遠吠えを吐き捨てていた。
「……戦争はまだ終わってない。君がぼくのような英雄になりたいならぼく以上にエンルル人を殺せばいいだけだ。けれど、咲かせようとする者はこのセカイを見ちゃいないよ」
おれは次代の王の背中を見ていた。いつも一瞬で消えてしまう王の姿を瞳に焼き付けようと、闇の奥へ消えるまでじっと見ていた。
(セカイを見ないなら、お前を見るしかねぇだろ)
こうしておれはひとり残された。残されるのは慣れっこだ、他の誰よりも出来損ないのおれは最後の最後まで残って、他の誰よりも多くの鐘の音を聴き余韻に浸る。この時間は今だけしか味わえない、今日の空は今日しか見られない。
おれが生まれた日はどんな空模様だったのか。あの日の鐘の音はおれを祝福してくれたのだろうか。誕生日を祝ってくれる父親も母親もいないおれだが、今年は伝統を守る親父と口うるさい母親が登場した風で……今まで見たことがないくらい派手だったのだろう。




